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読んじゃいなよ!

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高橋 源一郎 、 出版  岩波新書
著者による人生相談の回答は、いつも感嘆・驚嘆・敬服しています。人生とは何かについての深い洞察をふまえた的確な回答には胸のすく思いがします。
著者は、学生時代は全共闘のメンバーとして暴れまわって、結局、大学は卒業していません。私は当時、アンチ全共闘でしたし、暴力賛美は間違いだと当時も今も考えていますが、著者は、その間違いを自ら克服し、人間としての幅と深みをしっかり身につけています。同世代として、うらやましい限りです。
そして、自らは大学を卒業していないのに、今では大学教授として学生を指導する身です。著者から教えられている学生は幸せです。私だってもっと若ければ、著者の教室にもぐり込んで、聴講生になりたいくらいです。
そんな著者のゼミに哲学者と憲法学者と詩人を招いて学生たちが質疑・応答をするのです。読んでいると、世界が広がる気がしてきます。学生の自由な発想にもつづくやりとりが面白くて、350頁もある分厚い新書ですが一気読みしてしまいました。
大学って、一体、何を学ぶところなんだろうと疑問に思っている若い人にはぜひ読んでほしいと思いました。
ちなみに私の場合には、学生セツルメント活動に3年あまりも没頭して、そこで学んだことが大学生活のほとんどすべてです。ですから、今、そこで十分でなかったこと、学び足りなかったこととしてフランス語を学び続け、本を大量に読んでいるわけです。
(2016年11月刊。980円+税)

安藤忠雄・建築を語る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 安藤 忠雄 、 出版  東京大学出版会
有名な建築家である安藤忠雄が東大の大学院生を前に5回連続で講義した内容が本になっています(1998年秋)。独学で建築学をきわめ、アメリカの大学で教え、そして東大の教授になったという経歴の持ち主です。すごい人です。
私も行ったことがありますが、瀬戸内海の直島に素敵な美術館をつくりました。地中美術館というのでしょうか、面白い構造をしています。ありきたりの形や構造はしていません。
東大の学生・院生の多くがゼネコンに就職し、会社に入ったとたんにおとなしくなるという現象を痛烈に批判しています。
終身雇用・年功序列で無難に行こうと思って、安定した生活を初めから求めるので、委縮してしまって、会社にしばられる。そうでなくて、これからは実力主義だと考えて、きっちり発言していくべき。そうでないと、世界は激動しているし、これまでのように日本の国のなかでだけ通用していた会社主義では生き抜けない。個人が強く意思をもって研さんし、しかも互いの異なる意見を認めあう客観性を備えて、きっちりと話し合う習慣を早く身につけておくべきだ。
フリーの建築家だったら75歳までは自分のペースで仕事ができる。ところが、それも若いときから、ある程度は自分が生涯かけてしていくことを決めておかないと、そんな年齢まで持続していくのは難しい。なーるほど、やっぱりそうですよね。
一流企業に入って、終身雇用・年功序列で、安全第一でいきたいと考え、まさしく20代で老化している人がいる。かと思うと、75歳でいつまでも青春を謳歌している人としか思えない人もいる。
肉体が老化していくのは止められない。しかし、精神のほうは、努力次第でむしろ挑戦する心や勇気はレベルアップしていくことが可能なのだ。
著者は、神戸の崖に大きな集合住宅(マンション)を建てています。私の身近にも、病院や保育園がかなりの斜面に建てられていました。大震災に強いマンションなら、何も問題ないわけですが・・・。
ちょっとハンディを与えてくれる崖だと、建築家としてガゼンやる気を出して本領を発揮するのでしょうね。そこが、プロは違います。
CADやCGによって描かれた図面からは、個性が見えにくい。手描きの図面だと、描いた人の思いや迷い、その文化的背景まで見えてくる。CADの図面は、一見すると完成度が高く充実した内容を伴っているように見える。ただ、その反面、世界中の誰が描いても似たような表情になってしまう。そんなところには文化が宿らないのではないかという懸念が生じるのも当然のこと。そして、その以前に、建物の致命的な機能上の欠陥が見落とされてしまうのではないかという問題もある。つまり、CADの図面では、描き手の不安や迷いがあらわれず、おさまっていないのを、あたかも収まっているかのように見えてしまう。
建築家になるためには、感性をみがく必要があり、それには旅に出かけるのが一番だという著者の持論が展開されています。まったく、そのとおりです。
本箱に「積ん読く」状態にあった本をひっぱり出して読んでみました。
(2003年11月刊。2800円+税)

強制収容所のバイオリニスト

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ヘレナ・ドゥニチ・ニヴィンスカ 、 出版  新日本出版社
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に入れられたポーランド人女性がバイオリニストとして生き延びた体験記です。なにより驚くのは、95歳になって書いた回想記で、100歳になって日本語訳が刊行されることについてメッセージを日本人読者に向けて送ってくれていることです。まさに奇跡としか言いようがありません。
ポーランドはショパンの祖国であり、ショパンの祖国がポーランドである。日本人は、ショパンの音楽を愛していることを知っている。
著者のメッセージには、そのように書かれていますが、まさしくそのとおりですよね。
著者が生まれたのは、1915年7月。ウィーンだった。音楽好きの父親のもとで、著者はバイオリンを学びはじめ、結局、それが身を助けることになります。
著者は強制収容所に入れられ、裸にされ、男性囚人の前に立たされます。そして、囚人生活が始まるのです。
1943年秋、ドイツは東部戦線の戦況悪化により節約を強いられていた。強制収容所で殺害されたユダヤ人の衣類の良い物は列車でドイツ本国へ送られ、ドイツ市民の需要を満たした。
レンガ造りのブロックの建物の最下段で寝る。湿気を含んだレンガが地面にじかに並べられているだけで、寝具は何もない。頭と足の位置を交互にして横たわるのみ。二枚の灰色の毛布は、汚れでべとべとし、シラミがたかっている。とても寒いので夜は衣類を全部身に着けたまま眠った。横になるとすぐに、寝棚の板や毛布に群らがっていた南京虫と衣ジラミがすぐに這い寄ってくる。そのうえ、寝ている身体の上をハツカネズミやドブネズミがはね回る。
ユダヤ人は人間以下の存在と考えたナチスにとって、トイレットペーパーは与えられるものではなかった。
ビルケナウで著者が生きのびられたのは、労働隊そして音楽隊に入ることができたから。女性音楽隊は、1943年春に、親衛隊女性司令官マリア・マンデルが設立した。このとき女性囚人は、1万数千人いた。
マンデルは、男性収容所に音楽隊が存在しているのに対抗して、同じような女性音楽隊をつくった。これには、アウシュヴィツ総司令官アドルフ・ヘスの好意も、うまく重なった。
女性音楽隊の監督(カポ)には、戦前は小学校で音楽教師をしていたゾフィア・チャイコフスカが就任した。チャイコフスカは、さまざまな国籍の、統制のとれない若い音楽家たちをまとめ、秩序ある状態に導いていった。
強制収容所に設置された死体焼却炉から昼夜を問わず、もうもうと上がる炎と黒い煙を背にして、娯楽のためにの音楽を演奏していたのです。
これは、どういうことなのか、考えてみれば、深刻なフラストレーションとなった。それは、そうでしょうね・・・。本来、同じ境遇のはずなのに、私は安全で、あなたは安らかに殺されてこいという音楽を演奏するなんて、耐えられませんよね。
音楽隊は、見かけのうえでは楽なコマンドという印象を与えていたかもしれないが、実際には、非常な骨折りと精神的緊張という対価を支払っていた。恐ろしい悪が凝集する場所で音楽を演奏するという道徳的な苦しみに襲われていた。
理不尽があたりまえという極限状態で楽しい音楽を演奏していたという若い女性集団のなかで生きのびたという貴重な体験記です。心して読みつがれるべきものだと思いました。
(2016年12月刊。2300円+税)
 山田洋次監督の映画「家族はつらいよ」パートⅡをみてきました。
 土曜日午後、博多駅にある映画館は「昔青年」の観客で満足でした。なかなかシリアスな話が笑わせながら進行していきます。さすがは山田監督です。山田監督も85歳だそうですから、もちろん他人事ではないことでしょう。私にしても同じことです。
 「この国は70歳を過ぎても道路で旗振りさせている」というセリフがあります。弁護士の私としては70歳すぎても働けるとのは大変ありがたいことなのですが、一般には年金で悠々自適の生活が保障されるべきですよね。

人生の悲劇は「よい子」に始まる

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 加藤 諦三 、 出版  フォー・ユー
子育てとは、楽しいものですが、過ぎ去ってしまえば、まさしく恥ずかしいことの数々です。
この本を読みながら大いに反省させられてしまいました。といっても、とき既に遅しで、今や孫たちとの接点を楽しむくらいになっています。
子どもが抱く恐怖心のなかに、親から見捨てられることに対する恐怖というものがある。子どもにとって、それは大変な恐怖なので、そのため自分の本性すら裏切ることがある。そして、それは後々まで、その人の人生に尾を引き、大きくその人を支配する。
幼いころ、このような恐怖にさらされながら生きた子どもは、大人になっても、なかなかこの影響から脱することが出来ない。見捨てられるのが怖いから、見捨てられまいと緊張する。「見捨てられる恐怖」をもった子どもは、いつも心理的に不安定である。不安であればあるほど、人は相手にしがみつく。
「明るく素直なよい子」とは、精神的死をもって人生を始めた人たちのこと。
自分の内面を信頼できない子どもは、親を喜ばすことによって自分を認めてもらおうとする。親を喜ばせれば自分は賞賛されるということを学び、この態度を大人になってからも持ち続ける。相手の気に入る人間になろうとすればするほど、自分に対する信頼感は失われていく。親の期待する役割だけを演じていると、そのうちに自己を喪失してしまう。
ある教育学者は、最低の父親とは、子どもに感謝を要求する父親であり、最低の母親とは、「ママのこと好き?」と訊く母親であるとする。つまり、感情的に要求が過大だということ。こんな親には、親自身に愛情飢餓感がある。
子煩悩で、とても子どもを愛しているように見える親が、実は極めて支配的なタイプだということもありうる。そのとき、その愛情の真の姿は支配欲なのだ。
本当に子どもを愛している親というのは、子どもが離れていくことに、それほどの衝撃を受けない。
助けを求めたときに自分を見捨てた母親ですら、子どもは優しい母親と思わなければならない。見捨てられたときに感じた驚きと恐怖と絶望の体験は、すべて抑圧しなければならない。なぜなら、自分の身が危険な世界では、人を悪く思うことは、さらに危険なことだから・・・。
そこで、すべての人たちの都合のいい存在になることで、自分の身を守るしかない。つまり、「よい子」になって、すべての人の精神的奴隷になるのだ・・・。
家庭内暴力の少年は、母親に暴力を振るいながら、裏では母親の愛情を求めている。だから、家庭内暴力はしつこい。いつまでも、うじうじと母親をなぐるのは、裏で愛情を求めているから・・・。なるほど、なるほど、そうだったのかと思いいたりました。
あなたを世話するのは、こんなにうれしいと子どもに伝える親と、あなたを世話するのはこんなに大変だと子どもに伝える親とでは、子どもの心理的成長にとって、親の意味は、まったく違う。こんなに楽しいという顔をして子どもを世話したら、子どもは自分の存在に自信をもつことができる。
子どもを世話するときの、親の満足した表情は、社会人になってから大成功することより、その子供にはるかに自信をもたらす。
大変深い洞察がなされていて、驚嘆して一気に読みあげました。本箱の奥に隠れていたのを引っぱり出して読んでみました。良かったですよ・・・。
(1990年9月刊。)

法と実務13巻

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 日弁連法務研究財団 、 出版  商事法務
法テラスのスタッフ弁護士がどんな活動をしているのか、その積極的意義が実践を通してとても具体的に語り明かされています。私も、改めて、なるほどスタッフ弁護士だからこそ出来る活動だなと深く納得しました。法テラスの存在意義に批判的な弁護士が少なくないなかで、本書が広く読まれることによって、その偏見が解消されることを、一弁護士として心より願っています。
「地域連携と司法ソーシャルワーク」と題して、270頁を占める詳細なレポートがあります。なかなかに読みごたえがある内容です。
法科大学院(ロースクール)の発足により、福祉のバックグラウンドをもつ人材など多様な人が弁護士に参入してきた。他分野の人々と疎通性の高い人材が増えている印象がある。
司法アクセスを業務とする全国組織として法テラスが設置されたことは画期的なこと。地域によっては法テラスを歓迎しない弁護士会が残っているものの、公的資金を投入して全国展開する司法アクセス拡充拠点が政府の政策として設置されたことは社会的に意義がある。法律扶助予算の増額、情報提供業務の導入と法律相談援助の拡充、スタッフ弁護士制度の導入が成果である。
法テラスのスタッフ弁護士もコスト意識を持たなければならないものの、事務所営業上、ケースごとの採算にはしばられないので一般の弁護士が扱いたくないケースや扱いにくいケースを率先して扱える。出張相談などのいわゆるアウトリーチ、ケア会議への出席、高齢者や障がい者などの非常に困難な事案の担当などは、一般の弁護士では採算上から受任をためらうことが多いだろうが、スタッフ弁護士は採算上の制約がない。
いくつもの実例(ケース)が具体的に紹介されています。意思疎通がもともと困難な人であったり、トラブルを解決しても帰るべきところのない「非行」女性などの場合では、弁護士だけで対応できるはずがありません。
たとえば、80代の老人の一人暮らし。ゴミ屋敷に生活していて、資産があるため証券会社の社員から狙われている。弁護士は警戒されて会話が成り立たない。自治体の福祉担当との連携を通じて徐々に信頼関係を築き上げていって、ついに成年後見開始申立に至る。それまでスタッフ弁護士が投入した時間は400時間という。気の遠くなりそうなほどの時間です・・・。
そして成年後見人として被後見人とのつきあいが続いていきます。こんなケースは、たしかに私のような一般弁護士では明らかに無理ですよね・・・。
「司法ソーシャルワーク」という、言葉を私は初めて聞きました。3要素から成る。一は、高齢者や障がい者などに対して、二は、福祉・医療機関などと連携して、三は、全体として総合的に生活支援をしていくということ。
弁護士がケア会議にも積極的に参加していくことになります。すると、弁護士倫理との衝突の場面が出てきます。守秘義務はどうなるのか、弁護士の職務の独立性は確保されているのか、です。また、依頼者の意思は、誰がどのように判断するのかという実際上はむずかし問題もあります。さらには提携先との利益相反の問題もおきてきます。
そして、困難な事件が在日外国人だったら、言葉の問題も登場します。それは通訳の問題だけではありません。
私はスタッフ弁護士の活躍ぶりを比較的身近に聞ける立場にいますので、いつも応援しているのですが、このところ司法修習生がスタッフ弁護士を志望しなくなったと聞いて、一抹の不安を感じています。ぜひとも、若いうちに弁護士過疎地に飛び込んで、司法の現実を実感し、それを打破していく実践活動を体験してほしいと考えています。それは、長い弁護士生活で忘れられない貴重な経験になると思います。
この本には、イギリスの入管収容施設の視察報告もあり、参考になります。
収容者を尊敬と礼節をもって扱うことで安全をたもてるし、職員を増やさなくても適切に対応できる。人間関係がきちんと出来ていると、問題の多くは未然に防げる。政府が「お金がない」と言うとき、それは、あなたに対して関心がない。あなたは大事ではないと言っているのと同じこと。
最後のフレーズは、まさに日本の政府にあてはまるものですよね。
横組み400頁という大変ボリュームのある冊子ですが、とても充実した内容になっています。一人でも多くの弁護士に読まれることを私も願っています。
(2017年5月刊。4800円+税)

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