(霧山昴)
著者 瀬木比呂志 、 出版 ちくま新書
私より6歳だけ年下の元裁判官の書いた本です。同じ著者の本は、以前も読んでいます。かなり共感できるところが多いのですが、一部には同意できないところがあります。まあ、これも当然ですよね。まったく考えが一致してしまうほうが珍しいことでしょう。
東大法学部に入ったのは、両親の「強制」によるものというのには驚きました。私は決してそんなことはありませんが、世の中には、そういうケースが珍しくないと今の私は思っています。子どもの足をひっぱるばかりの親がいるかと思う反面、子どもに親の思いを押しつけ、ぐいぐい引っぱっていく親も大勢いるのが現実です。
東大に入っても駒場寮という地方出身の学生ばかりが集まるところで生活していましたので、私はとても気分的に楽でした。しかし、それがなかったら、地方の「無名」の高校を出た出身の学生は、シティボーイだらけのクラスで浮いてしまって、孤独感をひしひしと感じたことでしょう。さらに寮のほか、セツルメントサークルに入って、多くの他大学の学生と日常的にまじわっていましたので、授業でシティボーイたちとまじわっても臆する必要もありませんでした。本当に幸せな出会いがありました。
著者は、1年間の勉強で司法試験に大学4年生で合格しています。ということは大学3年生のときから勉強を始めたわけです。私は大学2年生のときに東大闘争が始まって授業がなくなり(ラッキーと思いました)、法律の勉強なんて全然せず、ひたすらセツルメント活動と東大闘争に全力投球しました。授業が再開して本郷へ進学すると、みんな一斉に勉強を始めました。おかげで、私と一緒に東大生(在学生)が90人も司法試験に合格しました。これは、たぶん空前絶後の記録だと思います。私は司法試験に合格したら、労働者と市民のために働く弁護士になるという確固たる目標がありました。大企業のための弁護士になるなんて考えたこともありません。裁判官は自分に向かないことはよく分かっていました。
裁判所の内側にいて著者がつかんだことは…。
日本の裁判所は権力補充機構という性格が強すぎ、権力チェック機構としての性格が弱すぎる。この点、私はまったく同感です。
うつになり、死を間近に体験した著者は死についても語ります。
人間は、本来的には、自分だけのために生きているわけではない。人間は、種としての、類としての存在である。ほかの人間たちとの関係なくして、個人はありえない。
人間は、まぎれもなく宇宙の一部であり、宇宙のうちの「相当に高度な意識をもった特殊な部分」ということができ、それが、宇宙のような「意識を欠く部分、生命活動を欠く部分」に移行すると、死である。
死は、あとに続く生命に道を譲ることであり、それは自然である。
なるほど、そうなんですよね……。勉強になります。
(2026年2月刊。1012円)


