法律相談センター検索 弁護士検索

アウシュヴィッツのタトゥー係

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ヘザー・モリス 、 出版  双葉社
実話をもとにしたフィクションです。それにしてもすごいんです。アウシュヴィッツ絶滅収容所で被収容者たちに数字のタトゥーを入れていたユダヤ人青年がいて、戦後まで生きのびたのです。そして、カナダと呼ばれる場所で働いていた女性と仲良くなり、ともども戦後まで生きのびたという信じられない奇跡が起こったのでした。
カナダとは被収容者たちから取りあげた持ち物を整理・処分していた場所です。そこには宝石や金があり、食べ物に換えることができました。
タトゥー係は特別な技能をもつ者として収容所では特権的な地位にありました。そのおかげで主人公は生きのびることができたのです。
主人公のタトゥー係(ラリ)は、まわりを冷静に観察し、必死に頭を働かせて、しぶとく、したたかに生き残る。それはカナダで働く彼女(ギタ)と結婚するためであり、永遠に返せない借りをなんとかして返すためでもあり、そしてナチスに抵抗するためでもある。
ただ生き残ること、それ自体が英雄的行為になるような状況のなかで生き残ること、これがいかに厳しいか、いかに辛いか、それをタトゥー係(ラリ)は身をもって実感する。
タトゥー係(ラリ)は、ナチスによって無意味に殺されていく人々を見ていく。そして最後には運よく、故郷に帰り着くが、それは本当に「運よく」と言えるのかどうか・・・。タトゥー係という特殊な立場にいたため、普通の被収容者たちが目にしなくてすむものまで見てしまうし、見せられてしまう。家畜を運ぶ列車でアウシュヴィッツに運ばれてくる途中で死んでいたほうがましだったかもしれない・・・。
戦後、ラリは、感情が欠けているようなところと、生存本能が高いところが残っていたと息子が語った。
ラリは、スロヴァキア語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、それからポーランド語を少し話した。いやあ、すばらしい。ラリって語学の天才だったんですね・・・。
タトゥー係のいいところは、日付が分かること。毎朝渡され、毎晩返却する書類に書かれている。日付の手がかりになるのは書類だけではない。日曜日は、仕事をしなくてすむ。
生きのびたあとの戦後、ギタはこう言った。
何年間も、5分後には自分が死んでいるかもしれないと思いながら過ごしたことがあれば、たいていのことは切り抜けられるようになるのよ。生きて健康でさえいれば、すべてはうまくいくものなの。
ぜひ、あなたも読んでみてください。今を生きる一日一日がますます大切なものと思えるはずです。
(2019年9月刊。1700円+税)

消される運命

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版  新日本出版社
リトアニアにおけるユダヤ人虐殺の話です。読んで、とても悲しくなります。まったく救いがありません。
リトアニアは第二次世界大戦の前は、一応、独立国だった。1939年、ソ連軍がリトアニアに進駐して、リトアニア人をシベリアに送ったりして恐怖支配した。
ところが、1941年6月22日、ソ連軍は撤退し、ナチス・ドイツ軍がリトアニアに侵攻してきた。そして、すぐにリトアニア人の協力を得て、ユダヤ人を組織的に殺害しはじめた。
「男狩り」として、「収容所に送って、労働従事に従事させる」と言いながら、ナチス・ドイツ軍はすぐにユダヤ人の男性全員を森に連行して銃殺した。
ヒトラーの占領軍は、3年間に10万人のユダヤ人を銃殺し、森の中に埋めて隠した。そして、敗色が濃くなると、ナチス・ドイツ軍の残酷な証拠を残さないよう、1943年12月から埋めた死体を掘り起こして焼却した。
作者は、ゲットーに収容されつつも、戦後まで生きのびて、過去のことを記録して語り伝えた。わずか140頁の本ですが、読みすすめるのがとても辛くて、とても読み飛ばすことはできませんでした。
リトアニア人がナチス・ドイツ軍のユダヤ人殺害に手を貸していた事実が淡々と描かれていて、大変気が重くなります。
ドイツの占領前に23万人のユダヤ人がリトアニアにいたのですが、1941年末までに17万5000人が殺害され、戦後の今はリトアニアにユダヤ人はほとんどいないようです。悲しい話ですが、目をそむけるわけにはいきません。
(2019年8月刊。1800円+税)

いつもそばには本があった。

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 國分 功一郎、互 盛央 、 出版  講談社
私も本はよく読んでいるほうだと思うのですが、この二人は哲学的分野で深みがあります。とてもとても、かないません。
1996年は出版界で売り上げがピークを迎えた。この年は本の販売金額は2兆6500億円。その後は減少傾向にあり、2017年は1兆3700億円なので、まさしく半分になった。ところが、新刊点数のほうは、1996年に6万3000点だったのが、2017年には7万5000点を大きく増加している。1980年代は3万点だったから、そのころに比べると2倍以上となる。
かなり多くの人が自分の研究する分野以外の本をほとんど読んでいない。文系の大学院に行って研究しようとしている人たちがこうなのだから、本が売れないのも当然だ。
今は、自分の知りたいことしか知りたくないという傾向がどんどん強まっているのではないか・・・。
今どきの若者が新聞を読まず、ネットを見ただけで世の中のことを分かった気になっているのに、通じている気がします。
この謎を解明したい。この論点について、もっと知りたい。この思想を分かりたい。そのような欲望に突き動かされて読書することが、読書において何よりも大切なこと。
解明したい、知りたい、分かりたい、そのような欲望のなかにいて、その欲望にこたえてくれる本に出会い、それを読んでいるときの喜びは格別のものがある。その喜びをずっと感じていたいという気持ちが、読書に駆り立てる最大の要因だ。
もちろん、何かを分かりたいと思って読書をしていると、分かりたいと思う別の何かにも出会うことになる。次々と欲望の対象があらわれ、解明したい、知りたい、分かりたいという留まることを知らない欲望に捕まえられる。このプロセスの中に居続けることが、読書の理想なのだ。
これは、まったく私と同じなのです。知りたい、謎を解明したいと思い、次々に本を読みます。すると、どんどん謎は深まり、広まっていくのです。ですから、読書の幅は無限大に広がっていきます。そして、その欲望の充足感にほんのひととき浸っているのが至福の境地なのです。
(2019年3月刊。900円+税)

海に生きた百姓たち

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版  草思社
なるほど、そうだったのか・・・、ぞくぞくするほど知的好奇心がかきたてられ、心の満たされる思いのする本でした。
日本人って、昔から裁判が大好きだったんですね、このこともよく分かる本です。なにしろ海辺に生きる男たちが真っ向から相反する主張を書面にして代官所でぶつけあうのです。これを裁く当局は大変だったと思います。もちろん、その多くは話し合いで解決した(させられた)のでしょうが、納得いかないほうは、しばらくすると蒸し返すのでした。
そんな実情が古文書を読み解いて判明するのですから、こたえられません。
この本は、奥駿河湾岸で長らく眠っていた古文書を渋沢敬三が発掘し、世の中に公開した成果を踏まえていますので、話は具体的ですし、何より証拠があります。
海辺の村の百姓たちは漁業だけをしていたわけではない。農業・林業・商業など多様な生業を漁業と兼業している百姓が大多数だった。なので、漁業に特化したイメージのある漁村ではなく海村(かいそん)と呼びたい。著者は、このように提起しています。
江戸時代の人々は魚介類をとって食べる量は明治期を下まわり、現代よりはずっと少なかった。それは、動力船と冷蔵・冷凍技術の未発達による。エンジンなどの動力がなければ、漁船は漁師が手で漕ぐしかない。沿岸漁業だけでは、漁獲量に限界がある。また、魚は生鮮食品で、長く保存できない。
江戸時代の人々は、新鮮な刺身などは、めったに食べられなかった。
瀬戸内海や金谷村の事例をあげて、浜方百姓(漁師)と地方百姓(農民)とのあいだには、ときに深刻な利害の対立があったことが明らかにされています。
ただ、農業と漁業は共存が難しいというだけでなく、補いあう関係にもあった。
漁師たちは、船の網を操る技術とともに、浮力や長い時間、海中にいられる耐寒能力が求められた。それで相撲取りのような体形が適していた。そして争いごとが起きることも少なくないので、相手を威圧する相撲取りの体形の者が必要だった。
さらに、海中での体温低下を防ぐためには酒が必要で、漁師たちは日常的に酒を飲んで海に入った。また、酒の勢いが争いをエスカレートさせることもあった。漁村は、酒の一大消費地だった。
奥駿河湾の伊豆国内浦の400年間の古文書が日の目を見た。渋沢栄一の孫の渋沢敬三が病気療養に来ていて出会った古文書である。
漁師は、まったく割に合わない商売だ。漁師は、乞食に次いでなりたくないもの。
親は泣く子どもに、「漁師の子にくれてやる」と脅していた。
その一方で、ここの漁師はぜいたくだとも言われた。たびたび大漁となると、大いにうるおったからだ。
村々の漁師と魚商人とは、相互依存関係にあったが、価格決定や代金支払いをめぐっては対立する場面も生じた。商人側が同業者団体をつくったのに対抗して、村々の側も議定書を結んで力をあわせた。
網子(あんご)と津元(つもと)とが争い、代官所へそれぞれ書面で訴えた。津元は経営者で、網子がその下で働く労働者。当局に納税するにあたって、よその町人が入ってきて請負するやりかたもあったが、それを排除して村請とした。すると、村内での津元と網子の対立が生まれることになった。
1649年(慶安2年)、網子たちが津元の不法を幕府の代官に訴え出た。そして、100年後の1748年(寛延1年)に今度は津元4人が網子の不法を訴え出た。幕府の代官は1750年(寛延3年)7月に判決を下した。これは、いくらか網子側に有利な内容だったが、双方ともに不満だった。そして、津元側はすぐに判決の内容の変更を求めて代官に願書を提出した。
村同士の争いも起きていた。1765年(明和2年)3月、内浦六カ村が静浦の獅子浜村を訴え出た。幕府は同年12月に判決を下した。しかし、獅子浜村はこれを無視したようで、31年後に再び内浦などの5ヶ村が訴えた。
いずれも生活がかかっているだけに必死だったのです。この訴えの文書は、それぞれにもっともと思われる内容ですので、裁きを受けもつ当局の苦労は大変だったことと思います。
それにしてもよくぞ、このような古文書が残っていたものです。やはり、私のような記録魔そして保存魔が昔からいたのですね・・・。
解読して解説していただいたご労苦に頭が下がります。ありがとうございました。
(2019年7月刊。2200円+税)

中国戦線従軍記

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 藤原 彰 、 出版  岩波現代文庫
著者は日本軍事史を専門とする歴史家ですが、実際に戦争を体験した元将校でもありました。陸軍士官学校を卒業して、少尉に任官し、中国大陸で中隊長として最前線で実戦を指揮していたのです。そして、本土決戦に備えて本土に呼び戻されて、大隊長として出動しようとしているところで敗戦を迎えました。このとき、まだ、22歳の若さでしたから東京大学に入り、文学部史学科を卒業して一橋大学の教員になります。そこでは大学紛争の渦中にいて、大学当局側として学生と対峙しました。
著者は、第二次世界大戦における日本軍人の戦没者230万人の過半数が戦死ではなく戦病死であり、その大部分が補給途絶による栄養失調症が原因の餓死であることを厳しく指弾しています。
著者は中国戦線に従軍していた4年間についてメモを残していて、それにもとづいて最前線の実情を詳しく紹介しています。
中国大陸の最前線に行ってみると、信じていた「聖戦」とはあまりにかけ離れた現実があった。部落を焼き払ったり、住民を捕えて拷問にかけたりしていて、まるで民衆の愛護とか解放という言葉とはどうしても結びつかないことを日本軍はしていると思わざるをえなかった。
著者たち陸士55期生は、下級指揮官として損耗率が高かった。2400人の同期生のうち陸上と航空あわせて戦没は973人、4割をこえている。
中国大陸での三光(さんこう)作戦として無人地帯化政策は、中国民衆の離反を決定的にし、治安状況は最悪となった。
1942年12月18日、浅葉隊(48人)が全員、中国・八路軍の待ち伏せ攻撃にあって戦死・全滅した。
無理な強行軍が日本軍の特質だった。日本陸軍は、馬と人間の脚と基本的な移動手段としていた。 行軍による兵の消耗は、直接、戦力に影響する。日中は炎熱で、そのため日射病が出るほどなのに、夜の豪雨とぬかるみのなか凍死者は166人にのぼった。
中国大陸での日本軍の最大の欠陥は、制空権を奪われていることだった。在中国のアメリカ空軍は1943年初めに戦闘機と爆撃機の合計300機だったが、次第に増強していった。日本軍のほうは、これにまったく対抗できない状況だった。
そして、日本軍は、肉体的疲労と栄養不足に悩まされていた。著者が中隊長として一番気をつかっていたのは、兵の体力を温存し、むだな消耗を避けることだった。そのため、食糧の確保に努力した。
中国軍は、士気が旺盛であり、火力装備もすぐれていて、精強な軍隊になっていた。
大陸打通作戦(一号作戦)は、50万の日本軍が中国大陸を縦断しながら、掠奪を重ねていったものだった。しかし、食糧の確保は難しく、栄養失調のため日本軍兵士は体力を低下させていった。
大陸打通作戦の実態は、補給の途絶から給養が悪化して多数の戦争栄養失調症を発生させ、戦病死者すなわち広義の餓死者を出していた。
最大の課題は食糧の確保で、栄養失調との戦いが中隊長としての最大の関心事だった。主食はともかく、副食、とくに動物性タンパクが不足していた。全員が栄養失調に陥り、マラリア、脚気、栄養失調症による戦病死が激増した。
本土決戦に備えるといっても、人の動員だけは一枚の招集令状でできるが、兵器・弾薬・資材などの膨大な軍需動員をするためには、それを可能とする工業力を中心とする国力が必要になる。しかし、それは、すべて間に合わなかった。それでも、人を集める部隊の編成だけは先行していた。
刻明に最前線の悲惨な実情が明らかにされていて、日本軍の実体がよく分かって、つくづく嫌になります。これが「輝ける皇軍」の実際なのですよね・・・。そんな軍隊を率いた軍人に偉い顔をしてほしくはありません。
2002年に発刊されたものを別の論文も取り入れて復刊したものです。大変勉強になりました。
(2019年7月刊。1080円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.