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清華大生が見た中国のリアル

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 夏目 英男 、 出版 クロスメディア
清華大学といったら、中国の超エリート大学です。中国のトップ大学は、精華大学と北京大学。現在の国家主席の習近平、その前の胡錦涛も精華大学の卒業生です。工業系大学としては、マサチューセッツ工科大学(MIT)を抑え世界1位と評されています。
著者は、そんな精華大学の日本人学生なのです。すごいですね…。
清華大学に入ると、学生は全員が大学寮に入る。全寮制。門限はないが、消灯時間は夜の11時。4人1部屋。
清華大学のキャンパスは東京ドーム84個分の広さで、そこに5万人の学生と4千人の教職員が住んでいる。そこは何でもそろっている学園都市。
「海亀」(ハイグイ)は、開学のトップ大学に留学し、卒業したあと、中国に帰国した学生のこと。2018年の中国人海外留学生は66万人強。チャイナ・イノベーションは、海亀が牽引している。
習近平の中国共産党は「天下の人材を一堂に集めて活用する」という戦略をとっている。なるほど、ですね。
ところが、日本人学生の海外留学は減少傾向にあります。パスポートをもっている日本人は、人口の23%のみ。G7では最下位。若者が海外の治安の悪さに恐れをなして、海外へ出ていこうとしない…。
日本の大学生は、アルバイトするのがあたりまえ。ところが、中国や韓国では、学生はアルバイトをほとんどしていない。中国では学費が安く、寮費がタダで、食事も安く食べられるから…。
清華大学では、朝8時からの第1時限の講義を聞くため、自転車が集中して渋滞まで起きる。ええっ、大学内で自転車の渋滞だなんて…、信じられません。
アリババの創始者であるジャック・マーとテンセントの創始者であるポニー・マーの2人についても詳しく紹介されています。
変化の速い中国の実情の一端が日本人大学生の目で紹介されている、面白い本でした。
(2020年10月刊。税込1628円)

特務(スペシャル・デューティー)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 リチャード・J・サミュエルズ 、 出版 日本経済新聞出版
日本人は、誰もが、男でも女でも、生まれながらのスパイである。
これは、蒋介石の言葉だそうです。ええっ、そ、そんな…、本当でしょうか。
冷戦期の日本は、CIAはもっていなかったが、KGBは実際にもっていた。それは、警察、外務書、防衛庁だ。ええっ、これにも驚かされますよね…。
日本のインテリジェンス部署は、小規模で包括的でなく、調和せず、財源不足で、長く続く政治的敏感性(とくにスパイの使用に関して)の結果、不必要に複雑だ。彼らは、みな相互不信の環境にある。
日本の陸上自衛隊のインテリジェンス部隊は、アメリカのパートナーには秘密のコードネームの下で稼働していた。
今日では、日本の分析官はもっとも進んだ宇宙スペースの画像処理技術の多くを用いて、中国の空母のデッキに並んで立っている5人のパイロットと1人の儀典官を識別できるという。
1997年、日本は、シギント(通信情報)とイミント中心の防衛庁情報本部を設立した。
データマイニングは、いまでは干し草の山のような情報の中から脅威をもたらす針を探し出すことを可能にしている。
6要素とは、収集、分析、伝達、保全、秘密工作、監視。収集は、常に故意に流された偽情報に立ち向かい、打ち勝たなければならない。
アメリカの秘密工作を担当する特殊計画局は、2800人の職員を擁し、イタリアや日本で反共政党を招集し、イラン、インドネシアなどで左傾政府を動揺させた。
日本の陸軍は、1917年から1937年までの20年間に、私立の英語の語学学校に75人の士官を送り込んで英語を身につけさせようとした。中国語に102人、74人をドイツ語に、63人にフランス語を学ばせた。ええっ、英語の比重の低さに驚かされます…。
ムサシ機関が、陸幕二部班として知られている。彼らは、基地の外で、私服で活動し、国内や東アジア全域で共産主義者を監視するようになった。山本舜勝は、日本帝国陸軍の情報将校であり、中野学校の教官であり、警察予備隊に参加している。
2014年から2015年にかけて、特定秘密は25%も増えた。
日本の特務(スパイ機関)はまったく霧の中で、見えませんよね…。
(2020年12月刊。税込3300円)

「弁護士のしごと」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 しらぬひ新書
弁護士生活47年になる著者が、これまで扱ってきた事件などを広く市民に知ってもらおうと書いているシリーズ本で、これまで4冊が発刊されています。5冊目のサブタイトルは、「黙過できないときは先手必勝」。たしかに後手にまわると失地挽回は苦しいことが多いですよね。
いくつかのテーマごとに話はまとめられています。今回は、まずは「男と女の法律相談」。著者は20年以上も「商工新聞」で法律相談コーナーを担当しています。短いスペースで要領よく、しかも正確に回答するのは難しいけれど、なんとか続いているそうです。この分野は、弁護士にとって途切れることのない種(たね)になっているといいます。
著者のライフワークのひとつである労働災害をめぐる裁判が紹介されています。家屋の建築・解体現場での足場からの転落事故は重大な後遺障害をもたらすことがある。そんなときに元請会社の責任を問えるのか…。なんとか一定の賠償を勝ちとった話が紹介されていて、いくらか救われます。それにしても、脊髄を損傷した人の日常生活は本当に大変。家屋の改造、そして家族の付き添いなど…。
公事師(くじし)は江戸時代に活躍した、今でいう弁護士のような存在。江戸時代には、実は裁判に訴える人々は多く、公事師のいる公事宿(くじやど)は大いに繁盛していました。ええっ、そんな事実があったの…。しかも、訴状その実例が寺子屋の教材として子どもたちに教えこまれていたというのです。読み書きソロバンを教わった寺子屋の卒業生たちが公正な紛争の解決を求めて裁判所に駆け込む流れはとめられなかった。すると、裁判する側も、いい加減な対応は許されなかった。そんなことをしたら、自分たちの存在意義をなくしてしまうから。なので、当局は、必死で両者の顔を絶つ解決を目ざした、というのが実情だというのです。
そして、最高裁判所がなぜ「サイテー裁判所」と言われることがあるのか…。弁護士会の役員になるには、どんな苦労が必要なのか…。部外者からは分かりにくい当事者の「告白」が満載のシリーズになっています。
興味をもった人は、しらぬひの会(0944-52-6144)へFAXで申し込んだらよいことを紹介します。
(2021年5月刊。税込500円)

この生あるは

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 中島 幼八 、 出版 幼学堂
中国残留孤児だった著者が3歳のとき中国と実母と生き別れ、16歳のときに日本に帰国するまでの苦難の日々をことこまやかに描きだしています。
それは決して苦しく辛い日にばかりだったというのではありません。人格的にすぐれ、生活力もある養母から愛情たっぷりに育てられ(いろんな事情から養父は次々に変わりますが…)、近所の子どもたちとも仲良く遊び、また教師にも恵まれ、ある意味では幸せな幼・少年期を過ごしたと言える描写です。読んでいて、気持ちがふっと明るくなります。
この本には底意地の悪い人間はまったく登場してきません。「日本鬼子」と言って幼・少年期の著者をひどくいじめるような子どももいなかったようです。
著者の育ったところが、そこそこの都会ではなく、へき地ともいえる環境(地域社会)なので、お互いの素性を知り尽くしていたからかもしれません。
子どものころの自然環境の描写もこまやかで、見事です。車に乗って出かけるというと、それは自動車ではなく、牛車です。
靴は布を何枚も重ねた布靴で、養母の手づくり。友人のなかには、布靴がすり切れたらもったいないので、裸足で学校に来る子もいます。
3歳の日本人の男の子を引きとった養母は「私が育てます」と宣言し、消化不良でお腹だけが大きくふくらんでいたので、夜と朝、お腹を優しく揉んでやった。食べ物も消化のいいものにして、主食の粟(あわ)をお粥(かゆ)にして、それを口移して食べさせた。
実母は日本に帰る前に著者を引き取ろうと養母の家にやってきた。村の役人は、3歳の著者に実母か養母か選択させることにした。3歳の子は、まっしぐらに養母のもとに駆け込んだ。そのころの子どもって、やっぱりそうなんですよね。毎日、面倒みてもらっていたら、そちらになつくのが自然です…。
なので、著者は3歳のときに実母と生き別れ、16歳で来日するまで実母とは会えませんでした。それでも、その後の中国での日々は養母に愛情たっぷりに育てられたことがよくよく分かる話が続きます。
小学生のとき「小日本」と蔑称でいじめられた。そのことを教師に告げると、言った生徒は教師から補導された。しかも、行政当局から小学校に連絡がきて、日本の留置民に対して侮辱的な言葉をつかう生徒がいる。その傾向を是正するよう教育を強化せよというものだった。それは全校で徹底された。当時の中国は理想に燃えていたのですね。
あとの文化大革命のときには、日本人はスパイとか外国に内通しているとか、無謀な罪名をつけられましたが、幸いにして著者はその前に日本に帰国しています。
著者は小学校ではクラスメイトにも教師にも恵まれて楽しく過ごしたようです。章のタイトルも「愉快な学校生活」となっていて、養母に愛情たっぷりに育てられていたため、変にいじけることもなく、教師からもきちんと評価されて少しずつ自信をつけ、のびのびと楽しく過ごしたのでした。ここらあたりは、読んでるうちに楽しさがじんわり伝わってきます。
河でザリガニを捕まえて自宅にもち帰る、穀物の精製に使うローラー状の石臼で圧搾する。その絞り汁をスープに入れると、蟹(カニ)豆腐のようになる。なんとも言えない美味の感覚が今も舌先に残っている。うむむ、ザリガニをスープに入れて味わうなんて…。
著者は1955年、日本に帰国するが尋ねられたとき、次のように返事した。当時13歳なので、今の日本の中学1年生に当たるだろう。
「ぼくを無理矢理に汽車に乗せても、汽車から飛び降ります。絶対に日本へ行きません」
これは著者の本心で、誰からも強制されたものではなかった。養母の顔をうかがって言ったというものでもなかった。これは、中国で育つなかで、日本は他国を平気で侵略する恐ろしい国だという強いイメージをもっていたことにもよる。
ところが、さらに年齢(とし)をとると、外の世界への憧れ、親しい物事への好奇心が強まり、背中を押してくれた教師の言葉から日本へ帰国することになった。
このあたりの心理描写はよくできていて、なるほどと説得力があります。そして、ついに16歳のとき慌しく日本に帰国したというわけです。
400頁をこす大著ですが、なんだか自分自身も子ども時代に戻って、そのころの幸せな気分を味わうことができました。いい本です。一読をおすすめします。
(2015年7月刊。税込1650円)

福岡県弁護士会報(第30号)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 会報編集室、 出版 福岡県弁護士会
弁護士にとってきわめて大切な弁護士自治については、他の論稿とは異って対話形式で展開しています。とても重要なテーマが、大変わかりやすいものになっています。
まずは、弁護士自治は戦後に苦闘の末に認められたということが紹介されています。
イソ弁:え?弁護士自治って司法制度ができたときから認められていたものじゃないんですか。
ボス弁:とんでもない。わが国で弁護士自治が認められたのは、司法の歴史の中でも最 近の話だよ。
戦後も、すんなり認められたわけではなく、依然として裁判所の監督下に置こうという動きがあったのでした。
ボス弁:先達の奮闘にもかかわらず、残念ながら結局は、弁護士自治は戦後の1949 (昭和24)年の現行弁護士法の成立によってようやく獲得されたといえる。しかし、その成立過程も極めて厳しいものだったんだ。
姉弁:当初は弁護士に関する事項も最高裁判所が規則を定めることになっていたのよ。
イソ弁:ええっ、そうだったんですか。
ボス弁:裁判所法要綱案でも、弁護士や弁護士会の監督は裁判所が行うという案が作成されていた。
弁護士の人数が増えていること、会費が高いなかで、会員の意識が多様化していることも紹介されています。
姉弁:ちなみに、1998(平成10)年の福岡県弁護士会の会員は527名だったけれど、2020(令和2)年の会員数は1377名よ。実に2.6倍になっているわ。
 日弁連の会費年額18万円を含めた年間総額でいうと、高いところでは100万円を超える会もある一方、安いところではその半額以下にとどまる会もあるのよね。
イギリスで、弁護士会が自治権を失ってしまったという衝撃的な事実が紹介されています。日本も他山の石とすべきものと思われます。
ボス弁:イギリスでは、弁護士会は、人事権、規則制定権、予算編成権の独立をいずれも奪われ、自治権を失ったと評価されているよ。
イソ弁:イギリスで弁護士自治が奪われた背景にはどのような事情があったのですか。
ボス弁:イギリスの弁護士自治の崩壊は、「英国病」といわれた長い閉塞状態を打破するためにサッチャー政権、ブレア政権の強い意志で進められたといわれている。
イソ弁:日本の場合は、ときの政権が弁護士会に対して直接圧力をかけてくるという可能性は低いですよね。
姉弁:油断は禁物よ。弁護士自治を確立する歴史にあったように、権力側が活動を妨げようとすれば、それは可能だ…。
司法修習生の給費支給がいったん停止されましたが、弁護士会の粘り強い活動によって、ほぼ復活させることができたことも紹介されています。
ボス弁:実に7年の歳月をかけて弁護士会、日弁連を挙げて取り組み、遂に市民、社会からも共感を得ることができた。
姉弁:その結実が2017(平成29)年の修習給付金制度ですね。
以上のように、弁護士自治は昔からあって当然というのではなく、まさしく「油断は禁物」という状況にあることが語られています。ぜひ本文を手にとってお読みください。

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