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下級武士の食日記

カテゴリー:未分類

著者:青木直己、出版社:NHK生活人新書
 幕末、万延元年(1860年)、紀州・和歌山藩の勤番侍であった酒井伴四郎が江戸での単身赴任中に書き記した詳細な日記帳から、その食生活を再現したものです。
 桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺された2ヶ月後に江戸勤務を始めた28歳の青年節の生活がよく分かります。伴四郎は細かい字で毎日、日記をつけていたのです。もちろん、毛筆です。だから、現代人の私にさっと読めないのが残念ですが、こうやって活字で紹介されると、本当によく分かります。
 享保6年(1721年)ころ、江戸は110万の人口をかかえていた。ロンドンは70万人、パリ50万人、北京70万人だったので、江戸は世界一の人口だった。
 伴四郎は、猪ではなく豚をよく食べた。外出先でも、豚鍋で酒を飲んでいる。ただ、多くの場合、カゼを理由に、豚肉を薬と称している。豚肉は、多くは味噌やタレなどで味をつけ、猪同様、ねぎと一緒に煮て食べていた。15代将軍の慶喜は豚肉好きだったことから、「豚一殿」と呼ばれていた。うへー、そうなんですか・・・。
 江戸時代、一番格式の高い鶴はとくに珍重されていた。二番目は白鳥だった。鷹狩りの獲物として、将軍家から天皇へ塩漬けの白鳥が献上されていた。ただし、一般に好まれたのは鴨だった。
 伴四郎は、昼に飯を炊いて、朝や夕方は粥や茶漬けなどですませていた。京都・大阪の上方では飯は昼に炊いて、煮物や煮魚をおかずに、味噌汁など、2、3種と一緒に食べていた。これに対して、江戸では、朝に飯を炊いて、味噌汁と一緒に食べていた。昼は冷や飯だが、必ず野菜や魚などをおかずとしていた。夕食の多くは、茶漬けに香の物だった。昼食のおかずに重きをおいていた。
 上方の酒は、下り酒として江戸でもてはやされていた。江戸近郊でつくられるものは、地まわりものと呼ばれ、上質な下り物に対して品質的に劣っていた。だから、くだらないという言葉がうまれた。ふーん、そうなんですかー・・・。
 伴四郎の江戸詰手当は年に39両。支出は年に23両ほど。約4割を節約していた。ほかに米が現物支給され、食べた残りの米を売って、2両を得ていた。
 独身の伴四郎が楽しむことのできる場所と仕掛けが、江戸のあちこちにありました。武士といっても案外、固苦しい生活を過ごしていたわけではないことがよく分かります。

アマゾン源流生活

カテゴリー:未分類

著者:高野 潤、出版社:平凡社
 私もヘビは嫌いです。見ただけで背筋がゾクゾクしてきます。アマゾン源流には、長さ2メートル、胴まわり直径6センチの大蛇がいるそうです。絶対に近寄りたくありません。ヘビについて、背と腹の模様が同じものは本物の毒ヘビで、違うものは毒ヘビに擬態したモドキもの、なんだそうです。
 ヘビを見たら、細い棒で、頭や胴ではなく、首を狙うのがもっとも確実。下手に切断すると、頭だけがとびついてきたり、逃げられてしまう。
 大蛇をボアと呼ぶ。水中にすむアナコンダなどのこと。長さは15メートルもあるボアがいる。ボアは臭う。体内で獲物を消化させているときのボアは、ひどい悪臭を放つ。だから、嗅覚は敏感になってくるし、また匂いをかぐ力が大切だ。
 テントを張ってキャンプしていると、ジャガーが襲ってくることがある。ジャガーは、いつ、どこで、誰が一人になっているのか、人間の繰り返す行動パターンを観察してから狙っている。とくに、自ら狩りができなくなった老ジャガーが危険。だから、ベース番として残る人は案山子もたてる。ベース周辺に複数の人間の気配を漂わせておくようにする。
 野営したときにアリの大群に狙われたら、おしまい。とくにハキリアリ。ふだんは葉を背負って行列しているおとなしいハキリアリが、自分たちの巣に運ぶ価値があると判断してキャンプ地を狙ったら、もうどうしようもない。食料だけではない。包装しているビニール、テント、蚊帳、なんでも手当たり次第に食らいつき、かみきって運んでいってしまう。
 不用意に捨てたゴミから、何が襲来してくるかわからない。それで、消せる匂いはできるだけ消す。生ゴミも、魚の骨はすべて焼却する。そうしないと、昆虫や哺乳類だけでなく、コンドルのような鳥までやって来る。
 アマゾン流域は、森にしても川にしても、いったん奥に入ってみると、視界をはじめ、期待するような変化はない。生活パターンも単調になってしまう。
 絶対に行きたくない土地ですが、このアマゾンのおかげで地球上の酸素の相当部分が生産されています。また、人類の生存に役立つはずの薬の成分がまだまだたくさん眠っているとみられています。そんなアマゾン流域を開発の名のもとに荒らしているのがアメリカと日本です。日本の責任は重大だと思います。
 それにしても、私はほとんど同世代の著者のタフさと勇気には感心します。アマゾンにテントをはってキャンプするなんて、私にはとても出来ません。まあ、だから、こうやって代わりにアマゾンの話を読んでいるのです・・・。
 ちなみに、わが家の庭にいるヘビはヤマカガシのようです。茶色に黒がまじっています。近づくと音をたてて接近するな、注意しろと教えてくれます。

小さな蝶たち

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著者:西口親雄、出版社:八坂書房
 てふてふの話です。なんて書くと、昔の古文時代に生きる人間のように思われてしまいますね。そうです。チョウチョの話です。
 イモムシがチョウチョに変化するなんて、この世の不思議のひとつだと思いませんか。醜いアヒルの子なんてよりも、ずっとずっと不可思議なことだと私は昔から考えています。どうして、地上をはいまわるモッタリした生き物が、いつのまにか変身して、あのように身軽にヒラヒラと華麗に空を飛びまわれるようになったのでしょうか・・・。
 私は、その不思議さをもとにした絵本をつくったことがあります。もっとも絵を描いたのは私ではありません。子どもがセミやトンボに変身して空を飛びまわるというお話で、我ながらうまいストーリーだと思ったのですが、残念なことにサッパリ売れませんでした。そのおかげか、私の絵本を出した出版社は、つい最近、倒産してしまいました。東京地裁から破産宣告の通知が送られてきたのには驚いてしまいました。
 蝶の幼虫、そうイモムシのことです、の基本構造は、筒状の胴体と、足と、鋭い歯をもった口からできている。動く消化管である。蝶の蝶中の関心事は、ただひとつ。餌をしっかり食べて、よく成長し、健康優良児になること。注意事項は、野鳥に食べられて、命を落とすことのないように用心すること。だから、幼虫は野鳥が寄ってこないようなグロテスクな姿をしている。
 うーん、そうだったんですか・・・。そうなんですね・・・。でも、でも、それにしても、あのイモムシが変身して空を飛ぶというのは、どうしても結びつきません。
 なぜ、幼虫で冬を越すのか。それは、春、できるだけ早く、若葉を食べたいから。越冬まえの脱皮は、冬の寒さに耐えられるよう、水分を少なく、脂肪分を多くするという体質改造のため。
 蛾は、もともと森の中で生活していた生きもの。日中に飛行する蛾は、昼飛性の蛾と呼ばれている。ベニモンマダラは蛾群と蝶群のあいだに位置する。前羽と後羽との間には連結器がある。どうして蛾は前羽と後羽を連結器でつないでいるのか。それは蛾が、飛び方がへただから。 セセリチョウは、蛾から蝶に変身した最初の、偉大な生きものだ。
 著者はチョウチョが何を食べているのかを手がかりとして、謎の解明を試みています。なるほど、と思わせる推理がなされていて感嘆します。たとえば、ササは中国中部に自生する背の低い竹が日本に進出し、日本の風土に適応して小型化し、草木的となった日本特産の植物だそうです。その笹を唯一の食餌にしている蝶がいるというのです。ヒカゲチョウです。ところが、クロヒカゲという、ヒカゲチョウによく似た蝶がいます。いくらか小型で、飛び方ははるかに敏捷。だから、ヒカゲチョウよりずっと進化しているので、ヒカゲチョウはクロヒカゲを恐れているというのです。
 いくつもの蝶の見事な写真があります。ホントホント、どうして蝶はこんなにも美しいのでしょうね。どこの誰が、こんなデザインを考えたのでしょうか。信じられませんよね。
 ギフチョウもヒメギクチョウは、色こそ多少違いますが、形はよく似ています。でも、新しい種が誕生するには、数百万年以上の年月が必要だそうです。ちょっとした突然異変が固定するのに、そんなにもかかるのですね。でも、犬は、もっと短い期間に、いろんな種がうまれたのではありませんか。それとも、あれは種の違いではないのでしょうか。
 春になり、わが家の庭にも蝶が飛びまわるようになってきました。ヒラヒラヒラヒラ、優雅な飛び方をするチョウを眺めていると、見ている方まで心が軽くなってきます。
 いま、アイリスが花盛りです。華麗な青色の花が咲くジャーマンアイリスもやがて咲いてくれそうです。

入管戦記

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著者:坂中英徳、出版社:講談社
 東京入国管理局長だった著者が、日本における外国人処遇は現状でよいのかと問題提起をした本です。
 1970年ころの在日韓国・朝鮮人は65万人だった。1999年には52万人となった。2003年末には47万人。日本国籍を取得した人が20年間で12万人いて、毎年1万人の割合で減っている。1975年ころは、日本人との結婚は3割ほどだったが、 1999年には、それが8割となった。日本人との「同化」が急激に進行しています。
 名古屋入管の管内には14万人のブラジル人が居住している。4割近くを占めている。次いで、韓国・朝鮮の20%、中国15%と続く。名古屋にある、2000世帯の住む保見団地には3500人の日系ブラジル人が生活している。ブラジル人世帯の占める割合は56%になっている。ここでは、日常生活の大半をポルトガル語で生活しているし、やっていける。そうなんですね、ここまで来ているのですか・・・。単一民族の住む国なんて、もう言ってられませんよね。彼らの選挙権はどうなっているのでしょうか。税金だけとって、選挙権は与えないなんて、考えてみたらおかしいですよね。
 留学生が犯罪に走っている。2003年の留学生についての学校別検挙者数を調べると、専門学校や日本語学校よりも、東大・早大などの日本の有名大学が上位に名を連ねている。
 日本人の私たちは、もっとオープンに諸外国から訪れた人々を受けいれるべきだと著者は指摘しているように思います。とはいっても、エレベーターのなかで別の階から屈強な大男が乗りこんできたときには恐怖心を感じてしまいます。それは、単なる同乗者というより、目的があって乗りこんできたと心配するからです。
 単一民族であることを誇ってきた日本ですが(この認識は、もちろん正しくはありません)、否応なしに今やいくつもの民族が参入してきているのです。
 隣は何をする人のか、いま何を考えているのか、生活レベルでの共存を工夫すべき時代になってきているように思います。そのためにもコミュニケーションの必要がますます高まっています。

交通事故の被害者は二度泣かされる

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著者:柳原三佳、出版社:ルベルタ出版
 交通事故が起きてから警察官がつくった実況見聞調書がひどく杜撰だったため、加害者も被害者も大いに困ったというケースはしばしばです。この本では、どうして杜撰な調書ができるのか、その理由のひとつが解き明かされています。要するに、交通課の警察官が忙しすぎ、ノルマに追われているため、一件一件を丁寧に処理する精神的にも物理的にもゆとりを喪っていることにあるということです。
 管内に生じた交通事故について、1日に平均4回前後も出動し、1ヶ月には60〜70回となる。このうち担当するのは1ヶ月に20件くらい。被害者のケガの程度が2週間以内の事故については、簡約特例方式による1件書類をつくる。これは事故後1ヶ月内に診断書を添付して決裁にあげなければならない。これが8割くらいある。ところが、被害者がなかなか診断書をもってこないので、処理がすすまず、1ヶ月をこえてしまうことも多い。
 特例書式については、県警交通部より、3ヶ月内に処理するよう指導を受けている。早期処理のためノルマ主義があり、一定の処理件数をこなしていないとならない。処理件数が少ないと、超過勤務手当が削られたりもする。
 このように交通警察官があまりに忙しすぎて、もっとも大切な真実追究や事故原因の解明が二の次にまわされている疑いがある。私は、交通警察官が警察署内で冷遇されているのではないかと考えています。警察署内でもっとも優遇されているのは、なんといっても警備・公安警察です。なにしろ、使途のチェックを受けないS(スパイ)対策費を潤沢につかえるのですから、やめられないことでしょう。次に刑事、そしてパチンコ店などをかかえる生活安全課でしょう。
 毎日、本当に地道に事故処理を続けている交通警察官の皆さんには頭が下がります。といっても、杜撰な調書を見つけたら、もちろん、私もその不備を弾劾するつもりでいます。
 この本ではロサンゼルス市警の交通事故処理の状況が紹介されていて、参考になりました。まず、警察署の入り口の壁に若い殉職警察官の肖像写真がずらり飾られているというのに、日本との違いを実感させられます。ロス市警の黒人警部が、のちにロサンゼルス市長となったということであり、かなり警察署の雰囲気も違います。
 ロスでは、交通事故に関する調書は事故当事者であれば、13ドル支払えばすべて見ることができる。著書の開示だけでなく、事故当事者からの直接の問い合わせにも警察は応じている。
 ドイツでは、事故直後の実況見聞調書にヘリコプターを飛ばして現場を上空から写した航空写真が添付されている。
 日本でも、こんなシステムがあればいいな、と思ったことでした。

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