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日本国憲法の論点

カテゴリー:司法

著者:伊藤 真、出版社:トランスビュー
 著者の講演をつい先日ききました。いやあ、さすがですね。さすがに司法試験界のカリスマ講師と讃えられるだけのことはあります。実に歯切れがよく、明快なのです。なるほど、なるほどと、本当は分かっていなくても、ついつい分かった気になってしまいます。
 憲法の根本的な意義・役割とは何か。それは、権力に歯止めをかけるということ。これは憲法学のもっとも基本的な常識。しかし、そのことが学校で教えられていない。教科書にも出てこない。
 法律は国民をしばり、憲法は権力をしばるもの。だから、日本国民に憲法を守る義務はない。そして、ときに憲法は民主主義を制限することもある。
 憲法は国家の基本法であるからこそ、「気分刷新」といった目的のための、たんなる手段として使うべきではない。憲法には、人権保障と国家権力への歯止め、という憲法本来の目的がある。景気回復や財政改革のために憲法が存在するのではない。
 国民がつくった憲法によって、国民の多数意見の暴走に歯止めをかける。つまり、憲法とは、ときどきの多数意見によって奪ってはいけない価値を明文化したもの。
 多数意見に歯止めをかけるということは、近代憲法は「民主主義」に歯止めをかける存在でもあるということ。したがって、日頃、強い者の側にいる人間にとっては、弱者を守る憲法の必要性を感じない。
 著者の講演を聞いて、もっとも感銘を受け、印象に残ったのがこの部分でした。そうなんです。憲法は強い者にとってはなくてもいい、むしろ、どうでもいいものなんです。しかし、弱い者にとっては拠りどころとなるものなのです。
 憲法99条は、憲法を尊重し擁護する義務を負う者を明記しているが、そこに国民は含まれていない。憲法を守らないといけないのは、国の象徴である天皇、それから公務員、つまり国家権力を行使できる強い立場にいる人間なのである。
 100年前に制定された明治憲法ですら、国民の権利を守る道具であることを明確に自覚して制定されている。いやあ、そうなんですよね。
 理想を掲げることも憲法の重要な役割である。ふむふむ、そうなんですね。
 法と現実とのあいだには必ずズレがある。それを現実にあわないというので法を変えることを繰り返すのでは、法が何のために存在するのか分からなくなる。現実と規範の適度の緊張関係のなかで、現実を少しでも理想に近づける努力をすること、それが憲法に対する誠実な対応である。
 日本は、ポツダム宣言を受諾した時点で、現行憲法が示す価値観を自ら選びとったことになる。それは、決して「押しつけられた」というものではない。
 草案をマッカーサー司令部がつくったからといって「押しつけ」というのは、あたらない。それは、日本の法律のほとんどは官僚が案をつくり、国会で審議して成立させている。このとき、官僚が「押しつけ」たなどという人は誰もいない。審議と議決こそが、法の制定における核心なのである。また、ある意味で、憲法とは、常に「押しつけられるもの」である。少なくとも、近代憲法は、国民から権力者に向かって「押しつけられるもの」なのである。国家権力に歯止めをかけることが目的なのだから、権力側の人間が「押しつけ憲法」と感じるのも、ごくあたりまえのことなのである。
 「高校生からわかる」というキャッチフレーズの本ですが、なるほどそうでしょう。とても分かりやすい憲法読本です。
(2005年7月刊。1800円+税)

ボローニャ紀行

カテゴリー:未分類

著者:井上ひさし、出版社:文藝春秋
 私はイタリアには一度も行ったことがありません。ローマというより、ポンペイには、一度は行ってみたいと思うのですが、著者が空港に着いたとたんに虎の子のカバンを盗られてしまったという話に恐れをなしてしまいます。なんと、そのカバンには300万円もの現金を入れていたのです。イタリアに長く住んでいた奥さんは、それを告げられて、何と言ったと思いますか?
 イタリアを甘くみたわね。イタリアは職人の国なのよ。だから、泥棒だって、職人なんです。
 いやあ、まいりました・・・。いやいや、なるほど、ですね。でも、そんな職人とはお近づきになりたくないものです。
 1945年4月、ボローニャの人たちは、当時、街を支配し占領していたナチス・ドイツ軍とイタリア・ファシスト軍に対して何度もデモを行い、ストライキを打ち、戦って自力で街を開放した。パルチザンとしてレジスタンスに参加した市民は1万7000人をこえ、そのうち2064人が戦死か銃殺された。ドイツ軍はドイツ兵が1人殺されるたびに無差別に選び出した市民を10人、報復として銃殺した。それで、2351人の市民が殺された。
 世界最古の大学であるボローニャ大学には1563年まで、校舎がなかった。学生は、街の広場や教会や教授の家で勉強していた。大学での単位取得試験は、すべて筆記と口述の併用。しかも、口述の単位取得試験は公開。同級生や下級生が押しかけ、市民も見学にやってくる。見学者に見守られなかで、教授から繰り出される質問にこたえなければならない。
 ボローニャのフィルム・ライブラリーには5万本の映画がある。人間であれば誰でも無料で利用できる。子どもが50人以上集まれば、いつでも映画が始まる。このシステムは、好きなことに夢中になっている人たちに資金を提供することでなりたっている。奇跡は、そこから始まる。
 いやあ、映画大好きの私にとって、こたえられないサービスですよね、これって。私は、ときどき自宅で古い映画のDVDをみています。でも、やっぱり、映画は映画館の大画面でみたいですよね。
 イタリアの憲法は、イタリアは労働に基礎を置く民主的共和国であり(第1条)、手工業の保護および発展を図る(第45条)と定めているくらいの職人国家である。だから、職人産業省もあれば、職人業保護法や職人金融金庫もある。ボローニャは世界の包装機械の中心地になっている。
 母会社の技術を持ち出すことは許されるが、母会社と同じものをつくってはいけない。ここのシステムが世界中から歓迎されているのは、機械と一緒に熟練した職人がついていくから。買い手側に機械を納品したらそれでおしまいではなく、しばらく職人が機械と一緒に暮らす。買い手の要望を聞きながら、機械の微調整をする。買い手側の技術者がその機械を完全に使いこなせるまで、職人がその地に留まる。
 うむむ、なーるほど、ですね。
 世界中から日本に観光客を集めるためにはどうしたらよいか? それは日本の町並みを100年間そっくりそのまま保存したらいい。そうすると、100年前の日本の姿をみようと世界中から人が集まってくる。
 そうなんですよね。100年前と言わなくても、もし、筑豊や三池の炭住街がそっくりそのまま保存されていたら、炭鉱労働者の生活を見学しようと人々が集まってくると思います。しかし、残念なことに、今ではまったく残っていません。東京・上野に下町風俗博物館がありますが、あれをもっと大きくして保存していたら良かったのです・・・。日本全国で、いや全世界で商店街の空洞化がすすんでいます。郊外型の大型店舗のせいです。
 商店街を専門店の有機的な集合体にするため、改装費用を援助する。商工会議所に店員専門学校を設立してプロの店員を育てる。商店街の内部を改造して学生や老夫婦の住居にする。都心に映画館や劇場をふやす。
 大賛成です。ぜひ日本でも実行してほしい施策です。
 今度、3たびイタリアの首相になるベルルスコーニは、会計帳簿の不実記載を軽微な犯罪とした。刑事罰の対象から、単なる反則金で処理されることになった。これで、脱税や資金洗浄などのマフィアがらみの違法ビジネスが一層促進された。まさに盗賊支配の象徴である。
 ベルルスコーニ政府はマフィアから誘拐されて巨額の身代金を要求されたとき、身代金を公的に貸与する機関をつくろうとも言いだしました。とんでもない提案です。
 いま、ボローニャ大学には120人の日本人学生がいる。うむむ、多いと言いたいのですが、フランス留学生の人数に比べたら(実は、知りません)、きっと少ないと思います。
 私はカルパッチョが大好物です。このカルパッチョというのが、ルネッサンス期のイタリアの画家の名前だというのを初めて知りました。薄切りの牛フィレ肉の赤身が、画家カルパッチョのよくつかった赤色に似ていたということなのです。
 私の尊敬する著者による、軽妙タッチでありながら、大変勉強になった本でした。
 庭に淡いピンクのグラジオラスの花が咲いています。その近くに、ヒマワリが1本すっくと立ち、東向きに大輪の花を咲かせています。ヤマボウシの木の白い花も見事です。有馬温泉に行ったとき、大木になったヤマボウシが白い花をたくさん咲かせていました。そのそばに朱色の百合の花が咲いています。
 夜、ホタルを見に出かけました。まさに乱舞していました。夢幻の世界です。子どもたちが大勢はしゃいでいました。私も童心にかえりました。
(2008年3月刊。1190円+税)

不倫の惑星

カテゴリー:アメリカ

著者:パメラ・ドラッカーマン、出版社:早川書房
 社会人経験のない私が弁護士になって早々に経験したのが夫婦間の離婚事件でした。いやはや大変でした。つくづく司法修習生のときに結婚していて良かったと思いました。離婚事件の多くは一方の不倫が原因となっています。そして、そのかなりのケースで、不倫を無理に否定する配偶者がいます。私は、今も、そんなケースをかかえて苦労します。だいたい、男のほうが攻め落としやすいものです。女性の多くは開き直って、したたかな対応をしてきます。
 この本を読むと、世界各国、どこでも不倫はありふれています。ところが、ビル・クリントンの国(アメリカ)では、不倫が罪悪視されているというのです。私にとって、これほどイメージとかけ離れていることはありませんでした。キリスト教の原理主義者が多いため、今でもダーウィン流の進化論を学校で教えることができないという国だからの変な現象です。
 現在、ほとんどのアメリカ人は17歳までに初体験をするが、26歳にならないと結婚しない。活発な性生活を送りながらも、独身のままでいる時期が、9年間つづく。
 アメリカ人は、2006年の調査でも、道徳的な観点からみて、不倫は、一夫多妻制やヒトクローン以上に許しがたいと答えている。
 不倫が大目に見られたり、勧めたりする特殊な環境もアメリカにはある。シーズン中のスポーツチームや法律事務所である。スポーツ選手のほうは例示があって私も分かりましたが、その一つが法律事務所とは、私にとって理解しがたい驚きです。
 クリントン大統領への弾劾をアメリカ下院が可決した直後にCNNとギャラップが行った世論調査によると、クリントンの支持率が10ポイント上昇して過去最高の73%となった。一方、共和党の支持率は12ポイント下がって31%だった。ほとんどのアメリカ人は、情事は私的な罪でしかないと考えていた。
 アメリカでは、浮気をした人が信頼を回復するには、浮気相手の名前、密会や性交渉の詳細など、伴侶が知りたがることは、どんな細かいことでも隠しだてせずに洗いざらい話す必要があるとすすめられていた。クリントンは、このアドバイスどおりの行動をとった。まず否認するのをやめ、情事を認めた。
 著者(女性)が、アルゼンチンに出張したとき、夫ある身と知りながら男性が口説いたセリフに私はじびれてしまいました。
 「ぼくの妻が、どうして出てくるのか分からない。これは、ぼくときみだけの問題だろう。君に、すばらしい喜びを味あわせてあげようと思っているんだ」
 いやあ、私も一度は、こんなセリフで女性を口説いてみたいと思いました。アルゼンチンの男性には負けてしまいます。
 配偶者の浮気について、ポーランドでは、伴侶のいないところで風船をふくらますと言い、中国では、妻に裏切られた男性は緑色の帽子をかぶると言う。
 ゲイが集まるバーやナイトクラブでは、行きずりのセックス相手を見つけるのに格好の場所だ。一方、ストレートの男性が女性と知り合う場所は学校や職場だから、交際は長く続く。ゲイの男性の43%が、これまで60人以上と関係をもったと答えた。同じ地域に住むストレートの男性では、4%にすぎない。
 ウソをつくのが問題になっているので、真実を話すことがアメリカ人にとっての不倫の解決法になっている。しかし、それを聞いた外国人は、口をそろえて信じられないと言う。裏切られた側としては、不倫の詳細を知ったら心の傷が広がるばかりだろうと考えるわけだ。私も、この考えに同調します。夫婦といえども、やはりお互いに知らないことはあってもいいし、その方がかえって夫婦仲は円満にいくと考えています。
 アメリカ人の夫が嫌うタイプの妻は1950年代の「不感症の女性」から、1990年代には「退屈な女性」に変わった。夫はセクシーな若い秘書と不倫せず、妻より年上で容姿は劣るが一緒にいて楽しい女性を浮気相手に選んでいた。
 ふむふむ、なるほど、ですね。やはり話のあう女性がいいですよね。
 フランス人の不倫は、秘め事はあくまでも秘め事としておく姿勢で貫かれている。嘘をつかないで不倫をすることはできない。
 1991年にソビエト連邦が崩壊すると、セックスが勢いよく表舞台に登場した。ロシアは国民がめったにセックスの話をしない国から、セックスが商品となる国へと変貌した。
 ロシアに不倫が多い理由の一つに、男性が極端に少ないことがあげられる。1980年以降、ロシア人男性の平均寿命は、65歳から58歳に下がった。死因はアルコール、タバコ、業務中のけが、交通事故など。65歳のロシア人は、女性100人に対して男性はわずか46人。ちなみに、アメリカでは女性100人に対して男性は72人。
 ロシアの人口比での男女のアンバランスが、男女のロマンスに影響を与えている。
 40代の独身女性にとって、既婚男性とつきあわなかったら、デートの相手がほぼ皆無。30代、40代そしてそれ以上のロシア人女性にとって、未婚の男性やアル中でない男性は、ロマノフ王朝の豪華な宝石と同じくらい、めったに手に入らない存在となっている。
 ロシア人はアメリカ人に負けずおとらずロマンチストである。そして、ロシア人男性のほとんどは、熟年期を迎える前に死亡してしまう。
 ひゃあ、そうだったのですか。辛いロシアの現実があるのですね・・・。
 イスラム教徒とユダヤ教には、アメリカの税法が簡単に思えてしまうくらいに複雑な戒律があるが、ともに婚外セックスを正当化する抜け穴もある。
 世界は同じようでもあり、違うようでもあるのですね。
(2008年1月刊。1600円+税)

日月めぐる

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:諸田玲子、出版社:講談社
 江戸末期、駿河の小藩に流れゆく時、川、そして人。名手が丹念に紡いだ珠玉の七篇。
 これはオビの文章です。いやあ、実にそのとおりなんです。5月のゴールデンウィークで熊本までお城を見に行ったときの電車のなかで一心に読みふけりました。恋しくも哀しくもある人情あふれる話が、次々にくり出されてきます。主人公が前の話では脇役として登場してきたり、七篇が駿河国小島(おじま)藩のなかで連続的に展開していきますので、話の展開が待ち遠しくなってきます。その語り口はいかにも見事で、ついつい引きこまれてしまいます。さすがはプロの書き手だと感心しました。
 小島藩には城がない。かろうじて大名の端くれにしがみついている1万石の小藩には、城など築く余裕はない。が、陣屋の周辺には城下町とも言える町々が広がっていた。馬場もあり、寺社もあり、武家屋敷町もある。
 小島藩には大名家の体裁をととのえるだけの家来を抱える財力がない。そのため、必要に応じて、農家の次男・三男を足軽として徴用している。これを郷足軽(ごうあしがる)という。
 小島藩ではかつて、財政難から苛酷な年貢を徴収した。追い詰められた農民が一揆を起こし、藩は窮地に立たされた。わずかながら領民の暮らしが上向き、藩も息がつけるようになったのは三椏(みつまた)のおかげ。三椏の樹皮は駿河半紙の原料である。漂白しやすく、虫にも食われないため、評判は上々。加えて、紙漉(かみすき)は、農閑期の余業に適している。藩では、年貢を紙で納めるよう奨励した。三椏を植える農家は年々ふえていった。東京の日比谷公園にも、この三椏があります。
 七篇は、この三椏による駿河半紙づくりを背景として、それに関わる人々の生活とともに展開していきます。
 駿河半紙は小島藩の者が三椏を紙の原料として発見してから急速に広まったもので、歴史は浅い。だが、それまでの楮(こうぞ)でつくった紙より丈夫で上質な紙ができるというので、高級品としてもてはやされた。三椏は紙の原料となる太さに枝が生長するまでに3〜4年かかる。ただし、そのあとは毎年刈り取ることができる。
 皮をはぎ取るのは難しい。そのため、大鍋で木を蒸す。剥いだ皮は乾燥させ、必要な次期が来るまで保存しておく。
 皮を石の台にのせ、木槌で勢いよく叩く。こうやって木の皮の糸をほぐす。叩いたあとは、濾舟(すきぶね)の中でかきまわす。すると1本1本、バラバラになる。ほぐした樹皮と、とろろあおいの根っこを叩いてどろどろにしたものを桶の中で混ぜあわせる。とろろあおいは粘りけがあるので、紙を固める役目を果たす。紙濾をしたあと、石台に置き、重石(おもし)で圧搾して水分をしぼり出す。その紙を栃(とち)や銀杏の干し板に貼りつけ、戸外へ並べて天日で乾燥させる。松をつかうと脂(やに)が出る。年輪の詰まった木の板でないと、紙に無駄な筋が出てしまう。
 和紙づくりの手順と苦労まで、少しばかり理解することができました。
(2008年2月刊。1600円+税)

若い世代に語る日中戦争

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:伊藤桂一、出版社:文春新書
 1937年(昭和12年)に徴兵検査を受け、習志野の騎兵連隊に入営し、3年あまり北支(中国北部)の戦場で過ごし、さらに1943年から歩兵として中支(中国中部)で歩兵となり、伍長だった人の体験談です。中国大陸の戦場で、下っぱの兵隊生活を7年間送ったというわけです。その体験がかなり美化されて語られていると思いました。
 初めのころは、日本軍が20人、八路軍(中国共産党の軍隊)が100人だとすると、人数で大差があっても、日本軍が圧倒的に強い。なぜなら、日本軍は訓練を受けているのに、八路軍は軍隊経験のない若者ばかりだから。挑発しても、まともに日本軍と戦わない。しかし、逃げ方がうまい。ところが、日中戦争が続くなかで、八路軍はだんだん強くなっていく。
 日本軍のつかった38式歩兵銃は、銃身が長いから非常に命中率は高いけれど、その分重たい。アメリカの自動小銃は銃身が短くて、命中率が低いかわりに、数うって当てるというものだった。
 戦場慰安婦というのは、兵隊と同じ。兵隊の仲間なのだ。本当に大事な存在だった。当時は公娼制度があった。本人たちも、一応納得してというのが建前だった。むろん不本意だったろうし、悪質業者に騙されてということもあったろうが・・・。
 ともかく、軍の管理する慰安所だった。兵隊たちにとって、慰安婦は大切な仲間。苦労をともにした戦友だった。それが単に汚らわしい関係だったように言われるのは、戦場体験者としては、ちょっとやりきれない。
 兵隊は黙って働き、その多くは黙って死んでいった。慰安婦たちは悲劇的な不条理のなかで生きていたし、兵隊たちも、もっと不条理の中で生き死んでいかなければならなかった。だから、お互い心が通いあうこともあったし、彼女たちとの思い出を胸に抱いて死んでいった兵隊もいる。
 このあたりは、なんとなく、その心情が分かる気がします。不条理の中に置かれ、明日の希望がもてない極限の状況に置かれていたのでしょうから・・・。
 ところが、この本には、南京事件を否定するという重大な欠陥があります。著者は南京事件に関する本をまったく読んでいないようです。この点は聞き手側の責任でもあると思います。著者は、戦闘のあとは、死者の世話、負傷者の介護、戦掃除の責任もあり、一般住民を何万人も虐殺するゆとりなど、日本軍にあるはずはなかったのです、と語っています。
 ひどいものですね。これで「若き世代に語る日中戦争」というタイトルで堂々と本が出るのですから・・・。先に、『南京事件論争史』(平凡社新書)でも紹介しましたが、南京事件は当時、南京にいたナチス党員のドイツ人からも「あらゆる戦時国際法の慣例と人間的な礼節をかくも嘲り笑う日本軍のやり方」として厳しく批判されていました。昭和天皇の弟である三笠宮も「日本軍の残虐行為」があったことを自叙伝(『古代オリエント史と私』)のなかで反省をこめて指摘しています。
 南京事件は、日本軍の南京入城式のあとの兵士たちの休養期間に多発した大虐殺、大強姦事件なのです。その点をたしかめることもなく「虐殺するゆとりなどあるはずもない」という言葉で簡単に片づけることは、日本人として許されないことだと私は思います。
 この本が右翼を標榜する『諸君』に連載したものだとしても、「若き世代に」に間違ったことを教えてほしくない、そう思って、あえて紹介しました。
(2007年11月刊。710円+税)

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