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糖質制限食、夏のレシピ

カテゴリー:社会

著者:江部康二、出版社:東洋経済新報社
 大変です。胴まわりが2センチも増えてしまいました。まさか、の油断です。まったくメタボリック症候群になってしまいました。ズボンがきつくなっています。毎年、夏になると、いつも太るのですが、今年は秋になっても減りません。深刻に反省しています。
 そんなとき、宮崎へ出かけて、夜のスナックで隣にすわった衛藤彰弁護士から耳寄りの話を聞きました。糖尿病も肥満も、たちまち解決する食事療法があるというのです。しかも、ごはんとメン類を抜かすだけでよく、肉も野菜も食べていい。日本酒やビールはダメだけど、焼酎なら飲んでいいというのです。いやあ、それなら私もやれそうです。さっそく私はこの本を買って、少しずつ実践しています。とりあえず、食べる量をぐーんと減らしました。ごはんは、もともとあまり食べていませんでしたが、意識的に減らしました。大好物のスパゲッティも、当分やめることにしました。博多駅の地下に行きつけの美味しいパスタの店があるのですが、しばらく遠ざかることにしました。
 しっかり食べてダイエット。これがいいですね。
 それでなぜ、ダイエットできるのか。
 精製された炭水化物、つまり白パン、白米、うどん、パスタ、白砂糖、お菓子、これらの過剰摂取が肥満や生活習慣病の根本原因である。
 血糖値を上げるのは糖質。糖質は摂取したら100%血糖に変わる。しかし、たんぱく質が糖に変化するのは50%。脂質なら10%未満。腸から消化吸収されて血糖値を上昇させる時間は、食べ物を口にしてから糖質はわずか15分、たんぱく質や脂質は3〜4時間かかる。糖質を摂取したら、まず血糖値が上昇する。そして、体内にインスリンが分泌され、筋肉などの体組織に血糖をとりこませて血糖値を下げようとする。次に、取りこみきれなかった余剰の血糖は、インスリンにより中性脂肪に変えられ体内に蓄積される。
 糖質を制限すると、肥満ホルモンたるインスリンが分泌されない。尿中にカロリーとともにケトン体が排泄される。体内脂肪が常に燃えているから、やせる。
 糖質制限食10ヶ条を紹介します。
1、たんぱく質も脂質もOK。
  肉も魚貝も、豆腐、納豆、チーズも、みんなOK。
2、白米、白パン、パスタ、お菓子、砂糖は、みんなダメ。
3、玄米ごはん、全粒粉パン、十割そばならOK。
4、牛乳も果汁もダメ。成分無調整豆乳はOK。
5、野菜、海草、きのこはOK。糖質をふくむ果物は少しだけならOK。
6、オリーブ油と魚油はOK。リノール酸は減らす。
7、マヨネーズ、バターはOK。
8、日本酒、ビールはダメ。焼酎、ウイスキーはOK。
9、間食やおつまみにチーズとナッツはOK。ドライフルーツはダメ。
10、化学合成添加物はダメ。
 私は始めて1週間で体重が1キロ減りました。これは、食べる量をぐっと減らしたので当然です。これくらいなら、すぐリバウンドします。でも、がんばってみるつもりです。みなさん、ぜひ応援してください。
(2007年5月刊。1500円+税)

弁護士道に向けて

カテゴリー:司法

著者:渡辺洋一郎、出版社:G.B.
 弁護士業は、いわゆるケンカの代行業のようなもの。ヤクザと違うのは、暴力で解決しようとするか、法で解決しようとするか、という解決手法だけ。
 だから、決してきれいな仕事ではない。また、勝ち負けを争うから、精神的にプレッシャーもかかる。少しでも早く何か正業に就かなければと思いながら、40年間、弁護士を続けてきた。
 うむむ、こうまで言われると、どうなのかなと、つい思ってしまいました。だけど、正業云々はともかくとして、あとは著者の言うとおりだと思います。
 依頼者の主張には簡単に迎合しないほうがいい。トラブルが起きそうなときには着手金をもらわず、様子をみる。依頼者とのギャップが具体化したときには、さっさとお金を返すか、自分の気持ちをおさえて、その人のサーバントになった覚悟で徹底的に誠意をもって終わらせ、次から二度とかかわらない。トラブルに巻きこまれるよりは、仕事しないでやせ我慢していたほうがいい。
 私も、これにはまったく同感です。だから、私は、いつでも返せる金額の着手金しかもらわないようにしています。
 準備書面をつくるときには、動かない事実を前提にして、それをしっかりおさえて書く。主張は、証拠からこうだと言い切る必要がある。評論家のような、第三者のような、他人事(ひとごと)みたいな表現では迫力がない。
 いやあ、なるほど、そうなんですよね。なにしろ裁判官を納得させようというのですから、迫力が必要です。
 反対尋問は準備なくして絶対に成果が出ない。尋問は淡々と行うのが原則。質問にこめた真意を裁判所に伝える。相手方の矛盾点をさらけ出す。証人にはできるだけイエス、ノーで答えさせる。あまり深追いしないこと。
 ふむふむ、そうなんです。でも、実に難しいのです、これが・・・。
 和解の場は、裁判官の心証をつかむ絶好の機会である。相手方が物わかりの悪い人のときには、それと同じくらい物わかりを悪くする。というのも、裁判官は、事件を早く解決させたいので、物わかりのいいほうを説得しようとする傾向があるから。
 和解の場で理屈ばかり言うのは得策ではない。
 依頼者の説得が実は一番難しい。そこで、依頼者への話しもよく考える。和解が現実化してくると、依頼者は自分が損する面ばかり考えがち。だから、依頼者の心理をよく読んで、和解できることに感謝の気持ちがある状況で行うことが大切。最後には、決めるのは本人であることを、淡々と損得両面を話す。積極的に説得しすぎない。
 顧問契約は、相互にいつでも解約できると明記しておく。ともに人間として育ちあっていく関係にあることが大切。
 弁護士会の活動を通じて思ったことは、自分の目の前で起きていることが、それを放置しておいたら、次の世代に申し訳ないような結果になりかねないことだと思ったら、自分ひとりの力は、石を一個投げるしかなくても、その石を必ず投げること。また、投げる責任があるということ。石を投げれば、そこに波紋が広がる。同じ考えの人が次々に石を投げれば、それは大きな力になる。
 私より先輩の弁護士が若手弁護士向けの研修会で語った講話をまとめたものですので、大変読みやすく分かりやすい。しかも大いに勉強になる内容になっています。
 ただ、著者が、当時の司法修習生500人のうちの1割、50人くらいしか法律を理解して合格したとは思えないとして言っていることには首をかしげました。まあ、そういわれたら、私なんかは残る9割のほうに入っているに違いないのですが・・・。
(2007年11月刊。2310円)

新自由主義の犯罪

カテゴリー:社会

著者:大門実紀史、出版社:新日本出版社
 またまた私の知らない言葉がありました。オンコール労働者です。みなさん、知っていましたか?
 オンコール労働者とは、企業が必要なときに呼び出し、必要なだけはたらかせる労働者のこと。呼び出しは、企業の都合によっておこなわれ、労働者は前日の呼び出しでも応じないと、次の仕事が得られないという、強制的かつ不安定な状態におかれる。就労日数も、一日から数週間と、企業の需要に合わせて決められる。
 これはアメリカの労働者についての言葉です。日本では、ワンコール労働者というのがあります。私は、これも知りませんでした。ワンコール労働者とは、電話一本で呼び出される労働者のこと。アメリカのオンコール労働者とほぼ同じで、一日単位の仕事について電話で派遣会社に仕事情報を照会し、直接、派遣先に出向いて就労する派遣労働者のこと。日雇派遣とかスポット派遣とも呼ばれる。
 ワンコール労働者に登録している労働者は、グッドウィルで270万人。同じ派遣大手のフルキャストで175万人もいる。日給は5000〜8000円だが、毎日仕事があるわけではないので、月収は10〜13万円程度。アメリカのオンコール労働者と同じく、低賃金で雇用保険も社会保険も適用されない。
 いやあ、これってひどいですよね。だって、昇給も昇進もまったくないのですよ。これでは人生設計なんて、まるで出来できませんよ。
 偽装請負とは、実態は派遣労働なのに、契約上は業務請負と偽装し、本来は派遣先企業が負うべき労働者の使用にともなうさまざまな責任を免れようとするもので、職業安定法や労働者派遣法に違反している。
 偽装請負では、請負会社は求められた人数の労働者をメーカーに派遣するだけで、指揮命令するのはメーカーだ。誰が仕事の指揮命令をするのかは、いざというときの使用者責任を問い、労働者の権利を守るうえで重要な分かれ目になる。
 この本に完済の大手電機メーカーN社というのが登場します。あくまで人件費が安上がりですむクリスタルとの取引を継続しようという勢力と、自社グループ内で技能社員を養成していこうという勢力との争いがあったというのです。長い目で見たら、技能社員を大切にして養成していくべきことは明らかだと思うのですが、目先の利益を追うと、そんなことを考えるゆとるはなくなるのでしょうね。
 この本には病院ファンドについても紹介されています。今、全国の病院、とりわけ自治体病院の経営が苦しい状況です。そこにつけこんでもうかろうという企業グループがあるというのです。とんでもない連中です。
 新たな投資分野なので、銀行や商社、不動産会社などが次々にファンドを立ち上げている。このファンドは私的病院だけでなく公的病院もターゲットとしている。現在、自治体病院600のうちの9割以上が赤字で、そのほかの公的病院も6割赤字経営。ここに公的病院の民営化がすすみ、ファンドのもうけの場となっている。
 いやですね、人間(ひと)の生命・身体を、もろに金もうけの道具にするなんて・・・。
 クレジット・サラ金による被害者救済を充実させるため全国を飛びまわっている福岡の椛島敏雅弁護士のすすめで読みました。勉強になりました。ありがとうございました。
 日曜日に、仏検(準一級)を受けました。晴れた青空の下、室内にいるのがもったいないような気がしましたが、2時間半ほどのテストが終わったときには花王石鹸のマークのような半月が空高く輝いていました。今回も事前に十分な予習できなかったのですが、前日と当日午前中、フランス語の勘を取り戻そうと、必死に辞書をめくって単語を復習しました。自己採点で78点です(120点満点)。まあ、なんとかパスしたかなと思い、秋風の寒さを身にしみながら帰路につきました。
(2007年10月刊。1700円+税)

私訳・歎異抄

カテゴリー:社会

著者:五木寛之、出版社:東京書籍
 善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他人の意識にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他人をたのむこころにかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報士の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
 親鸞の有名な文章です。これを著者は次のように現代語訳しました。
 いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力(たりき)に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。
 だが、そのようないわゆる善人であっても、自力(じりき)におぼれる心をあらためて、他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるにちがいない。
 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。
 山に獣を追い、海河に魚をとることを業(ごう)が深いという者がいるが、草木国土のいのちをうばう農も業であり、商いもまた業である。敵を倒すことを職とする者は言うまでもない。すなわち、この世の生きる者はことごとく深い業をせおっている。
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるであろう。
 おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。
 正直いって、私には、この解説ではもうひとつよく分かりません。あるときには分かったようなつもりになりましたが、本当の意味で理解したというのにはほど遠い状況です。
 わたしたちは常に現世への欲望や執着にとりつかれた哀れな存在であり、それを煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぷ)という。
 これは、私にも、よく分かります。まさしく私は煩悩具足の凡夫そのものです。
 阿弥陀仏の救いに甘えてつくる罪もまた、過去の世の行いの結果である。善い結果も悪い結果も、その業(ごう)の結果であると認識し、ただ仏の慈悲にすがることが、「他力」(たりき)の道なのだ。
 ここらあたりが、私にピンとこないのです。いったい、これはどういうことなのでしょうか。 何度よみ返しても、よく理解できません。果たして、一日一善を心がけてよいものなのでしょうか。それとも無意味なことだというのでしょうか。
 念仏をしようと思いたったとき、その信心は、阿弥陀仏からのはたらきかけによって生じ、阿弥陀仏のちからによってなされるものである。その時点ですでに仏の光明に照らされているのだ。だからこそ死ねば執着を脱し、罪をぬぐい、浄土に導かれるということである。
 それはあくまで仏の大きな慈悲の心によるものだ。このはからいによらなければ、われわれのような罪深い人間が浄土へと往生できるわけがない。一生の問いにする念仏の数々は、この仏の恩を感謝する念仏であると考えよう。
 念仏によって罪を消滅できると期待することは、その行為に励むことによって自己の罪を消し去ろうとする「自力」の行為である。もしそれで浄土へと往生できるのなら、死ぬまで一刻もたえまなく念仏しなければならないが、念仏とはそういうものではあるまい。
 いやあ、なかなかに味わい深い文章であることは間違いありません。とても平易な文章なのですが、まだまだ凡夫の私が理解するのには相当の年月を要すると思いました。
 先週、上京して日弁連会館での会議に参加する前に、日比谷公園で菊花展があっていましたので、立ち寄りました。見事な菊の花がずらりと並んでいて壮観でした。丹精こめた大輪の菊の花が、香りも高らかに美を競いあっていて、ついつい見とれてしまいました。それにしても、いろんな形の菊の花があるのですね。まるで花火のような形をした菊の花を眺めて、手入れがさぞかし大変なことだろうと推察しました。
(2007年9月刊。1200円+税)

佐藤可士和の超整理術

カテゴリー:社会

著者:佐藤可土和、出版社:日本経済新聞出版社
 小さなころから、僕は整理するのが好きだった。整理したあとの、なんとも言えないスッキリ感がたまらなかった。もやもやした霧がパッと晴れたような爽快感といったらいいだろうか。整理すること自体が、僕にとって何よりのエンタテイメントだった。
 いやあ、これって私にもピッタリです。私も、大学受験勉強のころ、気分転換にすることと言えば、子ども部屋の模様変えでした。整理整頓して部屋のなかをスッキリさせると、気分までスッキリ爽快となり、勉強もはかどりました。
 答えはいつも、自分ではなく、相手のなかにある。それを引き出すために相手の思いを整理するのが、すごく重要なこと。
 整理するには、客観的な視点が不可欠。対象から離れて冷静に見つめないと、たくさんの要素に優先順位をつけたり、いらないものをバッサリ切り捨てたりすることはできない。徐々に大切なものに焦点をあわせ、磨きあげて、洗練されたかたちにしていく。
 なーるほど、ですね。著者は、とても若い人ですが、大いに学ぶところのある、鋭い指摘だと感心しながら読みました。
 現代社会は非常に複雑な状況にある。いくつもの世界が混在し、とてつもないカオス状態が蔓延している。混沌としている現代社会においては、現状を把握するのが、不可能なほど難しい。
 空間の整理の目的は、快適な仕事環境をつくること。
 捨てることは不安との闘いである。
 捨てることは、「とりあえずとっておこう」との闘いでもある。
 広告が単に刺激的なだけでは、一瞬目を引くだけで終わってしまう。心の奥までは浸透していかない。
 相手の理解を得たり興味を引いたりしないと、本当に心を捉えたことにはならない。まず何が言いたいのかという趣旨をはっきりさせ、そのうえでどんなトーンで伝えるのかという工夫をすることが大切。
 思考を情報化するためにはどうしたらいいか。必要不可欠なのが、無意識の意識化というプロセス。漠然とした状態の心理や、心の奥深くに埋もれている大切な思いなどを掘り起こして、はっきりと意識する。そのとき一番大切なことは、言語化していくこと。言語かすることで、思考は情報になる。
 そうなんですね。すべては、コトバにすることから始まるのです。しかも、そのコトバが鮮烈な印象を与え、心をゆさぶるものになるためには、大いなる工夫が求められるのです。そこが難しいんです。モノカキをこころざす私は、一見、簡単にみえる言語化が難しいことを、日々、実感しています。
 Tシャツをペットボトルで販売するということを考え出した著者の大胆な発想とそれを支えているユニークかつ堅実な発想にも大変刺激を受けました。
(2007年9月刊。1500円プラス税)

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