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南京、南京、南京

カテゴリー:中国

著者:仙洞田英子、出版社:草の根出版会
 54歳の独身女性が一人で、南京大学に語学研修のため留学した体験記です。すごいですね。たいしたものです。本文を読んで、さすが土性骨がすわっていると感嘆しました。
 ほとんど団塊世代です。司法書士を48歳で辞め、50歳のとき大学に入ったといいます。子ども3人を育て上げ、41歳のとき離婚して独り身でした。
 授業は朝8時に始まる。だから、朝は5時半に起床する。6時半に食事、7時半に登校。その途中、屋台で温かい豆乳を買い、教室で飲む。
 昼には食事のあと、1時間ほど昼寝する。そのあと、復習や宿題をする。夕方は散歩に出かける。土曜と日曜は授業がないので、一人で映画をみに行く。そのあとは、繁華街やデパートをぶらぶらする。
 私も、エクサンプロヴァンスで過ごした4週間を思い出しました。40歳になってまもなくのことでした。弁護士生活10年ごとに40日間の休暇を保障するという北九州第一法律事務所を真似て、さっそく実行したのです。午前中は9時からみっちりフランス語の勉強をして、昼食は大学の食堂で安くて美味しいものを食べ、午後からは市内を散策したり、映画をみたりして過ごしました。夏でしたから陽が長くて、夜10時近くまで真昼のような明るさでした。家族を放っぽらかして一人出かけたバカンスでしたので、大変な顰蹙を買いましたが、今も、あのとき行って良かったと思っています。やはり、行動あるのみです。
 中国では、一回その店で買い物をすると、老客(なじみの客)と呼んで大事にする。店員は老客の顔を感心するほど覚えていて、素晴らしい笑顔で迎え、そして安く負けてくれたりする。
 中国のバスの運転手の4割は女性。中国の女性は強い。仕事から帰ると、ソファに腰をおろし、新聞を読む。夫は仕事を終えると、買い物をして帰り、食事の支度をする。夕飯ができたら、「ご飯ができたよ」と妻や家族に声をかける。
 うへーっ、そ、そうなんですか・・・。とても信じられません。
 日本人で南京大虐殺記念館(正確には殉難同胞記念館)に行ったとき、「30万人は多すぎる」とか「政治的メッセージが強すぎる」と言う人が多いそうです。日本で南京事件否定論が大手を振って横行しているせいでしょうね。でも、日本軍が大虐殺をしたことはまぎれもない事実です。それを人数が30万人だったかどうかに焦点をしぼって議論するようなことを日本人はしてはいけません。私も著者の考え方にまったく同感です。日本人は反省が足りなさすぎると思います。
 私も南京には一度行きましたが、とてもいい古都だと思いました。申し訳ありませんが、記念館には行っていません。
(2007年9月刊。1800円+税)

自衛隊の国際貢献は憲法9条で

カテゴリー:社会

著者:伊勢?賢治、出版社:かもがわ出版
 現在の日本国憲法の前文と第9条は、一句一文たりとも変えてはならない。
 これが著者の結論として言いたいことです。なにしろ世界の戦争現場に臨場してきた日本人のいうことですので、説得力があり、迫力があります。
 いやあ、日本人の男にも、こんなにたくましい男性がいたのですね。ほれぼれ、します。
 著者は戦火のおさまらない東チモール(インドネシア軍と戦いました)に派遣された国連平和維持軍を統括し、アフリカのシエラレオネでは国連平和維持活動の武装解除部長として何万人もの武装勢力と対峙し、アフガニスタンでも日本政府の代表として同じく武装解除に取り組んだのです。その体験をふまえて、護憲的改憲論から、すっきりした護憲の立場に変わったというのです。では、一体、どうして変わったのか。素直に耳を傾けてみようではありませんか。
 著者は、改憲派も護憲派も現場を知らなければいけないと強調しています。そのうえで、日本国憲法9条を生かしてこそ、日本は外交できるというのです。その言葉には圧倒的な重みがあります。
 普通、国家の武力装置というと、軍か警察をさす。そして、軍と警察の役割分担は明確で、軍は領土・領海・領空を守る。つまり、外敵に対して国を守る。いわば、国境の問題を担当する。一方、警察は日常の暮らしを守る。警察は、毎日、市民の隣にいるけれど、軍はいない。軍は国家有事のためにある。ところが、途上国では、この2つの区分けが難しい。この2つの役割分担があいまいな複数の武力装置が存在することには危険性もある。
 著者は、1988年から4年間、シエラレオネにいて、NGOで福祉や開発の仕事をしました。内戦が広まっていった時代のことです。
 シエラレオネは、世界でも最良質のダイヤモンドの産地であり、チタンの原料の産出国でもあるから、本来は豊かな国であっていいはず。ところが、世界最貧国のままだった。その原因は腐敗にある。国の富は、外国企業やそれに結びついた一部の政治家と官僚によって国外へ持ち出されていく。そして、現場で虐殺を指揮した指揮官400人全員が免責された。しかも、トップは副大統領になり、ダイヤを所管する天然資源大臣を兼任した。
 ひゃー、すごいことですね。これって・・・。
 アフガニスタンでの武装解除は2005年に完了した。もと北部同盟側の軍閥勢力6万人以上が武装解除された。ところが、現在のアフガニスタン情勢はどんどん悪化している。武装解除は完了したが、治安改革の分野では武装解除が生んだ力の空白が埋められずに、タリバンが復活し、治安情勢が極端に悪化している。
 著者はアフガニスタンでの経験から、日本は憲法9条を堅持することが大切だと確信するようになったのです。
 アフガニスタン人にとっての日本のイメージは、世界屈指の経済的な超大国で、戦争はやらない唯一の国というもの。もちろん、アフガニスタンの軍閥が憲法9条なんて知るはずもない。しかし、憲法9条のつくり出した戦後日本の体臭がある。9条のもとで暮らしてきた我々日本人に好戦性のないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じる。そういう匂いが日本人にはある。これは、日本が国際紛争に関与し、外向的にそれを解決するうえで、他国にはもちえない財産だ。そんな日本の特性のおかげで、よその国には絶対にできなかったことをアフガニスタンでできた。これは美しい話ではなく、誤解なのだ。そこに、悲しさがある。 
 日本は、アフガニスタンの武装解除のため、100億円を拠出した。つまり、アフガニスタンの軍閥が武装解除されたのは、日本のお金があったればこそのことなのである。
 日本は、憲法9条があったからこそ、軍事的な貢献は難しいということで、お金を出すことに集中した。お金を出してきたことは、日本が恥じるようなことではない。
 先進国の中で日本だけがもっている特質は、中立もしくは、人畜無害な経済大国というイメージである。したがって、日本にとってもっとも重要な判断基準は、憲法9条にもとづく外交という特徴が維持・活用できるのかどうかということになる。海外へ自衛隊を派遣することによって、それが台なしになるなら、それは日本の国益にならない。
 傾聴に値する貴重な本です。150頁たらずの本ですから、重たい内容にもかかわらずさらっと読めます。ぜひ、手にとって読んでみてください。
(2008年3月刊。1400円+税)

ヒトラーとは何者だったのか?

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:阿部良男、出版社:学研M文庫
 文庫本なのに、700頁もあります。ナチス・ヒトラーについて書かれた本を3000冊以上も読んだ人が、そのうちの220冊を厳選して要旨を紹介した本です。なんと、学者ではありません。銀行に勤めながら、長いあいだ、ヒトラー関連の文献を集めたというのです。私も、この220冊のうち、かなりの本は読んでいますが、負けました。といっても、私も、ナチス・ヒトラーに関連する本は300冊は読んでいると思います。
 ある分野について一応読んだと言えるためには最低300冊は読了することが必要だという説を読んだことがあるからです。ですから、私の書庫も、同じテーマのものは、集中しておくようにしています。そのテーマで書くときに必要な文献を、すぐに取り出せるようにするためです。私は、ヒトラーと同じように、ソ連とスターリンについても多くの本を読んでいます。
 ヒトラーは臆病で、総統などという柄じゃない。優柔不断で、考えがぐらつき、人の意見に左右される。いま誰かと話すと、そのたびにころっと意見が変わる。だが、抜け目がなく、立ち回りはうまいし、気の弱い人間に限ってそうなのだが、残忍なところがある。
 これはヒトラーと同時代の人の評価です。なるほど、と思います。ヒトラーは単純な精神異常者ではありませんでした。
 ヒトラーは、暴力行為がもっとも効果的な政治の手段であることはよく理解して実行していた。その効果は噂と恐怖の拡大現象で増殖し、次第に民衆の独立的な抵抗意識を奪っていった。
 アメリカのフォードは、ユダヤ人嫌いで、ドイツに輸出した自動車の売り上げから、ヒトラーに資金援助した。
 ナチス突撃隊(SA)のレームは、資本家と決別することをヒトラーに要求した。それは旧体制との妥協を考えているヒトラーには同意できないことだった。
 ヒトラーが1934年6月にSA隊長レームなど89人を粛清したことからナチ党の腐敗に対する断固たる処置としてヒトラーを高く評価し、神話が生まれた。
 ナチス・ヒトラーは、生きるに値しない障害者を計画的に抹殺した。精神障害者、結核患者、知的障害者など20万人がドイツ内の6施設で薬物やガスで殺された。
 この本で私が初めて知ったのは、アメリカ軍が200万人のドイツ兵を捕虜としたのに、通常の捕虜(POW)として扱わず、扶養する義務のない「新しい身分の捕虜」(DEF)と扱ったことから、100万人ものドイツ人が消えて(死んで)いったということです。アイゼンハワー元帥の考えによるものでした。
 「水晶の夜」の真相は、ゲッペルス宣伝大臣がチェコ人女優と恋に落ちて結婚を望み、宣伝大臣の辞任と日本大使を希望したのに対してヒトラーが怒ったことから、ゲッペルスが名誉挽回を図ったものだというのです。ひどーい話です。
 ホロコーストは、並の人間の想像力をはるかに超えていた。だからこそ、ホロコーストを否定する人々は、現在に至るまで、そんなことはウソだと言いはることができた。ナチ犯罪はあまりにも特異で、容易には理解しがたいものであるからこそ、これを否定しようとする、よどんだうねりは絶えることがなかった。
 それでも、ウソはウソなのです。日本軍が南京で大虐殺をしたことが事実であるのに、あたかもウソであるかのようにいいつのる日本人が絶えないのが悲しい日本の現実です。 1944年7月のヒトラー暗殺計画に直接加担したのは200人近い。21人の将軍、33人の将校、2人の大使、7人の外交官が含まれていた。処刑されたのは年内に5764人、年が明けてさらに5684人だった。ヒトラー最大の危機だったのですね。
 ヒトラーは、人種的観点からはむしろ問題の多い日本人との同盟を拒否はしなかったが、日本との対決を遠い将来に覚悟していた。ヒトラーは、日本が話題になるたびに、いわゆる黄色人種と手を握ったことを残念がる口ぶりを示した。
 ヒトラーは黄色人種、つまり日本人も蔑視していました。ヒトラーの言葉が紹介されています。
 白色人種の国々が結束していれば、極東を手に入れて、日本がこれほどのさばることもなかったはずだ。
 ヒトラーと妻エヴァの遺体は、埋葬場所を転々と変え、1970年4月、ソ連のアンドロポフKGB議長が最終処分を指示した。遺体は火葬され、灰はエルベ川支流に捨てられた。
 ヒトラーについて、その全体像を知る手がかりを与えてくれる本です。
 昨日は絶好の春うららかな日和でした。車で山間部の支部まで出かけました。桜の花がハラハラと散っています。ナシの白い花が満開です。民家の庭先に咲くハナズオウの赤紫色の花があでやかに輝いていました。レンゲ畑となっていた田んぼにトラクターが入って、すきおこしをしています。
 わが家のチューリップは今400本咲いています。いまが真っ盛りで、写真でお見せできないのが残念です。
(2008年1月刊。1300円+税)

仲間を信じて

カテゴリー:社会

著者:小林明吉、出版社:つむぎ出版
 面白くて、とても勉強になる本です。読んでいるうちに、思わず背筋を伸ばして襟を正し、粛然とさせられます。でも、決してお固い本ではありません。
 大阪そして奈良で労働運動一筋に生きてきた著者を弁護士たちが何十回もインタビューし、苦労して一つの物語にまとめた本です。ですから、まるで落語の原作本を読んでいる軽快さもあります。
 著者は今年、満77歳の喜寿を迎え、今なお労働分野の第一線で活動しています。同じ年に生まれた、私の敬愛する大阪の石川元也弁護士から贈呈された本です。一気に読みあげてしまいました。
 労働組合運動の活性化を志すすべての人に、そして労働事件に関わる多くの弁護士に読んでほしいという石川弁護士の求めにこたえて、私はとりあえず5冊を注文しました。本が届いたら、身近な弁護士と労働運動の第一線でがんばっている人に届けて読んでもらうつもりです。
 著者は初め、大阪でタクシーの運転手として働きました。当時、ゲンコツというシステムがあったとのこと。水揚げの一部を会社に納めず、自分のものにしていたのです。
 制服の右ポケットは会社への納金用、左ポケットはゲンコツ用。会社に納金するよりもゲンコツの方が倍くらい多いこともあった。雨が降ったり、風が吹いたりすると、もっと多かった。いやあ、ひどい話ですね。まるで信じられない牧歌的な時代があったのですね。
 タクシーの世界は奥が深い。客と知りあって出世した人も多い。信用が大切で、ついに証券屋になった運転手もいる。当時のタクシー運転手は、よく稼げた。しかも、それも調子のいいときだけ。事故にあったりしたら、もうどうしようもない。そこで労働組合をつくらなアカンという話になった。20代の著者もその中心人物の一人になった。
 組合を結成した。1960年ころは、1年半のうちに22回も、全国統一行動に参加していた。苦しくてヒマだったから。毎日が退屈で仕方なかった。だから、今日は統一行動だというと、みんな目が輝いた。デモ行進で、往復8キロ歩いても平気だった。
 著者は1967年3月、警察に逮捕されます。ちょうど、私が大学に入る年のことです。会社の労務係をケガさせたというのです。石川弁護士らの奮闘で一審は完全無罪となります。この裁判闘争のとき、裁判所前に長さ25メートルもの横断幕をかかげたというのです。無罪判決を求める運動のすごさですね。6年間の裁判闘争でした。今も福岡地裁の前に横断幕をときどき見かけますが、そんなに大きいのは見たことがありません。
 著者は全自交大阪地連組織争議対策部長として、丸善タクシー事件に関わります。社長が夜逃げしたため、残された従業員が自主管理したのです。そのとき社会保険について、労働者負担分はちゃんと納付したものの、企業負担分は、保留しておいたのです。それが、なんと数千万円にもたまり、結局、争議の解決金として組合側がもらえたというのです。すごい発想です。
 オリオンタクシー事件のときは、会社が倒産したと聞いたニッサンはまだ従業員がつかっているのに、車を差押さえて執行のシールを車に貼っていった。トヨタはそんなことはしない。執行官から、車に貼ったシールをはがすと犯罪になると警告された。さあ、どうするか。運転手たちは車を一生懸命に洗ってピカピカにみがいたのです。ホースで水をかけてモップで洗っているうちに、なぜかシールは自然にはがれていく・・・。うむむ、おぬし、やるな、という感じです。
 著者は、大阪から奈良へ活動の舞台を移します。奈良のタクシー会社に労働組合をつくるために大阪から派遣されたのです。大阪の組合がずっと著者の給料を出したというのですから、えらいものです。いま、東京でフリーターの若者を労働組合に加入してもらおうという動きがあります(首都圏青年ユニオン)。それに弁護士もカンパしていますが、同じような発想です。
 労働基準法違反のひどい会社に対して正当な要求をつきつけたところ、会社は労基法は守る。その代わりに残業は一切させないと対応してきました。残業できなかったら、労働者にとって一大事です。でも、これくらいでヘコむようでは組合活動なんてできない。労基署に要請行動すると、署長は「組合に要求を突きつけられて残業させないのは違法だ」と明快な回答。そして、会社に対して是正指導した。ひゃあ、これってすごいことです。当時はホネのある労基署幹部がいたのですね。
 納金ストをしたという話が出てきます。初めて聞く言葉です。つまり、会社に納金せず、組合が料金を保管するのです。下手すると業務上横領という刑事事件になりかねない行為です。だから、組合はきっちり現金を管理しなければいけない。売上は組合の名前で銀行に預け、売上日計表をつくって会社に通知しておく。な、なーるほど、ですね・・・。
 労働組合の団結にも、強・弱と、上・中・下がある。 組合ができるときは、緊張と興奮が続き、感情が高ぶり、感情的団結がうまれる。社長はけしからん。賃金が低い。労働時間が長い。このような興奮状態から生まれる団結水準。しかし、いつまでも感情的であってはいけない。組合も時間の経過にともなって成長していく。勉強を積み上げてだんだんに意識が向上していく。つまり、努力次第で、意識的団結へと成長する。ところが、意識的団結に高まっても、何かの事情で勉強回数を減らしたり、止めたり、リードする幹部がいなくなると、その団結が揺らぎ出す。
 したがって、労働組合が目ざすべき団結は、思想的団結である。幹部は目的意識的に一般組合員との人間関係を大切にしなければならない。そして、幹部は人間としても信頼されなければならない。礼儀・恩義に無頓着、金銭にルーズ、サラ金の常連というのでは困る。労働態度(働き方)も大切。職場の模範である必要がある。
 孫子の兵法に学べ。著者はこのように言います。有利、有理、有節。有利とは、その要求と闘いに利益があるかどうか。有理とは、理屈と根拠が正当か。有節とは、要求が正当でも、社会的に支持されるものかどうか。
 私が弁護士になって2年目のときでした。日本のほとんどの交通機関で1週間ストライキが続きました。スト権ストです。当時、横浜方面に住んでいた私は、いつもより何時間もかけて苦労して出社しました。それ以来、日本ではストライキが死語同然になってしまいました。最近やっとマックの店長は労働者かということで労働基準法が脚光をあびるようになりましたが、まだ労組法は死んだも同然です。やはり日本でも労働者が大切にされる国づくりを目ざすべきだとつくづく思います。
 石川先生、すばらしい本をご紹介いただいてありがとうございました。元気をもらいました。
(2008年3月刊。1600円+税)

物語が生きる力を育てる

カテゴリー:社会

著者:脇 明子、出版社:岩波書店
 私と同世代の女性の書いた本ですが、すごいなあ、なるほどそうだなあと、同感の思いを抱きつつ読みすすめていきました。
 子どもがちゃんと育つために必要なのは、一にも二にも実体験だ。言葉という道具を身につけて、それでコミュニケーションを行うというものではない。まわりの人たちを相手に、音声や表情や動作のキャッチボールをたっぷり行うことこそが、生きるために不可欠な対人関係を育て、言葉をつかう力を育てる。
 赤ちゃんに必要なのは、全身をつかって可能な限り世界を探索し、それを通じて五感を発達させ、運動能力を高めていくこと。
 幼児には、喜んで耳を傾けてくれる人、この人に伝えたいと思える人が近くにいることが必要だ。子どもの発達にとって不可欠な二つのこと、すなわち身体をつかって世界を探索することと、まわりの人たちとコミュニケーションをとることは、密接にかかわりあっており、その両方が保証されてはじめて人間的知性が身についてくる。
 問題は、これほどまでに大切な実体験が、いま子どもたちから奪い去られつつあること。その元凶は、何よりもまず、近年大発展をとげた電子メディアにある。テレビ、ビデオ、DVD、ゲーム、インターネット、ケータイが子どもの成長発達を脅かしている。
 ところで、子どもの成長には、実体験が何より大切だが、物語による仮想体験にも、場合によっては、実体験では不足するものを補う大きな力がある。
 人間には、「物語」をもっているというユニークさがある。五感で世界をとらえただけでは、物語は生まれてこない。物語が生まれるのは、語感でとらえた事実と事実とのあいだに、目で見ることも耳で聞くこともできないつながりが感じられたとき。そのつながりは、語感でとらえた世界に実在するわけではなく、いわば人間の脳のなかにだけある。
 ヨーロッパの昔話の主人公は一般に若く、日本では、じいさんばあさんの話が主流だ。
 日本の昔話に目立つのは、花咲かじい、こぶ取りじいのように、2人のじいさんを対比させる。ヨーロッパでは、3人姉妹や3人兄弟だらけ。まず長男が失敗し、次男も失敗し、最後に末っ子が成功する。ところが、日本の昔話では、まず最初のじいさんが幸運に恵まれ、それをまねた2人目のじいさんが失敗して終わる。序列がまるで逆だ。
 うへえ、そんな違いがあるのですか・・・。
 子どもは残酷性に強い。幼児期の子どもは、まずは動物として生きる力を身につけようとしていると考えられる。私たちは、人間として育つと同時に、動物としてもしっかり育たねばならず、動物の部分を切り捨てようとすると、基礎工事を手抜きした建物のように不安定になる恐れがある。
 赤ちゃんとテレビのあいだには親密な交流は生じない。人間なら、赤ちゃんが笑えば自分もうれしくなって笑顔を返し、声をかけたり身体をゆすったりして、うれしさをさらに増やそうとする。そうされると赤ちゃんは、自分の感情を肯定されていると感じ、養育者との情緒的なつながりを強めると同時に、自信をもって感情を動かせるようになっていく。
 ところが、テレビが相手だと、赤ちゃんの感情に同調してくれないし、身体的な働きかけもしてくれない。それでは、赤ちゃんはあやふやな感情しかもてないし、他者の感情を推しはかる力をうまく身につかない。
 不快感情の体験にかぎっては、物語で味わうほうがいい部分もある。子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら、多様な体験ができるから。
 筋だけを追う読書では、情景や心情を想像してみるヒマなどないから、想像力が育たない。思考力も記憶力も育たない。想像力を働かさなければ、感情体験や五感体験はできない。ましてや、心の居場所など、見つかるはずもない。
 これは速読術への批判です。私も本を読むのは早いわけですが、なるべく、情感を味わうようにはしています。それで、どれだけ思考力が身についたのかと問われると心もとないのですが・・・。
 早くも、1本だけですが、ジャーマンアイリスが咲きました。ビロードのようなフサフサをつけた、気品のあるライトブルーの花です。ジャーマンアイリスを植えかえようかと思っていたのですが、しないうちにぐんぐん葉が伸びて、ついに花が咲いてしまったので、なりゆきにまかせることにしました。あちこちに株分けしていますので、それらに再会するのも楽しみです。福岡の弁護士会館の裏口あたりにもあります。
 チューリップは7〜8割方は咲きました。毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。チューリップの赤や黄色そしてピンクなど、色とりどり、また形もさまざまの花を眺めていると心がすーっと軽くなります。
(2008年1月刊。1600円+税)

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