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デキのいい犬、わるい犬、

カテゴリー:生物

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 名犬ラッシーのテレビ映画は、私も子どものころ、よく観ました。そのラッシーは、7代にわたって雄のコリーだった。雌のふりをさせられていただけだった。雄のほうが雌より体格も大きく臆病なところがないためだった。観客は、みな見事にだまされた。
 ラジオドラマがつくられたとき、吠えたのは本物の犬だったが、クンクン啼いたり、ハアハアいったり、威嚇するようにうなる声は、すべて人間の役者が受けもった。まあ、なんと犬の声優がいたというわけなんですね。
 もっとも古い家犬の確実な証拠として残っている化石は、1万4000年前のもの。旧石器時代人が連れていた。イヌ科動物の多くが、排泄のあと、近くの地面をひっかく。これは足の裏から分泌される汗に似た分泌物が、情報量は少なくても多様な情報を提供するためのもの。
 家犬は子犬的特徴をもっている。そして従順である。一生、子犬のように垂れ耳のままの犬も多い。
 犬には、自分の能力の可能性と限界を知るという自己認識能力がある。対自的能力ともいう。高すぎる壁、広すぎる溝を前にして跳躍をためらい、拒否する犬は、この種の知能を示している。
 犬は65種類の言葉と25種類の合図・身ぶりを理解する。つまり、受容できる言語は90種類である。犬の発信する言語は25種類の声と35種類の身体の表情がある。ただし、構文や文法はつかえない。
 服従に最適な犬は、頭の鈍いゴールデン・レトリバー。ゴールデンは、人間から受けた指令を理解し、人間を喜ばせたい一心でそれをこなす。飽きっぽくなく、すぐに気を散らすこともない。目の前のことを詮索しようとせず、反応の仕方を変えることもなく、人間が最初に教えたとおりを正確に実行しようとする。
 テリアが服従訓練に良い成績をあげられないのは、テリアが唯我独尊に改良されてきたため。自分たちの行動を人間がどう思うか気にもとめない。だから、服従訓練競技の会場では活躍できない。しかし、テリアはとても利口である。なるほど、なるほど。人間の言いなりになるかどうかと、犬の知能は別の次元なんですね。
 子犬は生後7週間ぐらいは、一腹子の兄弟たちと一緒にいたほうがいい。この期間に、犬らしさが育成され、犬同士を仲間と認め、ほかの犬との関わりに必要な基本行動が学びとる。次の5週間のあいだに人間と十分なふれあいをもてば、犬は人間を群れのメンバーとして受け入れる。こうして、犬は人間と円滑な相互関係をもつことができる。
 必要なことは、折りにふれて犬を1、2分間ほど拘束すること。犬に優しく話しかけながら、その口吻を数秒のあいだ手で閉じさせる。そして犬を倒して横にさせ、まる1分間は、そのままの姿勢をとらせる。そのあいだ、犬が四肢を上げないときには、脚を床から離させ、より服従的な姿勢をとらせるか、犬を仰向けにして四肢が上を向くようにさせる。この間、犬の目をまっすぐに見すえる。犬が顔をそむけたら練習を終わりにして、犬が尻尾をふり始めるまで軽く遊んでやる。
 遊びの最中に注意しなくてはいけないのは、犬が攻撃の真似をしたり牙を立てようとしたら、絶対にやめさせることである。咬みつくのを挑発するように、犬の顔の前で指をひらひらさせたりしてはいけない。綱引きもしないほうがいい。この遊びは犬の支配性を助長し、性格上、良くない影響を与えてしまう。
 犬は年をとってからでも学習できる。これって、人間と同じですよね。
 タイトルの軽さに反して、この本に書かれていることはすごく真面目なことですし、大いに勉強になります。私も子どもたちと一緒に犬を飼っていましたが、この本を読むと反省させられることばかりです。でも、旅行に行きたいので、もう犬を飼うことはあきらめています。
(2000年9月刊。657円+税)

公事宿の研究

カテゴリー:司法

著者:瀧川政次郎、出版社:早稲田大学比較法研究所
 1959年に出版された本です。古本屋で入手しました。江戸時代の公事宿について研究した古典的な本です。本好きの私は、古書目録もみていますし、東京・神田の古本屋街もたまに歩いています。本が手に入らないときには、インターネットで古本として注文して入手することも多くなりました。
 江戸時代の公事宿は、公事訴訟人の依頼に応じて、訴状その他の訴訟に必要な書類を代書し、目安裏判のもらい受け、裏判消し等の訴訟手続を代行するのみならず、奉行所の命を受けて訴状の送達を行い、宿預けとなった訴訟当事者および訴訟関係人の身柄を預かるなど、公務の一端を負担していた。公事宿の制度は、江戸時代の司法制度の一翼をなしていたのである。
 公事宿には、訴訟に必要な諸書類の雛形が備え付けられてあり、公事宿の下代(げだい)などは、それによって書類を勘造していた。
 江戸時代、訴訟というのは、まだ相手方の立ち向かわない訴えであり、公事というのは対決する相手のいる訴訟事件である。訴訟には、また訴願の意もあった。
 江戸時代の訴訟は、これを出入物(でいりもの)と吟味物(ぎんみもの)との2つに大別することができる。出入物というのは、訴訟人(原告)が目安(訴状)をもって相手方(被告)を訴え、奉行(裁判官)がこれに裏書(裏判ともいう)を記載して相手方を白洲(法廷)に召喚し、返答書(答弁書)を提出せしめて対決(口頭弁論)、糺(ただし。審理)を行い、そのあと裁許(判決)を与える手続による訴訟のこと。
 吟味物というのは、捕方(警吏)の手で召捕(逮捕)り、あるいは奉行所の差紙(召喚状)をもって人を召喚して吟味(審問)する手続による訴訟。
 つまり、出入物は前代における雑訴であって、およそ今日の民事訴訟であり、吟味物は前代の検断沙汰であって、およそ今日の刑事訴訟事件である。
 吟味物は、国の治安に関するものなので、代人はまったく許されない。したがって、日本には江戸時代まで弁護人は存在しませんでした。ところが、出入物には、代人も許され、その資格は問われませんでした。
 公事宿は出入宿(でいりやど)とも呼ばれた。公事宿の主人・下代は吟味物には手を出しませんでした。公事宿の主人・下代は、江戸中期以降は、江戸幕府に公認された公事師である。公事宿は、公事宿仲ヶ間を組織し、その営業権を守るとともに、幕府の御用をつとめた。
 明治5年、代言人制度が制定されたとき、公事宿の主人・下代はおおむね代言人となった。江戸時代の庶民は、決して裁判所や訴訟を忌み嫌ってはいなかった。それどころか、裁判所を人民の最後の拠り所と信頼して、ことあればこれを裁判所に訴え出て、その裁決を仰いだ。裁判所(奉行所)といっても、行政と司法は一体であった。
 奉行所・評定所の開廷日には、訴訟公事は大変繁忙しており、想像を上まわる。腰かけるところがなく、外にもたくさんの人がつめかけた。早朝から300人もの人が殺到している。このように描かれているのです。
 まことに、実のところ、日本人ほど、昔から裁判(訴訟沙汰)が好きな民衆はいないのです。例の憲法17条の「和をもって貴しとなす」というのも、それほど裁判に訴える人が当時いたので、ほどほどにしなさいと聖徳太子が説教したというのが学説です。
 この本には、公事宿に関する古川柳がいくつも紹介されています。それほど江戸時代の庶民にとって公事宿と裁判は身近なものであったわけです。
 諸国から草鞋(わらじ)踏み込む 馬喰町
 馬喰町 人の喧嘩で蔵を建て
 馬喰町 諸国の理非の寄る所
 鷺と烏と泊まっている 馬喰町
 これらは公事宿の多い馬喰町についての古川柳です。
 ところが、公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内にあったそうです。
 江戸の公事宿は200軒ほどあった。1軒の公事宿が2人の下代を置いていたとすれば、江戸で訴訟の世話をして生活している人が500人ほどであったということになる。
 江戸の公事宿は本来が旅館業者であり、大坂の公事宿は本来が金貸し(高利貸)である。
 江戸時代の裁判所の事物管轄は複雑だったので、どこに訴えたらよいのか、簡単には分からない。そこで、公事師が必要となった。
 幕府当局は、人民が訴訟手続に通暁して「公事馴」するのは健訴の風を助長するものとして、法律知識の普及を欲しなかった。だから、一般庶民は、法律を知っていても、奉行所に出頭したとき、法律のことはまったく知らないという顔をしているように装うようにしていた。
 実のところ、かなり詳しく法律のことを知っていたことが、この本によってよく分かります。日本人は昔から、それほどバカではなかったのですよね。
(1959年12月刊。300円)

戦争熱中症候群

カテゴリー:アメリカ

著者:薄井雅子、出版社:新日本出版社
 アメリカの元海兵隊少将が次のように言った言葉は有名です。この言葉は何回引用しても、そのとおりだと、ついつい首が上下に動いてしまいます。
 戦争は、やくざな金もうけだ。いつもそうだった。たぶん、これはもっとも古くからあり、苦もなく最大の利益を得る、もっともあこぎな商売であるのは確かだ。世界をまたにかけて稼ぎ、利益はドルで勘定するが、損失は生命で勘定する。自分は33年間、海兵隊で過ごした。その間、大企業やウォール・ストリート、銀行家のための高級な殺し屋として。資本主義のために働くヤクザだった。
 スメドラー・バトラーという元少将が1933年、1935年に語った言葉です。
 イラク、アフガニスタンに派兵された15万5000人の女性兵士のうち、1割をこす1万6000人がシングル・マザーである。兵士になるしか収入がないというシングル・マザーは多い。
 軍隊に入ると、初任給の月給は1250ドル(14万円)。つまらない田舎から出て独立し、違う世界を見たいという若者にとって魅力このうえない条件だ。
 CNNテレビの社長は、戦争報道ではバランスをとれ、アフガニスタン民衆の被害にばかり焦点をあてるのではなく、なぜアメリカが攻撃しているのか、その理由を視聴者に思い起こさせるようにと社内に指示した。この「バランス報道」の結果、アメリカの攻撃にさらされた現地の人々の被害はアメリカではほとんど放映されない。少しでも被害の生々しさが伝わると、怒りの電話やメールが殺到する。兵士を出している家族からすると、命がけで戦っている夫や父を悪者にするのか、という怒りがわくからだ。
 大規模な反戦運動のニュースが一面トップに来ることもない。
 これって、日本でも同じことですよね。被害の実情はおろか、サマワ(イラク)の自衛隊基地の実情すらほとんと紹介されることがありませんでした。政府が報道を禁止したからです。日本のマスコミは政府の言いなりでした。日本人のまじめな若者が人質になったときには「自己責任」を大々的に喧伝するばかりで、本当にガッカリさせられました。
 そして、日本のささやかな反戦集会やデモ行進が記事になることはめったにありません。無力感をマスコミが植えつけ、広めています。
 先日、福岡県弁護士会が福岡市内でペシャワール会現地代表の中村哲医師を招いて講演会を開いても、テレビ局はどこも取材に来ませんでした。テレビは、ひたすら、面白おかしくという路線をとり、シリアス番組はどんどん少なくなっています。
 イラクでアメリカの民間軍事会社の一つであるブラックウォーター会社がイラク人を殺しても訴追されないことになっている。ひえーっ、これって重大な主権侵害ですよね。
 アメリカの連邦予算の半分を軍事費が占めている。アメリカには軍事にお金をつぎこみ、巨大な軍隊組織と軍需産業をつくれば、豊かな経済を維持できるという神話がある。
 軍事中心の政治・経済が長く続いてきた結果、アメリカ国内の産業は直接・間接に軍需産業への依存を強めている。ミネソタ州にあるアライント・テクニステムズは、劣化ウラン弾やクラスター爆弾を清算しているが、従業員が全米に1万6000人いる。その反対に自動車をつくるフォードの工場はかつて1万人いた労働者が今や数千人に減り、やがて閉鎖されることが決まっている。
 アメリカの帰還兵が2005年に6256人も自殺した。20〜24歳の帰還兵の自殺率は、同年代のそれの4倍。
 2005年、ホームレスの退役軍人が20万人近くいる。推定74万人をこえるホームレス人口の4分の1を占めている。
 イラク開戦以来のアメリカ兵の死者は4000人をこえました。もちろん、イラク人の死者は、ケタが2つも違います。それでも、これはアメリカ社会に大きなマイナスをもたらすに違いありません。戦場の狂気を社会にもちこむことになるからです。アメリカって、本当に厭な国です。そんなアメリカにいつもいつも犬のように尻尾をふり続けている日本って、ホント馬鹿みたいな国ですね。
(2008年3月刊。1600円+税)

江戸の高利貸

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:北原 進、出版社:吉川弘文館
 1985年に『江戸の札差』として出版されたものが復刊されたものです。したがって、江戸時代の札差の実態が主要なテーマです。
 札差というのは、旗本に代わって、切米手形(札)を差し、俸禄米を受領して、ついでに米問屋に売却するまでの面倒な手間一切を請け負った商人のこと。その前身は蔵前の米問屋であった者が多く、米問屋との関係は深い。
 札差は蔵米支給日が近づくと、得意先の旗本・御家人の屋敷をまわって、それぞれの手形を預かっておき、御蔵から米が渡されると、当日の米相場で現金化し、手数料を差し引いて、現金を各屋敷に届けてやる。札差が旗本に蔵米を担保として金融するときの利子率は年利25%とか20%であった。
 大岡越前守忠相によって、109人の札差仲間が公許された。8代将軍徳川吉宗の享保改革が進行中のときである。このとき利率は15%から18%となった。しかし、この公定された利子率と蔵米受領・販売の手数料のほかに、札差がもうけの大きな拠りどころとしたものがあった。
 奥印金(おくいんきん)。これは、架空の名前の金主をつくり、自分が金元の仲立ちをしてやり、保証印まで押してやったことを恩に着せて、札金をとる。これは、通常、貸金額の1割だった。そして、証文を書き替えるときに、1ヶ月ぶんの利子を2重に取るのである。これを月踊りという。
 札差が直に蔵米を受取ることを直差(じきさし)とか直取(じきとり)という。
 そこに、わずかな手数料をとって直取の世話をする浪人者などが寄生した。直差の世話人には、多くの浪人ややくざのような不良が、小遣稼ぎにおこなっていたらしい。
 旗本は、腕の立つ浪人とかやくざ者を、一時的に家来として雇い、これを札差の家にさし向けて強引に金を借り出そうとする。この札差ゆすり専門家を、蔵宿師(くらやどし)または単に宿師と称した。
 札差は、腕っぷしの強い、いさみ肌の若者をやとって蔵宿師に対抗させる。これを対談方(たいだんかた)という。対談方の年間給与は、支配人の一段下か同じ程度に遇されていた。対談方は、弁舌さわやかに相手を丸めこみ、かんじんなときには商人らしい物腰など二の次にして、大立ち廻りを演じなければならなかった。つまり、旗本や御家人は蔵宿師を使って無理談判を試み、札差は対談方にその対応をさせたというわけです。
 札差の繁栄は宝暦から天明(1751〜88年)に頂点に達し、派手な消費生活を旗本や御家人に誇示した。すると、幕府は札差株仲間に対する取り締まりを強化した。
 当時、江戸には18人の代表的な通人といわれる者がいた。称して、「十八大通(だいつう)」という。そのほとんどを浅草蔵前の札差が占めていた。
 将軍徳川家治の治下、宝暦10年(1760年)から天明6年(1786年)までの26年間に、不良旗本と御家人の処罰が76件あった。1年に平均して3件である。たとえば、自分の居宅でいつも博奕(ばくち)をしていた者もいた。
 天明6年に大凶作となり、江戸で打ちこわしが始まった。それに参加した困窮民は24組5000人もいたが、非常に規律があり、火の元に用心し、目的の家のみを打ちこわして隣家に及ばぬようにし、米や雑穀を引きちらかしても、誰一人盗もうとしなかった。「誠に丁寧、礼儀正しく狼藉」したという記録が残っている。
 金銀貸借の相対済し令(あいたいすましれい)とは、返済が滞っている借金について、貸借の当事者が話し合いで返済法などを決めるのを原則とし、たとえ紛争が起きても、訴訟を受けつけないとするもの。武士を相手とする町人の経験的事実は、相対済しが債権者の立場を不利にしたことは間違いない。
 松平定信の寛政の改革のとき棄捐令(きえんれい)が出された。これは、6年前までの貸付金は新古の区別なく、すべて帳消しとする。5年以内の分は、利子をそれまでの3分の1に下げて永年賦とするというもの。まさに借金の棒引きである。
 この棄捐令は札差に大打撃を与えた。その結果、旗本・御家人に対する締め貸しとなって返ってくる。要するに、旗本・御家人は札差から借金できないわけである。
 ところが、札差は、これによって息の根をとめられたわけではなく、幕末・明治維新期まで、旗本・御家人の俸禄制度が存続しているあいだは、しぶとく生き続けた。
 水野忠邦の天保改革のとき、札差は半数以上が閉店した。旗本・御家人は金策の相手を半分以上も失ってしまったわけである。困ったのは、札差からの借金なしには一日も暮らしていけない旗本・御家人たちであった。幕府はあわてて札差に2万両の資金貸下げをしたが、札差は容易に乗らなかった。
 武士に対する金貸し(札差)の実情を知ることができました。江戸時代にも激しい借金取りがあっていたようです。なんだか、現代日本と似ているなあと、つい思ってしまいました。
(2008年3月刊。1700円+税)

美食のテロノロジー

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:辻 芳樹、出版社:文藝春秋
 いやあ、実に美味しい本です。本ごと食べてしまいそうになります。美食の極みですね。ぜひ一度は味わってみたいと思います。でも、たとえばオーストラリアのシドニーにある「テツヤ」という店は、世界でもっとも予約のとれないレストランだというのですから、この本の写真を見てよだれをたらすだけで我慢することにしましょう。
 「テツヤ」は4人の専任スタッフが常駐して予約を受けつけているのに、いつも6ヶ月先まで120席が予約で埋まっている。キャンセル待ちのウェイティングリストにも常時100人いる。うへーっ、恐れいりました。でも、行ってみたいですよ。
 オーナーシェフの和久田哲也は、フランスの雑誌の選んだ世界の三大シェフの一人である。あとの2人は、アラン・デュカスとフェラン・アドリア。アラン・デュカスは私も名前だけは知っています。
 ところが、この和久田哲也は、初めから料理の道を志していたわけではなかった。ワーキング・ホリデーを利用して、22歳のときにシドニーへ渡った。そして、皿洗いから、魚をおろす仕事に移り、工夫しているのが認められて、やがてシェフのアシスタントをしているうちに、料理の基本を叩きこまれた。
 娘の結婚式のレセプション用に200人分の寿司を握ってほしいとシェフに頼まれ、お寿司の雰囲気を感じとれる「かわりずし」を発案した。シャリは型で抜いて、その上に、たたきにした仔牛や、タルタル風にしたマグロをのせる。表面が乾かず、旨みをのせるためオリーブオイルとマヨネーズをつかった。そして、2日間、寝ないで、1人で500個の「寿司」をつくった。仕上がりが美しく、美味しいと大評判をとった。す、すごーい。すごいです。そして、いかにもおいしそうじゃあ、ありませんか。食べてみたいです。私がシカゴの大ローファームに行ったときに出された、とびきり美味しい寿司を思い出してしまいました。アボガド巻きのごまかしばかりではありませんでした。もう20年ほども前のことです。
 試作して納得した料理しかメニューにのせたくなかったので、毎日、試作に明け暮れた。
 店では、一晩に2500皿をつくり、並行して、その場で客の注文を受けての料理も出す。試作品は、まず哲也が1人でつくる。それを2人のシェフに試作させる。次に、シェフがスーシェフに教える。そのスーシェフがつくったものを哲也が食べる。こうやって第三者的な目で見る。
 哲也は、必ず味見をするようにシェフたちに求める。何百回つくっていようと、味見は大事である。味見をしない人間は、料理を単なる作業としか考えていない。パッションのない人間は味見をしない。ふむふむ、なるほど、そういうことなのですね。納得です。
 ミェル・ブラスは料理人にとって必要な資質について、次のように語った。
 繊細な感性が大事だ。料理は写真であるし、建築であるし、科学であるし、感動であるし、幸福である。豊かな感性であればあるほど、その表現は豊かになる。
 2007年。フランス人の料理人の所得番付によると、アラン・デュカスが飛びっきりの1位。2位は、ジョエル・ロブション。その差は大きい。
 アラン・デュカスは33歳で3つ星を獲得した。それ以降、18年間に、3つ星レストラン3ヶ所、1つ星レストラン3ヶ所の合計の星を獲得して、世界中をあっと驚かせた。
 いやあ、一度は行ってみたいですね、こんな美食の店に。写真を眺めているだけでよだれが口中にあふれてきます。美味しい料理を、いかにも美味しそうに撮る写真にもしびれます。
(2008年1月刊。1905円+税)

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