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甲骨文字に歴史を読む

カテゴリー:中国

著者:落合 淳思、 発行:ちくま新書
 中国の殷(いん)王朝は、今から3000年以上も前に存在した実在の王朝である。文字史料である甲骨文字によって、殷王朝の社会、税や戦争などを知ることが出来る。甲骨文字は、形こそ大きく違うが、現在の漢字と同じ構造をしている。甲骨文字は、亀甲や牛骨に記されている。
 当時の中国には、黄河中流域にも象が生息していた。占いだけでなく、殷墟遺跡から象の骨も発見されている。
 甲骨文字でつかわれた数字は十進法であり、桁(けた)の概念も存在している。
 殷代には、工業や土木建築の技術が進んでおり、数千人の人員を動員することがあるため、数字を使う機会も多かった。
甲骨文字には時刻の表記も見られる。ただし、時刻というより、時間帯といった方がいいだろう。殷代には季節は春と秋のみ。1年はあったが、季節が循環するものとみていた。ただし、暦は正確なものがあった。
 中国の殷代に、奴隷は社会階層をなすほど存在しておらず、戦争捕虜しかいなかった。
 殷代の王は、祭祀権、軍事権、徴税権、徴発権を持っていた。
 巨大な城壁の建築は、一般の農民を徴発して行った公共事業によって作られた。
 殷の最後の紂王は、暴君の代表とされていて、酒池肉林で有名だ。しかし、甲骨文字によって殷の歴史を見ても、紂王が暴君であったという証拠は見つからない。
 殷が滅びた原因は、実際には酒ではないのだが、そのあとの周王朝は酒によるものと主張した。事実よりも、戦勝国である周王朝の宣伝が「歴史」として定着したのだ。それに何百年もかかって尾ひれがついて、最終的に「酒池肉林」という伝説が形成された。
 ふむふむ、そういうことだったのですか。なるほど、なるほど、これって、よくあることですよね。それにしても3000年も前の甲骨文字をスラスラと解読し、それを歴史の事実に当てはめていくという作業は大変なことだろうと思います。学者って、すごいですよね。いつものことながら、感心してしまいます。
(2008年7月刊。720円+税)

先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!

カテゴリー:生物

著者:小林 明道、 発行:築地書館
『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます』に次ぐ第二弾です。面白いです。
自然に恵まれた鳥取環境大学とその周辺で起こる、動物や学生を巻き込んだ事件がいくつも紹介され、なるほど、人間動物行動学というのはこういうものをいうのかと、悟らされます。
タヌキは哺乳類の中では大変珍しい「一夫一妻制」の動物である。父親が母親と同じくらい子どもに密着して世話をするのも珍しい。出産直後から、父タヌキは母タヌキと交代で生まれた赤ん坊を抱いて体で温める。うひょお、こんなことって、ちっとも知りませんでした。我が家のすぐ近くにある草ぼうぼうの荒れ地にタヌキ一家が昔から住んでいるのは間違いないようですが、まだお目にかかったことはありません。
シマリスがヘビに出会うと、自分の方からヘビに近づいていき、毛を立てて膨張した尾を大きく揺らしたり、人が地団駄を踏むように足で地面を踏み鳴らしたり、ときどきヘビの方を向いてピチッと鳴いたりする。うむむ、怖がって逃げ出すばかりではないようです。
ヘビを麻酔注射して動かないようにしておくと、シマリスはヘビの頭をかじり始めた。そして、かじりとった皮膚の一片を口のなかでかみほぐしたあと、自分の体に塗りつけはじめた。別の機会にはシマリスがヘビの尿(ヘビの尿は練り歯磨きのような白い半固体状になっている)をかじって、身にぬりつけていた。シマリスは自分の体にヘビのニオイをつけることによって、ヘビの補食から逃れやすくなるのだ。な、なーるほどです。そういうことなんですか・・・。
身近な動物たちの意外な生態が解明されていくのを知るのは楽しいものです。いやあ、世の中って、知らないことばかりですよね。
(2008年10月刊。1600円+税)

弁護士が書いた究極の読書術

カテゴリー:社会

著者:木山 泰嗣、 発行:法学書院
 かつて本を読まなかった著者は、今では年間400冊の単行本を読んでいるそうです。子どもの頃から本が好きで、小学校以来、図書館に入り浸っていた私は、今では年間
500冊は読みます。最高記録は700冊をこえます。弁護士会の役員として全国を飛びまわっていたときのことです。私にとって移動時間は、すべて読書タイムです。片時も本を離しません。車中は睡眠時間、という人が世の中には多いと思いますが、私は車中は胸をワクワクさせながら本を読みふける楽しいひとときです。そのためには、夜、布団のなかできちんと寝ておくことが絶対に不可欠です。寝不足のまま電車や飛行機に乗ったら、本は絶対に読めません。読んでも、速読はできません。速読するには、精神の集中力が必要なのです。
 本を楽しく読むためには、義務感、速度、効率というものを全部、忘れてしまう。そんなものを意識する必要はない。そうなんです。私も、楽しいから本を読むのです。その世界に浸りきります。
 本には「無限の宝」が眠っている。読む人の意識と好奇心によって、得られるものに雲泥の差が出る。ホンモノの本に出会うと、エネルギーを感じる。しかし、そのエネルギーを感じるためには素直な心が必要である。ふむふむ、そうです、そうなんです。
 過去は過去でしかない。毎日懐かしむものではない。けれど、生まれた瞬間から亡くなるまで、常に変化を続けるのが人間だ。ふっとした瞬間にノスタルジーを感じておくことも大切だと思う。心の奥底で眠っている懐かしい思い出や気持ちを大切にすること。本にはノスタルジーという宝も眠っている。いやあ、そうですよね。
 同時並行で大量に読むことは、好奇心にガソリンを注ぎ続ける行為だ。
 私はいつもカバンのなかにハードカバーを2冊、新書版を2冊は入れて持ち歩いています。片道1時間の車中で1冊読むというペースです。これが何よりのストレス解消法です。
 ちなみに、昨年読んだ本は509冊でした。読書ノートに一口コメントをつけて記録しています。読書ノートは大学生のころからつけています。
(2008年12月刊。1600円+税)

最高処刑責任者

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョセフ・フィンダー、 発行:新潮文庫
アメリカにある日系家電メーカーの営業マンが苦闘する日々が描かれています。ソニーやパナソニックと肩を並べる世界有数の家電メーカーに勤めているのですが、そこには敏腕営業マンの引き抜き合戦があり、リストラありの厳しい世界なのです。
そして、日本は東京から送られてきたお目付役の日本人が職場を巡回して仕事ぶりを点検します。その日本人は、ごたぶんにもれず、パイロット御用達の分厚いめがねをかけ、およそ個性に欠けるが意見の持ち主だ。公式の肩書きはビジネス・プランニング担当マネージャー。その実態は、夜遅くまでオフィスに居残り、電話やメールで探題の仕事をする。ただし、英語は苦手なので、スパイ活動には困難がともなっている。
主人公の営業マンを助けるのは、もとアメリカ陸軍の特殊部隊にいたスポーツ万能選手です。イラクやアフガニスタンにおける戦場での体験を生かして会社での主人公の立身出世を助けるという展開なので、それはないだろ、と、つい叫び声をあげてしまいそうになりました・・・。
お荷物を雇っておく余裕が、うちの会社にはもうないのだ。これからは、ダーウィン流の生存競争でいく。もっともタフな者だけが生き残れるというわけだ。東京に対して、うちの数字が短期間に大幅に改善するところを示す必要があるのだ。
いやあ、これって目下、日本で進行中の事態ですよね。あんまり似たセリフなのでおかしくて笑いながら悲しくなって涙が出てきました。
株主配当という短期的な業績確保のため、社員をモノ扱いする。この風潮はアメリカ崇拝から導入されました。アメリカの経営者のように年収数百億円もらいたい。労働組合なんて踏みつぶせ。労働者はいくらでも替わりがいる捨てゴマに過ぎない。経営者と労働者は、そこでは持ちつ持たれつの関係ではありません。残念です。
そこには企業の社会的責任なんてカケラもありません。それを率先しているのが日本経団連の前会長のトヨタ、現会長のキャノン、それから、イスズ、ソニー、そしてIBMですよね。ひどいものです。こんな企業経営者たちに、日本人は愛国心が足りないなんて言ってほしくありませんよ。このところ同じようなことを何回も書いていますが、書かずにおれない気分なのです。ゴメンナサイ。
(2008年11月刊。667円+税)

潜入工作員

カテゴリー:アメリカ

著者:アーロン・コーエン、 発行:原書房
カナダ生まれ、ビバリーヒルズ育ちのユダヤ人青年がイスラエルに渡って猛特訓を経て対テロ特殊部隊員になる展開です。その訓練のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 両親が離婚し、母親はハリウッドで脚本家、プロデューサーとしての仕事をしはじめた。そのためアーロンは、子どものころ、幾度となく引っ越し、学校もしばしば変わった。
 こんな生活が幼い精神にどれほど混乱を与えたか。ためらいや不安を押し隠し、思考的な壁をめぐらせて、何事にも動じないふりをする術を身につけた。なーるほど、そういうことなんですね。ふり、でしかないのですか・・。
 若い世代のイスラエル人は、もはや分かち合いの犠牲的精神に魅力を感じなくなっている。そのため、キブツでは、手作業や工場での労働に、パレスチナアラブ人やアフリカやアジアからの移民を雇わざるをえなくなっている。そして、キブツの青年たちの中に、麻薬中毒患者の割合が非常に高くなっている。キブツも変わりつつあるようです。
 訓練が始まった。運が良ければ疲労困憊のすえに4時間ほど居眠りできた。将校たちは、1日20時間、ノンストップランニングや腕立て伏せや腹筋運動を課した。そのうえ、24時間内、ずっと眠らせてくれない日もあった。まるで悪夢だ。絶叫、ストレス、苦悩、落胆、そして涙。
 体力的にも精神的にも強さが試されると同時に、あらゆる人格的側面も評価された。誠実さ、スタミナ、正直さとチームワーク、プレッシャーの中での思考力に、状況判断力。教官は、訓練生をバラバラに分解し、ひっくり返し、心の深部に潜む真の姿に迫ろうとする。そして1週間、毎日24時間、ヘブライ語で怒鳴り続けられた。
 毎日の訓練は、適者生存の法則に支配されていた。少しでも弱みを見せると、たちまち攻撃され、食いものにされ、容赦なく罰せられる。100人の内99人までが送り返される。ここで生き残るためには、思情のないロボットに、戦うための機械になりきらねばならなかった。
 基礎訓練のあいだ中、共感は嵐のように訓練生を容赦なく苦しめる。教官は何度もこう言った。
「お前らは役立たずだ。お前らなど必要ない。」
肉体的苦痛だけでも十分きつかったが、精神的加圧はさらに耐え難かった。絶え間なくからかわれ、ののしられる経験は、それまで味わったことのない経験だった。
 長い年月のあいだに、訓練中の若者が命を落としている。基礎訓練のあいだに、体力的にも精神的にも限界ぎりぎりまで追い詰められた。
 基礎訓練で唯一良かったといえることは、睡眠のありがたさが身にしみて分かったこと。ごくわずかな時間でも、最大限の眠りを得られるような身体に鍛え直された。床につく時間が5時間あれば、きっかり300分のあいだ目を閉じていた。夢さえも見ることはなかった。消灯とともに目を閉じたかと思うと、次の瞬間には、起床ラッパとともに目が覚めた。
 睡眠を奪われることは、軍隊生活のもっともつらい面の一つだった。ドゥヴデヴァンは、イスラエル軍で唯一、対テロ作戦を専門とする部隊である。占領地で、隠密に対テロ作戦を遂行することが唯一の目標なのだ。
 そこの訓練は、たとえば、こういうもの。攻撃性トレーニング訓練は、長い一日の野外訓練のあと、バスに乗り込んだとたん、教官が叫ぶ。
「20番の席に座った者は、3番の席に移動しろ。残りの者は全力でそれを阻止せよ」
 バスに乗っている者全員が車内で全力を尽くして戦わなければならない。殴られることへの本能的な恐れを克服するのが、この訓練の狙いだ。無差別暴力、全員参加の乱闘騒ぎだ。基地に着くまでのバス内の2時間、攻撃性トレーニングはノンストップで展開される。2ヶ月のあいだ、毎日30人から40人の相手と戦っていると、人間の精神に重大な変化が起こる。本来備わっていた攻撃性が強められ、常にスイッチが入った状態になる。攻撃性トレーニングは人間の精神に深く浸透し、永遠に人を変えてしまう。
 射撃訓練は、一人につき、1週間に5000発を打つ。反応速度が向上するにつれ、1秒間に3発を続けざまに打ち、いずれの弾も狙った場所を正確に撃ち抜けるようになった。さまざまな距離から正確にターゲットを選んでの狙撃術や、走りながら、あるいはバリケードや壁をまわりこみながら銃を撃つ技術を磨くには、繰り返し何千発も実弾を撃つしか方法はない。
 基礎訓練が始まるときに40人いた訓練生は、2週間も過ぎたときには14人に減っていた。特殊部隊の兵士を育成するには、1人50万ドルから100万ドルの経費がかかる。
 実戦では、あらかじめ決められていた手順にこだわらず、臨機応変に作戦を変更する心構えが必要だ。ロボットにはなるな。第一の作戦がダメなら、第二の作戦、それがダメなら第三の作戦で行く。
 特殊部隊には、対テロ攻撃によって愛する身内を失った経験のある人は入れない。復讐心で正しい判断を失っている者は排除される。作戦遂行中は、感情は厄介者でしかない。判断力を鈍らせ、自分やチームの仲間を死に追いやる。この種の仕事には、客観的で冷たい無関心が必要とされる。
 イスラエル軍がハマスの幹部を次々に殺しているようですが、この本にも幹部を拉致した時の状況が描かれています。周到な準備をして、完璧な欺騙工作によって瞬時のうちにからめ取るのです。
 でも、力で抑えようとしても、結局のところ、反発を生んで暴力の連鎖が深く広がるだけではないでしょうか。
 イスラエルの対テロ特殊部隊の実像の一端が語られている本です。著屋は志願して猛特訓を経て特殊部隊に入ったわけですが、3年間そこにいて、これ以上はもたないと思って退役しました。人を殺すことが人間として耐えられなかったのです。いくら猛特訓をしても人が人を殺すことに慣れてしまうことはできないようです。そうですよね、やっぱり。
 大晦日は、いつも近くのお寺に除夜の鐘をつきに出かけます。山の中腹にある古いお寺です。歩いて20分ほどのところにありますので、完全防寒スタイルを整えて12月31日の夜10時40分ころ出発します。フトコロには生命の水(オードヴィ。つまりブランデーと、アイポッドを市のまえます。どんなに寒い冬でも、坂道を上がっていくと、汗ばむほどになります。お寺の境内には、ちゃんとたき火が用意されています。丸太を組み合わせた本格派のたき火ですので、何時間かは持ちます。
 このところ、到着するのは先頭から3組目ほどです。毎年、一番手の顔ぶれは変わります。私が、年越しの除夜の鐘つきに来るようになったのは、もうかれこれ30年前になりますので、最古参であることは間違いありません。
 今年は鐘つきに並ぶのは少ないのかなと心配しながら待っていると、11時半過ぎになって急に参列する人が増えました。なかには小さい子どもや犬連れもいます。私は列に並ぶと、アイポッドを操作してシャンソンを聞きます。しばらく好きな歌を聴いたあとは、NHKのフランス語講座も聴いて、しっかりフランス語を復習します。なにしろ、語学はリピートが大切なのです。耳慣らしを怠ると、たちまち上の空になってしまいます。
 やがて12時が近づいてきました。先ほどはポツポツと小雨が降る気配すらあったのに、いつのまにか星も見えています。大きな北斗七星がくっきりと頭上高く見えだしました。
 鐘つきを始める前に、若いお坊さんが高齢の簡単な挨拶をします。今年は非正規雇用の人たちが解雇されるなど、厳しい状況でもありますが……、という話でした。短い言葉の中にも、今の世相を反映しているなと思いました。除夜の鐘をついたあと、紅白の小さなお鏡もちをいただいて帰ります。
 その前、0時になったとたん、遠くにあるレジャーランドから続けざまに花火が打ち上がるのがきれいに見えました。いつもは音だけだったのですが、邪魔になっていた林が霧払われて見通しが良くなったおかげです。
(2008年11月刊。1800円+税)

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