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裁くのは僕たちだ

カテゴリー:司法

著者 水原 秀策、 出版 東京創元社
 裁判員裁判がいよいよ始まります。なんと、裁判員が買収攻勢にあうのです。法廷が終わって、自宅に帰るまでをずっと尾行されていました。フツーの市民ですから、何の警戒心もなく、スーパーに寄り道するくらいで自宅に直行しますから、すぐに素性は分かってしまいます。そこに、「あいつを無罪にしてくれたら500万円やる。今すぐに300万円、成果が出たら200万円」、こんな声がかかったとしたら、どうでしょう。アメでだめなら、ムチもあります。
 「被告には有罪だ。死刑にしろ。死刑に出来なくても、出来る限り重い刑にしろ。さもないと、ただではおかんぞ」
 こんなアメとムチが裁判員に襲いかかったとき、裁判員のみんながすぐに裁判所か警察に届け出をしてくれたらいいのですが、どうするでしょうか……?
 この本は、『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した人が書いています。なるほど、こんな誘惑(アメ)と危険(ムチ)があるのか、と改めて自覚させられました。
 裁判員選任手続のとき、裁判長が「テレビや新聞を見てもいいけれど、それによってこの裁判について予断を持たないようにしてください」と訓示した。もちろん、そんなことは無理だ。有罪が確定的であるかのような報道に繰り返し接していたら、影響を受けないはずがない。それは裁判長だって同じこと。いかにも、「とりあえず訓示はしました」という、いいわけ用の言葉と態度だった。なーるほど、そうも言えるのですね……。
 この本の主人公は、学習塾のチェーン店の責任者をしていますので、個人塾の実態についても語られています。本筋ではありませんが、面白い指摘です。
 個人塾というシステムは、ほとんどの子どもにとって成績を伸ばすのには向いていない。伸びるのは最初の2か月のみであって、あとはぱったり止まってしまう。競争のない所に成長はない。これは人類普遍の法則である。そのくせ、個人塾は授業料が高い。
 個人塾に求められるのは、成績の向上ではなく、安心である。親にとって子どもは自分の大切なペットなのだから。
 なーるほど、そういうことなんですかね……。
 この本の最後のナゾ解き部分は、私にはとてもついていけないと思いました。あまりに著者の都合にあわせているような、無理を感じました。
 ただ、裁判員裁判が始まり、いろんな市民が参加して、2時間も3時間も真面目に討議するというのは大変なことだろうと推察します。その予行演習の一つに、この本はなるのかなと思いました。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

雪冤

カテゴリー:司法

著者 大門 剛明、 出版 角川書店
 横溝正史ミステリ大賞の受賞作だということですが、なるほど、ぐいぐいと惹きつけられます。神戸からの帰りの新幹線で一心不乱に読みふけりました。
 ミステリー小説ですし、犯人捜しは、いくつものドンデン返しがあって、意外な結末を迎えるのです。したがって、粗筋を紹介するのもやめておきます。ともかく、日本の死刑制度を考えさせる一作であることは間違いありません。
 ただ、最後の謎ときの段階に至って、やや落としどころが乱暴ではなかったかと気になりました。最後まで読者を謎ときに惹きつけ、その期待を裏切らず、また意外性を持たせるというのは、とにかく至難の業だとつくづく思います。
 この本は、司法試験に苦労して合格した人が出てきたり、61歳で弁護士稼業をやめた人が出てきたり、かなり弁護士業界の内幕を知っていないと描けないような状況描写がいくつもあります。もし著者自体がその位置にいないのであれば、かなり弁護士に取材を重ねたことでしょうね。
舞台は京都です。鴨川にホームレスがいて、同志社大学やら龍谷大学の学生たちも登場してきます。殺人罪で死刑囚となった息子をもつ61歳の弁護士が、主人公のような存在で登場します。
 最近、凶悪犯罪を犯した死刑だ、すぐに死刑にしろという風潮が強まっていますが、私はそれはとても危険だと考えています。この本では、死刑執行ボタンを押す国民を抽選によって有権者から選んだらどうかという案が真面目に提案されています。死刑制度を存置するというのなら、他人にやらせずに、自分が死刑執行ボタンを押し、人間が死んでいく姿を見届けさせるべきだというのです。実際には無理なことでしょうが、それを嫌がるようだったら、死刑制度について簡単に賛成してほしくないというのは、私の率直な気持ちでもあります。
 ミステリ大賞の選書の評が最後にのっていますが、さすがに、なるほどと思う評です。
 最後のどんでん返しの連続が逆効果としか思えなかった(北村薫)。
 多少の無理筋を押してでも、最後の最後までどんでん返しを出そうとする本格ミステリ的結構に作者の心意気が感じられた(綾辻行人)。
 まことに、ミステリー小説を書くというのは難しい人生の作業だと思います。つくづくそう思いながら、私も及ばずながら似たような小説に挑戦中なのです。乞う、ご期待です。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

消費税によらない豊かな国ニッポンへの道

カテゴリー:社会

著者 富山 泰一、 出版 あけび書房
 日本の常識は世界の非常識。この本を読むと、そのことがよく分かります。
税・社会保険負担の高い国は、社会的保障の充実しているところが多い。基本的に生活を保障されている国ほど、国民負担率は高く、企業も活性化している。税金が高くても、その見返りとしての生活保障が実行されていると、国民は高い税金を払うことに納得する。しかし、残念なことに、日本では負担が高いだけで、生活の安定が保証されていないため、政府を信頼できない。
 ヨーロッパの多くの国では、医療・教育そして介護は無料であり、失業給付も充実している。デンマークでは、失業給付は5年間、無年金者はいない。スウェーデンでは、子ども3人がいると、児童手当だけで家族5人全員の食費が賄える。
 そうなんです。日本でも、医療・介護そして教育をみんな無料(タダ)にすべきなのです。そのための税負担が高いのなら、私も文句は言いません。
 ムダな軍事費(実効性のないミサイル防衛に5000億円つかう。アメリカもムダだとしてやめたF22を50機、2兆円も出して買う…)、そして、九州新幹線やら道路、橋などの大型公共工事をやめたら、これは日本でも十分に可能なんです。
 ゼロ金利が続いている。1991年の利子収入がもし続いていたとしたら、2004年までに国民が失った利子収入は304兆円。一方、企業のほうは利子負担を260兆円も減らし、金融機関は95兆円も利子所得を増やしている。
 消費税を導入して20年経つ。なぜ消費税を提言したのか。高齢化社会を迎えるためと説明したが、本当は、そう言ったら一般の人が分かりやすいと思ったからだと、今さらになって政府関係者が正直に告白しています。とんでもないセリフです。
 イギリスの消費税は、標準税率こそ17.5%と、日本より3倍も高い。しかし、税率は3段階に分かれていて、家庭用燃料と電力は5%。そして、ゼロ税率は食料品、水道水、新聞、雑誌、医薬品、建築など、生活にかかわるものが含まれている。
 消費税が導入されてから企業が増やした内部留保額は、176兆円(1989年度)から411兆円(2006年度)と、236兆円も増えている。
 10億円以上の大企業は、増収増益であり、人件費などのカットにより、利益蓄積を増やしつづけている。そして、株主への配当が急増しているうえ、役員報酬が急激に増えている。役員報酬の一人当たり平均額は、日産自動車で3億円近く、ソニーは2億円あまり、住友商事は1億4000万円、コマツは1億3000万円、マツダも同じく1億3000万円、トヨタは1億2000万円。資本金10億円以上の大企業の役員報酬は、2004年から急増し、1995年と比べて2倍になっている。なんとなんと、これほどの超高給とりが、公務員の給料は高すぎるだなんて公言しているのですからね…。
 日本でも、所得が100億円を超えるのが9人、50~100億円が27人、20~50億円が92人もいる。しかし、逆に年収200万円以下の給与所得者は1220万人(2007年)。小泉内閣当時の234万人(2001年)の5倍以上に急増している。そして、正規雇用が454万人も減り、非正規雇用が490万人増えている。
 日本のあり方を大いに考えさせられる薄いパンフレット(140頁)でした。もっと知りたい、知らせたい、実に重たい内容がいっぱい詰まっています。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

われら青春の時

カテゴリー:社会

著者 佐藤 貴美子、 出版 新日本出版社 
 1950年代、名古屋における学生セツルメント活動、そして、元セツラーが医師となって地域に定着し、民主診療所を切り拓いていく話です。
セツル、というのは住みついてという意味。困っている人たちのために、住みついて医療や教育を提供しようという運動。日本では関東大震災のあと、東京帝国大学の心ある学生たちが、診療所・託児所・法律相談などを実施したのが最初。
私が学生セツラーであったのは、それより15年あとの1960年代後半のことでした。それでも、かなり似たところはありますので、大いに共感・共鳴しながら読み進めていきました。学生セツルメント活動が全盛期を迎えたのは、私が大学を卒業したあと70年代はじめで、その後急速に衰退していったと私は考えています。
大須事件に学生セツラーが巻き込まれて刑事被告人となってしまいます。このころはまだGHQがいて、朝鮮戦争のあと、政治活動が禁止されていた時代でもありました。それにも負けず、セツラーたちは神社の境内で、納涼映画会を計画します。原爆映画を上映しようというのです。当日、トラック2台で警察の機動隊員数十人が襲いかかってきて、上映会はつぶされてしまいました。このころは、むきだしの弾圧があったのですね。
主人公の女性は、医学部生でした。医師国家試験になんとか合格し、地域に飛び込み診療所を開設します。そのとき、指導教授に会いに行って言われた言葉がすごいものでした。
「やるなら、大物になりなさい。目立つようにすることです。大物になるのです。さもないと、○○君のように、名無しにされ、行方知れずにされてしまいます。やる以上は強気で行くのです。大物になって目立つのです」
なーるほど、ですね。
このころは、『君の名は』に続く『笛吹童子』というラジオドラマ全盛の時代だった。うーん、なつかしいです。私も『笛吹童子』のメロディーは、今でもはっきり覚えています。それこそ、ラジオにしがみつくようにして聴いていました。
セツルメント診療所を案内するチラシはガリ版印刷だ。ガリッ、ガリッと音がしはじめた。ガリ切りという作業には、根気とコツがいる。鉄筆に込める指の力が強いと、紙が破れてしまう。用心して力を弱めると、蝋紙が切れないので文字が出ない。そのころ合いが微妙である。すべての文字を均等な力で書かねばならない。強調したい言葉について力を込めようものなら、そこだけ早く破れて、ビラ全体がダメになってしまう。
そうなんです。私も大学1年生の4月からセツラーとなってガリ切りを始めました。四角いマス目に字をおさめ、なるべくなるべく読みやすいように丁寧にカッティングするうち、それまでと比べて格段に読みやすい字が書けるようになったのです。
ガリ切りをした蝋紙を謄写版にセットする。これにもコツがあって、原紙をピーンと張らねばならない。しわがあると文字が歪んでしまう。ローラーにインクが平均につくようにならしたうえで、印刷していく。体重を全部ローラーにかけ、加圧するように回転させ、印刷された紙を一枚ずつめくっていく。
この作業を2人1組でするようにこの本では描かれていますが、私たちは1人でしていました。そのほうがよほど早かったように思います。右手でローラーを押しまわして、指サックを左手の親指にはめてザラ紙をめくっていくのです。
学生セツルメントでは、実は異性と知り合えることも大きな魅力だった。
いやあ、ホント、そうなのです。たくさんの出会いがありました。
セツラーたちは山道を歩くのにも歌いながら行くので、長い道のりも苦にならない。
セツルに入って歌う楽しさを始めて知った者が多かった。何かにつけて歌が出る。歌いながら、楽しく作業をすすめる。
生来音痴の私も、みんなの邪魔にならないように気をつけながら楽しく歌っていました。
 60年代の学生セツルメントを知りたい人には、『清冽の炎』1~5巻(花伝社)をおすすめします。あわせて、当時の東大駒場の状況もよく分かる本です。
 
(2009年6月刊。2000円+税)

世界史の中の日露戦争

カテゴリー:日本史(明治)

著者 山田 朗、 出版 吉川弘文館
 私は旅順に行き、203高地にのぼったことがあります。何の変哲もない、低い灌木のまばらに生えた丘のような山でした。203高地というのは、高さが203メートルということから名付けられたものです。
 そして、ロシア軍の築いた堅固な要塞である東鶏冠山堡塁の内部にも足を踏み入れました。とても頑丈な作りでした。フランスの築城技術に学んで、ロシア軍が念入りに作り上げた要塞です。日本軍はこの要塞を攻めあぐねて、大変な死傷者を出しています。
 1904年(明治37年)2月9日、日本軍は旅順軍港にいたロシア軍艦に奇襲攻撃をかけた。日露戦争の始まりである。欧米の新聞は、この戦闘を翌2月10日の新聞で詳しく報道した。今から100年以上も前なのに、どうして可能だったのか。それは、海底ケーブルと電話線によって、世界の主要な都市、軍事拠点が接続していたから。というのも、イギリスは、50年かけて世界を結ぶ海底ケーブル網を完成させていた。
 海底ケーブルの敷設と地上優先通信網の整備、無線電信の導入は、日露戦争における情報力において、日本がロシアに対して優位に立つ大きな要因となった。情報戦の分野では、日英同盟にアメリカが加わり、それと露仏同盟が戦っていた。
 日露戦争のとき、日本軍は機関銃を持っていなかったという俗説は全くの間違いである。日本は、すでに日清戦争のときにイギリス式のマキシム式機関砲を保有していた。日露戦争のときには、フランス式のホチキス式機関銃を保有していた。ただし、日本軍はあまり最前線の陣地では使用しなかった。
 日露戦争で使用された日本の戦艦6隻、装甲巡洋艦8隻は、戦艦はイギリス製、装甲巡洋艦はイギリスやイタリア・フランス・ドイツ製であった。日本はまだ自国で建造する能力がなかった。
 ロシアは、新旧雑多な軍艦で編成されていたのに対して、日本側は新鋭艦を中心に構成されて連合艦隊として佐世保に集結していた、
 ロシアと日本と、戦力はほぼ互角で、総合砲戦力では日本がやや劣るが、快速性の点では日本側が優勢だった。
 日本軍は旅順要塞の総攻撃で大損害を被った。5万7000人が参加して、1万6000人ほどの死傷者を出した(戦死者5000人)。ロシア側の野砲や機関銃に対して、ひらすら白兵攻撃を敢行して人海戦術で突破口を作ろうとするばかりだったからだ。ロシア側の火力にさらされたときの防御陣地や遮蔽物の構築がまったくできていなかった。日本側は、本格的な要塞攻撃のノウハウを知らなかったし、旅順要塞の堡塁の構造やロシア側火器の配備状況の情報収集も十分ではなかった。
 203高地をついに占領したとき、日本軍は6万4000人の参加人員のうち、1万7000人もの死傷者(戦死5000人)を出した。結局、日本側はロシア側の総兵力をはるかに上回る6万人に近い死傷者を出した。ロシア側は4万7000人の兵力で防衛し、2万8000人の死傷者を出した。
バルチック艦隊が今どこにいるのかというのは、マスコミによって刻々と伝えられていた。
 日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に大勝利したのは、双方の戦力データを比較検討したら、日本側の勝利は順当なものだったといえる。日本艦隊にとって有利な条件がそろっており、逆にロシア側はきわめて不利な状態で戦闘に突入した。
 ロシア艦隊はのべ3万キロ、7ヶ月の航海を経て、極度に疲弊しており、途中に寄港できる同盟国もなく、将兵の士気は低下し、小暴動が頻発していた。日本側は、いつごろロシア艦隊が到着するかつかんでおり、鑑定の整備と将兵の訓練を十分に行うことができ、準備万端整えたうえで海戦に臨むことができた。
 日露戦争、そして日本海海戦の実相をよく知ることができる本です。
 よく雨が降りました。
 日曜日、昼から雨が止んだので、少し庭の手入れをしました。ネムの木がピンクの花を見事に咲かせています。誰かがネムの花は水彩画がよく似合うと書いていましたが、なるほど、そのとおりですね。ボワボワとふくらみのあるピンクと白の混じった花で、見ているだけでも心が浮き浮きしてきます。
 連日の雨で鳴くヒマがなかったせいでしょうか。セミが薄暗くなった7時半まで鳴いていました。
 
(2009年4月刊。2500円+税)

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