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生存権

カテゴリー:社会

著者 立岩 真也・尾藤 廣喜・岡本 厚、 出版 同成社
 貧困の問題はずっとあったし、拡大している。今、ようやく注目を浴びている。注目されるのはよいことだが、心配なのは、すごく悲惨な部分のみ取り出され、その悲惨こそが問題だと語られ、そう思われること。そんなに悲惨でなくても、生活保護は使えるべき制度だということを忘れてほしくない。
 いま、国民皆保険とは言いながら、国民健康保険証をもっていないという人がかなり多い。介護保険をふくめて、保険料が支払えない人が出てきて、いざというときにその人は受けられないということがある。これでいいのか……。
 政策として、労働政策としてやっていくのか、所得保障政策としてやっていくのか、ふたつある。基本的には、この二つともやるべきではないか。
いまの日本社会には、困難な人たちを見たくない、関心をもちたくないという気分がかなり多くの人にある。見ようと思えば見えるんだけど、目を伏せて脇の方を通っていくというマインドが国民の中にある。
 うむむ、なるほど、そうなんですよね。ビラ配りして訴えている人がいても、そっと素知らぬふりをして避けて通りすぎてしまうことって、私にもあります。この世の矛盾って、見ようと思わないと、まったく見えないものなんですよね。
 生活保護裁判には、これまで4つの波があった。第一の波は朝日訴訟。第二の波は藤木訴訟。第三の波は、ごく普通の人が自分の問題として、生活保護のさまざまな問題点を取り上げて裁判を起こしたこと。いま起きている第四の波は、生存権裁判。そこでは生活保護基準、つまり最低生活の中身をどう考えるか、ということを真正面から問う裁判が起こされている。たとえば、資産の保有がどこまで認められるか争われている。自動車の保有は、今も認められるのは例外的なもの。
高齢者で、年金生活している人が、本来なら生活保護を受けられるはずの人が生活保護を受けていない。そんな人が生活保護の支給額が自分より高いことに怒って、声高に文句を言う現実がある。
 憲法25条は、国民に社会権を認め、国に対して命令した規定である。ところが、プログラム規定であり、具体的な拘束力はないという学説が有力だ。しかし、生活保護法が憲法25条を具体化しているので、拘束力がある。とりわけ、2項の増進義務は、国に対して積極的な施策を求めている点が大きい。これを自民党は地方自治条項を改正することによって骨抜きにしようとしている。
ワーキングプアがなぜ発生するかというと、最低賃金制がきちんとしていないから。そして、これは生活保護費とリンクしている。早く生活保護の利用を認め、生活力を回復させ、雇用に結びつく可能性を保障する。つまり、早めに給付を始め、早めに終了できるようなシステムをつくる必要がある。生活力を形成するための生活保護という視点が今まで少なかった。なるほど、ですね。ヨーロッパでは生活保護を受けるのは日本と違って若者だそうです。老人には十分な年金が支給されるのです。
 普通に働いたら、普通に生活できるというように、最低賃金を上げなければいけない。そうしないと、働く意欲が出てこない。働く能力がないという人たちが、きちんとした生存権を保障されなければ、働く能力のある人たちの生存権もおそらく保障されない。
 今の日本社会には、家族主義・扶養意識が低下している。扶養できない実態があるのに、扶養を求めている。
 私と同世代(正確には一つ年長)の弁護士から贈呈された本です。厚生省(現厚労省)に入って3年間がんばり、今では生活保護問題の第一人者です。この本で展開されている鋭い問題提起にはいたく感銘を受けました。
 
(2009年3月刊。1400円+税)

ハチはなぜ大量死したのか

カテゴリー:生物

著者 ローワン・ジェイコブセン、 出版 文芸春秋
 2007年の春までに、北半球のミツバチの4分の1が失踪した。
 花には非常に機能的な役割がある。その役割とは、ずばりセックスだ。花粉交配の仕事こそミツバチの仕事である。今日の養蜂業界は、アーモンドの花粉交配だけで年間2億ドルもの収益をあげている。それに対して、蜂蜜生産の売り上げは1億5000万ドルでしかない。ふむふむ、なるほどですね。
 ミツバチは、個々のメンバーの風采はあがらないけれども、忠誠心に富み、マルハナバチがガリア人の村人だとすれば、ミツバチはローマ帝国の軍団だ。
 ミツバチは15度以下の温度では飛ぼうとしない。雨の日も飛ばない。ミツバチにおいて、知性は個々のハチにではなく、コロニーに宿る。
 巣箱に5万匹のミツバチがいるとして、そのうち4万9000匹ほどは子どもの産めない働き蜂である。女王蜂は、合計すると自分の体重と同じになるくらいの重さの卵(最大2000個)を毎日生み続ける。女王蜂が交尾をやめるのは、数回の飛行で10~36匹に及ぶ求婚者からの貢物を手に入れたあとのこと。
 女王蜂は、ときどき未受精卵を生むことがあり、これが雄蜂になる。雄蜂は、要するに「飛ぶ精子」だ。だから、交尾シーズンが終わると、用なしになってしまう。秋になって気温が下がり、巣の資源が減ってくると、働き蜂は雄蜂を巣から追い出す。路頭に迷った雄蜂は、じきに凍えて死んでしまう。いやはや、オスはどこの世界でも哀れなものです。合掌。
 コロニーにいる採餌蜂の4分の1が花粉の採集を専門に行う。採餌蜂は、蜂蜜以外はほとんど何も食べない。
 女王蜂の寿命は2~3年もある。これに対して働き蜂の寿命はたったの6週間でしかない。女王蜂になるのは、ローヤルゼリーを浴びるように潤沢に与えられたもの。
 巣が混雑していることと、花が咲き乱れていることが分蜂の前提条件だ。この分蜂を決めるのは女王蜂だと最近まで信じられていた。しかし、実は、老練な働き蜂たちが討議をしたあと、巣の残りの成員に合図を送っていることが観察によって判明した。つまり、巣分かれも集団で意思決定されているのだ。うひゃあ、そうだったんですか……。
 ミツバチの大きな魅力のひとつは、幾何級数的に増えていくことだ。
 1970年代、80年代は、アメリカの養蜂業の黄金時代だった。1980年代には、何年も続けて巣箱当たり90キロの蜂蜜が収穫できた。巣箱によっては130キロもの蜂蜜がとれるものがあった。ところが、今では4000箱の巣箱から、1本分のドラム缶しか取れない。
 蜂蜜は私の大好物でもあります。午後のひととき、紅茶に蜂蜜を入れ、ブランデーを注いで味と香りをつけて楽しむのが、私の楽しみです。そんな蜂蜜が将来とれなくなったら、それは大変なことです。そして、それ以上に、花が受粉できなくなったら大変も大変、人類は絶滅の危機に立たされるのです。
 ミツバチを一度買ってみようかなとまで思わせる楽しい本でもありました。
 我が家の庭のチューリップが8割方は咲きました。400本ほどは咲いていると思います。といっても、庭のあちこちに植えていますので、例年よりはチューリップのオンパレードという感じでもありません。
 ハナズオウの赤紫色の花も咲いています。春爛漫の候です。
 ちなみに、私の法律事務所のホームページの私のブログに、チューリップの花の写真をアップしています。
(2009年1月刊。1905円+税)

中世の借金事情

カテゴリー:日本史(中世)

著者 井原 今朝雄、 出版 吉川弘文館
 借りたものは返せ。返せないなら生命にかえてでも返せ。これが現代日本の常識です。ところが、中世日本では、そんな「常識」は通用していなかったというのです。目からウロコが落ちる思いで読みすすめました。
 あれーっ、うひゃあ、そうだったのか……と、驚くばかりの記述がありました。
 著者は現代日本の「常識」に対して、根本的な問いを投げかけています。借りたものは返せというけれど、大銀行や大企業のかかえた巨額の不良債権はどのように処理されたのか。巨額の公費(もちろん私たちの負担した税金のことです)を投入してまで債権放棄を容認した。金融危機になったら、国民生活を破壊する。それを避けるためのやむをえない超法規的措置だと国民を無理に納得させて、たとえば第一勧銀に900億円、富士銀行に1兆円の公的資金を投入した。飛島建設への6400億円、青木建設への1049億円の債権免除を銀行に認めさせた。私有財産制、自由競争の市場原理の絶対性が、現実にはダブル・スタンダードになっている。もはや、借りたものはあくまで返せという近代債権論は、社会常識の暴力と化している。なーるほど、そう言われたらそうですよね。同じことはアメリカでも問題になっていますね。銀行が倒産しそうだというので巨額の税金をつぎこむけれど、庶民が破産しても政府からは冷たく放っておかれるだけです。自己責任の原則だというのです。でも、よく考えたら、これっておかしいですよね。
 中世日本では利子率を制限する法はなかった。利子が年に10割でも12割でもよかった。しかし、その代わり、利子は元本の2倍以上には増えないという総額規制が働いていた。これを利倍法という。
 私出挙の利息が増殖するのは480日間までで、その額は本銭の倍額まで、貸借期間が何年になっても、利子はそれ以上には増殖しない。
 法定以上の利子をとった借金は、違勅罪として敗訴した。債務不履行になったら、質物(しちもつ)を流してよい、という契約を結んでいても、あらためて本人との合意文書を作らなければ質物を流すことはできないという慣習法が生きていた。
 中世は身分制社会であったから、領主が借用だと言って領民から強制的に借金をしておきながら、踏み倒すということが多かった。それと反対に、領主が強制的に領民に貸し付けて利子を取り立てるという貸し金制度が展開されていた。借金の強制による利殖をもっとも合理的に活用したのは織田信長である。
法外な利子は天皇の命令に反する違勅罪であり、債務者は借金の元本は返すべきだが、非法な利息分は返さなくてもよいという判決が下された。
 雑令(ぞうりょう)や格に違反した法外な利息をむさぼる貸借契約によって借りたものは、返済する必要がないと判決された。
 法外な利息は無効である。これが12世紀の法曹官人の社会常識であった。
 元本の倍額以上の利息を徴収する出挙(すいこ)の利は違勅罪だという法理念が中世日本の社会に浸透していた。
 債務者の権利を保護しようとする社会意識が債権者の権利擁護よりも強固であった。窮民救済のために債務者の権利保護が社会正義であるという法理念が生きていた。
 中世の日本では、質流れ地には私的所有権が成立しなかった。質地は債権者の自由な私有地になることはなかった。質地は永領の法なし、が大原則だった。
 中世社会では、質物が質流れになったあとにおいても、債務者はなんどでも受け出す機会を保障されていた。債務者の権利と債権者の権利とが共存しあっていた。中世人の社会常識では、質物はいつまでも質物であり、双方の合意がないかぎり物権は移動しない。
 要するに、借りたものは利子をつけて返すのが古代以来、不変の社会常識であるという現代人の常識は誤りなのである。
 うへーっ、そ、そうなんですか。それは知りませんでした。常識論の怖さですね。最近の最高裁判例で、ヤミ金に対しては借りた元金も返す必要がないというのは中世日本の常識にかなっているというわけです。
(2009年1月刊。1700円+税)

ヤバい社会学

カテゴリー:アメリカ

著者 スディーン・ヴェニカテッシュ、 出版 東洋経済新報社
 シカゴに私も二度行ったことがあります。もう20年ほど前のことです。といっても、安全な中心地にしか行っていません。オバマ大統領はシカゴの下町で活動したことがあるようです。オバマはコロンビア大学を卒業して、この本の舞台あたりで地域活動に従事し、ハーバード・ロースクールを出たあと、もう一度シカゴに戻り、シカゴ大学で教えています。
 この本の著者は、シカゴ大学の院生として学びながら、社会学者としてギャングのなかに入って体験調査したのです。この本を読むと、それがいかに危険にみちみちたものか分かります。よそのギャングが車に乗って襲撃してくるし、ケガ人が出ても救急車も警察も来てくれないのです。私なんて、とても著者のような勇気は持ち合わせていません。著者は、蛮勇とも言うべき、向こう見ずの突進リポーターなのです。
 でも、無事に調査が終わってしまえば、これほど面白い体験社会学の本はありません。400頁の本を2時間以上かけて一日じっくり読みとおしました。アメリカのギャングの実情がよく分かる本です。
 著者がシカゴ大学に入ったのは1989年秋のこと。大学のすぐ外は危険地帯。そこはギャングの支配する町なのです。といっても、そこには何万人ものアメリカ人が住んでいるのですが……。
 住民の半分は働いていない。犯罪が横行し、ギャングが大手を振って歩き、生活保護を受ける人は増えるばかり。街角には、うちひしがれた黒人がたむろし、車の窓ふきやヤク売りに精を出し、物乞いをしている。
 ここには、2種類の白人がいる。黒人を見たら殴りかかる白人。そして、家の周りに黒人を見かけたら警官を呼び、警官が黒人を殴りつける。
 ギャングの支配する28棟もの高層アパート群に著者は入っていく。そこには、4400室の部屋があり、3万人が住んでいる。住民の9割が生活保護に頼って生きている。
 無法者資本主義の下で暮らす人びとは、麻薬中毒と暴力沙汰に囲まれて生活している。住民の15%は筋金入りの麻薬中毒であり、25%はときどきやる程度。
 ほとんどのギャングは売春商売には手を出さない。もうからないから。売春婦は扱いが難しいし、ものすごく手がかかる。しかし、ギャングは売春婦を直接に支配はしないけれど、「税金」はしっかり徴収する。売上の10~25%を取り上げるのだ。
 ポン引きのついている売春婦は、客から殴られることも殺されることも少ない。ポン引きのついていない独立系の売春婦は、4倍ほど客に殴られる回数が多いし、この2年間に3人が殺されている。収入の方も、独立系より週に20ドルは多い。ただし、どちらもヘロインやクラックをやる人の割合は高い。
 ギャングは月に1回、週末にバスケットボール大会を催す。だから掃除も行き届くことになる。ギャングのリーダーは、いつも手下やほかのリーダーたちに蹴落とされてナワバリを奪われるのを心配している。
 著者の取材相手となったギャングのリーダー(黒人)は、大学を出ていた。食えないためにギャングになった。ギャングは市会議員も1人1万ドルかけて雇っている。
 ギャングの親玉連中は、みんな同じような格好をしている。新品のジャージ、白いスニーカー、手首や首には、黄金が山ほど光っている。
 たとえば、このギャングには若いメンバーが250人いる。
 対抗するギャングとの抗争が数週間も続くことはない。商売が上がったりになるからだ。
 ギャングでは、担当地域の配置換えや組織変更が頻繁に行われる。原因は、出入りとかの大きい事件ではなく、基本的な経済原理だ。どこかのギャングが弱体化した。お客に十分なクラックを提供できない、やる気のある働き手を雇えない。そんなとき、ギャングの幹部はヤクを売る権利をライバルのギャングに譲ったりする。
 この団地に住む女性たちは、1960年代は公民権運動で戦い、1970年代には選挙で黒人候補を後押しした。コミュニティのために真剣に戦った。ところが、1980年代から90年代になると、ギャングや麻薬、そして貧しさのために暮らしぶりが悪化して、家族をつなぎとめるのに必死になった。住宅当局も警察も腐敗してあてにならず、女性たちは弱体化した。
 警察はギャングたちの稼ぎをねたみ、ときどきギャングを襲い、売上を強奪していった。うへーっ、すごいことが書かれています。
 そんな諸悪の根源であった低所得層の多く住む高層アパート群が取り壊され、ギャングたちも力を失っていくのでした。彼らは一体、その後どこに行ったのでしょうか。大変面白い実地社会学の本でした。
(2009年1月刊。2200円+税)

ヒトラーの特攻隊

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 三浦 耕喜、 出版 作品社
 第二次大戦のとき、日本軍は無謀なカミカゼ特攻隊を組織し、あたら有為の青年を多く死に追いやってしまいました。知覧に行くと、純真な青年たちの顔写真がたくさんあり、胸を痛めます。特攻を命じた軍上層部は敗戦と同時に「鬼畜米英」にすり寄っていき、その後輩たちはいまもってアメリカのいいなりの政治に加担しているのですから、浮かばれません。
 このカミカゼ特攻隊をナチス・ドイツも一回だけ真似したことがあるというのが本書で紹介されている話です。ところが、あのナチス・ドイツでは有為のドイツ青年を無駄死にさせるのはもったいないということで、一回きりで終わったというのです。戦前の日本は本当に人命軽視の国でした。
 1945年4月。ドイツの上空に侵入してくる連合国軍爆撃機の編隊に対して、機関砲などの戦闘能力を取り外し、急降下して体当たりするだけの特攻隊「エルベ特別攻撃隊」が出撃した。ドイツ北部のエルベ川周辺に展開したため「エルベ特攻隊」と呼ばれる。戦闘機180機が出撃し、80人が戦死・行方不明となった。
 日本の、カミカゼ特攻隊の第1号は1944年10月25日、レイテ沖でアメリカ艦船に体当たり攻撃を敢行した敷島隊である。このとき、関行男大尉(23歳)は、「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて、日本はおしまいだよ」と出撃の前に言った。いやあ、本当にそうですよね。未来は青年のものです。今の日本のように、平然と派遣切りをしながら、国を愛せなどとうそぶき、青年から仕事も未来も奪ったら、日本の将来はありませんよね。
 ドイツで体当たり特攻作戦が立案されたとき、ヒトラーは命令を下すのをためらった。あくまで自由意志だと強調し、自分の命令であるというのを避けた。
 「特別攻撃隊」という名前は、おおっぴらには使えず、「エルベ教育講習会」という名称で集められた。特攻隊の隊員は、熟練の飛行士ではなく、未熟な若者たちばかり。燃料は1時間分のみ積まれた。動員された180機のうち、故障や燃料不足のため、実際に飛び立ったのは150機ほど。そして、不時着したり、故障のため帰投する機が相次いだため、実際に敵に接触したのは100機程度。
 アメリカ軍の記録によると、墜落8機、大破5機、機体に損傷を被ったのは147機。本帰還者はドイツ側の記録によると77人。ゲッペルスは、日記に「期待したほどのことはなかった」と書いた。そして、エルベ特攻隊は解散してしまった。
 この特攻隊の指揮者だったハヨ・ヘルマンは戦後、弁護士の資格を得てネオ・ナチの弁護人となり、ネオ・ナチ運動に協力していった。95歳の今も健在だ。うへーっ、ひどいものですね。といっても、日本でも岸信介のように戦前の「革新」官僚が戦後日本の首相になったわけですから、ドイツのことを笑うわけにはいきません。
 人命軽視の戦前の日本の考え方は、今も根強いんじゃないかと思います。派遣切りも同じようなものですよね。
(2009年2月刊。1800円+税)

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