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凍った地球

カテゴリー:生物

著者 田近 英一、 出版 新潮新書
 ええっ、地球が雪玉(スノーボール)のように凍りついていた時期があった……。とんでもない仮説です。地球って、火の玉地球から始まったはずなのに……。
 かつて地球の表面は氷で完全に覆われていた。こんな衝撃的な事実が明らかとなったのは、この10年来のこと。火山活動による二酸化炭素の供給が現在の10分の1以下になると、地球は全球凍結を避けられないことが理論上の計算で導かれた。
 でも、本当にそんなことが起きたのでしょうか……?
 地球が誕生したのは、今から46億年前のこと。そして、その後の6億年間は、地質記録がほとんどない。
 今から5000万年前のころ、地球は最温暖期だった。パリやバンクーバー(カナダ)のような緯度50度あたりまで、今のアマゾンにあるような熱帯雨林が分布していた。その原因は二酸化炭素濃度の増加にあった。
 今から46億年前、誕生したばかりの太陽の明るさは、現在の70%程度だった。太陽は。時間とともに徐々に明るさを増しており、現在でも1億年に1%程度の割合で明るくなっている。うーん、そういうことってあるんですかね。地球も進化してるんですか……。
 地球の大気組成は、時間とともに大きく変わっている。それは進化しているとも言える。原生代において、主要な生物のほとんどは海の中に生息していた。全球凍結が生じると、海は表層1000メートル程度が完全に凍結してしまうため、光合成生物が活動できる場は失われる。しかし、海洋は表層の1000メートルほどが凍結するだけで、深層領域は凍結しない。やがて、大気中の二酸化炭素分圧が0.12気圧にまで達すると、氷は赤道から一気にとけはじめる。
 全球凍結現象というのは、全球平均気温の変動が100度にも及ぶような極端な気候変動である。
地球には、もともとオゾン層はなかった。生物が陸上に進出できたのは、大気中の酸素濃度が増加したことでオゾン層が形成され、それが太陽の紫外線を吸収してくれるようになったおかげだ。地球と生命は、お互いに影響を及ぼしあいながら、ともに進化してきたのではないか。これを、地球と生命の共進化という。
 地球の全球凍結が生物進化のフィルターとしての役割を果たした。全球凍結によって生物の多様性が大幅に減少することでボトルネックが生じ、その直後に生物の多様化が促進された可能性がある。また、全球凍結の直後に大気中の酸素濃度が増加したことによって、生物の大進化が促進された可能性がある。
 全球凍結イベントという破局的な地球環境変動が生じれば、生物進化に与える影響は計り知れない。全球凍結による生物多様性の大幅な低下と大気中の酸素濃度の増加が重なり、真核生物や多細胞動物の出現という、生物進化史上の大進化をもたらしたのだとしたら、全球凍結は生物の進化にとって決定的な役割を果たしたことになる。つまり、全球凍結がなかったら、地球上の生物は、いまだにバクテリアのままだったかもしれないのだ。うむむ、なんという逆説的な指摘でしょうか……。
 地球は、いま、新生代後期氷河期のまっただなかにある。氷期と間氷期が10万年の周期で繰り返しており、ほんの1万年前までは寒冷な氷期だった。その後、地球は温暖な間氷期となり、人類は文明を発展させてきた。しかし、あと数千年から一万年のうちに、また再び氷期が訪れることは確実なのだ。
 地球温暖化が叫ばれているなかで、いずれ地球に氷河期が来るという指摘がなされています。地球と私たち生物体との関わりを考えさせてくれる好著です。
 
(2009年1月刊。1100円+税)

がんは患者に聞け!

カテゴリー:社会

著者 吉田 健城、 出版 徳間書店
 有名人16人のがん闘病記録ですので、読ませます。
 山田邦子(乳がん)、鈴木宗男(胃がん)、市田忠義(大腸がん)、仙谷由人(胃がん)など、それぞれの人たちのがんの壮絶なたたかいの記録でもあります。
 また、読んでいるうちに、勇気も湧いてくる本です。
女優の洞口依子さんという人は、私の全然知らない人ですが、子宮頸がんになって、子宮を広く摘出し、後遺症に悩まされました。そんな彼女が心の支えとしたのが、書くこと、でした。
 朝日新聞の夕刊にコラムを書き、それを単行本にした。書いているうちに、それまで見えていなかった自分が見えてきた。自分に起きたことを短い文にまとめる作業は、客観的に自分を見つめ直す作業だ。病気になってから起きたことを、あれこれ思索しているうちに、そのときどきの自分と病気とのかかわりも見えてくるので、書けば書くほど病気との付き合い方も分かってくる。文章を書くことで、最近、ようやく病気との距離感がつかめるようになった気がする。それで、ちょっと自信もついてきた。なるほど、そういうこともあるのですね。
テレビの政治討論会に出演することも多い共産党の市田忠義氏(書記局長)は、大腸がんの手術後の後遺症として、生放送の討論会の最中にひどい便意に襲われました。民法の番組のときにはコマーシャルタイムにトイレにかけこみ、事なきを得ました。しかし、NHKのときには、コマーシャルタイムがありません。ついに、途中でトイレに駆け込んだのです。それでも、ディレクターがアングルを工夫してくれ、さらに、藤井裕久議員が優しく教えてくれたそうですがんという病気を根絶できる薬はまだ見つかっていませんが、早くだれか見つけてほしいものです。
 
 ツテツの木のすぐそばに今年もツバメ水仙が朱色のスマートな花を咲かせてくれました。1月から咲き始める水仙の最後を飾ります。花弁が細くて、すらっとしていて、ツバメが空を飛びまわる姿を連想させる花です。
 アマリリスの朱色の花も咲いています。もう雑草に埋もれてしまったのかとさびしい気がしていましたが、ことしも元気に咲いてくれました。手植えした植物が見事な花を咲かせてくれるのはうれしいものです。
(2009年1月刊。1700円+税)

日本の城郭

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 西野 博道、 出版 柏書房
 著者自身が日本全国を駆け巡って、有名な城の写真を撮ってまわったというのですから、すごいものです。写真を見てるだけでも楽しいのですが、もちろん、それぞれの城について詳しい解説が付いていますので、言うことはありません。これで2400円とは安いものです。私もこの本に登場してくる城のいくつかは実地に見ていますが、まだまだ見るべき城は尽きないことがよく分かります。
 紹介された45の城のうち、私の行ったことのある城を並べてみます。
 関東より北は、残念ながら一つもありません。浜松城、金沢城、名古屋城、岐阜城には行きました。岐阜城は急峻な山にそびえる山城です。ここに斎藤道三がいて、竹中半兵衛が城を占領したとか、木下藤吉郎(秀吉)そして織田信長が占領したのかと思うと、感慨深いものがありました。すぐ下に、長良川が流れていますが、斎藤道三は息子の軍勢と戦って戦死したのでした。
 彦根城にも行きました。姫路城はもちろん行っています。さすがに白鷺城といわれるだけのことはある優美な城です。岡山城は平地の城です。関が原合戦で西軍を裏切った小早川秀秋が城主となった城です。寝返り者という世間の非難を浴びて家中は乱れ、重臣は離反し、岡山城に入って2年後に21歳の若さで病気で亡くなり、小早川家は断絶したとのこと。哀れです。
 広島城・鳥取城と続きます。鳥取城は下から眺めただけですが、秀吉が完全に包囲して用意周到な兵糧攻めをしたことで有名です。戦国の闘いも知恵比べだったのですね。
 松江城、松山城、高知城はよく保存(再現)されています。高知城の下に広がる日曜市で、ふらりと入った店のカツオのタタキ定食の美味しさは今でも忘れられません。また行きたいところです。
 小倉城にも佐賀城にも、もちろん行きました。佐賀城の大広間は一見の価値があります。そして、熊本城です。再現された大広間を見ましたが、思わず息をのむほどの壮麗さです。島原城・鹿児島城にも行ってきました。武家屋敷がそのまま残っていたりすると、昔の風情が感じられ、江戸時代を背景とする藤沢周平などの小説がとても身近に感じられます。
 
(2009年2月刊。2400円+税)

兄弟(下)

カテゴリー:中国

著者 余 華、 出版 文芸春秋
 猥雑極まりない本です。でも、現代中国の本質的断面を小説として戯画的に鋭く描き出したことから、中国人の共感を招いたのでしょう。上巻が40万部をこえるベストセラーになり、上下巻合わせて100万部をこえたといいます。しかし、失望や批判する声も少なくなく、賛否両論、中国内での議論が沸騰した。なるほど。読むと、それもうなずけます。
 この開放経済篇は、喜劇である。しかし、その中に悲劇の音符をさんざん飛び跳ねさせた。悲喜こもごもの物語を書きたかったから。
 そのとおりです。悲劇があるかと思うと、立身出世物語があり、その裏で悲劇が進行し、また、俗悪な現実が展開するのです。まさしく現代中国の病弊にみちみちた社会の断面を目の当たりに見ている実感にさせられます。
 440頁もの長編です。あまりにめくるめき展開なので、目が回り、吐き気まで催しそうです。
 秋田県熊代市には、海岸に面して風の松原という広大な松林があります。長さ14キロ、幅1キロと書かれています。そのなかに遊歩道があります。チップを敷き詰めた、とても歩きやすい道です。アスファルトとか合成の道ではなく、着地した感触が柔らかく、歩き心地のすばらしい遊歩道です。松の木は、どれもひょろひょろと長いのですが、風が強いせいでしょうか、内陸の方に向かって傾いています。雨上がりの朝、そこを30分ほどかけて歩きまわりました。姿の見えない小鳥が爽やかな鳴き声を響かせてくれるなか、たっぷり森林浴をすることができました。
 すぐ向こうに海があり、波の音も聞こえてきます。ケータイの万歩計に1万2000歩歩いたと表示されました。熊代は静かないい町です。福岡から熊代に移った中野俊徳弁護士の応援団の一人として、熊代に行って来たのです。弁護士過疎解消のため、東北の地で九州男児ががんばる。その決意は大したものです。少しスリムなボディーになって、秋田美人との出会いが実ることを期待しています。
(2008年6月刊。1905円+税)

国策捜査

カテゴリー:司法

著者 青木 理、 出版 金曜日
 特捜検察が捜査に乗り出して世を騒がせた事件を「国策捜査」と冷笑的に評することが珍しくなくなってきた。
 今も多くの人は特捜検察に「巨悪摘発」の期待を寄せ、新聞やテレビをはじめとする大手メディアも、その捜査に喝采を浴びせる。その結果、特捜検察による捜査は「絶対正義」かのような装いをまとい、冷静な分析・批判はかき消されがちだ。しかし、その捜査も内実を一皮めくってみれば、実のところ矛盾と不公平が渦を巻いている。
 近年の裁判は、検察捜査をただ追認するだけだ。検察の動きを冷静に分析し報道してチェック機能の一端を果たすべきメディアの惨状は語るまでもない。もともと捜査当局べったりの習性に染まった日本の大手メディアは、特捜検察が動き出すや否や、その尻馬に乗ってターゲットを一方的に糾弾し、ときに狂乱ともいえるような報道を繰り広げ、世論を煽る。
 宗像紀夫氏(元東京地検特捜部長)は、次のように書いている。
 「犯罪捜査は、もちろん人格的に優れた、そして十分な経験を積んだものが行うべき仕事だと思われるが、現実にはそうではない。経験も浅く、人を説得する十分な技術もない者が、ただ相手を怒鳴りつけて力で相手をねじ伏せるというケースも少なくない。参考人を調べるときも、逮捕できるんだと脅して捜査官側の意向にそう供述を求め、体験もしていない、記憶に反する内容の調書が作成されたという報告もしばしば聞かれる。嘆かわしいことだ」
 結局、供述調書というのは捜査側の作った作文である。それを読んでいる限りは非常につじつまが合う、すきのないものになっている。キレイに書いた作文は、素直に頭に入ってくる。
 検察は嘘をつかないが、被告人は嘘をつくと考えるのが、現在の刑事司法である。
 弁護人が取り調べ中に会えるのは、一日に何分間というようなわずかな時間でしかない。そのときに無味乾燥な事件の話しかできない。ところが、検事のほうは朝から晩まで連日、取り調べしてさまざま話をする。外界と遮断された人間は、近くにいる人間にだんだんと情が移っていくものだ。すると、検事の方が自分の良き理解者のように思えてくるようになる。これも取り調べのテクニックの一つなのである。
 日本の刑事司法の問題点を「国策捜査」の被害にあったと訴える有名人の人たちの体験談をもとにしていますので、その真偽はともかくとしても、訴える力があり、共感を呼びます。
 秋田に行ってきました。
 夕方、川反という一番の夜の街を歩きました。よさそうな郷土料理店がないかなと思いながらぐるっと回ったのです。夜が早かったせいもあるのでしょうか、あまり人通りもなく、客引きの男女が目立ちます。
 一件の小料理店の玄関の雰囲気が良かったので、ついふらふらと入りました。テーブルに座って料理を注文すると、なんだか前にきたことのある店のような気がします。メニューに書かれている店の名前に見覚えがあります。美味しい秋田料理をいくつも単品で注文しました。
 ハタハタのすしは絶品でした。そして、ガッコです。こりこりとした歯ごたえがあり、塩味もほどほどで下になじみます。そうです。やっぱりここは、20年以上も前に秋田の弁護士に連れられて入った有名な店でした。ホテルに帰ってガイドブックを見てみると、そこにもちゃんと載っていました。店の名前は「お多福」と言います。偶然の一致でした。 
(2008年5月刊。1500円+税)

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