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司法改革の時代

カテゴリー:司法

著者 但木 敬一、 出版 中公新書ラクレ
 検事総長が語る検察40年。これがサブ・タイトルの本です。
 検事総長にまで上り詰めた著者ですから、きっと幼いころから神童と認められていたと思っていると、本人が書いたところでは、東大に合格できたのも、司法試験に1回落ちただけで受かったのも、周囲は驚き、不思議がったというのです。これって本当でしょうか。
 検察の現場も体験していますが、法務省の立法に関与することが多く、弁護士会とも折衝を重ねて、相互に信頼をかちえていたようです。人柄もあるのでしょうね。
 今も、アメリカからの外弁の完全自由化(たとえば、今は外弁と日本人弁護士との混合法人を認めろと要求されています)が課題となっていますが、ともかく、外国人弁護士が日本でも活動できるような幕開けを認めたのは、著者が法務省の司法法制調査部に在職中のことでした。
 アメリカの外圧はすさまじいので、外国弁護士が認められたのは仕方のないことだと思います。もちろん、なんでもアメリカの言いなりにはなりたくないのは、一日本人として、今も変わりませんが……。
 ハンセン病国賠訴訟で画期的な国敗訴の判決が熊本地裁で出たときには、法務大臣官房長として著者は控訴断念の方向で導いたようです。この決断は、きわめて政治的なものでしたが、これは私も正しかったと思います。
 この本の後半は、江戸時代から今日に至る日本人の法意識に触れる内容となっています。ただ、そのなかで、「島原の乱以降、反乱という名に値するような暴動や内戦は影を潜める。民衆の側は統治には関心をもつこともなく、むしろ生活を楽しみ、文化を発達させる」としているのは、残念ながら著者の勉強不足としか言いようがありません。
 私は、この書評コーナーで何回も紹介していますが、江戸時代の農民は大一揆を全国的に何回も起こしており、それは政権交代を迫るものでもあったのです。まさか一揆を「暴動や内戦」ではないとしているということもないでしょうから、著者は間違っていると言わざるを得ません。残念至極です。
 たとえば、西南戦争そして勝った官軍側に起きた竹橋事件(騒動)を知れば、日本の民衆に権力への異議申立をする伝統が脈々と生き続けていることは明らかです。むしろ、最近の日本で少なくなっているだけだと私は思います。それだって、いつ再燃しないとも限りません。私が大学に入ったころ(もう40年以上前のことですが…)、「最近の学生はおとなし過ぎて、つまらん」とよく言われていました。しかし、その翌年から、全国的に大学紛争(学園闘争)の嵐が吹き荒れたのです。その後、再び沈静化して今日に至っているわけですが…。
 このような弱点はある本ですが、全体として、さすが検事総長として権力機構のトップに立つだけのことはあると思わせる視野の広さを感じさせます。
 
(2009年5月刊。760円+税)

律令期陵墓の成立と都城

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 今尾 文昭、 出版 青木書店
 私は、もちろん奈良に行ったことはありますが、そこに下ツ道、中ツ道などがあるというのは知りませんでしたし、ましてや、そこを歩いたことがありません。ぜひとも、近いうちにこの奈良の古道を歩いてみたいと思っています。
 藤原京の復元案について、1965年来の定説が、最近の発掘の成果として再検討されている。
 江戸時代、元禄期(1700年ころ)、京都所司代は、奈良奉行所を通じて奈良の村々に陵墓の探索を命じた。天皇陵の調査は、江戸時代から始まっていたわけですね。
 天皇(大王)の葬送儀礼は道路、それも交差点(チマタ)で行われることがあった。うひゃあ、そ、そうなんですか……。いわば、大きな広場における大々的な葬式ということなんでしょうね。
 7世紀から8世紀にかけて、八角墳がつくられた。これは、即位した大王や天皇が採用した墳形であったと考えられる。当時、優勢だった大豪族の蘇我氏が、積極的に採用していた大形方墳に代わるものとして新たに作り出されたのが、この八角墳ではなかったか。つまり、八角墳の出現は、この時期に大王が諸豪族に超越した地位を目ざしていたことと不可分の動きなのだ。
 なるほど、ですね。でも、私は、八角墳というものの存在を、この本を読むまで認識していませんでした。
高松塚の古墳の壁画は、中国南朝の塼画塼室の壁面構成の思想が6世紀に朝鮮半島の百済に伝わり、それが温存された後、唐の画風を日本で再現したものと考えられる。
 いやあ、古代日本って今の私たちが想像する以上に、国際交流が盛んだったのですね。著者は、天皇陵だとして宮内庁が厳重に管理して学者の発掘調査を許さないことを厳しく批判していますが、まったく同感です。
 天皇一族の祖先が朝鮮半島からの渡来者であることは間違いないものと私は考えています(それでいいじゃないですか。何にも問題なんてありませんよ……)。そのことが発掘調査で裏付けられたら困るというのが宮内庁の考えのようです。でも、そうだったら、それでいいと思うのです。日本だけが優秀な民族だなんていうのは、誤った狭い考えですよ。
 昔は、朝鮮半島そして中国大陸のほうが日本列島よりはるかに高度に文化が発達していたのは間違いないのですから。
 
(2008年5月刊。5500円+税)

多喜二の時代から見えてくるもの

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 荻野 富士夫、 出版 新日本出版社
 小林多喜二が『蟹工船』の執筆を始めたのは1928年10月のこと。翌年3月に原稿が完成した。この1928年3月15日に例の「3.15事件」が起きている。戦前の共産党一斉検挙事件である。多喜二は、この事件で逮捕された人々に対する取り調べのすさまじく凄惨な実態を知るにつれ、「煮えくり返る憎悪」をもって弾圧の実態暴露を優先させた。
 これら2つの小説の文学観は、「憎悪」から出発するという点で通底していた。なるほど、生半可な友愛というのではなかったのですね。
 多喜二の『蟹工船』を読んだ検事の報告書が紹介されています(1929年の『司法研究』遊田多聞検事)。
 この『蟹工船』は、もとよりそのすべてが事実だというわけではあるまいが、ただ、その持つ思想がいかに多くの人々の胸を打ちつつあるかと、また、いかに漁雑夫などが資本主義下において恵まれぬ地位に置かれつつあるかということをよく紹介し、資本主義の欠陥を暴露し、労働者の自覚と反省とを促しつつあるか、これを見逃すことができないのである。ふむふむ、見る人は見ていたわけですね。
 小林多喜二が警察官によって虐殺された理由の一つは、3.15の大弾圧の非道性を暴露したからだった。警視庁特高課の中川成夫警部は次のように高言した。
 小林多喜二のやろう、もぐっていやがるくせに、あっちこっちの大雑誌に小説なんか書きやがって、いかにも警視庁をなめてるじゃないか。いいか、われわれは天皇陛下の警察官だ。共産党は天皇制を否定する。つまりは、天皇陛下を否定する。おそれ多くも天皇陛下を否定するやつは、逆賊だ。そんな逆賊は、捕まえ次第ぶち殺してかまわないことになっているんだ。小林多喜二に、捕まったが最後、いのちはないものと覚悟していろと伝えておいてくれ。
 実際、この言葉の2週間後に多喜二は警察が共産党に潜入させていたスパイの手引きでつかまり、予告どおり中川警部らによる陰惨な拷問によって、その日のうちに殺されてしまいました。
 「やあ。おまえが小林多喜二か。おまえは、『3.15』という小説を書いて、おれたちの仲間のことを、あることないこと、さんざん書きたてやがって、よくもあんなに警察を侮辱しやがったな。こうしてつかまえたからには、お前が『3.15』で書きやがったとおりのことをしてやるから、そのつもりでおれ」と脅した。いやはや、なんとも非道い話です。こんな拷問死を実行した警察官も、それを命じた上部の警察幹部も、栄進したあげく戦後までのうのうと生き延びたわけです。ナチスの犯罪が戦後何十年も追及されたドイツとの違いを感じます。
 今の日本で、このようなひどい拷問が再現されないことを願うばかりです。それにしても、最近、人権無視の風潮が高まっている気がしてなりません。その典型が、なんでも死刑にしろといわんばかりのマスコミのキャンペーンです。ヨーロッパのEU諸国は、みな死刑制度を廃止しています。そして、EU加盟の条件に死刑廃止があります。日本がEUに入る必要はないと思いますが、入りたくても入れてもらえないという事実を日本人はどれだけ知っているのでしょうか。
 
(2009年2月刊。2500円+税)

強者の論理に負けないで

カテゴリー:司法

著者 辻 公雄、 出版 せせらぎ出版
 大阪の名物弁護士の著作です。私より先輩の弁護士ではありますが、まだそれほど高齢でもないのに、早くも「弁護士としての最終楽章もかなり終りに近づいている」として「人生の最後に感じたことを綴ってみた」とあります。いえ、いえ、それは早すぎます。もっともっと元気にご活躍ください。
 著者の辻弁護士は、私の知る限り3つの分野で大変有名です。
第一は、オンブズマン活動です。私自身も及ばずながら地元のオンブズマン活動に関わり、この30年来、一貫して住民訴訟に関わってきました(今も2件の住民訴訟を追行中です)。辻弁護士は、大阪でオンブズマン活動を先進的にすすめてきましたが、なんと、市長(どうやら太平光代助役の推薦のようです。太平助役とは、『だからあなたも生き抜いて』の著者として有名な、元ヤクザの妻だった弁護士です)から頼まれて、大阪市政の調査委員に就任し、引き続きコンプライアンス委員会の委員長になったというのです。すごいですね。
 公益通報が年に700件近く寄せられているそうです。内部から600件、外部から100件という割合です。それを丹念に聞き取り、市の行政に反映させているというのです。そういえば、私の敬愛する弁護士が、この4月から札幌市のオンブズマンになって、週3回も市役所に詰めて、市民などからの苦情を聴いているということです。これって大変なことですよね。残念なことに、福岡では、そんな活動が進められているという話は聞かれません。
 オンブズマンについて、改革派知事として有名だった橋本大二郎氏(高知県)は、敵だが、必要な敵だ、と述べた。浅野史郎氏(宮城県)は、うるさい敵、必要な敵、素敵な仲間と評した。ホント、そのとおりです。
 その二は、弁護士費用を裁判に敗訴したものに一律に負担させようという案をつぶした立役者だということです。日本の訴訟費用はアメリカなどに比べると、大変高くなっています。これは、明治の初めごろ、あまりに裁判が多いので、その抑圧策として貼用印紙制度が導入されたことの名残です。アメリカからの外圧によって、高額訴訟の方はかなり低額になりました。それでも、裁判に負けたら相手方の訴訟費用まで負担させられるということになったら、今よりさらに裁判を利用する人が減ってしまうでしょう。日弁連は全力で反対運動を展開し、結局、つぶしてしまいました。その運動の中心メンバーが辻弁護士でした。お疲れ様です。
 その三は、憲法訴訟、たとえばイラク派遣差止訴訟などでの活躍です。大阪では勝訴できませんでしたが、あの名古屋高裁のイラクへの自衛隊派遣は違憲だとする画期的な判決を得る原動力になりました。
 このように、いくつもの分野で素晴らしい活動をしてきた辻弁護士に対して、私は大いに敬意を表します。ただし、辻弁護士の司法改革への評価には、にわかに賛同しがたい異論があります。ちょっと、それはないでしょう、という感じです。
 司法改革、とくに人数問題を中心になって進めたのは、左翼の人の一部と、これに同調した企業派の弁護士だった。
 人数が増えても今までどおり正義感のある弁護士が増えていく考えたことに誤りがある。弁護士の社会正義没頭論は、一種の超人思想である。
 ここらあたりになると、私にはとても理解できず、賛同しがたいものです。まだまだ多くの国民にとって、弁護士は足りないと考えるべきではないかと私は今も本気で考えています。
 
(2009年3月刊。2000円+税)

日本大使公邸襲撃事件

カテゴリー:社会

著者 ルイス・ジャンピエトリ、 出版 イースト・プレス
 事件が起きたのは、今から13年前の1996年12月です。それから4か月(126日)後に、軍隊が突入して占拠集団は全員殺害されたのでした。この本は、人質となり、今やペルー政府副大統領となった人物が書いたものですから、占拠集団をテロリストとし、日本政府、そして人質となった日本人の行動を厳しく批判しています。占拠集団をテロリストと呼ぶのについては、私も否定するつもりはありません。しかし、果たして彼らの交渉の余地はなかったのか、また、逮捕して裁判にかけることをしなかったわけですが、本当にそれで良かったのか、という疑問があります。
 それはともかくとして、この本は、フジモリ大統領の強引な救出作戦の内幕を肯定的に紹介しています。
 公邸に監禁された人質のなかには、ポケベルを持ちケータイを隠し持っている人たちがいた。もちろん、それで外部とひそかに連絡をとった。
 公邸の人質のなかには、フジモリ大統領の母や姉などの親族もいたが、MRTAは早々と解放した。フジモリ大統領は、初めから軍を突入させる作戦を考えていた。ただし、人質の予測死亡数が多い作戦は、政治的配慮から却下した。
 赤十字が人道的見地から公邸内に運び込んだものには、盗聴用マイクが仕込まれていた。人質は当初600人ほどいたが、女性や公邸使用人など、150人が一番に解放された。次々に解放されていき、最終的に人質は106人になった。フジモリ大統領は公邸内の人質が減りすぎるのが面白くなかった。MRTAの負担は重い方がいいと考えていたからだ。
 赤十字のほか、マスコミが公邸内内にやってきて、ひそかに盗聴器をあちこちに仕掛けた。いよいよ人質は72人となり、グループ別に部屋が指定された。著者たち軍人グループは、ひそかに脱出計画を立てた。しかし、テロリストに同調的な日本人たちがいるのを気にした。
 MRTAのなかに、16歳と20代前半の女性もいた。彼らが人質と親しくなりすぎたことから、リーダーは警戒した。
フジモリ大統領は、公邸の地下トンネルを掘り進める作戦を許可した。鉱山の町から60人の坑夫を集め、8時間ずつ3交代制で作業を続けた。1月1日に掘削をはじめて、3月15日に完成を予定した。900トンの土地を地上に運び出すため、夜に少しずつトラックで運んだ。そのトンネル掘削音をごまかすため、公邸に向けて、4台の巨大スピーカーを休みなく大音量で流しつづけた。そして、公邸の実寸大のレプリカを作り上げ、公邸突入作戦の訓練を繰り返した。
 地中にトンネルを掘りすすめていたところ、その地上部分に緑の帯がつくられていった。トンネル内の大壁に水を補給していたのが、地表面にまで浸み出して、雑草を育ててしまったのである。
 うへーっ、そういうこともあるのですね。MRTAはこの地表の異変には気がつかなかったようです。
 公邸に突入する突撃部隊は3つの支援班そして2つの後方支援班で構成された。それぞれ4人1組のエレメントである。合計して140人の兵士から成る。
 特殊部隊はトンネルに入って2日間、待機させられた。総勢90人。腐った野戦食にあたって、ひどい下痢をする者が出た。そこで、トンネル内には湿気を防ぐカーペットが敷かれ、扇風機がまわされた。
 4月22日。フジモリ大統領は、前妻から起こされた慰謝料請求の裁判のため、裁判所にいた。アリバイ作りである。そのとき、突入作戦が始まった。
 ペルー国家側の言い分としては、そうなんだろうなと思いながら読みました。でも、本当に、降伏したMRTAを問答無用式に射殺したことはなかったのでしょうか。フジモリ大統領の強権的手法を考えると、やっぱり大いに疑問です。
 この本のなかで、名指して批判されている元人質の小倉英敬氏の本『封殺された対話』(平凡社)もあわせて読まれることをおすすめします。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

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