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ラブホテル経営戦略

カテゴリー:社会

著者 山内 和美、 出版 週刊住宅新報社
 ラブホテルは不況に強い投資物件だ。そうかなあ、いや、そうだろうな・・・。ラブホテルのプロデューサーが若い女性だというのにも驚きました。そして今や、ラブホテルには、美味しい料理があり、リピーターで持っているのだというのです。世の中、変わりましたよね。
 ラブホテルとは法律上、風俗営業法の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の届け出をして営業しているホテルのこと。
 ラブホテルには昼間からたくさん客が来る。宿泊より昼の休憩の利用客が多い。昼は不倫が多い。不倫の客はラブホテルにとって大切なお客様である。
 もう一つの大切なお客様はデリヘルなどの玄人。1部屋が3回転、1回転あたりの客単価は平均7000円。1日あたりの1部屋の売り上げが2万1000円。月にして63万円。つまり、1部屋あたりの平均売り上げは50~60万円。これが20室で、月1000~1200万円。これが並より少し上のランク。
 一般的にラブホテルとしてもっとも効率が良いのは、20~30室。
 20室で月1200万円の売り上げだと、経費は半分なので利益は月600万円。3億6000万円でホテルを買収して、2~3年で投資金額は回収できる。
 仕入れも在庫もない。そして現金商売である。これが儲かる仕組みだ。
ラブホテルのお客のメインは、20歳代~30歳、40歳代。若い世代。安い部屋を多く利用する若い層をどれだけ固定客にするかでホテル経営の成否を分ける。
 ラブホテルのお客様はリピーターが7~8割。ラブホテルは、リピーターがつきやすい商売である。ラブホテル代を割り勘にするカップルや、女性が支払うケースは普通にみられる。ラブホテルは野立看板で誘導する。
 全国のラブホテルで稼働しているのは2万軒。そのうち、コンピュータシステムは半分。残り半分はまだアナログ系。ラブホテルの備え付けのアメニティとして化粧品やシャンプーを置いているが、不倫が勘づかれないよう匂いのあるものは置いていない。
 なーるほど、そうでしょうね…。
コンピュータシステムを入れていないホテルでは、従業員の不正に頭を悩ませることになる。不正を防止するため、オーナーは、24時間、365日営業のラブホテルでいつも監視していなければならなくなる。疲れて病気になってしまう。
 実際、私も同じ話を聞いたことがあります。
ラブホテルのことが少し分かりました。それにしても、ラブホテルを経営して儲かるためには大変な苦労が必要のようです。
北九州へ行ってきました。スペースワールドのすぐ前のホテルに泊まったのですが、土曜日の昼というのに、スペースワールド駅から降りる人はほとんどいません。そして、日曜日も快晴でしたが、駅に人はパラパラとしかいません。大きな観覧車に乗っている人もごく少なく、これでは動力代のほうが高くつくでしょう。
北九州市が鳴り物入りで始めたスペースワールドがこんな悲惨な状況にあるのを実感しました。
 そもそも、地方自治体がテーマパークに大金を投入すること自体が間違いだと思います。大牟田のネイブルランドは30億円も大牟田市が借金返済していますが、当時の市長も誰も、責任をとっていません。こんな税金のムダづかいは許せません。
(2009年8月刊。1700円+税)

山宣譚

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 小田切 明徳、 出版 つむぎ出版
 やません・ものがたり、と読みます。戦前、労農党の代議士として活躍中、右翼に暗殺されてしまいました。惜しい人物です
 この本は、山本宣治が代議士になる前の青春編ですが、会話も多くて読みやすく、期待以上の出来栄えです。なるほど、山宣も若い頃は苦労したんだなと実感することもできます。
 山宣の両親は親から反対されて駆け落ちのようにして結婚しました。それこそ、夫婦そろって当時は珍しいキリスト教の信者でした。後年、山宣も両親の反対を押し切って結婚します。親に反対する資格なんてありませんよね…。
 山宣は体が弱くて、せっかく入った中学(今の高校でしょうか)を中退してしまいます。そして、東京で園芸見習いに入ります。ところが、ひどい親方で、まるっきり冷遇されてしまいます。
 いったん親元に戻ると、今度はカナダへ旅立ちます。園芸の勉強です。ところが、そこでも大変な苦難が待ち受けています。住み込みで家事手伝いをしたり、造園業に従事したり、果ては鮭をとりに漁船に乗り込んだり、苦労の連続です。やがて英語をきちんと身につけるべく学校に入ります。なんとか英語を身につけると、ラテン語なども会得し、一転して成績優秀な生徒になるのです。
 山宣は、カナダでもずっとキリスト教の信者として活動していました。しかし、教会でもいろいろ軋轢を起こします。真面目というか、生一本というか、思ったことを即、実行に移す人だったようです。
 山宣は苦労し、何回となく挫折を体験したため、しぶとくなりました。
 ハイスクールでは、英文学92点、ラテン語91点、代数99点、トータル856点でトップの成績となりました。いやあ、すごいものです。
 両親が山宣を日本に呼び戻そうとして、「チチキトク」のニセ電報を打ちます。親思いの山宣は、ついに5年ぶりに日本に帰国します。
 山宣は同志社に入り、三高に入り、東大の動物学科に入学します。生物学教室の改革に努め、新人会とも接触します。
 山宣ひとり、独壘(どくるい)を守る。だが淋しくない。背後には大衆が支持しているから。
 これは、私の好きな言葉でもあります。
 よく調べてあると思った、山宣の伝記でした。
(2009年5月刊。1524円+税)

北の反戦地主、川瀬氾二の生涯

カテゴリー:社会

著者 布施 祐仁、 出版 高文研
 矢臼別演習場のど真ん中で生ききった反戦地主の等身大の実像を素直なタッチで紹介しています。
 矢臼別演習場の広さはなにしろJR環状線内の大阪市街と同じほど。1万7千ヘクタールもある。155ミリ榴弾砲をフル射程で撃てる。陸上自衛隊だけでなく、最近では、沖縄に駐留するアメリカ海兵隊も訓練している。これはイラクのファルージャ掃討戦をやった部隊です。白リン弾を使ったとして国際的に非難されましたが、その白リン弾の射撃訓練も矢臼別でやったようです。
アメリカ海兵隊の輸送は行きは自衛隊機、帰りはチャーターした民間機が使われた。武器、弾薬の輸送は日通が請け負った。警備を担当した北海道警察は900人の警官を動員した。町の公民館や体育館が、その宿舎に使われ、その間、住民は利用できなかった。
 射撃情報警告塔は電光掲示板付きで17億6000万円。食費6億4500万円。宿舎3億6500万円。野外トイレ6200万円。次々に豪華なアメリカ軍事用施設が作られていった。すべて日本政府の負担。つまりは、日本国民の税金によって建てられたもの。ここでも思いやり予算は生きている。
 馬を飼っていた。その馬は演習場の中を自由に駆け回り生きる。馬舎というのはないのです。馬は塩を与えると寄ってくるのだそうです。
 川瀬さんは農民組合の書記長もしたが、実は食えなくて出稼ぎにも行ったし、ストレスから自律神経失調症となった。奥さんとも離婚する寸前までいった。
 そんな川瀬さんが自分のことをこう語った。みんな、俺のことを強い信念を持った立派な人だから、ここまで頑張っていると思って来る。しかし、そういう人間だったら、多分、ここにおれなかった。ここに残ったのは、ここを出て行く勇気がなかったからとしか言いようがない。馬を演習場の中に野放しにするなんていうずぼらなやり方は、いい加減な人間にしか出来ない技だべな。だから、ここにおれたのは、グズで、ぐうたらで、どうしようもない人間だったからだと本当に思っている。オレの意思でここにいたわけではなくて、ここにおらされたんじゃないか。そのときどきいるようにいるようになってたんだ。こうゆうのを運命っていうのかな。
 とても素朴な述懐です。なるほど、そうだったのかもしれないなと思いました。まったく気負いというもののない率直な人柄のにじみ出てくる言葉です。
 でも、それが世の中を少しずつ動かしていったのですね。いい本でした。ありがとうございます。
(2009年6月刊。1600円+税)

壊れても仏像

カテゴリー:社会

著者 飯泉 太子宗、 出版 白水社
 仏像の修復作業に携わっている著者による本です。仏像について、いろいろ教えられました。美術院国宝修理所というのがあることも初めて知りました。
 本物の仏像の前に立つと、何かしら時間とは何かということと同時に考えさせられるものがありますよね。
 アフロ仏と呼ばれる、頭がアフロヘアーになった阿弥陀如来(あみだにょらい)像がある。人々をどうやって救おうかとあまりに長く考えていて、髪の毛が伸びてしまったのだそうです。五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏というそうです。一度見てみたいものです。
 平安時代の仏像は一木作りの仏像が多い。単純な一木作りのほうが、江戸時代の寄木作りよりも遙かに耐久性に優れている。寄木作りは、小さい木材でも大きな仏像を作ることが出来る利点がある。しかし、木材と木材とを接合するために一手間かかり、時間が経つと接合面の接着部が弱まって外れてしまう欠点も持っている。
 一木作り(いちぼくづくり)は、頭の先から足底までを一本の木から彫りだした像のことで、ほとんどの場合、両腕や足先については別材を剥ぎつけている。この一木作りは、干割れやねじれが出やすいという問題点がある。そこで、内側を取り除いて中空にしてしまう。
 仏像を修理するときには、そこにあるホコリも粗末に扱えない。その中に仏像の破片が埋もれているかもしれないから。そして、修理が終わったら、ホコリも元あったお寺に残しておく。ホコリも粗末に扱えないのですね…。
 仏像を博物館や美術館に並べる前にはもちろん、修復するときも「魂抜き(たましいぬき)」とか「御霊抜き(みたまぬき)」ということをする。修復が終わり、展示が終わると、魂入れをする。これは、一般の法事と考えていい。
 なるほど、ですね。一般人だって家を建てるときには地鎮祭という儀式をするのが通例ですから、当然でしょうね。手書きイラストもあって分かりやすい、親しみやすくもあり、仏像の修復のことを少しばかり知ることが出来ました。
 まだ35歳と若い著者ですが、5年ほど前に、夫婦で1年半ものあいだ世界中の文化遺産を見てまわったということです。すごいことです。たいしたものですね。還暦を迎えてしまった私なんか、とてもそんな元気はありませんが、あこがれてしまいます。
(2009年7月刊。1700円+税)

ベトナム戦場再訪

カテゴリー:社会

著者 北畠 霞・川島 良夫、 出版 連合出版
 アメリカのベトナム侵略戦争反対。こんなシュプレヒコールを何度と叫んだことでしょうか。東京・銀座の大通りを、夜中、両手を大きく広げてデモ行進したこともあります。なぜだか知りませんが、これをフランスデモと呼んでいました。元気一杯、私がまだ20歳になる前のことです。
 私が大学に入った1967年はアメリカ軍が50万人ものアメリカ兵をベトナムに送り込み、ジャングルでベトコン(ベトナム解放民族戦線)と死闘を繰り広げていました。
 テト攻勢で、ベトコン(これはアメリカの呼び名です。私は解放戦線と呼んでいました)の決死隊がアメリカ大使館を数時間にわたって占拠し、それがテレビで大々的に実況中継され、ベトコン強しを強く印象づけたものです。この決死隊は、やがて反撃に出たアメリカ海兵隊によって全滅させられました。
そんなベトナム戦争を毎日新聞の特派員として現地で取材中、カメラマンとともにベトコンに身柄を確保され、やがて釈放されたという体験を持つ記者が、そのときの写真を手がかりとして、40年ぶりに現地を再訪したのです。そして、驚くべきことに、写真に写っている一番若い兵士が生存していたのでした。
 ベトナム戦争を支えていたベトコンなるものの実体が、実は、どこにでもいるフツーの農民であったことがよく分かります。舞台はクチの近くです。クチはホーチミン市の郊外にある有名なベトコンの拠点であり、今では観光名所となっているところです。
 著者たちがベトコン兵士に拘束されたのは1967年6月のこと。私は東京で大学生活を始めたばかりです。ベトナム戦争ってアメリカが悪いと素朴な気持ちで思っていました。記者とカメラマンは銃も何も持っておらず、まもなく日本人ジャーナリストと判明して、数時間後に解放されます。そして、その帰り際、パイナップルをおみやげに持たされたのでした。この体験を著者は記事にして早速、日本に届け、6月27日の夕刊に大きな記事が毎日新聞に掲載されたのでした。脳天気な2人の笑顔写真まで載っています。といっても、この原稿はテレックスで送信検閲に引っかかるので、たまたま東京に帰る人をつかまえて、手荷物で運んでもらい、東京で投函してもらったのでした。
 40年後、ベトナムの現地にこのときの写真をもって訪ねたのです。この写真は、カメラが2台あり、自分たちを撮ってくれるカメラのシャッターと同時に別のカメラでベトコンの人たちを膝の上から撮ったものです。よくぞベトコンに気がつかれなかったものです。それにしても、ピントがよくあった写真です。
 写真に写っている4人のうち2人は死亡し、一人は消息不明で、一番若い兵士の所在がつかめました。不思議な縁です。まあ、人生、何事もあきらめずに試みてみるものだ、ということでしょうね。
 今では、ベトコンに拘束されたあたりはすっかり様変わりしていました。私が2年前にベトナムに行ったときもあまりににぎやかな大都市でしかなく、ここで、かつて戦争があっていたなんて、そんな印象はまったくありませんでした。
 生き延びた兵士は、サイゴン軍(アメリカ軍)の近くにいた方がかえって安全だったと言うのです。爆撃にあう心配がないからです。なるほど、ですね。
 いま、ベトナムは人口8520万人、そのうち30歳以下が6割、20歳以下で4割を占めている。若い世代が圧倒的に多い。ということは、長生きできないということなのでしょうか。それともベトナム戦争の後遺症なのでしょうか。
 ベトナムの若者に前に紹介しました『トゥイーの日記』が大変よく読まれているそうです。なんだか、ほっとしました。やっぱり過去は忘れてしまえばいいというものではありませよね。『トゥイーの日記』は実に泣けてくる本です。まだ読んでいない人は、ぜひ読んでみてください。ベトナム戦争の大変さがひしひしと伝わってきますから…。
(2009年2月刊。2200円+税)

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