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蘭陵王

カテゴリー:中国

著者:田中芳樹、出版社:文藝春秋
 時代は中国の6世紀後半、南北朝のころです。随が中国を統一する少し前のことになります。
 中国の歴史書である『資治通鑑』に「北斉の蘭陵王・長恭(ちょうきょう)は、才たけくして、貌(かんばせ)美しく、常に仮面をつけ、もって敵に対す」とあることをもとにした小説です。
 同じく中国の歴史小説を得意とする宮城谷昌光と似てはいますが、文体が少し異なります。何がどう違うのか、私の貧弱な言葉では言い表しにくいのですが、宮城谷昌光のほうが一日の長があって話の深みが優っている気がします。かといって、著者の本がダメということでは決してありません。よくぞここまで調べあげ、また、想像力をたくましくしたものだと感心しながら読みすすめました。
 「蘭陵王」というのは日本でも広く知られていて、古典的な舞楽として、国立劇場で上演されているとのことです。恥ずかしながら、私は知りませんでした。
 勇壮華麗で人気の高い作品なんだそうです。知っている人には申し訳ありません。
  蘭陵王は実在の人物であり、『アジア歴史事典』にも登場する。「蘭陵王高長恭、中国は北斉の皇族。文襄帝の第4子。容貌は柔和であったが、精神は勇敢で、武成帝、後主のもとで、しばしば戦功をたてた。北周の軍が洛陽を攻囲したとき、大将軍斛律光とともにこれを救い、邙山で激戦し、500騎を率いて2度までも北周軍に突入して、ついに金墉の城壁下に達したが、城上の斉兵は高長恭であることを知らず、彼は甲を脱いで顔を示し、城中に迎え入れられた。こうして周軍は囲みをといて退走したので、北斉の将士らは、蘭陵王入陣楽なるものを作って、その勇武を歌った。
 戦功により世の威望高く、ために後主の嫌疑を受け、ついに毒薬を賜り、没した」
 この本には、皇帝が疑心暗鬼となっていて、武勲大なる功臣を次々に謀殺していく情景が描かれています。きのうまで栄華の席にあった皇族や功臣が、たちまち逆賊として殺害されていったのでした。まことに封建主義、皇帝独裁制というのは怖いものです。
 著者は熊本県生まれで、私より少しだけ年下です。これまでも中国史関連の本をたくさん書いているようですが、私は初めて読むような気がします。
(2009年9月刊。1500円+税)

暴走族だった僕が大統領シェフになるまで

カテゴリー:社会

著者 山本 秀正、 出版 新潮社
 すごいですね、28歳の日本人青年シェフが、アメリカの大統領就任式のあとのパーティーの総料理長だったというのです。場所は、かのザ・リッツ・カールトンなのでした。
 そしてこの青年は、高校生のころ暴走族にいて、大学はたちまち中退していたのでした。ところが、サーフィンをあきらめて料理の世界に入り、イタリアにわたって料理学校で学ぶうちに料理の道に開眼したのでした。
 それは、幼いころから親の影響で本物の料理を味わっていたからでしょうね。赤坂の交差点にあるマックは、いつも混んでいますが、あんなところで幼いころに舌が麻痺してしまったら、とても繊細な料理人にはなれないように思います。やっぱり、素材の味を生かす料理を大切にしてほしいものです。
 アメリカは料理を大切にしない国だと私も思います。最近は久しくアメリカに行っていませんが、ともかく料理はダメな国です。楽しみがありません。分厚いステーキに塩をふりかけて食べたら最高。そんな国ではないのでしょうか。
 その点、フランスは何度行っても小さなレストランまで、本当に食事を大切にしていることがよく分かります。素材を大切にし、また、調理法、とりわけソースに手間をかけています。食べる楽しみがあります。そして、時間をかけてじっくり食事を堪能するのです。ですから、著者も、外国で料理人として修業するなら、アメリカではなくてヨーロッパでしたらいいと勧めています。同感です。
 私はイタリアには行ったことはありません(いえ、実は北イタリアのティラーノ、そしてコモとミラノ市には、この夏、行ってきました。でも、それはスイスの延長なのです)ので、イタリア料理のことはよく分かりませんが、イタリアンもいいようですね。ピザだけではないのです。
 著者は最近、東京にオープンしたマンダリンオリエンタル東京の初代総料理長でした。
 日本人シェフの奮闘記を読むのは、私の楽しみな読書ジャンルのひとつです。もちろん、そこの店に一度は行って、紹介されている料理を味わってみたいものだと夢見ているのです。ごちそうさまでした。
 月曜日、日比谷公園の中を歩きました。銀杏の木が見事に色づいていました。菊花展もあっていて、花壇に真紅の薔薇の花が咲いています。秋も深まり、冬の気配を感じます。
(2009年9月刊。1300円+税)

地取り

カテゴリー:警察

著者 飯田 裕久、 出版 朝日新聞出版
 もと捜査一課で刑事をしていたという著者による小説デビュー作だそうです。
 巡査、巡査部長、警部補、警部、そして警視が登場します。現場を取り仕切る管理官は警視です。
 警察では、部長というのはたいした地位ではありません。巡査部長を意味するからです。その上に警部補がいて、さらに警部などがたくさんいるのです。
 警察では、何かの犯罪で犯人を検挙したりして、捜査本部を解散するときなどに、ご苦労さん会と称する飲み会が開かれます。その費用が、これまでは裏金によって充てられていたようです。この点についての体験者(元警察官)の苦労話が活字になっています。
 地取りというのは、事件の発生箇所を中心として、ブロックごとにエリア分けをし、各エリアごとに1区とか2区と担当エリアを定め、2人1組で目撃情報や有力情報の聞き込み捜査をすること。捜査一課の古くからある捜査手法であり、きわめて地味だが、もっとも基本的かつ重要な捜査である。
 しかし、基本的な捜査手法であるために、近年では地取り捜査班は、係のなかでも比較的、日の浅い刑事が担当している。
 お前ら、これだけは覚えておけ。ホシを取るのはオレたち刑事だ。逆にホシの境遇だって考えてやるのが刑事なんだ。オレたち刑事は、犯人を死刑台に送り込む権利までは持っていないんだ。
 推理小説のような話の運びですので、ここではアラスジも話の概要も説明しません。お許しください。一気に読ませる本でした。これでプロでないというんだったら、私なんか、どんな存在なのでしょうか。がっくり気落ちしてしまいます。といいつつ、こうやってくじけずに書きすすめるのです。
 日曜日に仏検(準一級)を受験しました。年2回できない学生の悲哀をみっちり3時間にわたって味わいます。さすがに1級よりはわかるのですが今回は筆記試験も合格できるか自信がありませんでした。試験が終わって夕暮れの道をとぼとぼ歩いて駅に向かいました。ただ終わったことだけが救いです。車の中ではいつもNHKのフランス語CDをかけて反復練習をしています。フランス語が身近に感じられます。
(2009年5月刊。1700円+税)

電子の標的

カテゴリー:司法

著者 濱 嘉之、 出版 新潮社
 福岡県生まれのキャリア警察官が、警視庁警視のときに辞職してデビューしました。さすがに内部事情に詳しいだけある警察小説の誕生です。
 警察捜査のIT化がどこまで進化したのか、小説ですが、よく分かります。
 Nシステムも監視カメラも瞬時のうちに捜査に役立てられます。しかし、ということは、人々の生活の隅々まで監視される社会に近づきつつあるということになります。恐ろしい現実です。
 日本の警察官は25万人。そのうち警視庁に6分の1、4万人いる。地方警察ナンバー2の大阪府警でも、2万人はいない。
 キャリア警察官は入庁7年目で警視に昇進し、都道府県警の管理官や課長として赴任する。これが実質的なスタート地点になる。そこから8年間、5・6ヵ所を異動し、途中、2年ほどの海外大使館勤務を経て、警視正となって警察庁の理事官ポストに就く。入庁して15年で警視正に昇進するキャリア組のスピードに比べて、たたき上げの場合には、最速でも、15年では管理職の警部にすらなれない。
 警視庁の捜査1課(捜一)には毎年1人、管理官として警視の振り出しキャリアが勉強に来るが、実際に捜査指揮を執るキャリアが赴任したことはない。当然、キャリアが捜査1課長の座に就くこともない。知能犯捜査を担当する捜査2課長はキャリアのポストで、階級も警視正の一つ上になる警視長である。
 栄聖写真を基本にした詳細画像とゼンリン地図、これにNTTの電話番号、監視カメラ設置地点、その他の情報をリンクさせたものをDBといい、犯罪捜査の切り札的な捜査資料器材となっている。すごいですね。選挙のときにも電話かけは、このテレレーダーにもとづいて行われます。
 警視庁SATの編成は、総勢60人の中隊が各20人の3個小隊で編成されている。狙撃隊員が3つの小隊に数名ずつ配置されている。突撃に先立つ盗聴や潜入の要因も指定されている。SATの使用する武器は、サブマシンガン。狙撃銃レシントンM700などである。いやはや、必要なんでしょうが、怖い話ではあります。
 取調官は被疑者に取調室で初めて対面する。捜査官は、出会いのときのその第一声に非常に頭を悩ませている。何事にも第一印象というのは大事だが、取り調べは命がけの真剣勝負でありながら、一方で相手の気持ちをやわらげ、気勢をそぐことも必要なのだ。時にはなだめ、時にはすかして相手のホンネを聞き出さなければならない。うむむ、それは、そうですね。弁護士も初回相談は真剣勝負です。
 警察の技術の進歩には目を見張ります。そうはいっても、Nシステムというものの全体像を、警察はもう少し明らかにすべきです。そして、監視カメラです。犯罪捜査に役立っても、それが犯罪をなくすことにつながるのかは、別のものだと思います。
 青森の友だちから素敵なワイングラスが送られてきました。7月に青森で会ったとき、峠紀教室に通っていると聞きましたが、その師匠さんがつくってくれたものです。4個のグラスが色も形も異なっています。ピンク、茶、深緑、濃紺です。手になじむワイングラスです。私が大学時代セツルメント活動をしていたとき一緒に若者サークルで活動していました。昔、青森から集団就職で上京してきた人です。大学卒業後もずっと音信があり10年に一度くらい会っています。友だちっていいですね。
(2009年9月刊。1500円+税)

映画大臣

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 フェーリクス・メラー、 出版 白水社
 ナチスのゲッベルスは、毎日詳しい日記をつけていたのですね。それも、他人に読まれることを意識していたとは驚きです。秘書に口述筆記させたり、また、出版社に専属契約して多額の印税をせしめたり……。日記の持つ私的なイメージとは、かなり異なります。
 それでもゲッペルスの書いたものである以上、そこには真実が反映しているのでしょう。その膨大な日記を全部読んで分析したというのですから、たいしたものです。
 この本は、ナチスの宣伝大臣ゲッペルスと映画との関連に焦点をあてています。ヒトラーもゲッペルスも映画が大好きでした。アメリカ映画の大ファンだったようです。そして、ナチス・ドイツの考え方を映画に反映したかったのです。
 ヒトラーが好んでいたアメリカ映画が、なんとウォルト・ディズニーのアニメ作品だったというのです。とんでもない、信じがたい話です。かの『白雪姫』まで、アメリカから輸入していたようです。
 ところが、映画界は、アメリカ(ハリウッド)だけでなく、ドイツでも、あの「いまいましい」ユダヤ人がその才能で「牛耳っていた」のでした。そこで、ヒトラーもゲッペルスもユダヤ人絶滅政策を映画界では緩和せざるを得なかったのでした。だって、そうしないと、ドイツの一般大衆からソッポを向かれてしまい、映画館に人々が足を運んでくれないのですから、仕方ありません……。ナチスのいいかげんさは、ここにも表れています。
 映画館の観客、つまりドイツ国民は、ナチズム色が強いほど信用しなかった。
 ユダヤ人を映画界から追放したため、ドイツ映画のレベルが低下し、ヒトラーが皮肉を言ってゲッペルスが弁解に追われるという状況だったようです。とんだ歴史の皮肉ですね。
 ヒトラーと同じく、ゲッペルスも、ドイツ国民に絶望することがたびたびだった。
 ゲッペルスは、ソ連の「戦艦ポチョムキン」を評価しつつ、ドイツ映画の不出来を嘆いた。
 ゲッペルスは、1945年4月22日、妻マグダと5人の子どもたちと一緒にドイツ帝国宰相官房の地下にしつらえてあった「総統」防空壕に引っ越した。そして、ゲッペルスはヒトラーが自殺した翌日、家族を道連れに命を絶った。
 このあたりは、『ヒトラー最期の10日間』という最近の映画に描かれていました。
 ゲッペルスは、20年以上ものあいだ、毎日1時間以上日記をつけていた。ゲッペルスは自筆で20冊の日記をつけ、口述筆記でタイプ打ちされた3万5000枚の日記を残した。その大部分は、戦後、ソ連に持ち去られた。
 ゲッペルスの日記は、熱狂的で大仰な文章が大変多い。しまりのない、乏しいキーワードだけで綴られた貧弱な言葉の日記である。
 ゲッペルスの日記には、ヒトラーに対するグロテスクなほどの賛歌が目立つ。
 ゲッペルスの妻マグダは、夫の浮気を止めさせようと、上司であるヒトラーに仲介を依頼した。しかし、その妻も秘書官と浮気していたのでした。
 ナチスのユダヤ人絶滅政策が、映画製作の分野でも、実は破綻していたことを示す本でもあると思いました。
 
(2009年6月刊。4500円+税)

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