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「坂の上の雲」と司馬史観

カテゴリー:日本史(明治)

著者 中村 政則、 出版 岩波書店
 司馬漬けを召し上がる際には、中村屋の海苔もお忘れなく。
 司馬遼太郎の書いた「日本史」を、史実そのものと錯覚・誤解している日本人は多いと思います。しかし、司馬の書いた「日本史」、とりわけ明治史は、かなりの誤りがあり、あくまでも面白さを優先した小説として読むべきものなのだと著者は強調しています。この本を読むと、なるほどそうだったのかと納得します。
 日清戦争は、朝鮮を日本の支配下に置くことを目的とした侵略戦争だった。
 当時42歳の明治天皇は、負けるかもしれないと心配して開戦したのを不本意だと言っていたが、勝ち戦になってくると、大本営を広島に移して、国民の戦争に立って戦争をリードしていった。
 日清戦争に勝った日本は、中国から3億4500万円もの賠償金を出させた。それは、当時の清国の歳入総額の2.6倍にも相当していた。清国政府は、そのため、ロシア・イギリス・ドイツの4国から巨額の借款を負い、欧米帝国主義による経済的支配を一層強めた。
 そして、ロシアは、東洋鉄道を大連にまで延長する鉄道敷設権を獲得し、ロシアの南下政策を呼びこんだ。
 日清戦争のとき、日本軍は旅順で、中国人を大虐殺し、欧米に広く報道された。そして、義和団事変の際に、日本軍も略奪に加担している。司馬遼太郎は、これらの事実を無視し、日本軍を美化した。
 司馬遼太郎は、ロシアは18世紀以来、満州・朝鮮を自己の支配下におこうという野望を持っていたとする。しかし、ロシアには日露戦争を断固主張する主戦派はいなかった。ロシアのニコライ2世も、日本側提案の「満韓交換」を認めようとした。
 日本が日露開戦に踏み切ったのは、韓国における利権を確保するためである。その利権の中心は、鉄道や銀行への投資にあった。
 ロシア側は、戦力において大差のある日本陸海軍が、よもや開戦に踏み切ることはあるまいとタカをくくっていた。日本側も、山県有朋、大山巌ら陸軍首脳などは開戦を主張したものの、ロシアに勝てるとは思っていなかった。
 陸軍内部では、開戦に消極的な高級将校と、主戦派の中堅将校と言う矛盾があった。日本政府も民衆もロシアの外圧という主観論に引きずられた。だから、ロシアに先制攻撃をかける作戦をとった。
 旅順攻防戦において、ロシアは20万樽のコンクリートで要塞を塗り固めて、鉄壁の守りを固めていた。乃木希典を司令官とする日本軍が正面攻撃を繰り返したが、それは、要塞攻略の通常の方法であり、間違いとはいえない。第1次大戦のとき、ドイツはフランスのベルダン要塞を攻撃したが、1カ所の戦場で70万人以上の戦死者を出した。
 日本海海戦の前、東郷司令官も秋山真之参謀も、ロシア艦隊は津軽海峡を通過すると判断していた。対馬海峡に来ると、東郷司令官が決断したというのは事実に反している。
 うへーっ、そ、そうだったんですか……。これには驚きました。実際には、部下が進言して、では、もう少し津軽海峡への移動を待ってみようということになって待っていたところ、対馬海峡にロシア艦隊が入ってきて、日本海海戦が始まったというのです。
 司馬遼太郎が『坂の上の雲』を書いたのは40歳代のときでした。書き終わったとき49歳だったのです。40代と言うのは元気もりもりですよね。
 要するに、『坂の上の雲』は、安心史観をベースにしたエンターテイメントの性格が濃厚なのである。この司馬を神様のように持ち上げることは許されない。ふむふむ、なるほど、ですね。
 前にもこの欄で紹介しましたが、私の母の異母姉の夫(久留米出身)は、秋山好古の副官をしていたのでした。これを知って『坂の上の雲』に描かれた案外に身近な存在だと身震いしたほどです。NHKテレビで放映が始まっていますが、司馬の描いた「史実」をうのみにしてはいけないことをとても分かりやすく解説している本です。ぜひ、読んでみてください。
 
(2009年12月刊。1800円+税)

在日一世の記憶

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 小熊 英二・姜 尚中、 出版 集英社新書
 780頁もある新書です。とても新書とは思えない異例の厚さです。もちろん中身もぎっしり詰まっています。
 「在日」の人たちの生きざまを知ると、戦前・戦後の日本の実像が見えてくる思いがしました。この本には、52人もの在日コリアン一世のライフ・ヒストリーの聞き取りが収録されています。あとがきを読むと、膨大な分量だったのをぐっと減らす作業はかなり大変だったようです。私も弁護士の講演録を編集したことがあります(今もしていますが……)ので、その大変さはよく分かります。話し言葉は冗長になりやすいので、それを読みやすいように要点に絞って削っていくのです。
 「在日」一世たちは、明らかに日本社会における「異物」であったが、現在の三世・四世の在日は、言語的・文化的に日系日本人と差異はない。日系日本人との通婚率も高くなり、国籍法が男女両系主義に変更されて以来、生まれる子どもは日本国籍になる可能性も高まっている。したがって、在日六世・七世という存在はありうるが、ごく少数でしかないのではないか。しかし、今後とも「在日」は存在し続けるだろう。
 1952年のメーデー事件のときに、人民広場の決起大会に参加した。日本共産党が始動したが、デモの最先頭にいた人々はほとんど在日だった。ええーっ、そうだったんですが……。私は、「ナンジ臣民、飢えて死ね。朕はたらふく食っているぞ」とプラカードに書いて不敬罪で捕まった松島松太郎氏を知っています。
 日本にパチンコが一番はじめにできたのは新潟。新潟の人が栃木県に来てすすめるので始めた。パチンコには、韓国人・朝鮮人を問わず、血を流した歴史がある。今はそうじゃないけど、当時はお金があるから、土地があるから、出来るという商売ではなかった。どの町でもヤクザと喧嘩して、それでパチンコを守ってきた。殺された人もいるし、命がけだった。
 北朝鮮に1983年をふくめて、もう3回行った。行ってみて、ああ、こんな社会主義があるかと思った。こうしようと思って、こんなに苦労してきたのか……。上と下の差がすごい。体制だ。上の人はそれこそ天国。下の人は地獄。貧富の差っていうもんじゃない。それで総連をやめて民団に移った。
 タイにある俘虜収容所には1万1000人の俘虜がいた。これを日本下士官17人と130人の朝鮮人軍属で管理する。朝鮮人軍属のうち148人が戦犯になり、23人が死刑を宣告され、現地で処刑された。
 朝鮮高級学校の教員生活をしていたので、卒業生に謝らなければならないことがある。一つは、全世界をキムイルソンの主体思想に一色化するというイデオロギーを掲げ、押しつけたこと。二つには、キムイルソンだけを将軍とし、自分の国の歴史と地理をきちんと教えなかったこと。
 なるほどですね。歴史を偽って子どもたちに教えてはいけませんよね。それは、今の日本で自虐史観とかいって、日本の戦前の侵略戦争を引き起こした事実を認めない誤りと根は一つだと思います。
 四・三事件は、無残な敗北だった。しかし、四・三事件は不正を認めない、祖国分断を許さないという民衆のエネルギーから起きたのだ。四・三事件では、南労党(南朝鮮労働党)の済州島軍事委員会が武力抗争の核になっていたのは事実だ。しかし、民衆が軍事委員会に呼応したのは、呼びかけがあったからだけではない。アメリカに対して恨みが一杯あったんだ。当時の民衆は、山に入って武装した南労党の部隊が自分たちの思いを晴らしてくれると信じていた。
 憲法改正や自衛隊派兵の理由として、「北朝鮮の脅威」を挙げるのはガセネタに過ぎない。これはまったく同感です。
大変な労作です。多くの人に一読をお勧めします。
私が子どものころ、近所に朝鮮人部落がありました。ときどき警官隊がドブロク密造を検挙するため、そこに出動していると聞いていました。
 
(2008年10月刊。1600円+税)

見る

カテゴリー:人間

著者 サイモン・イングス、 出版 早川書房
 イカやタコ(頭足類)の眼と人間の眼は、まったく関係がない。人間の眼は皮膚の一部が特化して発達し、頭足類の眼は神経組織から発達した。
 チョウゲンボウ(ハヤブサの一種)は、上空から地上のハタネズミを発見する。ハタネズミは尿の痕跡でコミュニケーションしており、この尿が紫外線を反射する。チョウゲンボウは、矢印に沿って進むように簡単にハタネズミ狩りができる。
 映画もテレビもみなファイ現象を利用している。どちらも静止画像を次々に表示しているが、人間の眼がそれを動く映像として読みとっている。互いにそう遠くないところにある二つの静止した光が点滅すると、一つの点が動いているように見える。静止した点を融合させて動いていると判断する習慣は、自然界にいる動物にとって便利だ。
 夜盲症は、文字記録の前からエジプト・インド・中国で知られていた。そして、この三つの文明のいずれでも、治療薬は焼くか油で揚げるかした動物の肝臓だった。現代の歴史家も、これにはびっくりした。というのも、肝臓はビタミンAのすぐれた供給源であり、ビタミンAは視覚に中心的な役割を果たすものである。
動物は、2億年間、眼無しでも十分にやっていけた。藻類を食べ、海底に沈み、脈動していた。しかし、眼が出現すると、事態は俄然おもしろくなった。
 多くの昆虫は上空を驚くべき精度で見ている。アメリカギンヤンマは、2万8500個の個眼をもつ。像そのものはどうでもよく、空をレーダーのように偵察して動くものを探す。
脊椎動物の眼は海中で進化し、乾いた陸地に上がったときには、海のかけらも一緒に持って行った。脊椎動物の眼をつくっている組織は、生き延びるためには濡れていなくてはならない。水中にいたときでさえ、脊椎動物の眼はいろいろな保護策を講じていたし、水から上がったときにも、その保護策は眼を守り清掃するのに役立った。
 顔は二つのこと、何を感じているか、何を意味しているかを同時に表現できる。何を意味するかを優先して、感情を隠す。
 進化という観点からすれば、喜びを表す信号が大きな重要性を持ったことはなかった。人間の眼は自分が望んでも望まなくても、内心の状態を曝露する。
  人間の網膜には1億2600万個の光受容体がある。視神経の繊維は100万程度。すべての光受容体が神経線維によって脳と結ばれていたら、視神経は眼球と同じくらいの厚さになるだろう。網膜から入る情報がめりはりのきいたものであれば、情報は少なくて済む。上手に編集された100万の信号のほうが、混沌と化した1億2600万の情報より優れている。
 網膜には二つの視覚メカニズムが備わっている。一つは夜間用、一つは昼間用。
 夜間用はほんの小さな光でも収集、記録される。その代わり、鮮明には見えない。できるイメージは粗い。昼間の視覚では、視野の中心の情報が優先される。網膜表面の0.5%しかない中心窩が生み出す情報は、脳の第一次視覚野が受け取る情報の40%を占めるほどの重要性をもつ。
 人間に眼があることの由来と意義を考えさせられました。
 
(2009年1月刊。2600円+税)

新参者

カテゴリー:司法

著者 東野 圭吾、 出版 講談社
 いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
 この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
 この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
 ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
 たとえば、こんなくだりがあります。
 よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
 今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
 推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
 この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。
(2009年12月刊。1600円+税)

1968年に日本と世界で起こったこと

カテゴリー:社会

著者 毎日新聞社、 出版 毎日新聞社
 1969年1月19日の東大安田講堂の攻防戦は、視聴率72%に達した。世帯平均視聴時間は、1時間54分に達し、ほぼ全世帯が注視していた。
 このテレビ観戦で全共闘への共感が高まった形跡はない。
 機動隊による実力排除についての世論調査は、「むしろ遅すぎた」15%、「当然だ」26%、「やむをえない」35%、合わせると8割。「やるべきではなかった」は6%に満たない。
 冷戦下のアメリカは、日本で自民党政権がつぶれ、社会党と共産党の政権になるのをもっとも恐れていた。新左翼は反スターリン主義を掲げてソ連の影響力を排除し、社会党や共産党から独立して暴れまわった。しかし、彼らは議席を得るはずもないし、機動隊とぶつかる程度だったから、体制にとっては大きな影響はない。だから、アメリカからすると、実は日本の新左翼はさして困った存在ではなかった。
 道理で、さんざん暴れさせていたはずです。
 東大の入試中止を決めたのは、安田講堂「落城」の直後。これについて、学者グループが発案して佐藤栄作首相に上申したと書かれています。
 大学紛争の収拾のために、何人かの学者たちがホテルの一室にこもって対策を練った。そのとき、知恵をしぼったのは、どうすれば大学紛争に無関心な一般社会の耳目を集め、事態を収められるかということ。東大入試を中止すれば一番困るのは大企業だから……。
 山上会議所に文学部のノンセクト学生が集まり、安田講堂占拠について議論していたとき、アナーキストの学生が、「いや、面白いからやるんだよ」と言って、一気に結論が出て
占拠することになった。この、面白いからやる、が、大学紛争の意義のほぼすべて、である。
 全共闘運動には、論理的一貫性が欠けていた。
 もっともらしく理論付けする学者が少なくありませんが、当時、反対側の渦中にいたものとして、この指摘はかなり同感と言わざるを得ません。
 三島由紀夫は全共闘の味方だった。また週刊誌『サンデー毎日』の編集部も全員が全共闘の味方だった。『アサヒ・ジャーナル』もそうでしたね。
 総じて、マスコミは全共闘びいきでした。ちょっぴり批判はするのですが、結局のところ、彼らにも言い分があると書き立てるのです。そして、全共闘はすべてのマスコミは敵だと決めつけていたのでした。まことに不可思議な共依存関係でした。
 
(2009年6月刊。2400円+税)

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