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赤ちゃんの科学

カテゴリー:人間

 著者 マーク・スローン、 NHK出版 
 
 赤ちゃんが生まれた。わくわくする人生のビッグイベント・出来事です。私の子どもたちも、ずい分と大きくなりましたが、今でも赤ちゃんのころの写真を大きく引き伸ばして部屋に飾って、ときどき眺めています。赤ちゃんのふっくらほっぺ、つぶらな瞳って、いつ見ても心が癒されますよね。
 メスのゴリラは安産の見本のような動物だ。陣痛が始まると、群れから静かに離れ、30分もすると、産み落としたばかりの我が子を抱いて戻ってくる。お産は自分ひとりでして、群れの仲間たちは出産するメスのことを気にも留めない。ゴリラのお産が楽なのは、母親の身体が大きく、胎児が小さいという生体的な特徴のおかげである。
 これに対して、人間は、18時間も苦痛が続き、他人の助けが必要である。どうして人間は、ゴリラのようなお産ができないのか?
 ヒトの胎児は外に出るために、曲がりくねった産道をなんとか通り抜けねばならない。産道の複雑な構造のせいで、ヒトの出産は苦痛にみちたものになる。産道のなかで、胎児は身体を曲げたり、伸ばしたり、回したり、ヒト以外の霊長類には必要のない複雑な動きを駆使したすえ、やっと生まれることができる。
 ヒトの出産は、まず直立歩行に対応するために大きな変化をとげた。ヒトの分娩が危険な営みになったのは、およそ150万年前のこと、胎児の頭は大きくなる一方なのに、メスの骨盤はある一定の大きさで止まってしまった。
 子宮は、どれだけふくらんでも、絶対に破裂しない。胎児の頭蓋骨は、その弾力性を生かして器用に形を変え、骨板が動いて少しずつ重なりあった結果、胎児の頭の幅は4センチも狭くなる。出口が10センチだから、この4センチは、とても大きい。
 そして、赤ちゃんの30人に一人は、肩にある鎖骨が一、二本は折れた状態で生まれてくる。折れた鎖骨はすぐにくっつき、あとで問題になることはない。
 ヒトの妊娠期間は、本来、21ヶ月であるべきなのだ。つまり、ヒトの母親は、本来なら胎児が9キロ(生後12ヶ月の赤ちゃんの体重)になったときに出産すべきなのだ。しかし、そうすると、頭囲は今より30%も大きくなってしまう。これでは出産できませんよね。
胎盤は多様な機能を果たしている。なかでも重要なのは、母体の血液が胎児のときの出した老廃物を受け取り、尿と一緒に排泄かたわら、水分やタンパク質、脂肪分、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養分を母親から胎児へと運び、成長をうながす働きである。胎盤は妊娠中ずっと母体の抗体を胎児に送りつづけ、その抗体が外の世界に出たあとも、赤ちゃんを病原体から守る。
 胎児の構造のなかでも、とりわけ精巧にできているのが心臓の内部である。胎児の肺は空気でなく、羊水でいっぱいである。
 胎児は、なぜオンギャーと泣き叫ぶのか?
 冷たく、びしょぬれの不快な感覚、驚き・・・・。そして、泣くごとに肺のなかにたまった羊水を少しずつ追い出して、肺胞を開いていく。
健康な妊婦は、経膣分娩のあいだ、酸化ストレスを抑制する高酸化物質ダルタチオンを大量に分泌し、胎児の身体に送り込む。ところが、ストレスの少ない帝王切開分娩の場合、胎児は母体からダルタチオンを少ししか受けとらない。帝王切開で生まれた子どものほうが、免疫系の疾患であるぜん息にかかる確率がやや高い。
出産の瞬間には、赤ちゃんの体内で大量のテストステロンが放出される。誕生直後にいったん急増したテストステロンは、すぐに減少する。思春期にはいって野放しの放出が起きるまで、その状態が続く。テストステロンが男をつくる。ところが、テストステロンは、妻の妊娠によって減る。
 胎児の五感。胎児の目にうつる子宮のなかは、いつも真っ暗というのではない。赤くなることもある。長波長の赤い光の10%は子宮に届いている。胎児は音も聴いている。胎児は、内耳にとどく低周波の音を聴いて子宮の内外に広がる世界について理解を深めている。
胎児はママの声だけは一日中聞いていても、決して飽きない。妊婦が話しはじめると、お腹の子の動きが鈍くなり、心拍数が下がる。
 胎児は音楽が好き。なかでもリズムが一番好きのようだ。胎児は、妊娠最後の2、3週間に母体の内外の環境から自発的に学習し、話し、言葉や音楽のリズムなどの基本を獲得している。
 胎児はママの食べたもののにおいを嗅いでいるだけでなく、生まれたあとも覚えていて、好んで食べるようになることが多い。
 子宮のなかで学んだ感覚を頼りに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚とフルに稼動させて赤ちゃんはママのおっぱいに到達する。子宮のなかで、いつでも、どこからでもなく聞こえていた声が、いまはママの口から出て、赤ちゃんに届いている。聞き慣れたママの声。この世にみちている奇妙な音のなかから、その安心できる声をたどっていけば、ママのおっぱいにたどり着くことができる。
 新生児は、ただ顔を認識できるだけでなく、記憶することもできる。赤ちゃんは、生まれて4時間後には、すでにママの顔とほかの女の人の顔を区別できるようになる。
新生児をママのおっぱいに引き寄せるような役目をするのは、なんと羊水のにおいである。ママの乳首は、羊水そっくりの科学物質を分泌するのだ。慣れ親しんだ羊水のにおいと味に触れて、心を落ち着ける。
 赤ちゃんに食べ物だけを与えても、人との触れあいが欠けると、発育障害が発生する。体重が増えず、身体的・情緒的発達に深刻な遅れが生じる。ネグレクト(育児放棄)や虐待の犠牲になった赤ちゃんには発育障害が発現する。
赤ちゃんには、本当の父親が誰なのかを巧に隠す技がある。赤ちゃんは、とくに誰にも似ていない状態で生まれてくるのは、理にかなっている。一般的に言えば、男性が自分の遺伝子を残すことに成功してきたのは、赤ちゃんが特に誰にも似ていないおかげなのである。
うへーっ、これってあり、ですかね・・・・。腰が抜けそうなほど、驚きました。まさしく人間の神秘ですね。たしかに、生まれたばかりの赤ちゃんって、しわだらけですよね。すぐにふっくらして可愛い顔になりますが・・・・。もっとも、私の子どもは私によく似ているとみんなから言われて安心しています。
(2009年2月刊。1600円+税)

草原の風の詩

カテゴリー:日本史(戦後)

 著者 佐和 みずえ 、 西村書店 出版 
 
 1903年(明治36年)、日本人の若い女性が中国大陸に渡り、万里の長城を越えて、モンゴルの王宮に出かけてのでした。
 実験にもとづく小説です。日本軍の中国そしてモンゴルへの侵略と支配の先兵となってしまうのではありますが、一人の日本人女性の勇敢な生き方が情感あふれるタッチで描かれています。その意味で、大変読ませます。
 そんなように紹介すると、おまえはいつから侵略日本の手先になったのかと、きついお叱りを受けそうです。まあ、そう言わずに、小説として、また、日本人女性の善意ある活躍が政治に翻弄される物語として読んでもいいかなと思います。
 それだけ、モンゴル国を取り巻く状況も描かれているということでもあります。
 侵略軍としての日本人の嫌やらしさも多少は描かれていますので、戦前の日本を知るきっかけになる本だと思いました。
               (2010年2月刊。1500円+税)

性器の進化論

カテゴリー:人間

著者:榎本知郎、出版社:化学同人
 生殖器、体つき、脳など、すべて女性が原型なのである。男性になるには、何段階もの関門があって、そのたびごとに男性にする作業が行われる。そのどこかにエラーがあると、遺伝的には男性にはなれない。つまり、ヒトの原型は女性であり、男性は精一杯がんばって細工をして男性になる。
 射精された2~3億個の精子のうち、卵子に到達する精子は300~500個でしかない。そして、医学的には、射精される精子数が1億を下まわると不妊の原因になるといわれる。卵子に到達する精子は、最低でも150は必要である。
 一番乗りした精子は自分の酵素を放出しては死んで後進に道を譲り、150番以降の順位の精子が福を得て、受精させることが出来ることになる。なんという確率でしょうか・・・。
 ヒトは、半数の人が結婚して妊娠するまで半年ほどかかっている。ヒトの妊娠率は、ほかの動物に比べて低い。なぜか?
 良い遺伝子をもつ雄を選ぶためには、配偶者をきっちり選ぶことが必要なのである。
 ヒトそして、男と女の違いを図解しながら、分かりやすく解説してくれる真面目で面白い本です。
(2010年1月刊。1500円+税)

裁かれる者

カテゴリー:司法

著者:沖田光男、出版社:かもがわ出版
 1999年9月初め、東京の中央線の快速電車に乗っていた男性が若い女性に対して携帯電話による通話を注意したところ、しばらくして、電車内で痴漢したとして改札口を出たところで逮捕されたのでした。「現行犯逮捕」というには、時間と場所が違っています。
 それでも、いったん逮捕されたら、簡単には釈放されません。結局、23日間、丸々警察の留置場に入れられたのでした。それでも、なんとか釈放され、不起訴が決まりました。
 事件のあと、1年半たって、国家賠償請求の裁判を起こしたのです。
 ところが、なんと、刑事事件としては不起訴になったのに、民事訴訟では、一審も二審も「痴漢行為をした」と認定されてしまったのです。うへーっ、と本人ならずとも驚いてしまいます。
 刑事記録は既に廃棄されていました。3年間の保存が義務づけられているのに、担当職員が一年と勘違いして廃棄してしまったのだというのです。なんということでしょう、本当なんでしょうか・・・。
 民事裁判では、男性の身長が164センチで、女性のほうは170センチ。しかも、7センチのハイヒールの靴をはいていた。ところが、女性の「腰」に男性の「股間」を接触させていたという。客観的には、ありえない。それでも、一審も二審も、女性の供述を信用した。そして、最高裁は、なんと法廷での弁論を行った。
 このとき、「被害者」の女性本人が涙ながらに意見陳述したのでした・・・。すごいことですね。
 結果は、高裁への差し戻しを命ずる判決でした。そして、高裁は、痴漢行為は認められないとしつつも、女性の虚偽申告も認められないというものでした。矛盾としか言いようのない判決です。
 この事件が世間の注目を集めた理由の一つは、周防正行監督の映画『それでもボクはやっていない』(2007年1月)にあった。私も、この映画は見ました。大変よく出来ていて、司法の現実、その問題がズバリ描かれていると思いました。
 裁判の限界を実感させる本ではあります。それにしても、本人(1942年生)と家族は、本当に大変な苦労をされたことだろうと推察します。お疲れさまでした。それでも、このような本を書いていただき、ありがとうございます。
(2010年4月刊。1000円+税)

俺の後ろに立つな

カテゴリー:社会

 著者 さいとう・たかお、 新潮社 出版 
 
 大学生のころ、私も『ゴルゴ13』を愛読していました。といっても、買っていたのではなく、寮内のまわし読みの恩恵にあずかっていたのです。白戸三平の「カムイ外伝」も夢中で読んでいました。最近は、とんとご無沙汰しているのですが、1968年に連載が始まってから、今日まで1回も休みなしで続いているというのです。
これはすごいですね。寅さん映画を上まわります。なぜ、そんなことが可能なのか? その秘訣は、分業を取り入れた「さいとう・プロダクション」にあります。この本は、その実情を語ってくれます。その発想、そして企画を40年にわたって実行し続ける力は偉大です。
著者は19歳のとき(昭和30年)、大阪でデビューした。ときあたかも、貸し本ブームの時代。そして、昭和32年に東京に進出。手塚治虫たちがトキワ荘に集まって活動していたころのこと。そして、分業化に早くも挑戦した。その一連の作業の流れは次のとおり。
まず、脚本担当は時代の潮流からテーマをすくい上げ、それに沿った資料をかき集め、そこから物語を紡ぎ出していく、それを俎上に脚本担当と構成担当が徹底的に検証し、脚本を完成させる。構成担当は、その脚本をどういうようなコマ割で展開し、演出するかを搾り出す。それが出来上がると、いよいよ絵を描くのだが、作画担当も、それぞれに人物担当、背景担当と役割が決まっている。スタッフそれぞれが得意なパートを分担するわけだから、それぞれの才能を十分に生かした力強い作品が望めることになる。すべてが共同作業となるため、それなりのチームワークは欠かせないが、完成時には一人作業ではとうてい味わえない達成感がある。マンネリ化を引き起こさないよう、脚本は外注化する。
すごい発想ですよね。マンガを分業化し、チームで描くというのは・・・・。よほど中心にすわる人の力が大切なのではないでしょうか。
 映画と劇画の違い。劇画のコマ割りは二重構造、つまり作品に二重の効果をもたらすという独自の特徴がある。劇画の場合、一つずつのコマ割りの前に、見開きごとの展開を考えなければならない。最後のコマに工夫を要する。次の見開きページに興味をもたせるために、つなぎのシーンで終わらせるといった仕掛けが必要なのである。
 「007シリーズ」の映画を劇画化するとき、著者はそれを読んだことがなかった。原作に引きずられないためである。小説のボンド像が見えてしまうと、劇画として小さくまとまってしまう。そのことを恐れた。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 登場人物作りは大切。いくら面白い脚本ができてもキャラクターづくりに失敗すると、面白くなくなる。そして、主人公の名前が決め手。名前は、その性格に大きく影響する。「ゴルゴ13」のゴルゴとは、キリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘。「13」は、キリスト最後の晩餐で13番目の席にいたユダヤにまつわる数字だ。そこからイメージをふくらませ、あのキャラクターは出来上がった。私も「小説」を書いていますが、ネーミングには苦労しています。名は体をあらわします。イメージは大切ですからね。
 「ゴルゴ13」とは、できるだけ距離を置いて描くように気をつけた。そして、距離を置いていって、どんどん台詞を減らしていった。
 なまじ知識のあるものを道具立てにした劇画は描かない。知識がある分、常識から逸脱した発想が浮かんでこなくなるから。ふむふむ、これって、とても逆説的なことですよね。でも、なんとなく分かりますね・・・・。
これだけ描いてきてもネタに困ったという覚えは一度たりともない。そもそも物語と言うのは、シェイクスピアが書き尽くしてしまっている。それだけに余計なことには手をださない。我々はパターン化されつくした物語にどう味付けし、枝葉をつけるのか、それだけ考えて作業を進めたら事足りる。つまりは、アレンジだ。
それは、音楽も一緒で、旋律のパターンに限りがあって、どれも似たり寄ったりなのだが、リズムをちょっと変えるだけで、不思議なほど、別物に聞こえる。物語も、このアレンジには際限なく、これからもたくさんの作品が誕生するはずだ。
「ゴルゴ13」は身近な出来事の延長線にあるのだが、舞台を国際化すると、スケール感が加わり、スリリングな物語に変身、読者は手に汗して、その成り行きに固唾を呑む。脚本担当と著者の仕事は、そのいかにも現実にありそうな話をアレンジすること、奇想天外なストーリーでありながら、現実にあっても不思議ではない話であることが作品にリアリティーを与える。
シェークスピアが出てくるところは、恐れいりましたという感じです。大変示唆に富む本でした。さすがは読ませる(見せる)プロです。
(2010年6月刊。1300円+税)

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