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封印

カテゴリー:警察

 著者 津島 稜、  出版 角川書店
 
 1982年(昭和57年)秋に発覚して、世間で大問題となった大阪府警のゲーム機汚職事件について、当時、産経新聞大阪社会部にいて事件を追及していた著者の体験をもとにしたノンフィクションのような小説です。さすが迫真の描写です。逮捕者5人、現職警官ら124人が処分された史上最大の警官汚職事件の発端から最後までが生々しく描かれています。
 とりわけ、スクープを抑えようとする新聞社の経営幹部の言動、そして、当時の府警本部長だったキャリア警察官(警察大学校の校長)の自殺に至る経過などが強く印象に残りました。ただ、「あとがき」に府警内部の「餞別・祝儀」という習慣がなくなり、網紀粛正が徹底している、と書かれていますが、本当にそうなのか、私には信じられません。今も巧妙に形を変えて残っているのではないでしょうか。狙撃された国松元警察庁長官が超高級マンションになぜ住めたのか、その謎はいまもって明らかにされていません。
 そして、この本は、大阪地検特捜部を評価する本でもあるのですが、現在進行形の証拠偽造事件を知るにつけ、当時から無理な捜査をしていなかったのか、知りたいところでもあります。それはともかくとして、地検特捜部と警察との微妙な関係もよく描かれていて、大いに勉強になりました。
 大阪特捜は、事件捜査について、土肥氏らが培った伝統を継承した時代から、合理的かつ効率的な立件を重視する時代へと移行しつつある。大阪特捜にも時代の転換期が訪れたのかもしれない。
 府警幹部にからむ裏金の処理問題などを警察庁に正直に報告しても意味はない。自分の首をしめかねない。全国に同じような事情があることは警察庁も十分承知のところである。バカ正直な報告を受けると、建前上、警察庁も処分なり改善を指示しなければならない。だから、警察庁もそんなことは期待なんかしていない。
警察庁のホンネは、第一に無用の捜査は速やかに終結せよ、第二に、捜査の過程で予測できる疑惑については無視して凍結せよ。府警本部長が多数の業者団体から接待を受けようが、祝い金や餞別を受け取ろうが、問題ではない。それを問題にしたら、本部長は今後、異動も昇進もできなくなる。
そして、マスコミの内部ではスクープを止める力が働いた。ある経営幹部は次のように言った。
 こんな特ダネはいらん。うちの社は府警に世話になっている。本社主催のイベントで大掛かりな交通整理をしてもらっているし、印刷工場周辺に信号機も設置してもらった。最近も販売局が購買部数で協力を頼んでいる。
そうですよね。マスコミと警察の癒着は目に余ります・・・・。30年近くも前の出来事ではありますが、古くて新しいテーマだと思いました。
 
(2010年月刊。1900円+税)

西海の天主堂路

カテゴリー:社会

著者:井手道雄、出版社:星雲社
 長崎の有名な大浦天主堂をはじめとする北九州一円の天主堂が写真とともに紹介されています。聖マリア病院の院長としての仕事のかたわら自ら車を運転して写真を撮ってまわったというのですから、すごいものです。惜しいことに、著者は2004年7月に亡くなられました。
 ここでは、福岡の筑後平野のど真ん中に戦国時代以来の潜伏キリシタンがいたこと、そして、今も今村天主堂という壮麗なる天主堂があることを紹介します。
 戦国時代、16世紀後半から17世紀初めにかけて筑後地方には数多くのキリシタンがいた。教会堂が久留米に二つ、柳川に一つ、今村(大刀洗)に一つ、秋月に二つ、甘木に一つ建てられた。
 今村のキリシタンには大友宗麟の影響がある。1600年(慶長5年)ころ、筑後のキリシタンは7000人に達し、1605年には、久留米から秋月に至る地域のキリシタンは8000人をこえた。今日の筑後地方のカトリック信者は2900人ほどなので、当時は今よりはるかに多かった。
 キリシタン禁制以降も、大刀洗の今村は潜伏キリシタンとして残った。宗門改めはあったが、久留米藩は他藩に比べると緩やかなものだった。明治になって、早い時期に村をあげてカトリック教会に復帰した。
 今村の潜伏キリシタンは仏教徒を装いながら、祈りや教会暦を正しく継承して、純粋にキリシタン信仰を守った。
 洗礼。子どもが生まれると、できるだけ早く水方がバブチズモ(洗礼)を授けた。水方は茶碗に水を汲み、上等の紙を細かく折って茶碗の水に浸し、子どもの額と胸につけて洗礼の言葉を唱え、洗礼式には代父か代母を立てた。葬式のときも、仏式の葬式をして、ひそかに紙で十字架を折り、懐のなかに入れて埋葬した。今村では、宿老、水方、聞き方、帳方などの役職者のいる秘密の組織体制が確立していた。
 藩当局からすると、年貢のためには、重要な穀倉地帯の農民を殺すわけにもいかず、とくに目立ったことをしなければ、おとがめないと黙認していたのではないか。
 潜伏キリシタンが発見されたときの問答が面白いですよ。小斎には肉を食べないという習わしこそ教会の掟であった。お互いに必死で探りあったなかで確認しあった。
 ところが、今村の潜伏キリシタンが露見したとき、明治新政府は弾圧した。これを今村邪宗門一件という。今村の信者は三回も入牢させられたが、改心を申し出たので、釈放された。信者も改心届や血判状を出して出牢したら、すぐに信仰に戻るなど、あくまでしたたかだった。
 このとき、868人が潜伏キリシタンだったといいますから、すごいですね。
 明治14年に最初の今村天主堂が建てられた。このときの信者は1402人だった。
 明治の末に今村天主堂の信者は2070人となった。
 現在の今村天主堂は1913年(大正2年)に完成したもの。ロマネスク風の堂々たる建物です。残念ながら、私はまだ見ていません。
 この本は、2006年に出版されたものが絶版になっていましたので、ここに新装再版となったものです。私のフランス語仲間の弥栄子夫人より贈呈していただきました。お礼を申し上げます。ぜひ、一度読んでみて下さい。
(2009年8月刊。2000円+税)

ヒマラヤに咲く子供たち

カテゴリー:アジア

著者:内野克美、出版社:中央大学出版部
 ネパールの子どもたちの実に生き生きとした笑顔にたくさん出会える写真集です。
 でも、ネパールでも、ストリート・チルドレンが増えているそうです。残念なことです。
 ここにも日本語学校があり、数ヶ国語を話す子どもが珍しくないとのこと。たいしたものです。
 ネパールでは兄姉が弟妹の世話をよくしています。兄弟姉妹よく助けあって生きているのですね。
 エベレストにのぼるときに40日間の旅をしたようです。すごいことですね。
 超大型カメラで撮影したエベレスト(8848m)の写真は迫力満点です。ゴツゴツとした威容に思わず息を呑みます。
最後に、その超大型カメラがうつっています。本当に大きいですね。8×10というのは、タテ8センチ、ヨコ10センチというのでしょうか。人間の頭よりも大きいカメラをもって、ヒマラヤの自然や人間を撮りまくっているのです。すごい迫力の写真集です。
 ネパールは、今、10年間続いた内戦がようやく終わって、一応平穏だということです。このまま平和が続くといいのですが・・・。
 内野さん、お疲れさまですね。私と同世代のようですが、無理をしないで、また、超大型カメラで撮った写真を見せてくださいな。
(2010年4月刊。2600円+税)

靖国神社の祭神たち

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:秦 郁彦、出版社:新潮新書
 靖国神社は明治維新とともに誕生した。現在、祭神は246万余柱である。
 靖国神社は、国有国営の別格官幣社から単位の一宗教法人へ衣替えして今日に至っている。
 小泉首相(2001~2006年)は1年に1回のペースで参拝を続けたが、そのあとの安倍、福田、麻生、そして鳩山の各首相は公然たる参拝を控えている。
 昭和天皇も靖国神社へA級戦犯が合祀されてから参拝しなかった。1975年(昭和 50年)以降、天皇の参拝はない。
 西郷隆盛は、その死から12年後に罪名を取り消されて正三位を贈位されたが、靖国神社には合祀されていない。
 原則として天皇と天皇の統率する軍隊のために忠節を尽くした死者に限定され、反乱者や賊名を蒙った人々は対象外とされた。
 日清戦争直後までは、戦病死者は「不名誉な犬死」として合祀対象ではなかった。日清戦争の戦病死者の多くは、戦地における軍の衛生管理が不十分なことに起因するのは明らかだったから、救済する必要があった。しかし、民間人でも、日清戦争で軍に雇われ、「戦病死」した人夫(軍夫)は、合祀対象にならなかった。
 日露戦争のころは、捕虜と確認されるや、氏名が新聞発表されるほど、寛容だった。
 昭和10年までの女性の合祀者は累計で49人にすぎなかったが、支那事変以降は急増し、2006年末までの女性祭神は5万6161柱に達する。
 生存捕虜の情報を得ると、陸軍は将校の停年名簿から削除した。しかし、海軍は、終戦まで、士官名簿から外してはいない。
 戦後、遺族のあいだから靖国神社の存続を占領軍に請願する動きもあったが、インフレと食糧難の生活苦にあえいでいた一般国民の関心は急速に薄れ、年間の参拝者数は、ピーク時の192万人(1944年)から25万人(1948年)に落ち込んだ。
 私も一度は靖国神社に行ってみたいと思っています。それにしても、伊藤博文も、乃木希典も靖国神社に合祀されていないのですね・・・。
(2010年1月刊。1300円+税)

東大は誰のために

カテゴリー:社会

 著者 川人 博、 出版 連合出版 
 
 川人(かわひと)ゼミが20年も続いているなんて、すごいことです。心からなる拍手を贈ります。川人弁護士は、一期だけ後輩にあたります。この本は贈呈していただきました。
 私自身は大学の4年間、神奈川県川崎市(古市場)でセツルメント活動に没頭していました。2年生のときに東大「紛争」が勃発しましたので、もっけの幸いとばかり、授業はほとんど受けていません。大学生として必要なことはセツルメントで地域の人たちから、そして先輩たちから、またセツラー同士のふれあいのなかで学んだと思います。ともかく、地域にある現実の重みに圧倒されました。いまの日本で毎日の食事をとれない人々がたくさんいますが、当時も同じでした。これだけ「飽食の日本」なのに「オニギリを食べたい」と叫びながら餓死した人が現にいるのです。私の学生時代も典型的貧困と現代的貧困の異同を真剣に議論していましたが、本質的にはまったく同じ現象が今日なお存在するのに改めて驚くしかありません。
 川人ゼミは正式には「法と社会と人権」ゼミといいます。東大生のなかの最良の部分を結集しています。川人ゼミの卒業生は既に数百人に及びますが、そのなかの41人が手記を寄せています。すごい影響力です。官僚もいますし、医師や弁護士もいます。子育て中の人、農業に専念する人までいるのですから、まさに多士済々です。
 川人ゼミの特徴は、社会との接点を大事にし、現地に出かけたうえで、文系・理系の枠をこえて議論することにある。将来の専門を問わない幅広い学びの場は、学生が自らの体験を議論を通して学問へと高める機会として、社会の辺縁でこの学び舎を巣立った若者たちの力を必要とするためにある。
川人ゼミで味わった驚き、悲しみ、喜びを思い続けていきたいと思ったし、感じ続ける感性を失いたくないと思った。これは、私が大学一年生のときにセツルメント活動に入ったときに痛感したことと、まったく同じです。
川人ゼミは驚きの連続だった。フィールドワークに参加して、自分のまわりの世界が一気に開けた気がして、爽快だった。知らなかった現実をこれでもかと突きつけられ、もっと目を開けて世の中を見ろと、目玉が飛び出るほど目をこじあけられるような思いだった。自分が本当に知っていることはごくわずかで、ほとんどのことは知っているつもりにすぎないのではないかという思い。怖れともいえる感覚を、はっきり自覚するようになった。
川人ゼミが与えてくれたもののなかで一番大事なものは、ゼミの仲間だった。私にとっては、セツラー仲間こそ、もっとも大切なものでした。残念なことに今では日常的な交流はありませんが・・・・。
 川人ゼミは自らの夢や志を見つめる場でもあった。フィリピンのスラム街でホームステイして、理不尽な状況に置かれながらも、日々懸命に生きる人々の存在を、忘れ得ぬ体験として学んだ。川人ゼミの活動の本質は現場体験であり、現状を肌身で感じてくることだった。
 私たちのセツルメント活動でも同じようなことを、お互いに言っていました。そして、それを文章にするのです。総括すると表現していました。
20年間も続いた川人ゼミです。必ずしもイメージの良くない東大生ですが、東大生も捨てたもんじゃないな。そう思わせる内容の本で、うれしくなりました。
 弁護士会活動のなかでも元セツラーが何人もがんばっています。やはり、現実に密着して、若いうちに体験しておくことって、本当に大切なんですよね。いい本でした。
(2010年9月刊。2200円+税)

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