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ほびっと、戦争をとめた喫茶店

カテゴリー:社会

著者 中川 六平、 出版 講談社
 アメリカのベトナム侵略戦争反対!私の大学生のころ何回となく叫んだシュプレヒコールです。岩国基地の近くにべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が喫茶店を開き、反戦アメリカ兵のたまり場になっていたという話は聞いていました。
 この本は、その喫茶店でマスターとして働いていた男性が、当時の日記などをふまえて活動状況をよみがえらせてくれたのです。
 マスターと言っても、実は21歳の同志社大学生だったのでした。喫茶店を途中でやめて、大学を無事に卒業し、ジャーナリズムの世界に入りました。私より少し下の、団塊世代です。
 この本を読んで、驚いたことがいくつかありました。
 まず第一に、基地の近くで凧あげをして、ベトナムへ飛び立とうとしたアメリカ空軍の飛行機を止めたというのです。うへーっ、凧揚げって、戦争を(少しの間とはいえ)止める力があるんですね。日本の公安刑事が基地近くの凧あげを禁止しようとしますが、何の法的根拠もありません。ある若者は川にボートを浮かべて、そこで凧あげをしたというのです。
 その二は、著者を取り囲んで脅し乱暴した男性4人組の暴漢がいたのですが、それがあとで公安刑事だったというのが判明したのでした。ベトナム戦争に反対しようという日本人の声は当時からかなり大きく、多くの日本人の共通した考えになっていたと思います。それなのに、公安刑事は「おまえなんか岩国に住めないようにしてやる」と言って、「実力阻止」行動に出たのです。ひどいものです。
 第三に、デッチ上げの犯罪で喫茶店が警察によって家宅捜索されたということです。20人以上もの警官が店内に押し入ってきました。関西赤軍に自動小銃が渡ったことの関連だったのです。日本赤軍によるイスラエル空港での乱射事件の直後のことでした。とんでもない濡れ衣でしたが、そのデマの出所には赤軍派の活動家の一人の口から出まかせもあったようです。連合赤軍によるあさま山荘事件の起きたころのことです。
 それでも、その後まだ喫茶店が続いたというのですから、不思議と言えば不思議です。
 まだ21歳の、かなりいい加減なところもある(ありそうな)大学生に喫茶店の経営が任されていたというのも、かなりいいかげんな話です。
 それでも、ベトナム戦争に反対する日本人の気持ちがこういう形で示されたのはいいことですよね。ほのぼのとした中に、若者の一生懸命さが伝わってくる、いい本でした。ベトナム侵略戦争での敗北に懲りず、またもやアフガニスタンへ乗り出そうというアメリカの狂気は恐ろしい限りです。
 
(2009年10月刊。1800円+税)

新自由主義か新福祉国家か

カテゴリー:社会

著者 渡辺 治・二宮 厚美ほか、 出版 旬報社
 日本社会をひっぱったのは、企業社会と自民党政治を柱とする開発型国家であった。
 企業の繁栄で労働者の生活を、と考えた企業主義労働運動も、福祉国家が完成させた福祉の制度に興味をもたなくなった、企業社会プラス自民党利益誘導型政治プラス貧弱な社会保障が、日本社会の成長と安定の三本柱となった。
 共和党と民主党しかないアメリカと違って、日本では、民主党の左に、反構造改革、反軍事大国を公然と掲げる社民党や共産党がいた。こうした状況では、民主党は自民党の構造改革に対処するにも、漸進路線のところではとどまれなかったのである。そして、皮肉にも、これが民主党への国民の期待を高めた。
 民主党は、その支持基盤から言って、大都市の中間層の利害に敏感であり、この層の要求にこたえようとした。大都市部の中間層の要求は、学校での「平等」主義をなくし、より競争的で進学に効率的な教育を受けたいというものだった。子どもたちをより良い学校に上げるために、学区制の廃止、学校選択の自由化も求められていた。
 高卒後の進学には、大学、短大、専修学校を問わず「100万円の壁」がある。親が100万円を用意できなければ、進学は容易ではない。
 失業しても失業保険はもらえない。その受給率は1998年以降下がりつづけ、2008年度は22%、つまり、失業者5人のうち1人しか受給していない。そして、1970年代に受給率が8割から6割にまで下がったが、この低下は日本の労働組合運動がストライキを背景とした国体交渉ができなくなった時期にあたる。
 きちんとした失業補償は、劣悪な職を労働市場から駆逐する大事な要因である。
 失業時の生活保障が十分でなく、「半失業」が増えると、貧困世帯が増え、各種の社会保険も十分に機能しなくなり、無年金者と医療保険の無保険者あるいは実質的無保険状態が増える可能性が高い。
 日本という国の在り方をよくよく考えさせられる真面目な本です
(2009年12月刊。2300円+税)
 朝、雨戸を開けると、赤いチューリップの一群が朝日を浴びて輝いているのが目に飛び込んできます。チューリップは早起きです。いま2区画のチューリップが咲いています。庭に出て数えると82本ありました。3日前は45本でした。雨が降って、たっぷりと陽光を受けてぐんぐん花を開かせています。
 チューリップの隣には地植えの青紫色のヒヤシンスの花が咲いています。可憐な黄水仙そして淡いクリーム色の水仙も咲き誇っています。
 白いジャガの花が咲きだしました。ハナズオウもつぼみをつけ出しています。

歴史の偽造をただす

カテゴリー:日本史(明治)

著者 中塚 明、 出版 高文研
 日清戦争の最初の戦闘は1894年7月25日、朝鮮西海岸の仁川沖合での戦闘、豊島沖の海戦とされている。しかし、実は、その2日前の7月23日に日本軍は朝鮮王宮を占領し、日清戦争の口火を切っていた。
日本軍は朝鮮王宮を占領して、国王高宗を事実上とりこにし、王妃の一族と対立していた国王の実父である大院君を担ぎ出して政権の座につけ、朝鮮政府を日本に従属させ、清朝中国の軍隊を朝鮮外に駆逐することを日本軍に委嘱させる、つまり「開戦の名義」を手に入れ、ソウルにいる朝鮮兵の武装を解除して日本軍が地方で清朝中国の軍隊と戦っているあいだ、ソウルの安全を確保し、軍需品の輸送や徴発などを朝鮮政府の命令で行う便宜を得るというのが目的だった。
 ところが、朝鮮王宮の占領にあたって、意外にも朝鮮の兵士たちが奮戦したため、午前4時20分から7時30分まで、3時間にわたる銃撃戦が続いた。
 このように、朝鮮王宮の占領は決して偶発的なものではなく、日本公使館の提案にもとづいて日本軍が計画をたて、その作戦計画に従って実施された計画的な事件であった。
 日清戦争のとき、日本軍は国際法をよく守ったという議論がある。しかし、清朝中国の軍隊を満載した軍艦「高陞号」を撃沈したあと、東郷平八郎艦長は船長など西洋人4人を救助したほかは、溺れる2千人あまりの中国人将兵は救助するどころか、ガトリングガンで射撃した。これを目撃していた西洋の軍人らが批判したのも当然であった。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、この朝鮮王宮占領についてはなぜかまったく触れていない。ただ、「7月25日、韓国は日本の要求に屈し」たと書くのみであった。
 外国の軍隊によって国のシンボルとも言える王宮が占領されたことのショックは大きい。
 そうですよね。日本の皇宮を突然、韓国軍が占領したら、日本人は大ショックですよ。
 日清戦争、そして侵略軍である日本軍が朝鮮半島でいかに暴虐の限りを尽くしたか、きちんと知る必要があると改めて思いました。その反省なしに、アメリカ軍は日本から出て行けと叫んでも、そらぞらしくなってしまいます。
 
(1998年2月刊。1800円+税)

カリブー、極北の旅人

カテゴリー:生物

著者 星野 道夫、 出版 新潮社
 すごいです、すごい写真のオンパレードです。大平原を1万頭のカリブーが埋め尽くして疾走するのです。それが写真集として気楽に眺められるのです。
 動物写真家として著名だった著者は、惜しくも1996年8月にカムチャッカ半島で取材中にヒグマに襲われて亡くなりました。
 私のテントの周りは一面、極地の花が咲き乱れていた。
 そこへ1万頭に近いカリブーの群れがやってきたのは、夜だった。
 無数の足音が和音となって、何時間もあたりに響き続けていた。
 朝になってびっくりしてしまった。見渡す限りの花が、ほとんど食べつくされているのである。花が消えてしまった寂しさ以上に、私は感動していた。
 雄大な写真の合間に、著者の言葉が書き連ねられています。これまた味わい深い詩としか言いようがありません。
 そして、カリブーの子育てが、実は大変な難事業であることも知らされます。無事に育つ子は半分にも満たないようです。
 頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい…。
 ふと立ち止まり、少し気持ちをこめて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
 なにも生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
 あわただしい人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
 上空から大草原を駆け抜けるカリブーの大軍を撮った写真があります。画面いっぱいに広がるカリブーの姿は、まるで地を這うアリの大群です。
 生命とは一体どこからやってきて、どこへ行ってしまうものなのか。あらゆる生命は、目に見えぬ糸で繋がりながら、それはひとつの同じ生命体なのだろうか。木も人も、そこから生まれでる、その時その時のつかの間の表現物に過ぎないのかもしれない。
 とにかく、どんなに失敗しても、後ろを見ず、悔まないこと。全力を尽くし、だめだったならそれでいいのだ。一番大切なのは、その時の気持ちだ。気を取り直して次の一歩を踏み出すこと。それがもっとも大事なことなのだ。こんなことからも、生きる姿勢の在り方を学ぶことができる。
 著者は、ひたすら前向きに生きようとした人だと言うことがよく分かり、共感できます。
 エスキモーにとって、カリブーは単なる食糧供給源ではなく、昔からの大切な文化的意味を持っている。その関係は、かつてのアメリカ・インディアンとバッファローとの関係に似たものだろう。
 カリブーは、尿を再利用するという特別な身体の仕組みをもっている。冬の間、カリブーは60%以上の尿を胃の中に戻す。そこで尿の中に含まれた窒素を再利用する。窒素はタンパク質合成の中心的な構成要素なので、窒素の再利用という能力を持ったカリブーは、タンパク質価の低い地衣類を食べても生きていけるのだ。
 マイナス50度にまで下がる極北の地に適応して生きているシカ科の動物として、たくましいカリブーの姿がよく捉えられています。一見の価値ある見事な写真集です。
 
(2009年8月刊。3800円+税)

フリー

カテゴリー:アメリカ

著者 クリス・アンダーソン、 出版 NHK出版
 ユーチューブで無料映像配信したところ、DVDの売上は、なんと230倍になった。
 オンラインでは、無料であることが当たり前になっている。
 この経済は、歴史上初めて最初の価格がゼロなのにもかかわらず、数十億ドルの規模を持つものになりつつある。英語のフリーは、自由と無料の二つの意味を持つ。
 本当に無料のものは少ない。ほとんどの場合、遅かれ早かれ利用者は財布を開くことになる。ところが、本当はタダでもらったものではないのに、消費者はしばしばそう考える。
 マディソンで、1988年に創刊された無料の新聞は、その前に13万部(最盛期には16万部)だったのが今では25万部だ。無料のある雑誌は、広告収入があるため、定期購読料を赤字にしても利益の出るビジネスモデルになっている。雑誌業界では、定期購読を勧めるダイレクトメールへの返事が2%以下なら失敗したと考える。
 海賊行為はフリーの強制である。潤沢な情報は無料になりたがる。稀少な情報は高価になりたがる。
  2008年のアメリカ長寿番付によると、上位400人のうち11人がフリーを利用したビジネスモデルによって財を為していた。
 テレビの視聴率は、ピークを過ぎて減っている。
 新聞業界が全体として衰退するなか、フリーペーパーが唯一の希望の星となっている。ヨーロッパを中心に年間20%成長を遂げていて、2007年の新聞の総発行部数の78%を占めている。
 巷には無料のタウン誌があり、ティッシュやガーゼ・マスクなどが街頭で無料配布されています。いったい、どこに秘密があるのか、心配でした。この本を読んで、それがまったく無用のものと分かりました。
(2010年1月刊。1800円+税)

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