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私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー、出版社:文芸春秋
 大変貴重な労作だと思いました。今の日本にも、たとえば北朝鮮に先制攻撃しろと勇ましく叫ぶ人は少なくないわけですが、実際に戦争になったときに何が起きるのか、想像力が欠けているように思われます。この本は、子どもとして戦争の悲惨さを体験した手記が集められています。それも、対立する陣営に所属する子どもたちが書いていますので、実によく置かれた深刻な状況が分かります。今の日本で、一人でも多くの人に読んでほしいものだと私は思いました。
 手記といっても、立派な個人日記帳に書いた子だけでなく、読んだ本の余白にびっしり書き込んだ子もいるのです。そして、戦時下に飢え死にした子、特攻隊になって海のもくずと消えてしまった青年など、手記を書いた子が戦後まで生き残ったとは限らないのです。
 たとえば、ナチス・ドイツのイデオロギーに心酔していた子どもが次第に厳しい現実に直面させられていく様子。ナチスの残虐な支配の下でレジスタンスに身を挺する子どもの生活。この本は、それら両面から紹介していますので、人間社会の複雑さを理解する一助にもなります。
 18歳の東大生(一高生)は、12月8日の開戦日の翌日、次のように日記にしるしました。
 どうも皆のように戦勝のニュースに有頂天になれない。何か不安な気持ちと、一つは戦後どうなるのか、資本主義がどうなるかも気になる。友人は戦争が始まってサッパリしたというが、とてもそんな気持ちにはなれない(8月9日)。
 戦争?戦争が何だ。そんなものにうつつをぬかすから、犠牲者が出るのだ。人間、戦争なんかに精力をつかうほど馬鹿げたことはない。
 現在、皇恩の下にこの帝国に生活して豊かに生きることのできる僕は、御召とあれば赴くことを否むものではないし、戦争などに押しつぶされるほど弱い心ではないつもりだ。しかし、僕は断固として反戦論者として自らを主張する。戦争を除くことに努力するつもりだ(12月15日)。
 すごいですね。こんなことを日記に書いていたのですね・・・。
 今日、戦争についてパパと話した。この状況では、ドイツは戦争に勝てない。この事実を直視しようとしないのは、弱さの表れというものだろう。
 もうドイツに勝ち目はないとだれもが思っている。パパは、敗戦がそんなに絶望的なことだとは考えていない。アメリカの監督の下、ドイツは西側諸国によって共和国につくり変えられるだろうとパパは信じている。パパもママも平和になることだけを望んでいる  (1944年1月2日)。
 だけど、ドイツがアメリカの家来になるのだろう。それくらいなら死んだほうがましではないか・・・。本当に、この戦争は、とてつもなく無意味で狂っている。ドイツ人がすでに敗北を確信しているのに、前線ではまだみんなが殺されているのだから。それでも脅えているのは、あの狂ったヒトラーの意思の深さが予見できるのだからだ。ヒトラーは、自分自身の国の将来に対して、あまりに無責任だ(1944年7月25日)。
 ああ、神よ。あなたは、どうして許しておられるのですか? やつらは神は常に中立の立場におられるなどと言うのを。
 私たちを破滅させようとする者たちになぜ天罰をおくだしにならないのですか?
 私たちが罪人で、彼らが正しい者たちなのですか?
 それが真実なのですか?
 あなたは聡明なお方ですから、そうではないことぐらい、きっとわかっておられるはずです。私たちは罪人ではなく、彼らは決してメシア(救世主)ではないことぐらい!
(1944年8月)。
 これは氏名不詳の少年の最期の言葉です。
 1944年8月6日、ナチス・ドイツは最後のユダヤ人の強制移送を始めた。6万7千人あまりの青年男女がアウシュヴィッツに送られ、半数以上はガス室に直行させられた。この少年の日記は、終戦後に発見されたものです。
 1945年4月12日。ベルリンのみんなが自分の意見をあけすけに口にしていることには、まったく驚いてしまう。ほとんどが反ナチスの意見だ。ゲシュタポの恐怖にもかかわらず、もう誰もが意見を言うことを恐れていない。他人を密告する人間は、もう一人もいないからだ。そんなことをしたら、あとでアメリカ軍かソ連軍に捕まって処刑される、と誰もが思っている。
 ただ、理解できないことは、それならどうしてドイツ人は、ナチスの圧政にもっと前から抵抗しなかったのか、ということだ。単に親衛隊が怖かったからだろうか。ドイツ国民は臆病者ばかりなのだろうか。きっとそうなのだろう。ドイツ国民がこれほど無神経になったのは、空襲の恐怖のせいもあるかもしれない。今では、誰もがナチスを憎み、ナチスの支配が終わってくれたらと願っている(1945年4月12日)。
 ナチス・ドイツに加担した子ども、その被害にあったユダヤ人やポーランドの子どもたち、日本人で反戦思想の持ち主でありながら、特攻隊員となって戦死した大学生。さまざまな子どもと青年の手記によって戦争の残酷さが身にしみて伝わってきます。
 一人でも多くの人に読んでもらいたい本です。
 あとがきに、戦争中にも、実に多彩な青春があり、思春期があった。戦時下で大人になるとはどういうことなのか、読者は、あの戦争の意味を多面的にとらえることができるという指摘があります。まったく同感です。
(2010年8月刊。1900円+税)

脱・「子どもの貧困」への処方箋

カテゴリー:社会

著者:浅井春夫、出版社:新日本出版社
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会で素晴らしい劇をみました。東京の若手弁護士たちが関わっていることは分かっていましたが、その迫真の演技に、まさか弁護士が演じているとは思えません。ところが、あとでパンフレットを見てみると、ほとんど弁護士が演じていたのです。すごい、すごいと一人で興奮してしまいました。
 といってもストーリーの内容は悲惨です。離婚した母親。職場や地域でいじめにあって、うつ病。住まいはゴミ屋敷と化します。二人の子どもたちは満足に食事をとらせてもらえなくて心身ともに発育不良。社会に出ても、なかなか落ち着けない。そんな苦労話のなかで、弁護士との接点が少しだけ明るい話として登場してきます。いやあ、本当に、世間の風は冷たいよね。思わず、涙ぐんでしまいました。この劇の骨子を提供しているのが、この本です。日本の悲惨な現実を改めて認識させられました。
 子どもの貧困は、現代日本の政策によって緩和されるどころか、つくり出され深刻化している。子どもを養育する大人が複数から一人親になることで、生活の貧困化が急激にすすむ現実がある。「子どもの貧困」は、個人・家族の責任だけに帰する問題ではなく、社会が生み出す問題として考えなければならない。
 今の日本の現実の一例。
○ 給食がないので、夏休み明けに10キロも痩せてくる中学生がいる。
○ ほとんど給食だけで暮らしている子どもがいる。
○ コンビニ弁当、カップラーメン、冷凍食品、お菓子など、まったく手づくりの食事をとったことのない子どもがいる。
○ カッパや傘がなく、雨が降ったら無断欠席する子どもがいる。
 うへーっ、これが金持ちニッポンで子どもたちの置かれている現実なのですね・・・。
 子どもを虐待する親の特徴。
 第一に、自己評価の低下サイクルに陥っている。 
 第二に、親は自らの行為を虐待であると思わないか、認めようとしない。
 第三に、社会的に孤立している。
 第四に、ストレス解消法を知らない。
 第五に、子育ての間違いに気がついておらず、「体罰」を「しつけ」と考えている。
 そうなんですか・・・。
 1990年から2008年までの18年間で、高校三年生の性交経験率は、5分の1から半数へ急増した。性被害・加害経験の多さも、「生徒の性」を考えるうえで避けて通れない。
 民主党政権の子育て支援政策は、現金給付に力点を置くという特徴がある。しかし、現金給付は、子どものために、そのお金が使われるという保障はない。親の生活費の補填に回る可能性は高い。
 いまの日本の現実に対して、政府は、「子どもの貧困」との戦争について「宣戦布告」する決意が問われている。
 子どもの貧困率14.2%を半分に削減する目標と、達成年度を明確にして提示すべきである。
 食生活の貧困は、食事内容の貧しさとなって現れる。それは子どもに必要な栄養価を満たすことなく、身体的な発達への影響や病気へとつながりやすい。
 食生活の貧困は、家庭だんらんを奪うことと同じである。子ども期には、食べたいものが食べられる権利の保障がなくては、安心・安全の生活とはいえない。
 すべての子どもがおなかを空かして悲しんでいることのない社会を今の日本で実現できないはずはない。すべての子どもたちが腹一杯に食べることができ、きちんと学校で勉強ができて、いじめにもあわない。そんな社会になったら、安全な社会を維持する経費が、今よりもずっとずっと安くなる。
 物事は、すべて視点を変えてみる必要がありますよね。日本の現実を知るうえで、いい本でした。ぜひ、あなたも、ご一読ください。
(2010年8月刊。1700円+税)

バカボンのパパよりバカなパパ

カテゴリー:社会

 著者 赤塚 りえ子、 徳間書店 出版 
 
 今ではほとんどマンガ本を読むことはない私ですが、大学生のころまでは週刊マンガをよく読んでいました。『おそ松くん』は愛読していましたし、シェーという奇声とパフォーマンスは私も何回もしたことがあります。そんなわけで赤塚不二夫は、とても身近な存在なのです。その愛娘である著者がマンガ家である父親をどう見ていたのか、ぜひ知りたいところなので、早速よんでみました。天才の娘であることは喜びなのか苦痛なのか。どうなんでしょう・・・・?
 この本を読むと、赤塚不二夫が天才的才能を持っていることを改めて確認できると同時に、単なる女好きの凡人ではないのかという気にもさせます。それにしても、娘はいいものですよね。父に可愛がられたあげく、イギリスに渡って自らの芸術的才能を花開かせることができたのです。そして、父母が離婚したあと、なんとか父親と再び折り合いをつけることが出来たのでした・・・・。
 「なんでマンガを描いたの?」
 「マンガはな、お金をかけないで、監督も俳優も美術も全部ひとりで出来るんだ」
 なーるほど、そうも言えるのですね・・・・。赤塚不二夫は、早くから分業システムを導入していた。仕事量が増えるにつれ、さらに合議制をフジオ・プロに取り入れていった。
 ギャグマンガは、毎回新しいネタを一から作らなければならない。赤塚不二夫は一人だけのアイデアでは限界があると早くから悟り、マンガのアイデアを練るために、アシスタントや担当編集者も交えて「アイデア会議」を開いた。それは、初めから雑談から入る。雑談のなかの何かちょっとした事柄からアイデアが飛び出して、どんどん広がっていく。このアイデア会議には3時間かける。絵を描き始めるのが昼からで、終わるのが夜中の3時。12、3頁の作品にかける時間は、アイデアを含めて15、6時間ほど。
 1970年代の前半には、アシスタントだけで、40人を数えた。うへーっ、す、すごい人数ですね・・・・。
 赤塚不二夫は、多いときには週刊・月刊あわせて12本の連載を抱えていた。容赦なく迫る締め切りに向かって、毎日違うマンガを描いていた。平日は週刊誌、週末は月刊誌をやっていた。1日4時間足らずの睡眠時間だった。
 しかし、赤塚不二夫は、どんなに忙しくても、呑みに出かけた。しかし、そこでもアイデアをつかんでいたのだ。
 ハチャメッチャな人生を送った赤塚不二夫ですが、何事にも真剣だったようです。そんな真面目さがなければ、あんなふざけたマンガなんて描けませんよね。
 私も赤塚不二夫には、お世話になりましたという感謝の気持ちで一杯です。
 
(2010年6月刊。1600円+税)

ふるさと子供グラフティ

カテゴリー:社会

 著者 原賀 隆一、 クリエイト・ノア 出版 
 
 これはこれは、とても懐かしい絵のオンパレードです。思わず見とれてしまいました。手にとってニンマリ。幼かったころの楽しい思い出の数々が脳裏によみがえってきます。著者は私より年下の団塊世代ですから、子ども時代は、お金がなくても豊かな自然があり、同じ年頃の友達がわんさかいて、群れをなして集団遊びに打ち興じていました。もちろん、ボス支配などもあり、いじめもあっていたのですが、なにしろ子どもの数は多いので、たくさんのグループがあり、テレビもゲーム機も何もないような時代ですから、みんなで遊びを作り出しながら楽しんでいました。そういう意味で、現代の子どもたちは不幸ですよね。お金があっても、楽しく遊べる仲間が身近にいないというのですから・・・・。
 著者は高校の同級生と結婚し、奥様がスタッフ兼、経理兼、妻だというのです。うらやましいような・・・・。
50年以上も前の子どもたちの遊びが楽しく図解されています。ああ、なるほど、こんな遊びをしていたよね。生まれ育った地域は少し違うのですが、同じような遊びをしていたことを知って喜びをともにしました。
 ここになかったのは「パチ」の遊び方です。近くの社宅に行くと、子どもたちが、メンコを山のように積み重ねて、ひらりと一番上の一枚を飛ばすと勝ちとなり、全部のメンコをもらえるのです。それこそ神技でした。どさっという音がしたのではダメなのです。まさしくひらりと軽やかな音をたてると一番上のメンコが一枚だけ音もなくすーっと空を飛んでいくのです。すごい、すごいと感嘆していました。
 ラムネん玉(ビー玉)遊びもよくしていました。きらきら輝くビー玉を手に持って遠く離れたビー玉にうまく当てるのです。私はこれは得意でした。
だるまさんがころんだ。六文字。三角ベース(野球)・・・・。いやあ、子どものころの遊びって、たくさんありましたね。なつかしさ一杯の楽しい絵本です。ぜひ、あなたも手にとって眺めてみてください。すっかり気分が若返ること、うけあいです。
(2009年11月刊。2000円+税)

波浮の港

カテゴリー:司法

 著者 秋廣 道郎、 花伝社 出版 
 
 楽しい本です。子どもの時代の楽しくも切ない思い出がたくさん詰まった本なのです。
 波浮(はぶ)の港と言えば、伊豆の大島のことです。著者は大島の名家に生まれ育ったのですが、5歳のときに父を亡くしました。そのときのエピソードが心を打ちます。
 通夜や葬式の日に、近所の人は、父を失った幼い私を哀れんで、「みっちゃん、可哀想ね」と来る人来る人いうので、それがたまらなく厭だった。それで、(近所の)史郎ちゃん、六ちゃん(いずれも著者の子分である)を連れて、お葬式の日に波浮の港へ泳ぎに行ってしまった。そして、ひどく怒られた記憶が残っている。しかし、誰かは定かではないが、「みっちゃんも辛いのよ」と庇ってくれた人がいた。その言葉の優しさが今も忘れられない。
 そうなんですね。5歳には5歳なりのプライドというものがあるのですよね・・・・。
大島の三原山に日航機の木星号が墜落したのは、著者が小学3年生のとき。早速、三原山の現場へかけのぼり、スチュワーデスと思われる女性の死体を見たというのです。この木星号の墜落事件についても松本清張が本を書いてますよね。よく覚えていませんが、アメリカ占領軍と日本の財閥をめぐって何か略謀の臭いのある事件だと描かれていたように思います・・・・。
 小学生の著者たちは、なかなかおませだったようで、美空ひばりを本気で好きになったり、美人の先生が男性教師とデートするのを子どもながら嫉妬し、木の上からおしっこかけて邪魔しようとしたりしています。
 著者の家は旧家で名望があったとはいえ、小学生のころから家業の牛乳屋の牛乳配達をしていました。そのおかげで小柄な身体つきですが、頑強な身体になったそうです。
著者は、小学校も中学校も一学年一クラスの中で育ちました。9年間も一緒だと、その性格はもちろん、その家庭の様子も手にとるように分かる。ごまかしや格好付けのできない世界だった。なるほど、だから、いじめられる側にまわると悲惨なんですよね・・・・。
教師には恵まれたようです。伊豆の大島は都内からすると一級の僻地なので、若い新任の教師も多かったのでした。
 小学二年生のときに髄膜炎にかかって長く自宅療養しているなかで、著者は孤独との戦いを余儀なくされ、いろいろ考えさせられたのでした。そのころ、大島の三原山は投身自殺の名所となっていました。漁船の遭難事故も多く、人の死と向きあう日常生活があったのです。著者自身も大島での子ども時代に九死に一生を得る体験を二度もしています。
当時の写真だけでなく、素敵なスケッチがあり、また、漫画チックな著者たちのポートレートもあって、終戦後間もない大島における子ども時代が彷彿としてきます。
 著者は先輩にあたりますが、私と弁護士になったのは同じ年で、一緒に横浜で実務修習を受けました。運動神経が抜群で、ボーリング試合での成績がいつもとても良いのに感嘆していました。これからも、どうぞ元気で頑張ってください。よろしくお願いします。
  
(2010年10月刊。1500円+税)

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