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カテゴリー: 人間

はだかの起原

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 島 泰三 、 出版  講談社社会学術文庫
現代人の膚がすべすべして、毛皮をまとっていないのはなぜなのか・・・。
サルだって、チンパンジーだって、ゴリラだって、オランウータンだって、みんなみんな毛皮をまとっている。それなのに、ホモ・サピエンスだけ毛皮ではなく、肌はツルツル、どうして・・・。
ひところ、アフリカで湖に入って生活したためイルカのようにスベスベの肌になったという学説があり、私も惹かれていました。ところが、今では支持する学者は皆無のようです。
では、なぜ、人類だけがツルツル肌であり、洋服を着ているのか、それを探ります。
人類が裸で生き残るためには、特別な条件がなければいけない。それは、家、火、そして衣類だ。7万年前に、人間は衣類を発明した。
北京原人が火を使った跡はない。ネアンデルタール人が火を使っていたことは確実である。ネアンデルタールの分布と住居遺跡には、彼らが野生動物だったことを示している。野生動物として生きていくためには、毛皮がなくては不可能である。毛皮は、野生動物にとっての衣類ではない。毛皮は家である。そして、ネアンデルタールは、言葉をもたなかった。
アフリカ高地でしか裸の人間は成立しなかった。アフリカ低地にはマラリアがある。低地で裸の人間が生まれても、生き残る確率は非常に少なかったはずだ。しかし、高地ではマラリア蚊は少ない。
現代人は裸だったからこそ、氷と雪に閉ざされた世界で生き抜くことができた。現代人は、ネアンデルタールと違って、密閉された家をつくる能力をもち、家の中の温度調節をする能力をもっていたし、衣服をつくる能力もあった。
団塊世代の著者は『アイアイの謎』など、動物についてのたくさんの研究があり、いつも注目しています。ただし、東大闘争を扱った『安田講堂』だけは、まったくの間違いを平然とおかしています。自ら、体験しないことを、勝手に憶測していて、残念としか言いようがありません(たとえば、図書館前にいたのは駒場の学生が主体であって、「外人部隊」もいましたが、主として待機していて、全共闘と激しくぶつかりあったのは私たち駒場の学生なのです)。
若いときの間違いを今なおそのままひきずっている点は大変残念ですが、動物学者としての目ざましい活躍には心からの拍手をおくります。
(2018年5月刊。1250円+税)

笑いの手品師

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ジミー重岡 、 出版  花伝社
人間が生きていくうえで笑いは不可欠です。私は司法試験の受験勉強をしている苦しい日々のなかで、笑いを求めて、何回となく映画『男はつらいよ』を観にいきました。腹の底から屈託なく笑い切る。そんな時間が、たまには本当に必要なのです。
この本は、その笑いを手品師がつくりあげていく過程を紹介し、分析しています。
手品師は、単にショーを演じて、観客に我を忘れさせるだけではダメ。心の底からウサを吹き飛ばすような笑いをひっぱりあげる。それが手品師の役割だ。著者はこのように力説します。ですから、手品師が黙って手慣れた芸を見事に演じるだけではいけません。
なるほど、私もそう思いました。芸を感心して眺めているだけでは、すぐに忘れられてしまうでしょう。でも、そこに笑いがともなっていると、心の底に何かが残ります。その何かが大切なのです。
著者は、長い教師生活とあわせて、28年間も手品を演じてきました。月に平均2回か3回は手品を披露します。30分間の手品ショーのなか、10回は笑いが起きるといいます。たいしたものです。
手品ショー30分のうち、手品の演技は4割ほどで、残りは会話が中心。手品は、技がすごいだけではダメ。
本番の前には、事前に台本をつくり、十分練習してのぞむ。ゆっくりで良いので、言葉はよどみなく出るように心がける。言葉が詰まると、流れがギクシャクしてしまう。それでは、観客の心がすっと演技に吸い込まれない。
手品は笑顔で、はっきりと、自信をもって演じると、うまくいくし、楽しんでもらえる。
自信をもって楽しく振る舞うのが、手品の基本。
当日は、のどアメとのどスプレーを持参する。咳やくしゃみが出ないようにする。
「あのー」とは言わない。
著者が手品を演じるときは、シルクハットに上下の黒服。手品モードになってもらうため、衣装はとても大切。
観客のなかでは、小学生が一番手ごわい。
手品のからくりを見破ろうという人がいたら、助手になってもらうようにする。
なーるほど、そういうことなんですね・・・。
中学・高校で長く社会科を教えてきて、今では全国を手品師として駆けめぐっている著者の貴重な体験談です。実は、私の事務所でもボランティアの手品師を何回も招いて演じてもらったことがあります。その人(男性)も、この本の著者と同じようなことを力説していました。演技の技術以上に会話力が求められるのが手品師なんだということがよく分かる本でした。
(2017年11月刊。1500円+税)

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 奥野 克已 、 出版  亜紀書房
この本のタイトルは、まだ続いていて、「と暮らして人類学者が考えたこと」となっています。
ボルネオ島に暮らす人口1万人の狩猟採集民あるいは元・狩猟採集民をプナンと呼びます。そのプナンの人々と共同生活した学者による興味深いレポートです。
プナンが旧石器時代からの生き方を今日まで維持しているという証拠はない。しかしプナンが定住農耕民とは異なる遊動民のエートスをもち、人類は元来こうだったのではないかと思わせてくれる行動やアイデアにあふれている。
マレーシアのサラワク州を流れるプラガ川の上流域の熱帯雨林に現在、およそ500人のプナンが暮らしている。
プナンは、生きるために、生き抜くために食べようとする。プナンは、森の中に食べ物を探すことに1日のほとんどを費やす。食べ物を手に入れたら調理して食べて、あとはぶらぶらと過ごしている。プナンにとって、食べ物を手に入れること以上に重要なことは他にない。プナンは「生きるために食べる」人々である。
森に獲物がないときは、何日も食べられないことがある。獲物がとれたときは、食べたいだけ肉を頬張る。食べては寝、寝ては食べる。1日に4度も5度も食べ続ける。
赤ん坊にオシメはない。赤ん坊が便を垂れ流すと、母親は特定の飼い犬を呼び寄せて、肛門を舐めさせきれいにする。犬が赤ん坊のこう門をぺろぺろと舐めると、赤ん坊は気持ちがいいのと、こそばゆいのとで、きゃっきゃっと騒いで喜ぶ。
プナン語に「反省する」という言葉はない。プナンは、後悔はたまにするが、反省は恐らくしない。プナンは状況主義だ。くよくよと後悔したり、それを反省へと段階を上げても、何も始まらないことをよく知っている。
プナンに生年月日を尋ねても、答えられる人は誰ひとりとしていない。自分がいつ生まれたのか覚えていないし、周りの誰も知らない。プナン社会にはカレンダーがない。
プナン社会では、人の死は、ふつうの出来事である。プナンは遺体を土中に埋めたあと、死者を思い出させる遺品をことごとく破壊し尽くし、死者の名前を口に出さないようにして、死者と親族関係にある人々の名前を一時変える。
プナンは未来を語ることもしない。子どもに対して、「将来、何になりたいの?」と、将来の夢を尋ねることは、まったく意味がない。プナンは生まれ育った森での暮らしのなかに自己完結するような人々であり、職業や生き方に選択肢はない。
プナンは腕時計をはめる。しかし、その腕時計は単なるファッションであって、時間はあっていない。時間はどうでもいいのである。
プナンは、すべての人物に、あらゆる機会に参画することを認める。機会もまた分け与えられる。何かをするときに、独占的にするのではなく、みなで一緒にしようとする。
プナンは、参画したメンバーの間の平等な分配に執拗なまでこだわる。プナンは、あるものを、得たものを均分することにこだわって生きてきた。
プナンは独占しようとする欲望を集合的に認めない。分け与えられたものは、独り占めするのではなく、周囲にも分配するよう方向づける。
プナンの父母と子どもたちは、食事の機会をふくめて、常にできるだけ一緒にいよう、行動をともにしようとする。プナン社会では、子が親の膝もとで生きていくすべをゆっくり、じっくりと学び、ゆるやかに親のもとを巣立ちながらも、その後も親たちの近くで暮らす傾向にある。
プナンは学校に行きたがらない。父母や家族と離れてまで、そんなことはしたくない。プナンの子どもたちは、学校に行きたくないから、行かない。学校教育は定着しない。
プナンは、遠くに長く出稼ぎに行くようなことはしない。都市生活をするプナンはいない。プナンは一生涯、森の周囲で暮らす。森の中では、掛け算や割り算は役に立たないし、英語を身につけても使う機会がない。
ボルネオ島の熱帯にこんな人々が住んでいたのですね。人間の欲望とは一体何なのかを考えさせられました。
(2018年6月刊。1800円+税)

脳は回復する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 鈴木 大介 、 出版  新潮新書
脳梗塞で倒れた人が、徐々に以前のような状態に戻っていく過程で起きた驚くべき出来事が描かれています。
脳にとっては、言語もその他の音も匂いも光も、すべては「情報」なのだ。
人が人ごみのなかで他人に当たらずに歩くというのは、それだけでも脳内で非常に高度な情報処理が求められる行動だ。互いに少し歩く方向をずらして当らないようにしているし、歩む速度を緩めずに、即座に相手の身体全体の動きや目線を読んで、瞬時に、自らのルートを選択している。
ところが、著者は情報の奔流の中から、必要なもののみをピックアップすることができず、すべての情報を受け入れて、結局、すべての情報を処理できない。結果として、何もできなくなって、苦痛だけが膨れ上がっていく。
高性能耳栓で不快な音をカットし、サングラスで不要な光という情報もシャット。キャップ(帽子)はうつむくだけで、強すぎる光や見る必要のないものを視野から排除してくれる。
出かける前には、財布、ケータイ、キャップ、耳栓、サングラス、そしてメモ帳。指差し確認よし。これでようやく出かけることができます。
脳梗塞を起こすと、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じようなパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまった。自分で自分が変だと分かっていながら、「変でない自分」であることができないのだ。
相槌とは、きちんとした言葉を発さずとも、自分の意思を伝えることのできる、超便利なツールである。会話と言う言葉のキャッチボールをするうえで、相手のボールを受けとりましたよ、という意思表示や、「こちらが、そろそろボールを投げ返しますよ」であるとか、「投げ返すボールの方向や強さは、こんな感じですよ」なんてことまで伝えられる、万能なツールである。
伴走者は、本人のつらさを全面的に肯定してやってほしい。まちがっても、次のようなコトバを投げかけないでほしい。
「みんな、そんなものだよ」
「つらいのはキミだけじゃないよ」
「それは病気なの?」
「その程度の障害で良かったね」
「いつまでも病気に甘えないで、がんばろうよ」
「なんでも障害のせいにするな」
これらは、どれもこれも、残酷な、全否定と拒絶と攻撃のコトバだ。
脳梗塞、脳卒中になっても、脳は機能回復するのですね。この本が、いわば、その証明です。その人が苦しいって言ってたら、苦しいんです。この前提でつくられた社会は、最終的には、誰にとっても生きやすく、誰にとってもローリスクな社会になる。
なーるほど、そういうことなんですね。すべて、明日は我が身に起きることなのです。
(2018年2月刊。820円+税)

声のサイエンス

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山﨑 広子 、 出版  NHK出版新書
男女で声が違うのは、なぜなのか・・・。このところ、ずっと疑問に思っていました。その答えは、要するに、男性は喉頭が前に突き出し、声帯が7ミリ長くなって1オクターブほど低い声になるということ。
声が低く太いのは、多くの生物の共通認識として、身体が大きいことを示す。
新生児(赤ちゃん)は、自分の母の声を間違いなく認識し、他の母親の声と聞き分けている。お腹のなかで聞いていた母の言葉、母国語に特徴的な発音に、生まれてすぐに反応する。
声という音は、話し手の実に多くの情報をふくんでいる。身体・体格・顔の骨格・性格・生育歴・体調から心理状態まで・・・。
声は、ひとりひとりの履歴書のようなもの。声を形成する要素の2割は、生まれもった体格・骨格や声帯の長さ、共鳴腔(口腔や鼻腔など)の形など、先天的な声の素質。残り8割は、生育環境や性格と、その時の心身の状態。したがって、声は履歴書というよりは、その時の体調や心情を実況放送しているようなもの。
人は、出したい音を、その周波数、つまり、その数だけ声帯を振動させて出している。 ド・レ・ミと歌うときには、1秒のあいだに、262回、293回、329回の振動数を出す張力に瞬間的に調整している。でも、この音は、まだ声ではない。声帯から出た音が声になるためには、「共鳴」が必要。話すためには、声帯から出た音を言葉に応じた発音にしなければならない。発音は声帯から上の部分でつくられる。
260ヘルツの音を出すために、意識的に声帯を1秒間に260回振動させることは出来ない。脳が、生まれてから今までの声と聴覚の神経の蓄積から瞬時に司令を出して声帯を振動させる、この司令にしたがって出した声を、聴覚が即座に分析して、脳は音の大きさや発音を判断し、次の音への司令を出す。声帯の張り加減、声道や口腔や舌や唇の形、呼気量など、数十万通りのなかから必要な組みあわせを瞬時に選んで、100以上もの筋肉を動かして調整する。これを聴覚フィードバックと呼ぶ。
 声を出して話すというのは、脳と聴覚と発生の驚異的な連携の賜物(たまもの)なのだ。
声帯は、声を出すことを目的とした器官ではなく、異物が肺に入らないようにするための門でしかない。
声を出すことは、身体の他の働きをしている機能を巧みに利用し、全身を共鳴させて出すもの。だから、声に身体の状態が出てしまうのはあたりまえのこと。
人は、話すときに聴覚で自分の声を確かめながら発生している。人は生まれたときから、環境音という膨大な音情報を「無意識に」取り込んで育つ。聴覚は、それらの音を吸収し続け、脳に集積して分析し、その結果として脳で自分の声が「つくられる」。
話すときに顔をほとんど動かさないと、音声が安定する。「まばたき」をすると声のピッチを下げて不安定にするので、話している途中でまばたきしないのは鉄則である。
人前で話すことの苦手意識と、自分への無能感は比例している。
緊張が高まって逃げ出したい気分になったら、軽く「コホン」とやってみる。そうすると、興奮していた身体の状態が瞬間的にリセットする仕掛けだ。
なるほど、そうだったのか・・・、説得力のある話の展開でした。
(2018年4月刊。820円+税)
フランス語検定試験(仏検一級)の結果が判明しました。もちろん不合格なのですが、51点(150点満点)でした。合格点は89点ですので、38点も加点しなければなりません。まだまだ道遠し、です。実は自己採点で57点でしたので、あわよくば60点(4割)まで届くかとひそかに期待していたのです。仏作文と書き取りが思ったより悪かったようです。
毎朝、NHKフランス語の応用編を書き取りして、丸暗記につとめています。今にみていろ、ぼくだって・・・。あすなろうの心境です。

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