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カテゴリー: 人間

あたいと他の愛

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 もちぎ 、 出版 文芸春秋
「ゲイ風俗のもちぎさん」って、その世界では有名人らしいですね。ツィッターのフォロワーも47万超だとのこと。まったく私の知らない世界です。
父親は自殺し、母親は「毒親」。苦しい家庭環境でも、初恋の先生(男性)、腐女子(BL大好き)の友だち、ゲイの仲間、そして実姉。
「かけがえのない出会いと愛と優しさと勇気が、あたいを支えてくれた」
これはオビのコトバですが、まったくそのとおりの苦難にみちみちた生活を著者は今日まで送ってきたのでした。
母親について、「ちょっとヒステリックな母ちゃん」と言ったり、「いわゆる毒親のシングルマザー」としたり、「母ちゃんも不安に怯えてただけの人間だったのかなって感じる時もある」としています。
父親は著者が小学1年生のころ、借金ができて偽装離婚したあとに自殺しました。
生活保護を受けた母親は、給与明細の出ない自営業の店でアルバイトしろと娘(著者の姉)に押しつけ、姉は週6日アルバイトして高校を卒業した。そして、母親はコインゲームに入り浸っていて、家事もあまりしない。
母親は高校生、父親は中卒で働いているとはいえ、まだ20歳前。そして、母親はまもなく妊娠した。母親は箱入り娘で、ちょっとワルな父ちゃんに惹かれて一緒に夜遊びばかりするようになった。それで生まれたのが姉。母親の実家は、その後も母親を甘やかし続けた(らしい)。
父親が商売に失敗して借金をこしらえ、生活が行き詰まると、母親は子どものように毎日騒いで、父親に非難の声を浴びせ続けた。そして、父親は精神的に参って偽装離婚を申し出て、そのあと…。
母親は、一変した。それまでのただの専業主婦から、自分が母親であることを嫌悪した苛烈な独裁者のように変化してしまったのだ…。
母親は、よくわからないタイミングで怒った。
初対面の人にはとにかく気をつかって体裁よく振る舞う。
著者に向かって、「あんたは産むんじゃなかった」とよく言った。
これって、絶対に子どもに言ってはいけない言葉ですよね…。
母ちゃんは、いま思えば少女だった。自分は守られるべき弱い人間なんだと暗に訴えていた。
誰かが母ちゃんを少女のように庇護下に戻してケアしてあげれば、母ちゃんも救われたかもしれない。母ちゃんは、どこまでもこの人は逃げてしまう姿勢なんだと著者は子ども心に感じた。
カナコは誰よりも優しいのに、体格や話し方、性格から、周囲が「女性らしくない」と判断して、それでからかい始めた。きゃしゃな女性らしさをもたないから、粗暴な人間だと勝手に決めつけて…。
社会は変わらない。他人は変えられない。だから自分のアイデンティティを変えるか隠せばいい。それがカナコの学んだ処世術で、変えられない自分の特徴をもつカナコにとっての残酷な現実だった。カナコは高校2年生の著者にこう言った。
「おまえはゲイさえ隠せば、あたしみたいに笑われ者にならないんだよ。同じ生まれもっての『普通じゃない人間』でも、おまえとあたしは違う。だから、おまえは絶対にゲイってバレないように生きろよ」
インターネットの世界を通じて、意外に、この世界にはゲイがたくさんいること。お金を支払って性行為に及ぶ大人が多いことを知った。ただ、『売春』すると、お金のためとはいえ、あたいは少しずつ、心が死んでいくような思いがした。
「相手を否定したり、屈服させるためだけに生き続けたらダメだ。他人に生き様の動機を置いていたら、それは自分の人生を自分の理由で生きられない無責任な奴になるってことなんだぞ。失敗しても他人のせいにする大人になる。だから母親を見返すためだけに生きた大人にはなるな」
これは、ゲイ風俗の店で著者が働いていたときの店長のコトバだそうです。すごい店長ですね、カッコイイです。すばらしい。まったくそのとおりだと私も思います。こんな大人に出会えて、著者はこんな心を打たれる本を書いて自分の母親を振り返ることができたのですね…。いい本でした。
(2019年11月刊。1200円+税)

母がしんどい

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 田房 永子 、 出版 角川文庫
母と娘の関係も、父と息子の関係にまさるともとらないほど難しいのですね。
この文庫は、コミック・エッセイなので、パラパラと読めますが、そこで描かれている情景は、あまりに重たくて、どうにもたまりません。
まわりから見ると、仲良し親子。だけど、「お母さん、大好き!」って思ったことがない。
なんの問題もない、しあわせ家族。だけど、実は、お父さんとしゃべったことがない。会話は、いつもお母さん越し。
お母さんは、いつも「あなたのため」と言う。だけど、本当に私のためなの? お母さんがやりたいから、やっているとしか思えない…。
マンガで描かれているので、視覚的に問題状況が理解できます。いやあ、これって、子どもには大変な試練だな…と思ってしまいました。
親がしんどいという気持ちに苦しんでいる人が、なぜ苦しいかというと、親からフェアではない目にあわされてきているから。一方的にいろいろされてきたうえ、なぜか「おまえが悪い」という言葉によって、その責任を押しつけられる、つまり、いきなりに「加害者」として扱われてきたことによる。
「自分が悪い」というのが基本にある考え方がしっかり身についているから、家庭の外に起きることまで、すっかり「自分が悪い」で片付けるようになってしまう…。
「おまえが悪い」という親の言葉を「自分が悪い」として生きていると、親と一心同体の状態にあるのと同じ。なので、まずは親から自分を引き離す作業が必要。「おまえが悪い」というけれど、そうしたのは親なのだ。つまり、ちゃんと被害者の立場に立ち切ることが大切。
ちょっと前まで、娘が母親を非難・批判するなんて許されないことだった。まして「毒母」なんていう言葉を投げつけるなんて、とんでもないことだった。でも、昭和が終わり、平成になってまもなくから、それが可能になった…。
「母の愛」と信じてきたものが、実は、「母による支配」だったと自覚することによって、母から離脱し、人間として自立できる。ということのようです。同性である母と娘の関係のむずかしさを少しばかり実感して理解することができました。
では、父親(夫)は、どうしたらよいのか…。この本の解説は、父親に期待することは、ただひとつ、ちゃんと母親(妻)をケアしてもらいたいということ。
うむむ、これまた簡単そうで、実は、そんなに容易だとは思えません…。
時宜にかなったマンガ・エッセイの文庫本だと思いました。
(2020年2月刊。600円+税)
「デンジャー・クロース」というベトナム戦争を扱ったオーストラリア映画を博多駅の映画館でみました。ベトナム戦争は私の大学生のころ、何度となく「反対!」を叫んでデモ行進をしたものです。
この映画は、オーストラリア軍がベトナム戦争に加担していたこと、南ベトナムで北ベトナム正規軍2000人からオーストラリア軍中隊108人が包囲・襲撃されて残った「ロングタンの戦い」を実写化しています。
オーストラリア軍がベトナムに派遣されていたことを詳しくは知りませんでした。陸・海・空の3軍あわせて5万人も派兵していて、450人の戦死者、そして2400人もの戦傷者を出しています。
この「ロングタンの戦い」は、まだオーストラリアでのベトナム反戦運動が盛んになる前の、1966年(昭和41年)8月18日に起きました。オーストラリア軍の戦死者は18人。みんな20歳前後の若者です。これは私とほぼ同じ年齢(1歳か2歳だけ年長)です。
そして、北ベトナム軍の戦死者は確認されただけでも245人。1割以上です。
「デンジャー・クロス」(極限着弾)とは、味方に対して超至近距離で砲撃することを要請すること。味方の小隊がこの砲撃で全滅してしまう危険もあるもの。
ベトナム戦争を描いたものとして、迫真の場面の連続で、すっかり固まってしまいました。

心の進化を語ろう

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 松沢 哲郎 、 出版 岩波書店
哲学には2つの使命がある。一に、この世界はどうなっているかを知ること。その二は、人間はいかにふるまうべきかを考えること。
なるほど、それだったら、私も立派な哲学の徒ですかしらん…。
人間以外の霊長類でも死児を持ち運ぶものは少なくない。高崎山のニホンザル6000例のうち、157例の死児の運搬が観察されている。それも、生まれてすぐに死んだ子は持ち運ばない。生まれて1日でも赤ん坊が母親にしがみついていると、10例に1例の割合で、母親は死児を持ち運ぶ。
これも死を弔う行動と言えるのか…。
チンパンジーのアイは女性だが、昔から気が強い。幼なじみのアキラ(男性)はそれをよく知っていて、アイにはなかなか逆らえない。へたにケンカをしようものなら、アイがほかの女性たちを引きつれて逆襲してくる。
ゴリラはケンカしない。大騒ぎもしない。道具をつくらない。使わない。狩猟をしない。食物分配がない。群れ間での殺しあいもない。人間の狂気に近いものをゴリラからは感じとれなかった。
ボノボは女性優位で、ほとんど道具を使わず、隣りあう群れは平和共存している。
ボノボは、チンパンジーと違って、メスが集団の中心にいる。
ボノボの果実分配は、豊かな森で、独力でも手に入れられる果実をあえて分けあって食べている。
一般的にチンパンジーには、「おばあさん」という役割がない。死ぬまで自分の子どもを産み、育て続ける。
チンパンジーでは見張り役をするのは、おとなの男性であることが多い。
チンパンジーは好奇心旺盛だが、とても用心深い。
ボノボは、面と向きあうと、じっと目を見返してくれる。これに対して、チンパンジーは視線をあわせようとはしない。
チンパンジーには、複数の男性と複数の女性から成る共同体はあるが、家族はない。数十からときに200ほど近い個体が集まっているが、特定の男女の結びつきはなく、「乱婚」と形容される。
ゴリラには、シルバーバックと呼ばれ大人の男性がいて、複数の女性と子どもたちがいる。しかし、家族だけであって、それを束ねた共同体は何もない。
オランウータンは、母子の結びつきしかない。
人間は、親だけでなく、複数の大人が共同して手のかかる子どもたちを育てている、
人間とは何者かを考えるときに必須の本だと思います。京都学派は、この分野では世界をリードしてがんばっています。本書は、いわば百科全書のような内容になっています。
(2019年12月刊。2600円+税)

やまと尼寺精進日記

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 NHK「やまと尼寺精進日記」制作班 、 出版 NHK出版
ただ今、NHKのEテレで放映中らしいですね。この本を読むまで知りませんでした。なにしろ、日頃はテレビをまったく見ないものですから…。
奈良の山深いお寺に暮らす2人の尼さん、お手伝いの女性1人の計3人。尼さんは、さすがに2人ともツルツル頭です。その笑顔の写真からは、愉快な笑い声まで聞こえてきそうなほど…。
奈良の山奥にひっそり3人の女性が住んでいるかと思うと、実は、いろんな人がこの山寺(尼寺)にやって来て、同時にいろんなものを持ち込みます。
そして、この山寺の庭や近くの山で四季折々に採れるものが、バラエティーに富んだ、美事においしい料理に生まれ変わります。
この料理の写真がまた実に素晴らしいのです。ぜひぜひ一度は味わってみたいと思わせる料理のオンパレード。こんな美味しそうな料理を自分たちでつくって食べていれば、そりゃあ自然に笑顔になるでしょうよ…と、いらぬやっかみまで生まれてきます。
住職は料理の達人。食べることへの情熱は誰よりも強く、どんな食材もおいしく調理してしまう。そばにいたら、食いっぱぐれのしようがない人。
わが家でも先月、梅の実がザル2杯分とれましたが、この山寺では採れた梅の実で、梅酒、梅味噌、梅干しの天ぷら、梅の甘露煮といろいろに味わいます。すごーい…。
秋のギンナンも、天ぷら、ギンナンご飯、かぼちゃ団子の上のアクセントに…。
冬には薪ストーブで焼くピザ。具材は、コーンに干しトマト、干しかぼちゃ、シイタケの煮物、じゃこピーマン、自家製チーズ。いやはや、なんとも美味しそうですよね…。
もう放送開始から2年になるそうですが、楽しそうな尼寺精進日記を私も近いうちに見せてもらうことにします。この本は、写真集としても人物も料理もピカピカ輝いていて、見事な出来映えです。
(2019年11月刊。1600円+税)

パンツははいておけ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 早乙女 かな子 、 出版 幻冬舎
タイトルを見て、パンツ・ルックつまり女性にとってのズボン姿のことかな、それでも、なんだか変なタイトルだな…、そう思っていると、本文を読んで、パンツとは昔で言う女性用パンティのことでした。ええっ、じゃあ、これってどういう意味なの…。
著者は超教育ママの下で小学生のときまでは超優良生徒でした。そして中高一貫の名門中学に入ったころから自我に目ざめ、モーレツ・ママと激しいバトルを展開するようになります。その前に酒乱の父による家庭内暴力があり、被害者である母親の部屋に逃げ込むと、そこで母娘のバトルが展開するのです。
まったく読むだけで息が詰まって窒息しそうになります。父と息子も難しい関係にありますが、母と娘のバトルの深刻さは想像以上のものがあるようです。
やがて著者は中卒フリーターとして働きはじめますが、簡単に生活できるはずもありません。人間関係そして人生に見切りをつけて6階から飛び降り自殺を試みます。すると、奇跡的にたいしたケガもなく助かるのです。同じ病院に、同じように自殺を企図して車椅子生活になった少女がいました。「あなたみたいになりたい」とつぶやいたら、その娘(こ)に思い切り顔を叩かれてしまいます。そのときは、その娘がなぜ怒ったのか分かりませんでした。
幼いながら母を喜ばせるのが自分の使命だと察知し、母の期待する「いい子」に育とうとした。母の絶対王制と父の暴力の狭間で育った三人の子ども(2人の兄と著者)は、とても仲が良かった。というか仲良くせざるをえなかった。
小学校で不登校となり、秋葉原にコスプレに出かけた。
中学2年生になると、父の暴力がひどくなった。父の母のケンカを止めず、兄と弟は静観に徹する。
中三の秋、首をくくって自殺企図。そのとき、兄からは「オレたちだって、こんな状況で、がんばっているんだ、甘えるな」と叱られ、弟からは、腹を思い切りけられた。そして小児病院精神科へ入れられる。
著者も母も、それぞれ、ままならない生きづらさを抱えて、かろうじて二本足で立っていた。そんな女同士、互いのフラストレーションを吐き出す口実を見つけるために、いつも互いがボロを出す瞬間を毎日、監視しあっていた。
完璧主義の母親は、物事に対して少しでも欠落している点を見出すと、ひどくヒステリックになる節があった。娘の「中卒」という欠落点にアレルギーのように過敏に反応して、人格レベルでダメ出しをする。
人間はケンカしているときほど、互いの物理的距離が近くなってしまう。相手の粗(あら)を探してやろうと息巻いて、相手の行動をいちいち見てしまい、また争ってイライラする悪循環に陥る。だから、ムカつくときほど、ぐっとこらえて離れたほうがいい。
なーるほど、そういうことなんですね…。
もう人生がどうでもよくなっていた。こんなに価値のない人間、ぐちゃぐちゃに原型をとどめることなく、犯しつくされて、粗末にされて、死にたい。でも、私とのセックスに対価としてお金を払ってくれる人がいたら、うれしい。そんなチリみたいにはかない希望ももっていた。そんな思いで、援助交際を成し遂げるべく、パンツを脱いで、宇宙空間どころか、ラブホテルのなか、得体のしれないオッサンの前で素っ裸になってベッドに身を放っていた。感情のスイッチをオフにして、目を閉じる。そこには一片の悔いもためらいもなかった。自暴自棄になっていた一方、自分に価値があるのか確かめるため、ベッドで裸になっていた。
あるとき、知人の男性が著者に言った。
「自分だけが不幸しているような、その悲劇のヒロインヅラが気に入らん」
たしかに、「凄惨な家庭に生まれた自分」というのに酔って、いざというときの言い訳にしていた。私はこんなに大変なんだから、みんな私に配慮して、助けてよ。こんな主張がいつも心の奥底にへばりついていたから、中学のときクラスからも孤立したし、兄弟からも見放された。
「メンヘラ」という言葉で形容されるそれは、自分の弱い部分をずるく利用して、周囲から大事に甘やかしてもらおうという、おのれの傲慢さのあかしだった。
「もうハタチこえた大人なら、人のせいにしないて、自分の人生を生きてみい」
結局、著者は大学受験のための勉強を再開し、現在は国立の奈良女子大学の学生として在学中とのこと。
著者の最後の呼びかけは、「あなたの大切な人のため、そしてあなた自身のために、人間どんな状況に置かれても、心は錦で、腰にパンツは、はいておけ」というものです。心に迫ります。
電車の中で一心不乱に読んでいたら、いつのまにか目的地の駅に到着していて、慌てて降りました。月並みな表現ですが、ハラハラドキドキのいい本です。あなたもどうぞ読んでみてください。
(2020年2月刊。1300円+税)

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