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カテゴリー: 中国

「この命、義に捧ぐ」

カテゴリー:中国

著者  門田 隆将 、 出版  角川文庫
 日本陸軍北支那方面軍の司令官だった根本博中将の戦後の業績を紹介した本です。
 その一は、戦後といっても、昭和20年8月20日からのことです。日本の敗北が決まり、武装解除が命令されたのに、在留邦人を内地に無事に帰国させるため、あえて侵攻してきたソ連軍と戦ったというのです。
 8月15日、根本司令官はラジオで次のように宣言した。
 「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、指令官たるこの根本が一切を負う」
 6日前の8月9日から始まったソ連との戦争で、関東軍は総崩れとなり、満州全域でソ連の蛮行が横行していた。
 張家口に2万人の日本人が終結していた。それを北京・天津方面に後送するため、駐蒙軍司令官の根本中将は支那派遣軍総司令官の命令を拒否したのだった。根本元中将が日本に帰国したのは、翌昭和21年(1946年)8月のことだった。それまでに支那派遣軍の日本への復員は105万人をこえた。
 そして、戦後、1947年7月、蒋介石の国民党軍が中共軍との戦いで敗色濃いなかで、根本博は招かれて台湾に渡った。ところが、根本は密航者として逮捕され、投獄された。運良く、それが台湾警備司令の耳に入って、救出され、ついには蒋介石と面会することが出来た。
 その後、根本は、中国国民党軍の軍事顧問となった。そして、廈門(アモイ)に渡った。しかし、ここは、守備に適していない。根本は軍事顧問として、共産軍を迎え討つのは、金門島をおいてほかにないと進言した。廈門を放棄せよというアドバイスだ。
 根本は、林保源という中国名で呼ばれた。林保源将軍として、汽車に乗って作戦指導をした。根本は、金門島の陣地構築と塹壕戦を指導した。
 共産軍は勝ちに乗じて、敗走を重ねる国府軍をなめている。そこで、共産軍を中国本土から運んできた船を焼き払い、増援部隊がないようにして、そのうえで、戦車で叩く。ジャンク船で運んでくる火力は銃くらいしかない。
 上陸させた敵を海岸線から引き入れて包み込めば、一気に殲滅できる。根本の指摘したとおりに国府軍は動き、共産軍を完全に殲滅してしまった。
 上陸した共産軍は2万人。うち死者が1万4千人。捕虜は6千人だった。
 59歳の根本元中将の面目躍如だった。蒋介石は根本の手をとって感謝した。
 しかし、世間の評判は、そうはならなかった。あくまで国府軍の勝利であり、しかも、国府軍の内部抗争により、根本とともに戦った湯将軍は忘れ去られてしまった。当然、根本も忘却の彼方となった。
 同じころ、日本から国府軍の立て直しのために台湾に渡った旧日本軍将校たちは「白団」と呼ばれ、高額の給与が支給されていた。これに対して、根本のほうは身を捨て、家族を捨て、恩返しに言ったのだから、そのような保障は何もなかった。
 そもそも、蒋介石が日本人の手を借りて金門島を守ったことが分かれば、それは蒋介石にとって大きな恥となる。そのため、台湾側の史料の中には、日本人は一切登場してこない。なーるほど、それは、そうでしょうね・・・。
 それでも、その後、台湾国防部は、根本の遺族に対して最大限の敬意を表したのです。知られざる歴史の一コマです。よくぞ掘り起こしてくれました。
(2013年10月刊。680円+税)
東京の有楽町でインド映画をみてきました。『バルフィ!人生に唄えば』です。インド映画らしい歌と踊りも少しだけありますが、それよりも私は良質のフランス映画をみている感じでした。
 もちろん、映画ですから美男・美女が主人公です。美男の俳優(ランビール・カプール)は、顔の表情が実に豊かです。というのも、彼は、耳が聞こえず、話もできない役柄なのです。その主人公バルフィが恋する美女はイリヤーナー・デクルーズ。絶世の美女でほれぼれしてしまいました。ところが、ここに、もう一人の美女が登場します。しかし、彼女は、自閉症の女の子という役柄です。プリヤンカー・チョープラ-という有名な女優なのですが、映画をみているあいだは、ひょっとして本物の病気もちかしらんと思ったほどでした。話の出来ないバルフィが縦横無尽にかけめぐり、甘く切ない恋心を表現します。そして、大切なのは、100の言葉より、愛にみちたひとつの心。3時間近い大作ですが、終わったとき、胸いっぱいの熱い思いで、しばらく立ちあがれませんでした。みなさん、ぜひ時間をつくって、みてください。おすすめします。

中国のメディアの現場は何を伝えようとしているのか

カテゴリー:中国

著者  柴 静 、 出版  平凡社
 中国のテレビって、すべて国家統制のきいた官製報道ばかりかと思っていました。
 この本を読むと、中国でも一生懸命に現場から問題点を報道しようとしている人がいることを知って、うれしくなりました。
 日本のNHKも、籾井会長になってから、とりわけニュースは安倍首相の広報番組オンリーという感じですから、中国を批判することなんて出来ないと思っています。
 2003年4月、北京で大流行したサーズ、死亡率の高いウイルス性肺炎について、著者は病院まで突撃取材したのでした。
 著者は全身防護服を着て、戦々恐々として病室に入り、救急センターに戻ってから40分間消毒し、周囲の人まで緊張して汗をかいたとき、人民医院の医師と看護師は、もっとも基本的な防護服すらない状況下で、中庭で20数人の患者と向きあっていた。
 中国にも、もちろんDV(ドメスティック・バイオレンス)があります。そのあげくに女性(妻)が男性(夫)を殺してしまいます。女性犯罪には、夫殺しが多く、ある地方では70%になる。男は死に、生き残った女は執行猶予付きで死刑、無期懲役などに処せられている。
 十数人の少年の窃盗グループ。リーダーは15歳、最年少は10歳、全員が中途退学だった。彼らは、敵討ちのために、お金のために、ときには単なる楽しみからケンカした。ナイフはもちろん、チェーンや有刺鉄線を付けた自作の棍棒まで使った。ケンカが一番強い子どもに尋ねた。
 「怖くない?」
 「いいや」
 彼は昻然と胸をはった。怖くないのではなく、生死の概念さえなく、憐憫の情がないのである。自分が大切にされていないと、大切にされた実感のないまま大きくなると、生死までが、どうでもよくなる。というわけだ。
 愛と教育を得られなかった人が社会に対して責任感をもつはずがない。
 最近の鶏肉事件は、日本の毒入り冷凍食品事件と共通しているところがあるように思います。どちらも、働く人が大切にされていないということです。日本も、安倍首相のような間違った教育と労働者切り捨て政策がすすめば、今の中国と同じ事態になりかねません。
ネットで猫を虐待する映像を流した女性は、次のように語った。
 「憎しみ、それと未来に対する絶望ね」
 「離婚した女の憂鬱や生活の悩みを誰が理解してくれるというの。この重苦しい気持ちや悩みのせいで、生活していく自信を失い、無辜の小動物の身に向かって鬱憤を晴らすという情けないことをする羽目になった」
 「内心の圧迫感や抑鬱を発散させなかったら、崩壊していただろう」
 「心の奥底にいびつなものがある・・・」
 この本が中国でベストセラーになったことに、私は救いを感じました。
世の中の現実をなるべくありのままに伝えたい。しかし、そこには単純にシロかクロかに割り切れないことがたくさんあるし、いろんな人々の利害損失が微妙にからんでいる。
 そこを、映像メディアとしての制約のなかで、がんばって報道しているのはすごいです。
 それにしても、最近のNHKにはひどいですよね。集団的自衛権について、その問題点を国民に分かりやすく伝えようとしていません。あくまで安倍首相の側に「理解」を示して、それを前提として、反対する人もいくらかいるというニュアンスでの報道です。本当にデタラメです。安倍首相の妄念から一刻も早く脱却しないと、本当に日本は戦争に巻き込まれてしまいます・・・。心配です。マスコミ人の良識に大いに期待しています。
(2014年4月刊。1800円+税)

中国とモンゴルのはざまで

カテゴリー:中国

著者  楊 海英 、 出版  岩波書店
 モンゴル出身で、中国共産党の指導者の一人だったウラーンフーの伝記です。
 ウラーンフーは、モンゴル出身で、内モンゴル自治区委員会書記、内モンゴル軍区司令官、国務院副総理などを歴任した。
そのウラーンフーが、文化大革命のとき、打倒されてしまったのです。モンゴル人として、どんな人物なのか、以前から気にかかってしまいました・・・。
 1966年に中国で文化大革命で勃発したとき、内モンゴル自治区には150万人弱のモンゴル人が住んでいた。少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、34万6000人が逮捕され、3万人近くが殺され、2万人に身体障害が残った。モンゴル人の犠牲者は30万人に達する。
清朝が用いた内モンゴルと外モンゴルは、モンゴルを分断するための政治的な概念で、モンゴル人自身はそうした悪意にみちた名称を好まなかった。
 南モンゴルが中国の領土にされてしまった原因の一つに、日本の大陸進出があげられる。モンゴル人民族主義者たちは、帝国日本の力を借りて中国の独立を実現させようとして、蒙古連合自治政府や蒙古自治邦を樹立した。
ウラーンフーは、20世紀のアジアが産んだ重要な政治家の一人である。彼ほどレーニンとスターリンの民族自決の理論を東アジアで実践した革命家は、ほかにいない。
ウラーンフーは、内モンゴルを「中国と日本の二重の植民地」だと認識し、抑圧された少数民族のモンゴルを国際共産主義の理論で解放し、中華民主自由連邦を創成しようとした。
 1947年5月、内モンゴル自治政府が成立した。この日まで草原のモンゴル人のほとんどが雲澤という男を知らなかった。雲澤は無名の革命家だった。この時期、雲澤という名を赤い息子を意味するウラーンフーに変えた。
 「親愛なる中国人共産主義者の友人」たちは、側面からの援護を惜しまないが、決して軍権をモンゴル人に渡すようなことはしなかった。
 内モンゴル近代史上最大の謎は、なぜ何十万人もの独立志向のモンゴル軍が中国人に帰順したのかということ。
 モンゴル人といえば、世界各地に分布している人々をさす。モンゴル民族は、ただ中国55の少数民族の一つにすぎない。矮小化された存在となる。
 モンゴル人民共和国の首都であるウラーンバートルは赤い英雄を意味する。内モンゴル自治政府の首都であるウラーンホトは赤い都だ。もう一つのモンゴル人の自治共和国の首都であるウラーンウードは赤い扉の意。
 モンゴル人はユーラシア大陸の各地に分布しているが、チンギス・ハーンの子孫だという理念は、民族ぜんたいに共通している。
 毛沢東と周恩来は身近にモンゴル人のウラーンフーを立たせることで、多民族国家・中国における少数民族の地位向上を演出しようとした。
 モンゴル内に中国人がモンゴル人の7倍にも膨れあがるという前代未聞の現実を前に、モンゴル人は途方に暮れた。
もっとも親中国的で、かつ中国化したモンゴル人であるゆえに、中国政府と中国人は、ウラーンフーをまず失脚させてから、一連のモンゴル人粛清運動と大虐殺の口火を切った。
 ウラーンフーは、全国の省・自治区の指導者のなかで、もっとも早く打倒された人物で、また少数民族の指導者のなかでも、最初に狙い撃ちされた人物である。
 モンゴル人の苦難の歩みを体現した人物だったことがよく分かる本でした。
(2013年11月刊。2400円+税)

憎しみに未来はない

カテゴリー:中国

著者  馬 立誠 、 出版  岩波書店
 最近の週刊誌に、日本と中国が、もし戦争したら、どちらが勝つかという特集が組まれています。そこでは、戦争は、まるで他人事(ひとごと)、パソコンの画面上だけのように論じられているのに驚き、かつ、呆れます。
 しかし、局地的な戦争が全面戦争にならないという保障なんて、まったくありませんよね。身近な家族が殺され、殺人マシーンに仕立てあげられるなんて、ちょっと考えただけでも身震いするほど、恐ろしいことではないでしょうか・・・。売れるんだったら何でも書いていいなんて、ちょっとひどすぎると思います。
 安倍首相の言う「積極的平和主義」なるものは、武力で「敵」をおさえつけるということです。そして、「集団的自衛権」の行使というのは、アメリカ軍と一緒になって、世界のどこへでも、日本が戦争をしに出かけるということを意味します。戦争が身近に迫ってくるのです。そこには「限定」など出来るものではありません。
 つい先日、安倍首相は武器輸出三原則を緩和してしまいました。兵器をどんどんつくってもうけよう。そのためには、世界各地に「紛争」がおきてほしいということです。子どものいない安倍首相はちっとも悩まないのかもしれません。でも、我が子が殺され、また外国へ殺しに出かけるなんて、その恐ろしさに、私は身が震えてしまいます。決して、戦争をもて遊んではいけません。それこそ、平和を生命がけで守りたいと思います。安倍首相には、一刻も早く「病気」で退陣してほしいものです。
 著者は、中日関係には新思考が必要だとメディアで提起した。すると、中国のネット上で、民族の裏切り者とか、走狗という言葉があふれた。
 中国のナショナリズムも警戒を要すると思います。でも、中国を責める前に、日本の異常さが突出していることを、もっと日本人は自覚すべきだと思います。
 ナショナリズムの熱狂は、一部のメディアが無責任にあおりたてることと大きな関係がある。一部のメディアは、商業的な利益のために、感情的で低俗な市場のニーズに迎合し、良識や善悪の最低ラインにまで墜落した。一斉に騒ぎたて、センセーショナルに過熱報道し、人々の目を惹きつける。そして、のぼせや高熱をひきおこし、世論の環境を悪化させた。
 アジアに身を置く世界の次男坊と三男坊とが武力対決すれば、まさにアジアの悲劇だ。そして、両国の争いは長男坊が世界の覇者としての地位をいよいよ堅固なものにするのを手助けするようなもの。
 釣魚島の問題は、中日関係の大局でもなければ、中心的な問題でもない。
 中日関係は、相互に影響しあうプロセスである。片方の手だけでは拍手ができないように、日本にも同じように対中関係の新思考が必要だ。
 中国とアメリカが敵対しないという状況で、日本がアメリカに追随することは、中国にとって対立面とはならず、日本とアメリカの同盟は中日間における共通利益の追求を妨げるものではない。中米関係の発展と中日関係の発展は、同時に行っても、互いに矛盾はしない。
 憎しみは毒薬だ。人々の智力を害する毒薬であり、国家の智力を害する毒薬でもある。寛容は、傷跡と人間性を癒す良薬だ。国家と個人を問わず、良薬なのである。
 中日韓は、すでに協力して経済発展をすすめつつあり、世界最強の経済体となる可能性がある。これは、アメリカにとってあまりにも大きな脅威であり、アメリカが隅に追いやられるかもしれず、アメリカにとって決して目にしたくない事態だ。だからこそ、この二つの国が戦うことは、アメリカにとって非常に有利なのだ。
 日本では、何世代にもわたって、「日本が強く、中国が弱い」ことに慣れていたので、中国人を見下げている。第二次大戦での敗戦も、それはアメリカ人に負けたのであって、中国人に負けたのではないと考えている。ところが、このごろ中国の経済力は日本を追い越し、その差はますます大きくなっている。これは日本にとってきわめて強烈な刺激である。
日本と中国の関係を再考させられる、中国人ジャーナリストの鋭い指摘にみちた本です。
(2014年1月刊。2800円+税)

中国抗日映画・ドラマの世界

カテゴリー:中国

著者  劉 文兵 、 出版  祥伝社新書
 中国では反日教育が日頃から徹してやられているとよく言われますが、この本は映画やテレビにおける「抗日」をテーマにした作品、ドラマがつくられている舞台裏を明らかにしています。なーるほど、だったら、日本と変わりないじゃん、と思ってしまいました。
戦前の中国(1941年)では、日本軍の恐ろしさをあまりに強調しすぎると、国民が恐怖にかられ、かえって戦意を喪失するのではないかという批判があり、日本軍の残虐な真実をストレートに表現しなかった。
 なーるほど、映画は真実を伝えすぎても、逆効果になることがあるのですね・・・。
 農民をふくめた一般の観客に対して、いかに分かりやすく抗日のメッセージを伝えるのか、当時の映画人たちは腐心していた。
中国の反戦映画には、日本兵が二通りの姿で登場する。一つは残虐な「敵」であり、もう一つは、中国の民衆に共感して抗日運動に参加する「同志」である。
 1945年8月から中華人民共和国が成立する1949年までの4年間に150本の劇映画が造られたが、抗日戦争にまつわるものは30本ほどでしかなかった。そして、日中の大規模な戦闘を題材にしたものは、まったく見当たらない。これは8年にわたる抗日戦争によって国民党政府が財政上の困窮状態にあったため、スペクタクルを盛り込んだ本格的な戦争映画をつくるだけの環境になかったことによる。
 蒋介石は、みずからの政権の正当性を主張すべく、抗日戦争を勝利に導いたのが国民党の力であったことを、映画をはじめとするメディアを通じて国民へ広めようとした。
 しかし、表面的には国民党が優位だったが、実際には、多くの映画人の心は明らかに共産党に傾いており、国民党のプロパガンダ映画の制作に手を貸そうとはしなかった。左翼的映画の急速な台頭を危惧した国民党政府は、映画検閲の基準をより厳しくした。
 中国共産党が政権を握ってから、政府は戦争映画を重視した。映画撮影所は軍部の直轄下におかれ、映画人は現役の軍人として丁寧に扱われた。
 抗日映画に出てくる日本人は、強力な敵として描かれているのは、注目すべき点である。
 しかし、1950年代半ばから、中国映画における日本兵の描き方には大きな変化が起こった。
 戦争映画では、中共軍の高級将校が登場してはならないとされた。それは、誰をモデルにしているか、すぐに分かってしまうこと、すると映画に取りあげてもらえなかった将校たちの不満を招くという理由からであった。
 加えて、その後の中国共産党内部の権力闘争において、1959年に彭徳懐が、1971年に林彪が失脚し二人が関わった「百団大戦」や「平型関戦役」など、共産党軍と日本軍との大規模な戦闘を取りあげることも完全なタブーとなった。そこで生まれたのが、抗日ゲリラ戦ものである。そこでは、時と場所を特定することなく、抗日戦が描かれている。
 1966年の映画『地下道戦』は、結局、18億人がみることになった(2005年までに)。爆発的にヒットした。もともと民兵に戦術を身につけるために制作された映画だが、娯楽作品として中国の国民に受容された。
 1960年代の中国映画に登場する日本軍人は、かつての残虐さと恐ろしさの代わりに、その愚かさと滑稽さが強調された。日本兵をあえて嘲笑の対象として描くことによって、残忍な日本人という従来のイメージを書きかえ、中国の国民のなかに鬱積していた日本人に対する深い憎悪を、笑いのなかで発散させようとする政治的な意図が働いていた。
 文化大革命の10年間に、中国でつくられた映画は、わずか数十本のプロパガンダ映画のみだった。そこで登場する日本兵は、文革以前より、さらに滑稽でかつ無害な存在だった。
 1985年になると、中国政府は国民党が率いた日本軍との正面戦の意義を客観的に評価するようになった。
 中国の映画については、中国人の一般観客がみたい物語と、政府が見せたい物語、国際映画祭で賞をとるための物語が分離していった。
 コメディタッチの抗日アクション映画は、ほとんど中国国内市場に限定して流通しているが、一つのジャンルとして確立し、現在なお人気は衰えていない。
 中国のテレビドラマ市場は、中国の産業において、もっとも市場メカニズムが支配する世界となっている。視聴者の教育レベルは決して高くはない。だから芸術性を追求するどころではない。
 抗日ドラマがブームになった要因は、主としてブームになった要因は、主として市場の側にあり、政府はむしろドラマに対する指導や規制に追われている。
 抗日ドラマの主な視聴者は、毛沢東時代を経験し、かつ、その時代に強いノスタルジーを抱く中高年層であり、彼らの支持により、一定の視聴率が保証される。
 国共内戦を描くときには、適役が同じ中国人であるために一定の配慮が必要だし、リアリティも求められるが、敵役を日本軍にしたら、格別の配慮はいらないし、ドラマティックな設定や暴力的な表現がいくらでも可能になる。そして、大物スター俳優でなくても、一定の視聴率は確保できるので、制作予算も少なくてすむ。つまり、エンターテイメント性をともないながら、歴史に向きあうというパターンの抗日ドラマが実際に多くの視聴者に受け入れられている。それは、日本の「水戸黄門」のような世界なのである。
 この解説は、本当によく分かりました。なるほど、なるほど、です。
(2013年10月刊。800円+税)

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