法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 中国

中国の現代化を担った日本

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 西原 哲也 、 出版 社会評論社
私の叔父(父の弟)は日本の敗色濃いなか、丙種合格だったのに徴集され、25歳の2等兵として中国・満州に送られました。トンネル掘りなどをさせられているうちに日本敗戦となり、やがてやってきた八路軍(パーロ。中国共産党の軍隊)に招かれて、紡績工場で技術員として働くようになりました。満州に進軍してきたソ連赤軍は引き揚げるとき、大量の日本人元兵士とともに工場内の機械・設備類を根こそぎソ連に運び去ったのでした。なので、満州の工場を再建するのに、中国は日本人技術員の力を借りなければいけなかったのです。といっても、叔父は日本では百姓をしていましたので、根っからの技術屋ではありません。ところが、八路軍の将兵に文盲が多く、叔父は貴重な存在だったのです。高給優遇されました。といっても、生活に困らなかったというレベルで、貯金して、それを日本に持って帰ったというのでもありません。戦後8年たった1953年6月に帰国し、それからは農業一筋に生き、98歳過ぎてもすこぶる元気でした。
現代中国では、現在の経済的繁栄を支えている産業そして技術は中国が独自に開発し、発展させたものということになっていて、その開発・発展に日本が大きく寄与したことがまったく没却・無視されている。ここを調査・発掘した貴重な成果が本書で紹介されています。
中国側で、日本企業を受け入れたときに活躍したのが、戦後の日本に留学し、日本語ペラペラという中国人が実は中国に多数存在していたのです。一番の大物は、早稲田大学に留学していた廖承志。そして、それを周恩来が背後からリードしていた。
はじめは、中国特産三品目しか日本は中国から輸入できなかった。漢方薬、生漆そして甘栗。
日本の大手商社はダミー商社をつくって、中国との取引をすすめた。それは、台湾との取引を続けるためにも必要だった。
中国は、日本企業の一貫生産プラントをそのまま発注せず、基本設計を導入して自前でつくろうとした。しかし、それはどれも失敗した。ボーイング七〇七を分解して、見よう見まねで同じような旅客機をつくってみたものの、それが空を飛ぶことはなかった。そんなエピソードが紹介されています。ありえることですが、これって本当なのでしょうか…。
そして1966年ころから文化大革命の厳しい大波に中国はさらされ、日本企業もさんざんな目にあうことになります。日系商社マンも次々に逮捕されました。
やがて文革がおさまり改革開放がすすむなかで、新日鉄を中心とした宝山製鉄所の建設が始まった。
ガマン強く、誠実に対応した日系企業はついに生き残り、中国経済の復興に大きく寄与した。これは本当のことだと私も思います。
売った商品に欠陥があれば、無償できちんと直すという態度を多くの日本の商社・メーカーがとった。このことが日系企業への中国側の信用を積み重ねていった。
なるほど、そういうこともあったんだよね、そう思いながら、誠実そのものだった叔父を偲びつつ読みすすめました。
(2022年1月刊。税込1980円)

モンゴルはどこへ行く

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 窪田 新一 、 出版 論創社
私は相撲にはまったく関心がなく、テレビで見ることもありませんが、日本の相撲はモンゴル人力士が支えてきましたよね。そのモンゴルの今を多角的に追究している本です。
モンゴルの首都のウランバートルで、日本車は多く、目立つ。しかし、モンゴルで大きく成功した日本企業はあまり多くない。ウランバートルには日本の5大商社の事務所があるが、それほど目立つ存在でもなさそう。モンゴルでのビジネスのハードルの高さは想像を絶している。
モンゴルにおける最大の問題は、政治とビジネスの癒着。政治家や高級官僚が自身の立場を利用して鉱山利権や土地の許認可に影響力を行使している。
癒着・腐敗が、国会に議席をもつ既成政党のなかでキャリアアップするために構造化されている。
国内産業が十分に発達していないため、税収の多くを鉱山に依存しているモンゴルの財政は常に脆弱(ぜいじゃく)で、政治家や公務員の給料は高くない。ほとんどの政治家や高級官僚は、家族・親族の名義で企業を経営させており、それらの企業が不正の舞台となる。
モンゴルでも若者の投票率は50%ほど(日本は33%)。政治に期待がもてないというあきらめから、投票所に足を運ばない。日本と同じ。でも、それは腐敗した権力者を喜ばせるだけなんですけれど…。
戦前の帝国日本は、ロシアと3回も密約をとりかわし、モンゴルにおけるロシアの特殊利益を承認していた。
日本敗戦後、大量の元日本兵がソ連軍によってシベリアへ連行されるが、その一部(1万4千人)はモンゴルへ廻されて、首都ウランバートルの建設に従事させられた。
モンゴルは、国土の7割以上が草地・牧草地。モンゴルは降水量が少ない。
遊牧は、現在でもモンゴルの衣食住を担う生業。遊牧を中心とする牧畜はモンゴルの基幹産業。牧民世帯は17万戸であり、全世帯9万戸の2割近くを占めている。
モンゴルの広大な草原の下には豊富な鉱物資源が眠っている。銅と石炭である。その輸出のほとんどは中国向け、砂金を採取するため「ニンジャ」と呼ばれる労働者が働いている。
ウランバートルは世界でもっとも寒い首都。また、自動車排ガスとあわせて暖房用の石炭も都市の空気を汚している。
モンゴル馬は小柄だが、がっしりとした体格。脚が丈夫で、耐久力がある。モンゴルの大草原での乗馬ツアーを営んでいる日本人の若者がいる。たいしたものです。
日本の高専にモンゴル人の若者が勉強に来ている。そして、モンゴルは日本と同じ方式による高専が3校もある(「技術カレッジ」と呼ぶ)。いやあ、これはいいですね。若者同士が交流できる場があるというのは、とてもいいことです。
モンゴルという未知の国を少し知った気分になりました。
(2022年1月刊。税込2200円)
 日曜日の午前中、フランス語検定試験(1級)を受けました。1995年以来、毎年2回、仏検を受けています。今年、福岡の1級受験生は4人のみ(おじさん3人と女性1人)でした。今までで最少です。近くで仏検4級の試験もあっていましたが、そちらは50人ほども受験生がいるようでした。
 1級は、準1級と違って合格することははなから期待していません。ともかく、ボケ防止のためです。25枚にもなる過去問を朝と夜に繰り返し復習しました。
 そして結果は…。自己採点で61点でした(いつもの大甘です)。150点満点で4割。もちろん不合格は間違いありません。
 終わって、やれやれとほっとしています。

中国法

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 小口 彦太 、 出版 集英社新書
中国って、法治国家って言えるのかしらん。裏で共産党が裁判所そして判決を操作しているんでしょ…。こんな疑問にこたえてくれる新書です。
まず、何より驚かされるのは、中国の民事訴訟事件数が非常に多いという事実です。そのなかでも、契約関係の訴訟が断トツに多いのです。
著者は1700件もの訴訟の判決文に目を通していますが、判決文の形式は日本の民事訴訟とほとんど変わらず、当事者双方の主張、そして裁判所の事実認定が正確かつ詳細に記され、それをふまえて法解釈論が展開され、判決となっている。
中国の人々は、契約が守られなかったとき、決して泣き寝入りしないという人々が数多く存在する。なので、訴訟は多く、でたらめな判決文では本人がとうてい承服しない。
とはいっても、日本と中国とでは、法観念が相当に異なっている。たとえば、中国では、特別のことがないかぎり、当事者間の約定を何より重視する。約定こそ原則であるという法観念が強烈にはたらいている。むむ、これはなんだか日本とは違いそうですね。
中国の不法行為法には無過失責任の規定が多い。たとえば、中国の道路交通安全法では、運転者に過失がなくても、必ず損害額の1割の範囲内で賠償責任を負わなければならない。これは無過失責任。これも日本とは違いそうです。
中国の死刑判決は2種類ある。必ず執行される死刑と、もう一つは2年の執行延期がついていて、その2年の間に故意犯罪を行わない限り、無期あるいは有期懲役刑に減刑されるもの。知りませんでした。
中国の学者は、中国の裁判所と裁判官には、必要な独立性が欠けていると批判している。現代中国の刑事手続では、「疑わしきは被告人に有利に」という原則ははたらかない。それにかわって、「疑わしきは、軽きに従う」、つまり拷問があったかもしれないが、どうも確信がもてない。決めがたいので軽きに従う。これが現代中国での慣行をなしている。うむむ、これはいかがなものでしょうか…。
中国では、合議・独任廷での審理によって審判は完結せず、重大な事件であれば、常に上位の人間・機関の指示を仰ぐことが期待されている。こんな仕組みは、まぎれもなく行政に属すると判断される。
中国の法院の審判には確定力がない。
中国は、成立以来、30年間も法律の空白期間が続いたが、1979年の刑法典と刑事訴訟法の制定から、2020年の民法典の制定で、法体系の構築は基本的に完了した。
憲法解釈の権利は、中国では、全人代常務委員会がもっていて、法院(裁判所)ごときが憲法解釈権を行使するなど、もってのほか。これが党中央の指導部の考え方だった。
党が国家を指導する体制を前提をする限り、表の法としての「国法」に、裏の法としての「党規」が常に優先する。したがって、多様な形式から成る裏の法が姿を消すはずがない。これが中国法の常態である。やっぱりそうなんですね。
著者は、「法院」は本当に裁判所なのかと疑問を呈しつつも、私法の領域では、法は着実に機能していると認めています。この矛盾こそが、現代中国法をめぐる特色なのでしょうね…。福岡には中国語の話せる弁護士が何人もいますよね。たしたものです。ますますの活躍を心から期待しています。
(2021年11月刊。税込860円)

鄭和、世界航海史上の先駆者

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 寺田 隆信 、 出版 清水書院
15世紀のはじめ、明の鄭和は、当時の世界最大の船隊を率いて、東南アジアからアフリカ東海岸にまで航海した。その航海は、1405年から1433年までの29年間に7回、訪問国は30数ヶ国。バスコ・ダ・ガマがインドに達したのは1498年なので60年も早い。
鄭和の航海は軍事行動というのではなく、主目的は通商にあった。明帝国の政治使節であり、通商代表だった。政府ないし宮廷直営の貿易を行うための活動だった。鄭和が来たことで、明帝国に国王みずからやってきた国が4ヶ国、使節を派遣した国は34ヶ国にのぼる。
ただし、鄭和を送り出した明の永楽帝そして宣宗が亡くなると、明帝国は対外進出が消極的になり、国力も衰えてしまった。そのため諸外国からの朝貢も自然に消滅していった。
シルクロードといっても、実は陸上よりも海路の方が、はるかに輸送力がいい。商船1隻はラクダ2000頭に匹敵した。朝貢貿易は、朝貢国に莫大な利益をもたらした。一度、入貢すると、元本の5倍か6倍ほどの利益が得られた。
成祖永楽帝は内政よりも対外政策に非常な積極性を発揮した。鄭和は宦官(かんがん)だった。宦官は、本来、皇帝個人の家庭生活に奉仕すべき存在。鄭和の大船団は、2万7千人以上の乗員を乗せた62隻から成っていた。船は大きいものでは船長150メートル、船幅62メートル。これは、発掘された船の装備から、決して誇大な数字ではないとされている。
鄭和はイスラム教徒だった。明の中国では、イスラム教徒が弾圧されたり、迫害されたことはなかった。なので、多くのイスラム教徒が鄭和の大船団に参加していた。
鄭和の船団は、中国に珍しい動物を連れて帰国した。キリン、ラクダ、ダチョウ、シマウマ、アラビア鳥など。そのなかでとくに注目を集めたのは、キリンだった。日本にキリンが来たのは明治40(1907)年なので、中国のほうが500年も早かった。
鄭和の後に続く航海者がいなかったこと、明帝国が対外進出に国力をさけなくなったことなどから、この偉大な先駆者は、今も、あまり評価されていないのが残念。
実は、この鄭和の大船団について、どんな構成だったのか、船団に女性が本当に乗っていたのか(女性も乗っていたようなのです)、もっと詳しく知りたかったのですが、そこは残念ながら書かれていませんでした。
(2017年8月刊。税込1980円)

ウィグル大虐殺からの生還

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 グルバハール・ハイティワジ 、 出版 河出書房新社
中国の西方に新疆ウィグル自治区があります。ウルムチ、そしてトルファンには、私も一度だけ行ったことがあります。シルクロードの旅でした。トルファンは、まさしく炎熱砂漠地帯です。羊を目の前で殺してくれ、その羊肉をみなで美味しくいただきました。ウィグル族の抵抗運動が激化する前のことです。
ウィグル人は、スンニ派のイスラム教徒で、その文化は中国ではなく、トルコに起源がある。ウィグルの分離独立を目ざす運動があって、中国政府は厳しく弾圧している。街のいたるところに顔認証カメラと警官が配置されている。そして、2017年に再教育収容所が開設された。ここにのべ100万人ものウィグル人が入れられた。
新疆には、1200ヶ所もの再教育収容所があり、1ヶ所あたり250人から880人が入っている。収容所では、授業で暗記を強制され、グロテスクな軍隊風の行進をし、木製かセメント製の寝床で眠る前に、まず人格を奪われる。汚れたつなぎと布製の黒い上靴を身につけると、女性収容者はみな似かよった存在となる。そして、その瞬間から、名前ではなく、通し番号で呼ばれる。心が弱っていく。服従することによって、自分の好みや感情を押し殺す。
収容所のシステムは、生活に結びついていたものを次々に奪うことで、収容者の個性を消し去る。共産党をたたえる同じ言葉を何度もくり返す。プロパガンダづけになりながら、同じ熱心さで自分の再教育に励み、しだいに自分のアイデンティティを失っていく。みんなが一様に壊れていき、しまいには、肉体的にも精神的にも似たり寄ったりになる。無気力で、何も感じない。中身がからっぽの亡霊だ。人間ではなく、死者同然。
収容所では、まぶしい蛍光灯に照らされ、似たような授業、食事、行進の練習を続けさせられるうちに、時間の感覚がなくなっていく。
著者は、警官の暴力の前に屈してしまいました。心にもない「自白」をするほどまでに屈したのです。罪を認めるのが早ければ早いほど、ここから早く出られる、と聞かされていた。疲れ果てた末、その言葉を信じた。
その役割を受け入れたのは、無意味な再教育にしたがう境遇のなかで、ほかの出口は何もなかった。警察はきわめて巧みに人をあやつる。精神をしなわせて、無敵の盾のように使うことで、真実を決して忘れずにすんだ。
1949年に中華人民共和国が建国された。人民解放軍が新疆に進駐した。同時に漢民族の入植が本格化した。1949年にウィグル人は76%だったが、今や、ウィグル人と漢人は、40%台と拮抗している。
新疆では、「三、六、九の規則」したがって行動(申告)しなければならない。他人の訪問があったら住民は30時間以内に、地区委員会に知らせ、地区委員会は6時間以内に地元の警察署に知らせ、警察署は9時間以内にその訪問者の連絡先をファイルに保存するという決まりのこと。いやあ、すごいですね。こうやって人々の生活は隅々まで厳しく監視されているのです。
フランスからウソの名目で呼び戻され、収容所に閉じ込められたウィグル人女性が、自らの体験を実名で語った貴重なレポートです。
(2021年10月刊。税込2550円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.