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カテゴリー: アフリカ

今日、誰のために生きる?

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 ひすいこたろう、SHOGEN 、 出版 廣済堂出版
 まずは衝撃的なコトバに出会いました。ハッとさせられます。
効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
なーるほど、そうなんです。今の世の中、とくに自民党と公明党は効率一本槍で押し通しています。人間を育てるとき、効率優先でいいはずがありません。
 人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているんだよ。
きっと、そうなんですよね。「ムダ」なようで、実は決して「ムダ」ではない時間に私たちは生きているわけです。
 アフリカのタンザニアにある「ブンジュ」と呼ばれる村民200人の村に日本人のショーゲン氏は生活し、そこでペンキアートを学ぶのです。
 しかし、入村するには3つの条件をクリアーしなくてはいけません。その3つとは…。
 その1、食事に感謝できるかどうか。感謝の心をもって丁寧に味わうこと。ちなみに、主食となる「ウガリ」というトウモロコシのパウダーをお湯で練って固い生地にしたものは、美味しくないそうです。
 その2、「ただいま」と言ったら、「おかえり」と言ってくれる人がいるか。この村では、家族という血縁にこだわらず、常にいくつかの家族が助けあって生活している。
 その3、抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。これは、肌の触れあいの大切さ。人の温もりが分かる心があるかどうか。
 ショーゲンは、「はい」と答えて、入村が認められました。
 ケンカは、その日のうちに仲直りする。というのも、言い争いをしている大人を、子どもが見たくないから…。うひょう、その発想はすばらしいですね。
子どもと言えば、子どもの前で失敗を隠すのはやめてと頼まれます。なぜなら、大人が失敗するのを見せることで、子どもは出来ないことは恥ずかしいことではないと学び、失敗を恐れない子どもになると考えるからなのです。
 なるほど、なるほど、これは大いに一理も二理もありますね。
この村では午後3時半になったら、みんな仕事をやめる。
 ここは日が暮れるのが早いし、電気がないので、日の明るいうちしか家族の顔が見れない。なので、早く家に帰って、家族の顔を見るため、残業なんかせず、午後3時半になったら、みんな一斉に仕事をやめる。それが仕事の途中であっても、そんなの関係ない。
 挑戦するということは、新しい自分に会えるという行為だ。
 挑戦には失敗がつきものだけど、いつか失敗のネタが尽きるときが来る。失敗が満員御礼になるときが来る。そうしたら、成功するしかない。
 ヤッホー、です。こんな考え方ができる人たちがいるんですね、世の中には。これまた、すごいことです。
 この村はアフリカのタンザニアにあるそうです。そして、ショーゲンが学んだペンキ画は、下描きなしで6色のペンキで描くというもの。そのいくつかが紹介されていますが、独特の美しさをもっている画です。
 いったい、本当にこの「ブンジュ村」というのは存在するのでしょうか…。それとも、夢にすぎない、おとぎ話なのでしょうか…。
(2024年3月刊。1760円)

楽園

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 アブドゥル ラザク・グルナ 、 出版 白水社
 私と同世代で、2021年のノーベル文学賞を受賞した作家です。
 アフリカ東部のタンザニア(旧ザンジバル)に生まれ、1964年の革命騒動で、イギリスに渡り、大学に入りました。
 解説によると、グルナの作品は美しく簡潔な文体でつづられるとのこと。
 主人公は12歳の少年ユスフ。苦境に陥った父親の借金のかたとして、大商人アズィズに引き渡され、アフリカ内陸奥地に向かう隊商に加って働くのです。ユスフが18歳になるまでに体験する出来事が語られていきます。
 ユスフというの旧約聖書のヨセフであり、コーランの預言者ユースフの話が下敷きになっている。この小説の舞台は20世紀初頭のドイツ領東アフリカ(タンガニーカ)。アズィズの隊商は、ベルギー領コンゴ東部を目指す。隊商にはインド人の資本が提供されている。また、既に廃止されたとはいえ、奴隷の身分が残存している。
著者がノーベル文学賞を受賞したときの記念講演が紹介されています。
 書くことはよろこびであり続けている。私も同じです。書くことなしに私の人生はありません。書かないではおれません。
 著者は、若いころ、無謀にも郷土を逃げ出し、置き去りにした。そのことを反芻(はんすう)したのです。そして、語るべきこと、取り組むべき課題があり、それを言葉として深く考えるべき後悔や怒りがあると感じるようになったのでした。そこで、自己満足に浸る支配者たちが自分たちの記憶から抹消しようとする迫害や残虐行為について書かなければならなかった。
 そして、口あたりのいい表現で、支配の本来の姿が覆い隠され、自分たちもその偽りを受け入れていた。
 書くことを通じて、自分たちを見下し、軽視する人たちの自信満々で、いい加減な物言いに抗(あらが)いたいと強く願うようになった。
 書くことは、自分の人生において意義深く、夢中にさせてくれる営みであり続けている。
 なるほど、そうなんですよね。私はいま、昭和初期に7年のあいだ東京で生活していた亡父、ちょうど17歳が24歳という青春まっただなかの多感な年頃でした、の生きざまを調べ、考え、書いているところです。こんなに夢中にしてくれることはほかには滅多にありません。
 この本が1ヶ月で2刷になっているのに驚きました。さすがはノーベル文学賞受賞作家です。
(2024年2月刊。3200円+税)

ガーナ流・家族のつくり方

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 小佐野アコシヤ有紀 、 出版 東京外国語大学出版会
 アフリカのガーナ大学に留学した20歳の日本人女性がガーナで見たものは…。
 血縁を超えた家族関係を結ぶ人々だった。
 私にとってガーナは、エンクルマ大統領です。無残にもアメリカ(CIA)に暗殺されましたが、アフリカ独立の英雄でした。
 ガーナは西アフリカにあり、人口は日本の4分の1、国土は日本の3分の2。サハラ以南では最初に植民地支配から独立した。1960年だったのではないでしょうか。
 ガーナはチョコレートの原料となるカカオを栽培する国。
 ガーナの7割がキリスト教、2割がイスラム教。南部はキリスト教人口が多数を占め、北部にはムスリムが多い。ガーナの人口の4割を占めるアカンの言葉がチュイ語。
 列車の代わりに「トロトロ」という乗り合いバスが走っている。
著者がガーナに留学したのは2017年2月のこと。
 ガーナには性別と生まれた曜日によるデイネームがある。著者の「アコシヤ」は日曜日。そして「機敏さ」を意味している。
 日本にいるガーナ人は、2万5千人ほど。埼玉県草加市と川口市、八潮市に多い。
 ガーナでは祖母が主力となって子育てするのは一般的なこと。そして、子育てはみんなでするものである。
 「あなたは何人家族ですか?」。この質問に対して、日本人なら迷うことなく、「核家族」の現状の人数を答えるに決まっている。しかし、ガーナは違う。
 「ふだんの生活のなかで、家族として接している人の数」を訊いていると説明すると、その答えは、「105人」、「18人」、「50人」と、日本人の私たちからすると、とんでもない人数の答えが返ってくる。ガーナでは、血のつながりがなくても家族だから…。
 ガーナでは、子どもが生みの親(生親)のもとを離れて育つのは決して珍しいことではない。
 日本では「核家族」というのがあたり前になっていますが、これは日本の「特殊現象」であって、「家族」とはいったい何なんだというのを、ガーナの「家族」との関係で改めて考えさせられました。
それにしても20歳でガーナの現地社会に溶け込むって、すばらしいですね。私には20歳のころ、そんな勇気はまったくありませんでした…。
 あなたにも、視野を広げるため、ご一読をおすすめします。
(2023年12月刊。2200円+税)

母を失うこと

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 サイディヤ・ハートマン 、 出版 晶文社
 奴隷制を意味するスレイヴァリーという用語は、スラヴという言葉から派生している。中世の世界では、東ヨーロッパ人が奴隷だったことによる。うひゃあ、知りませんでした・・・。
 アフリカのガーナは、よその国より奴隷制のため地下牢や牢獄、奴隷小屋を残している。地下に埋もれた狭く、うす暗い牢室、格子つきの洞窟のような牢室、細い円柱型の牢室、じめじめとした牢室、にわか作りの牢室。15世紀末以来、金(ゴールド)と奴隷をめぐって、ポルトガル人、イギリス人、オランダ人、フランス人、スウェーデン人そしてドイツ人は、アフリカの奴隷交易における拠点を確保するため、50もの恒久的な駐屯地と要塞、そして城を建造した。地下牢や貯蔵庫、また収容所には、大西洋をわたって輸送されていくのを待つ奴隷が収容されていた。18世紀末ころ、ガーナには60もの奴隷市場が存在していた。
 1950年代、60年代、アメリカにいたアフリカ系アメリカ人は大挙してガーナに押し寄せた。パン・アフリカ主義という夢のもとに、明日にでも奴隷制と植民地主義の遺産が崩壊するかのような気運にあふれていた。
 ガーナのエンクルマ大統領は独裁者だった。エンクルマは、世界中の黒人の自由のために妥協なく闘った。エンクルマが失脚したとき、アフリカ系アメリカ人は涙したが、地元のガーナ人は歓喜し、街頭に繰り出して踊った。
 ガーナは自由通貨を発行せず、ヨーロッパで製造された米ドルが通用していた。
 アフリカでも、アメリカに劣らず、黒人の命が消耗品同然に扱われている。
 ポルトガル人に捕えられた女性の右腕には十字架の焼印が押された。
 コンゴにおける王侯貴族はカトリックに改宗し、奴隷貿易で財を成した。
 奴隷は家系をもたなかった。奴隷は人間を数えるときの単位ではなく、家畜のように「頭」と数えられていた。
 商品としての奴隷は、生きた積荷と呼ばれ、またオランダ人は「ニグロ」という言葉を「奴隷」と同義として使った。奴隷船は「ニガー・シップ」呼ばれていた。
 ヨーロッパに連れてこられたアフリカ人「捕虜」は、自分たちはヨーロッパ人から食べられるために連れてこられたと、恐怖心を吐露した。白い人食いへの恐怖は、暴動と自死を誘発した。
 奴隷所有者は、奴隷の記憶を根こそぎ、つまり奴隷制以前の存在する証拠をことごとく消し去ろうと努めた。過去のない奴隷は、復讐すべき相手が分からない。
 奴隷制度から生まれた子どもは、母親とともに何も相談することなく、完全に父親の系図に組み入れられた。奴隷の母親は、子に引き継がせ得る生得権を何ひとつ持たないので、女奴隷の子に触れるのはペニスだけだと言われた。
 コンゴを何度も訪れたアメリカの学者による紀行文でもあります。奴隷制が現代になお生きているという指摘には、ぞぞっとさせられます。
(2023年9月刊。2800円+税)

太陽の子

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社
 アフリカはコンゴの山奥に日本人の子どもが大勢いるという衝撃のルポです。
 中国の残留孤児は『大地の子』でも有名になりましたし、フィリピンにもいると聞いていましたが、アフリカにまでいるとは…。
 舞台はコンゴ民主国(旧ザイール)です。アフリカには、もう一つコンゴ共和国というのもあります。日本企業(日本鉱業)は1970年代にコンゴで鉱山開発をすすめていて、日本からも若い労働者を1000人ほども送り込んだのでした。
 日本鉱業という会社は、日立鉱山を発祥の地としていて、JR日立駅前には資料館「日鉱記念館」がある。そこには、日本鉱業がコンゴでムソシ鉱山を開設していたときの資料も展示されている。このムソシ鉱山は1970年代に銅を採掘し、精鉱していた。
 しかし、1971年の「ニクソン・ショック」によって、1ドル360円の固定相場が1ドル308円前後へと変動相場制になり、コンゴ経済も独裁者モブツ大統領による無謀な経済政策によってコンゴ経済が崩壊した。さらに、隣国アンゴラで内戦が始まり、輸送コストが高騰。
 しかし、世界の合同価格が急速に下落していった。
 結局、総額720億円もの巨大プロジェクトは、その投資額さえ、回収できないまま。
 1983年に日本はコンゴから完全に撤退した。それまで、日本鉱業の社員など日本人が670人ほど現地に住みつき、コンゴ人など4000人ほどの従業員の住宅が整備され、人口1万人をこえるビッグタウンが突如として出現し、やがて、すべて消え去った。
 この地に単身赴任で働きに来ていた日本人社員が現地で次々に結婚し、子どもが産まれたのです。
 この本の真ん中に、父は日本人と主張する人たち(男も女も)の顔写真が紹介されています。ユキもケイコもユーコも、まごうことなく日本人の顔をしています。DNA鑑定なんかするまでもありません。男性のムルンダ、ケンチャン、ヒデミツも日本人の顔そのものです。
 日本鉱業の幹部だった人たちは、著者の質問に対して全否定しましたが、これらの顔写真はまさしく動かぬ証拠です。
 コンゴの日本大使館は、日本人残留児の父親探しには協力できないという態度でした。日本鉱業が全否定することが影響しているのでしょう。
 笹川陽平(日本財団)は、日本食レストランを現地に開設するとき、その全資金を提供したとのこと。
 日本人労働者たちは単身赴任でコンゴにやってきて、ここで家庭を築いたものの、泣く泣く日本に戻ってからは、アフリカ(コンゴ)とは例外なく完全に縁を切ったようです。
 父系制の強いコンゴで、父親のいない家庭で育った子どもたちの苦労がしのばれます。
 ところが、著者の取材に応じ、顔写真まで撮らせた男女は、いずれも、あらゆる困難にめげず、アフリカの地で、「日本的」勤勉さを発揮して、それなりの仕事と生活を切り拓いた人も少なくないというのです。顔だけでなく、性格までもが日本的だという記述を読むと、その大変な苦労を想像して思わず涙があふれ出ました。
 日本に戻った人たち(父親)を探すのは止めたほうがいいと何人からも言われ、実際にも父親が死亡したりして、父親探しは難航しています。でも、アフリカにいて、日本人の名前と顔もして、心を持つ人たちが自分の父親を知りたい、会いたいというのも自然な人情です。はてさて、いったいどうしたらよいのか、分からなくなりました。
 新潮ドキュメント賞、山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞したのも当然と思える労作です。ご一読ください。
(2023年9月刊。2500円+税)

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