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カテゴリー: 社会

在日韓国人になる

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 林 晟一 、 出版 CCCメディアハウス
 民族マイノリティ(少数派)として生きるのも、楽ではない。
 ゴキブリのたとえは、日本の排外主義者の専売特許ではない。戦いのさなか、相手を「非人間化」として動物とみなし、殺しやすくするのは常とう手段である。
 ヒトラー・ナチスは、ユダヤ人について人間の顔をしているだけで、人間ではない、ゴキブリ同然と決めつけ、大量殺戮(さつりく)を続けていきました。殺人(大量か否かにかかわらず)には、それを「根拠」づけるもの(理屈)が必要なのです。
 排外主義者の派手なパフォーマンスに惑わされ、過去の実績と未来を見さだめるセンスを曇らせてはまずい。戦後ずっと、生活保護を除く社会保障全般から在日韓国人は排除されてきた。
 しかし、1970年代から社会の統合が進むなか、国民健康保険をふくむ社会保障の恩恵にあずかられるようになった。長い苦しい戦いのなかでの悲願達成だった。
 1945年8月の日本敗戦時、日本には200万人以上の朝鮮人がいた。翌1946年3月までに130万人以上が朝鮮半島へ帰国した。その後、日本にいる在日朝鮮・韓国人は、おおむね50~60万人台で推移した。日本の全人口の1%に届くことはなかった。2021年には30万人となった。
 1955年では朝鮮籍が43万人、韓国籍が14万人で、前者が在日の75%だった。1969年には韓国籍が31万人、朝鮮籍が30万人と、シェアが逆転した。
 1959年から1984年にかけて、在日の人々が北朝鮮へ移住していった。累計で9万3千人。ピークは1960‐61年で、7万人以上の人が日本を離れた。
 1970年ころ、神奈川県川崎市は市の人口の1%が在日の人々だった。
著者の名前は、金日成を合成したもの。
 在日の人々は自営業の比率が高い。それは日本の企業への就職困難の反映でもあった。三大産業は、パチンコ店、焼肉屋そしてスクラップ回収業。いずれも私の依頼者(在日)の職業でもあります(ました)。他には、医師、金融業そして弁護士です。いずれも高い知的職業です。
 力道山の本名は金信洛。日本国籍を取得していますが、百田(ももた)光浩として生きてきた。マスコミは、朝鮮半島出身であることを知りながら、あくまで「日本人の英雄」とみなした。これに対して、プロ野球選手の張本勲(張勲)は、韓国籍であることを隠さなかった。これは、きわめて珍しいことだった。
 1955年時点で、在日と日本人との国際結婚は3割を占めていた。1970年代半ばまでに在日同士の結婚は過半数を割った。
 松田優作は、在日韓国人1世の母と日本人保護司の父のあいだに1949年に下関で生まれた。
 1980年代に在日韓国・朝鮮人をふくむ外国人にも国民年金や児童手当が適用された。
 1986年には、国民健康保険が全面適用された。
 川崎信用金庫が在日のローン拒絶について、ジャックスがクレジット利用拒絶について謝罪した。第一生命は在日の生命保険加入拒絶の改善を約束した。
 1977年、金敬得が韓国籍のまま司法修習生となることが認められた。国公立大学の教授職も1982年より外国人に開かれた。外国人登録のとき、指紋採取制度も廃止された。
今日では、在日の9割が日本人と結婚し、その子どものほとんどは日本国籍を得ている。
 海外渡航の自由の面で、今でも朝鮮籍と韓国籍には大きな差があるようです。
 著者は東京都内の中高一貫校で歴史・国際政治学を教える教員(今、43歳)です。
 とても面白く読み通しました。
(2022年12月刊。1700円+税)

移民の子どもの隣に座る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 玉置 太郎 、 出版 朝日新聞出版
 大阪市のど真ん中に位置する「島之内」は住民6千人の3割以上が外国籍、日本でも指折りの移民集住地域。住民の大半はミナミの飲食店街で働いている。とくにフィリピンと中国出身者が多い。そこに「minamiこども教室」がある。火曜日の夜の午後6時から8時まで、小学生から高校生まで30~40人が集まってくる。フィリピン、中国、韓国、ブラジル、ペルー、ルーマニア、ネパール…と続く。
 教室では、ボランティアが一対一で子どもの隣に座る。
 ほとんどの子どもは島之内の中層マンションに住んでいる。島之内には暴力団の事務所もある。こども教室がオープンしたのは2013年9月のこと。なので、もう10年以上になる。
 著者は朝日新聞の記者として取材を兼ねて、教室でボランティアを始めた。
 大学生のころはバックパッカーとして、海外への一人旅に出た。
子供たちにとって、この教室は「居場所、心の居場所」だと言う。
 ボランティアには元教員もいる。その長年の教員経験から子どもの内面が姿勢に表れるという。それまで解けなかった問題が解ける喜びを知ると、もっと集中しようという気持ちが姿勢に出てくる。
 日本に住むフィリピン国籍の人は2010年代は20万人台で増え続け、2022年末には30万人になった。中国、ベトナム、韓国に次いで4番目。フィリピン国籍の人は男性10万人に対して女性が20万人。これは興行ビザでフィリピン人女性が来日してきたことによる。
 フィリピン人女性と日本人男性とのあいだの子は、「ジャパニーズ、フィリピノ、チルドレン」(JFC)と呼ばれている。法改正があり、日本国籍をとるJFCが急増した。7年間で4千人をこえる。実子が日本国籍をもっていたら、外国籍の母親も「子どもの養育」を理由に「定住者」在留資格を得られる。
 ブラジル国籍をもつ人は5番目に多いが、その大半は北関東や東海地方で、自動車関連の工場で働いている。
 日本に住むブラジル人は1989年に1万5千人だったのが急増し、ピークの2007年には30万人をこえていた。今や20万人前後。
 自己紹介が嫌いだ。日本人っぽくない名前を言うのが恥ずかしいし、怖かった。いじめの原因になるんじゃないかって、いつも不安だった。
 著者って、すごいなと感心したのは、34歳のとき、朝日新聞を2年間休職して、ロンドンの大学院に留学し、移民について学んだことです。しかも、このときもロンドンで移民の子どもたちのなかでボランティア活動をしたのです。すごいです。うらやましいです。
 子どもたちのなかに入ってボランティアしているときは、子どもたちの名前をしっかり覚えられるように、小さな紙片にカタカナで名前を書いてポケットに入れていたそうです。名前を間違えると、子どもはとても寂しい顔をするから…。
 ロンドンの、ここ(ソールズベリーワールド)は、いろんな背景をもった人の入りまじった場所なので、自分も、その一部だという感覚になれる。そうやっていろんな背景や文化をもった大人たちが、子どもと身近に接するからこそ、子どもたちは「違い」に対する寛容さを身につけることができる。
 なるほど、なるほどこんなこども教室が日本全国、あちこちに出来たら、本当にいい社会に日本も変わると思いました。
(2023年10月刊。1870円)

憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 清水 雅彦 、 出版 高文研
 戦前、「日の丸」を国旗に、「君が代」を国家にするという法律はなかった。事実上、国旗、国歌としていただけ。
 元号制度は、中国のまねをして導入したもので、日本独自の制度ではない。また、一世一元制(1人の天皇に1つの元号)は明治になってからのもの。それまでは同じ天皇のもとで、何度も元号の変更があった。
 自民党の憲法改正草案には、「国防軍」を保持する目的として「国民の安全を確保するため」が入っている。「国」だけではなく、「国民の安全」を新たに入れているのは、在外邦人の保護のために国防軍が国外展開することを可能とするため。
 なーるほど、そうなんですね。日本人は海外にいくらでもいますから、その海外在住の日本人を保護するためなら、どんな外国であっても自衛隊を派遣することができるというわけです。これって、いかにも悪知恵が働いているってことですよね…。
 また、同じ改正草案には「国防軍に審判所を置く」としています。しかし、現行の日本国憲法は、「特別裁判所はこれを設置することができない」と明文で定めています(76条2項)。にもかかわらず、自民党は戦前の軍法会議に相当する軍事審判所を設置しようというのです。とんでもないことです。
 改正草案には「新しい権利」を盛り込んだと自民党は説明しています。しかし、それらの規定はすべて主体の規定ではなく、客体の責務を規定したにすぎません。したがって、行政の場でも裁判の場でも使える権利にはなっていない。そうなんですよね、これもゴマカシなんです。
 安倍首相が殺害されて1年半たちましたが、岸田首相は評判悪いなかでも、アメリカ軍の高価な兵器等(たとえばトマホーク)を次々に買いあさっています。まるで、日本はアメリカの属国のようです。そして、その総仕上げが、まさしく憲法改正です。
自民党の考えている憲法改正案がいかにひどいものか、この本を読んで、改めて再認識させられました。
(2018年4月刊。1200円+税)

脱ダム、ここに始まる

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 森 武徳 、 出版 くまもと地域自治体研究所
 筑後川の最上流に松原・下筌(しもうけ)ダムがあります。建設省(今の国交省)がダム建設を決定したのは1957(昭和32)年で、完成したのは1969(昭和44)年のこと。完成まで12年の歳月を要しました。この12年の歳月は、何事もなく過ぎたのではなく、全国からも注目される「蜂之巣城」攻防戦という13年に及ぶ歴史的大闘争があったのでした。
 ダムが完成した1969年というのは、私が東京で大学2年生のころですから、九州が地元といっても、遠く東京のほうから大変な闘争があっているようだなと、他人事(ひとごと)のように眺めていたのでした。
 ダム建設反対運動の中心人物は室原知幸。早稲田大学で政治学・法学を学び、戦前・戦後、町会議員や町公安委員をつとめるなど、名望家であり、知識人でした。
 1960年というと、東京では安保条約反対運動が盛り上がっていましたし、大牟田の三池炭鉱の炭鉱合理化をめぐって、総資本対総労働の闘いと言われるほど、三池争議が全国的な支援を受けて激しく展開されていました。私が小学6年生のころのことで、市内は全国から駆けつけた支援の労働者そして2万人と言われる警官隊でぎっしり埋まっていました。
 室原知幸は、ダム建設反対闘争の拠点として、1959年5月、監視小屋、集会所、炊事場、便所など常駐施設を構築し、これに「蜂之巣城」の看板を揚げたのです。
 当時の土地収用法14条では、「蜂之巣城」のような建築物は排除が許されませんでした。しかし、熊本県土地収用委員会は1964年3月、「蜂之巣城」の収容採決を下し、熊本県知事は同年6月23日から「蜂之巣城」の物件移転の代執行を強行したのです。
 代執行に抵抗する側は1300人以上の応援者とともに座り込みで対抗しましたが、職員等600人が警察官700人の支援を受けて、反対派をゴボウ抜きして排除し、建築物も撤去したのでした。
 中心人物の室原知幸は1970年6月に死去し、同年10月にダム闘争は終結しました。
 著者は、1960年当時、熊本の庄司進一郎弁護士の下で事務員であり、また司法試験の勉強中でもありました。
 土地収用法を適用しようとするとき、建物は「試掘の障害物」にあたらないので、同法14条によって撤去できないことを室原知幸に進言したのは著者だということです。これはまさしく卓見でした。これによってダム反対は闘争の拠点ができ、闘いを可視化することによって全国的に闘争の意義を訴えることが容易になったのです。
 ちなみに、「蜂之巣城」というのは、有名な黒沢明監督の映画「蜘蛛(くも)巣城」のパロディ(パクリ)であることは言うまでもありません。
 この本を読むと、現地での実力阻止闘争とあわせて法廷闘争もたくさん提起され、闘われていたことが分かります。また、民事だけでなく、公務執行妨害・威力業務妨害などで室原知幸ほかが起訴されるなど刑事処分とも闘っています。
 民事訴訟は80件、そのうち地元住民が提起したのは50件ほどだということです。
 これらの裁判闘争を担った弁護士(弁護団)については、福岡第一法律事務所と青木幸男弁護士が紹介されていますが、室原知幸は、この関係ではあまりに渋かったようです。
 熊本(地元)の坂本・庄司弁護士への着手金すら当初の仮処分事件で支払われたのみだったということも、著者はこの本で明らかにしています。
 長期・困難訴訟の壊合、弁護団費用をどうやって確保し捻出するかは、いつも大きな問題となりますが、このダム建設反対では、その点がきちんとクリアーできなかったようです。
 それはともかくとして、本書は「蜂之巣城」をめぐる下筌・松原ダム建設反対運動を振り返ることのできる大変意義のある本になっています。
 著者はその後、司法書士になり、熊本県司法書士会の会長、さらには日本司法書士会連合会の副会長をつとめ、旭日小綬章を受賞しています。また、熊本で活躍中の森徳和弁護士の尊父でもあります。そんなわけで、森弁護士より全文コピーを恵贈していただき、通読しました。ありがとうございます。
(2010年4月刊。絶版)

焼き芋とドーナツ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 湯澤 規子 、 出版 角川書店
 タイトルからは何をテーマとした本なのか、さっぱり分かりません。「日本シスターフッド交流秘史」というのがサブタイトルなのですが、それでも分かりません。
 焼き芋は日本の、ドーナツはアメリカの、女性労働者のソウルフード、好みの間食(おやつ)だった。産業革命期を生き抜いた日米の女性労働者の実際を比較しながら紹介した本です。
 『女工哀史』(細井和喜蔵)は、女性労働者を論じながら、実際のその時代を生きた個々の女性の人生は議論の蚊帳(かや)の外に置いている。
 実際の働く女性は「無学で幼稚」とはほど遠く、「好奇心旺盛」だった。明治の末、東京モスリンでストライキが起きた。そのとき、若い女性弁士がこう呼びかけた。
「私たちも日本の若い娘です。人間らしい食べ物を食べて、人間らしく、若い娘らしくなりたいと思います。食事の改善を要求しましょう」
 そして、この要求だけは認められた。これを言った若い女性は細井和喜蔵の妻(内妻)だった。
 東京モスリンなどの紡績工場で働く女工たちは間食として焼き芋を好んで食べていた。
 1918(大正7)年夏に富山県魚津でコメ騒動が起きた。しかし、その内情は騒動というより嘆願だった。少なくとも特別な騒動ではなかった。今では、貧民救済制度の発動を求めた、一種のデモンストレーションだったとされている。大杉栄は、このとき、デマを流してまわり、積極的に騒動をかき立てようとした。
2021年に上映された、『大コメ騒動』は、魚津町での米騒動をテーマとしています。私も見ましたが、よく出来た映画でした。
 津田梅子は最年少でアメリカに渡った。そして、生物学者として精進した。ところが、日本に帰国したあとは生物学者ではなく、教育学者として専念した。
 アメリカの工場労働者が自宅から持参する昼食は、サンドイッチ・ケーキ・フルーツ・茶など。英語を話せない労働者はライ麦パンに魚や卵・チーズの割合が高かった。
 焼き芋とドーナツは、いずれも近代の産業革命期を生きた女性たちの胃袋を満たし、その甘さで日々に慰めと健やかさを与えた点で共通している。
 アメリカの工場で働く女工たちは、朝4時30分に起床し、4時50分に朝食、昼に食べるのがディナー、夜勤前の夕方に食べるのはSUPPER。19時に終業の鐘がなる。22時には宿舎の門限を知らせる鐘が鳴った。三食は食べているが、ランチはない。
このころの女性は結婚するまでの数年間を動いていた。工場で働く魅力は賃金だけではなかった。社会的で文化的で、かつ宗教的な貴重な経験の場を提供していたことにあった。
 言葉や文章を読みたいという欲求が工場の中に満ち、窓に貼りつけた新聞の切り抜きを「宝石」と感じる感性が女性たちに存在していた。
 焼き芋とドーナツという、それぞれの国の好まれる間食を通じて女子労働者の生活の実際を掘り下げた本です。大変勉強になりました。
(2023年9月刊。2200円+税)

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