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カテゴリー: 社会

ドキュメント高校中退

カテゴリー:社会

著者 青砥 恭、 出版 ちくま新書
 高校中退者のほとんどは、日本社会の最下層で生きる若者たちである。親の所得によって進学する高校が決まり、高校間の格差によって子どもたちの人生、生き方や文化さえも決まる。
ある底辺校(公立高校)では、掛け算の九九が完全にできる生徒は全校生徒160人のうち20人ほどしかいない。そのため、学校は分数計算や小数計算は教えない。
 歯磨き習慣がなかったり、虫歯が多くても治療しなかったりで歯がボロボロの生徒が多い。ネグレクトを受けている子どもたちは、虫歯だらけのことが多い。
 中退した生徒たちのさまざまなケースが紹介されていますが、どれも親たちから大切に育てられていない、親たち自身が生活できていないという悲惨な状況にあります。本当に日本と言う国はおかしくなっていると実感させられるケースのオンパレードです。
 これらの生徒、そして親たちに、自己責任だ、仕方ないだろうと言って切り捨てるのは簡単です。でも、それは日本という国、日本社会が弱肉強食の国であり、社会であることを意味します。そこで生まれるのは、憎悪・絶望からくる自殺的犯罪でしょう。社会不安が強まります。切り捨てて自分だけは安泰と思っていても、実はそうではないということです。
 食事・睡眠などの日常生活、安心して暮らせる住居、日常生活の訓練、社会的な常識を身につけさせるための教育、子どもの心のケア、十分なコミュニケーションなど、子どもたちにとって欠かせないさまざまなケアをするのが親であり家族だが、そういうことのできない家族が増えている。
 60億円もの予算をつかって実施される全国学力テストは、子どもの学力低下や格差の解消を目指すものではない。
 この20年間の最大の変化は、子どもたちの体力が落ちたこと。朝から疲れたという子どもたちが増えた。とくに生活リズムがひどい。親の生活時間で幼い子どもも暮らしていて、大人と一緒に夜の11時、12時まで起きている。だから朝食抜きの子がすごく増えた。
 高校を中退する生徒の半数以上が1年生。入学するとき、必ず卒業しようとは思っていない。高校で学習したり、いろいろな自主活動に参加して身につけ、将来の社会生活に備えようという意欲や希望を初めからもつことなく高校に入った。高校に求めるものが無ければ、やめることに迷いが生じることはなく、やめる決断は早い。仲間が中退したら、次々に落ち葉が散っていくようにボロボロと辞めていく。
 底辺校の生徒たちの勉強に対するストレスは、想像以上のものだ。長年にわたって学習集団から排除されてきたという経験は、すっかり学校嫌いにしている。
 貧困世帯の若者たちへの支援は、教育面からも雇用の面からも、生活面からもまったく行われていない。文科省や知事が進学競争をあおる学力テストの公開には大変な関心を示す一方で、日本の若者たちの貧困問題に政治も教育行政もまったく無関心である。貧困で、しかも低学力の子どもたちは、政治から捨てられている。
 私の大学生のころ、もっとも愛したスローガン(キャッチフレーズ)は、未来は成年のもの、というものです。今は、金もうけと自己保身しか考えない保守的な大人が多いけれど、革新的な考えをもつ今の若者たちが大人になったときには、日本社会は大きく変わっていると考えていました。バラ色の夢を描いていたのです。ところが、現実はどうでしょうか……。
それでも、私は昔より悪くなったとは思いません。まがりなりにも政権交代が実現しました。しかし、アメリカの圧力を跳ね返せずに、ウロウロしている政権のありようには落胆しきりです。そして貧困問題が依然として深刻なのが実態です。放置しておけませんよね。日本の現実を知るための必読の本としておすすめします。
 
(2009年10月刊。740円+税)

須恵村の女たち

カテゴリー:社会

著者 ロバート・J・スミス、エラ・L・ウィスウェル、 出版 御茶の水書房
 戦前、日本語のできるアメリカ人の学者夫婦が、熊本県人吉市近くの須恵村で1年間にわたって生活して、村の生活実態をじっくり観察した記録ですが、驚くばかりの内容になっています。驚嘆したという言葉こそ、この本の読後感にふさわしいものはありません。
 須恵村の人口1663人、285世帯からなっていた。
 女たちは従属的な地位を占めていたが、女たちは必ずしも、彼女らがそうすると思われていたようには行動しなかった。たしかに、女たちは村の行政のことには、なんら役割を持っていなかったし、家庭でも夫に仕えるという標準的な型に従っていた。しかし、男たちとの日ごろの付き合い、労働の分担、社交的な集会、飲酒、おしゃべりでの役割において、須恵村の女たちは確かに、日本のどんな都市に住む女性よりも、はるかにずっと自由に行動していた。
 その関係はより平等であって、女性は農民、漁民、商人、職人の家という経営体への直接的な貢献ゆえに、はるかに力を持っていた。
 男性がいるときでも、話には制約はない。まったく奔放で、好奇心が強く、物おじせず、はっきりものをいう点で、須恵村の女たちは、強く自分の意見を主張し、外の世界の生活のある特定の側面について好奇心を持ち、噂話をするのに熱心で、若い外国からの訪問者に、養蚕の技術から夫婦生活のもっとも個人的な詳細にいたるまで、すべてのことを教えることに興味を持つ人たちとして現れる。
 かつて花嫁が処女であることに重要性がおかれなかった。昔は多くの離婚や再婚があったが、いまでは事態は変わってしまった。かつては、結婚式は極端に簡素で、それ自体あまり意味をもたなかった。女の子は新しい家でなにか気に食わないことがあれば、家に帰ってやり直すことができた。花嫁の純潔は重要なこととはみなされていなかった。これが、何回も結婚した年寄りの女性が多い理由である。しかし、今では結婚は丹念に作られた事柄になり、女の子もそれを軽く見なくなり、また、簡単に離婚しなくなった。
 昔は結婚はどちらかといえば簡単に行われるものだったので、離婚もそんなに深刻な問題ではなかった。持参金の額もすごく大きくなり、結婚式の費用も多額になったので、離婚についても、夫と妻の両方がその手順をそんなに軽々しく考えなくなり、その解決のために二人が深くかかわるべき問題である、と広く認められるようになった。昔は、一家族に七度または八度くらい離婚があっただろう。以前は婚礼は極めて簡単で、人は五円で結婚できた。それが離婚がそんなに多かった理由で、5円あれば料理屋か、売春宿に行くか、あるいは結婚することができたのだ。その結果、人々はそれほど考えもせず、結婚を破棄した。しかしいまでは、極めて多額の金を結婚に注ぎ込むので、離婚する前に、長い間考えることになる。
女が肉体的に強く、良い働き手であるならば、前の結婚で生まれた小さな子どもたちを持っているという事実でさえ、再婚にとっての打ち勝てない障害ではなかった。
 女性主導型の離婚が多いことの背後には、別の夫を見つけることが極めて容易だということがある。たびたび結婚する女性の多くは、嫌いだと言うことで簡単に男を見捨てた。その男とは過度の酒飲みか、妻を虐待するか、その母親と彼女がうまくやっていけない、という人であった。
女たちの何人かは、自らの資産を持っていたが、それは彼女たちに、財産を持たない人々を拒否する自由を、ある程度与えた。しかし、家庭内の諸条件のために我慢しなければならない限界を知っている、自立心があり、意志の強い女性が多くいるという事実は、無視できないものである。そして、その限界が踏み越えられたとき、彼女たちは夫のもとを去るか、夫を見捨てたのである。
 居心地のよくない結婚生活の環境にもかかわらず、そこにとどまっているものは、夫の領分に侵略することで家を支配していた。結局のところ、強い女たちと同様、弱い男たちがいたのである。男が無能で、先見の明がなく、怠け者であるか、さもなければ家族の中の  事態を管理するのに適していないことがはっきりしたときは、妻がとってかわって、大変うまくやることがある。
われわれは、酒をたくさん飲む妻、意地悪ばあさんである妻、あるいは姦婦として広く知られている妻に出会ったが、これらの妻は、長い間それを耐え忍んできた夫によって離婚されることはなかった。
 彼女たちは、タバコ、酒、性に楽しみを見いだしていた。性的な関係についての話は率直で、隠しだてのないものだった。結婚した女性はときどき不貞を働いたが、それは、そのような行為をするのは通常、夫だけだと言うこの時代の日本において一般に承認された認識ときわだった対照をなすものだった。さらに注目すべきことは、不貞の関係を知った夫によって、妻が離婚されるとは限らない。
寡婦たちは、恋をあさる夫たちと未婚の若い男たちにとって、いいかもとみなされ、またそうであることが証明されていた。
 なぜ男たちは不貞の妻を我慢したのか。どのようにして、離婚した女性は、別の夫をそんなに簡単に見つけられたのか。その解答は、少なくとも部分的には、当時の小さな小売商の家や農民の家が要求していた労働力の性格のなかにある。後者にとっては、協同的な労働集団や労働の協同は、たしかに田植や稲刈りのような忙しい季節には、きわめて重要であった。
 離婚、再婚の非常に多くが、とても狭い地理的範囲で起きていること。近くの隣人同士である人々は、驚くほど多様な組み合わせで、一度またはそれ以上結婚している。
 年とった男女は、しばしば、自分たちだけで結婚を取り決めていた。
 仲人の役割は結婚の取り決めにとって極めて重要であるが、同時に離婚の解決においても大変重要だった。花嫁ないし婿養子の持ってきた全財産は返される。結婚後、夫婦で手に入れた財産は分けられる。
婚礼も盛大で費用がかかるので、離婚による解決もずっとむずかしくなった。今日、離婚率は1935年のそれよりは少し高いが、須恵村の老婦人の若いころに比べればずっと低い。1883年に人口千人あたりの離婚率は3.39だった。1935年にはそれは0.70に下がった。1884~88年の結婚に対する離婚の比率は1:0.37であり、1934~35年には1:0.08だった。1978年の離婚率は1:0.87だった。
貧しい家や結婚を急がなければならない理由のある家でおこなわれる、もっとも一般的な結婚の形式は、最小限の費用とおひろめですますものだった。それは三日加勢(三日間の労働)と呼ばれる、一種の試験結婚である。
妻は、夫からの財政的自立を、文字通りまったく認められていなかった。夫は家計のほんの一部を除いて、すべてを管理した。しかし女たちはあきらかに、いくらかの個人的な現金を所有している。女たちは、絹の家内生産から得た収入のいくらかを自由にできる。
女性およびほとんどの男性が子どもを寛大に扱っている。二人は、日本にいる外国人のほとんどがそうであるように、子どもに対する過度の甘やかしにしばしば驚かされた。少年も少女も、少なくとも就学年齢に達するまでは、目をつけて、欲しいと思ったものは、なんでも男女の成年から手にすることができた。
日本の女性が、身体的・精神的エネルギーの多くを子どもの世話に費やしていることは、いつでも認められることである。女は子どもがいたら、夫と別れると子どもを失うという恐れから、困難な結婚英勝野状態を我慢する。子どもたちはほとんどの大人―男であれ女であれ―によって甘やかされ、かわいがられ、大事にされた。
結婚は、若い女と男のすべてにとっての目標であり、須恵村の女たちが子どものために負う、最後の大きな責任は、その結婚の取り決めであった。その家の男たちも、その過程のある段階ではつねにまきこまれていたし、ほとんどの場合に拒否権を持ってはいたが、交渉を担当するのは、主として女たちであった。
最後に、戦前の庶民の天皇観を紹介します。外国人(ガイジン)に対して、次のように述べたというのを知って、私など腰が抜けるかというほど驚きました。
天皇陛下は神様のようにしとりますが、本当の神様ではなかとです。天皇陛下は人間で、とても偉か人です。
 
(1988年5月刊。3800円+税)

セブン・イレブンの罠

カテゴリー:社会

著者 渡辺 仁、 出版 金曜日
 最近はコンビニ神話にも少々かげりが出ているようです。私は原則としてコンビニを使わない主義ですが、出張したときには水と朝食用の野菜ジュースを買うために利用せざるをえません。
 このコーナーでたびたび鈴木敏文会長(創設者であり、CEO)の本を好意的に紹介しましたが、この本は、セブン・イレブンの裏の貌(かお)を鋭く暴いています。なるほど、というより、ええっ、まさか……と驚いた点がいくつもありました。セブン・イレブンって、前近代的な圧政支配で成り立っているんですね。ほとほと嫌やになってしまいました。
 セブン・イレブンは日本全国に1万2000店舗あり、本部直営店は、そのうち1000店しかなく、残る1万1000店はフランチャイズ加盟店。だから1万1000店はオーナー経営者が存在しているはずです。ところが、ところがです。
第1に、毎日の売上金全額をセブン本部の指定口座に送金する。
第2に、オーナー経営者には仕入原価が知らされず、知る手段もない。
第3に、たとえ親が死んでも24時間365日、営業しなければならず、閉店することは許されない。
 ええっ、ええっ、これではオーナーなんてものじゃありませんよね。売上金の一定割合をロイヤリティーとして本部に送金するのなら分かりますが、売上金全額を毎日、本部へ送金するというのでは、まるで直営店ではありませんか。どこが違うのでしょうか?
 本部には、全国から毎日76億円ものお金が送金されているとのことです。これって、おかしな仕組みだと思います。しかも、商品の仕入れ原価は公表されていないというのですから、経営者がオーナーだなんて、とてもとても言えません。
 セブン・イレブンは売上5407億円で、営業利益1780億円(2009年2月)というのです。3割もの粗利なんて、これまたびっくりですね。
 年間2兆7626億の総売上高を本部がどう運営しているか、ブラックボックスだというのですから、これではまるで江戸時代の鈴木敏文商店ですとしか言いようがありません。21世紀の日本で許されていい商法とは思えませんね。
 セブン・イレブンの客単価は平均700円。客一人当たりの粗利は150円ほど。
一店舗の売上高は、1日でよくて80万円、悪いと40万円。それでオーナー夫婦は年収1000万円。日販40万円だと、わずか2~300万円にしかならない。24時間、年中無休でこれでは、泣けてきます。
ところが、セブン本部には、日販80万円だと年4000万円、日販40万円でも年1200万円ものチャージ収入が入ってくるというのです。これでは、あまりに不公平です。他人事(ひとごと)ながら、読んでいて腹が立ちました。
 便利なコンビニですが、こんな不法な商法は、長続きさせてはいけないのではないでしょうか・・・・・・?
 
(2009年10月刊。1500円+税)

職業・振り込め詐欺

カテゴリー:社会

著者 NHKスペシャル取材班、 出版 ディスカヴァー携書
 私も振り込め詐欺の被害にあった人の依頼を受けて回復に取り組んだことがあります。2日間で350万円を騙し取られてしまった。被害者は20代の独身女性でした。架空請求のハガキが来たのです。身に覚えのないことながら、何かしら不安にかられて電話したところ、「弁護士」が出てきて、「それは大変なことだ」と脅され、「弁護士」の指示どおりに「示談のため必要」と言われ、50代の母親に相談し、生命保険を解約してまでお金をつくって、2日間にわたって振り込んだのでした。
 親に相談してもストッパーにならず、かえって一緒にお金づくりに走ったという点でも驚きでした。父親(夫)だけは知りません。ばれたら深刻な家庭騒動になるのが必至なので、黙っておこうという合意が母と娘に成立しました。私は振込先の銀行(なぜか千葉と福岡でした)に連絡して引き出しを止めようとしたのですが、引き下ろされた後のことでした。結局、口座に残っていたのは1万円ほどです。着手金ゼロで始めましたので、実費としてそれを私がいただき、「終了」となりました。本当に残念でなりませんでした。
 警察は銀行口座を開設した人間、そして受け取りに来た人間をなぜ捕まえないのか。そこから手繰っていけば、騙し役の連中も捕まえられるはずだと思いました。
 この本を読むと、振り込め詐欺の手口は海外の電話まで使うというように極めて高度なテクニックが使われていること、そのため、警察も逮捕が難しいことを認識しました。
 一流大学を出た賢い若者たちが、IT技術なども駆使し、企業のウラ情報ネットワークもつかいこなしているというのです。ひどい話です。でも、でも、それにしても、警察には、もっと頑張って逮捕してもらう必要があります。
 振り込め詐欺グループの電話かけは、1日に200件~300件。ノルマは1日200万円。朝9時から夜9時まで、1日12時間、地方の年寄りに騙しの電話をかけ続ける。
 名簿は、東京の名簿屋から買う。1件あたり10~15円。2万人分だと、20~30万円。
 親の年齢は50代後半から60代後半まで。
 こっちからは絶対、名前は名乗らない。アポ電は、名簿を見て電話して、その親が騙されたか、騙されてないかを見極める。
 振り込め詐欺の拠点を、店舗という。ひと月に1~2億円を荒稼ぎするグループがある。騙すためのストーリーは多種多様。個人でアレンジもする。
 同じ人を2回だまし取るのをおかわりと呼ぶ。
電話をかける主要メンバーは、マンションのアジトにこもりきり、人目を徹底的に避ける。その代り、外で手足になって働く人間を雇う。
 出し子からお金を受け取るのは、デパートのトイレとかパチンコ屋のトイレとか、人目に付かないトイレで受け渡しする。出し子をマンション(アジト)へ入れることは絶対にしない。出し子は仲間じゃない。コマだ。いざとなれば切ってしまう。お金を引き出すとき、出し子は帽子をかぶりメガネを掛ける。サングラスは逆に怪しまれる。大きめのアメを2つ口に入れて、銀行ATMの前に並ぶ。顔が変わって見える。
 飛ばしの携帯とは、他人名義の携帯電話のこと。ケータイを使うのは1回きり。不況のなか、1万ほどの報酬で名義を売る人間は大勢いる。
 それまで犯罪に縁のなかった若者が、一攫千金をもくろんで振り込め詐欺にかかわっている。彼等は、世の中がこんなに理不尽なら、オレが復讐してやろうと考えている。
 一生懸命にがんばってきた。なのに社会に裏切られた。だったら、社会に復讐してやるんだと、高言している友人がいる。
 振り込め詐欺の被害者はのべ10万人を超える。
 振り込め詐欺犯たちが容易に捕まらない現状は改められなければなりません。被害者が、息子からオレをそんなに信用できないのかとののしられ、その後、親子関係が断絶したという話もあります。二次被害も深刻です。
 
(2009年10月刊。1000円+税)

岩盤を穿(うが)つ

カテゴリー:社会

著者 湯浅 誠、 出版 文芸春秋
 日本中を震撼させた年越し派遣村の村長だった著者は、民主党政権の下で、内閣府参与となり、ホームレス等の対策にあたっています。著者には私も大いに期待しています。これは、決して皮肉ではなく、本心からの言葉です。皮肉なんて言っていられないほど、事態は深刻かつ急迫していると思うのです。
 著者は活動家を募っています。そこで求められている活動家は次のようなものです。従来のものとはかなりイメージが異なります。
 活動家は、夢見る権利を擁護し、夢見る条件を作ろうとする。認定された夢だけを夢とする社会の岩盤にぶち当たらざるをえない。
お金がなければアウト、非正規だったら負け組、恋人ができなければ人間失格、マイホームにマイカーがなければ甲斐性なし、病気をすれば自己管理が不十分、老後の貯蓄がなければ人生のツケ。いやはや、なんと寂しい日本の現象でしょうか……。
 国が企業を守り、企業が男性正社員を守り、男性正社員が妻子を守る。そのルート以外の守られ方は、自堕落、怠惰、甘え、努力不足、負け犬……。いい加減にしてほしい。
 この「いい加減にしてほしい」に形を与えること。形を与えるための“場”をつくること。そして、他なる社会を夢見る条件を作ること。それが活動家の仕事だ。
 なるほど、こんな言い方もできるのですね。こうやって運動の輪を大きく広げていって、現代日本の社会を少しでも良い方向に、みんなで少しずつ、一歩一歩、変えていきたいものです。
 私も日比谷公園にはよく行きます。有楽町駅から歩いて日弁連会館に行く途中にあるからです。そこにできた年越し派遣村に来た人は、5日間で500人を超したのでした。そして、ボランティア登録をした人は1800人、のべ5000人となった。寄せられたカンパは2300万円。ちなみに、今年の公設派遣村は昨年を上回って、800人でしたか、1000人でしたか……。
 多くの人にとって、「見たくない現実」だった。忘れてはならないのは、「その現実を生きている」人たちがいること。この現実を直視できるかどうか、そこに日本社会の地力が現れる。そうなんですよね。貧困は目をそむけたら見えなくなるものです。
 かつての日本では、山谷(東京)や釜ヶ崎(大阪)の寄せ場に日雇い労働者はいた。しかし、今では日本全国に広がっている。貧困の問題は、フツー、目に見えないという特徴がある。貧困が見えにくいのは、アメリカでもイギリスでも同じで、これは世界共通のものだ。野宿の人たちは、炭鉱のカナリアのような存在だ。
 日本では、まわりの人から「簡単に人に頼っちゃいけない」と言われて育っているので、SOSの出し方が分からない。
 企業の多くは「地球を大切にしています」などと広告・宣伝している。しかし、「私たちの企業は、非正規労働者の命などなんとも思っていません。そんな私たちですが、良かったら商品を買ってください」と言うべきだ。
 ふむふむ、なるほど、なるほど、そのとおりですよ。日本経団連の露骨な、あまりに金儲け本位の姿勢を少しでもまともなものに改めようと考える資本家はいないのでしょうか……。
 国がセーフティネットを確立しようとするのは、実は19世紀のビスマルクの時代に始まったのだそうです。人間がボロ雑巾のように使い捨てにされる社会は弱くなるにきまっている。これが理由です。そうなんですよね。弱者をどんどん切り捨て、排除していく社会は、全体的な力も弱めてしまうのです。お互い、明日は我が身ですよ……。
ホームレスの人数確認が困難なのは、夜は寒さをしのぐために歩きまわり、昼間は図書館などの公共施設に入って仮眠を取る人が捕捉できないから。なーるほど、そういうことなんですね。
 政治不信は言われ始めて久しい。しかし、本当に深刻なのは、むしろ社会不信ではないのか。どうにも這いあがれない状態に追い込まれながら、そのこと自体が「努力が足りない」と叩かれる理由になっている社会では、何かを言ったところで、誰もそれを受け止めてくれるとは思えなかったとしても不思議ではない。
 自己責任論は、人を黙らせるもの。活動は、人を喋らせるもの。
 著者の提起を受け止め、私も著者のいうような活動家になりたいと改めて思いました。
 
(2009年11月刊。1200円+税)

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