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傷ついた身体と都市

(霧山昴) 

著者 松本祐子 、 出版 白水社

第二次大戦においてロシア(当時はソ連)は甚大な被害を受けています。ソ連ではナポレオンとの戦争は「祖国戦争」と呼び、ナチス・ドイツとの戦争 は、「大祖国戦争」と呼んでいます。

ヒトラーに簡単に欺されてしまったスターリンの大失敗によって緒戦で手痛い被害を被り、レニングラードはナチス・ドイツ軍に包囲されてしまうのです。レニングラードの市民と軍隊はよくもちこたえ、ついに陥落させずナチス・ドイツ軍を撃退したのですが、それもスターリンの指導の下となかばすり変えられたのでした。スターリンって、本当に、とんでもない独裁者です。

レニングラード攻防戦をめぐっては、『卵をめぐる祖国の戦争』(早川書房、2010年8月刊)を思い出します。この本には、「図書館キャンディ」というものが登場します。少女が街角で売っています。本の表紙を引きはがして製本糊(のり)だけを取り出し、煮詰めて棒状にして紙を巻いたもの。甘みはないけど、糊にはタンパク質が含まれているから、命をつないでくれる。つまり、絶望的なほど食糧不足で餓死者が続出し、人肉食さえ横行していたなかでの話なのです。この本のあらすじを紹介します。17歳の少女と脱走兵の2人が、秘密警察の大佐から、娘の結婚式のためのウェディングケーキをつくるために必要な卵を1週間以内に1ダースもってこいと命令されて、市内をさまよい歩くのです。飢えに苦しむレニングラード 市民の惨状、敵弾地雷の恐怖、無残な死などが、随所にリアルに描かれています。私にとっても印象深い本でしたので、本棚にずっと残していました。『レニングラード封鎖』(マイケル・ジョーンズ、白水社)という本も読みました(2013年5月)。「ヒトラーの包囲攻撃に耐えた900日、市民の犠牲者100万人のうち、餓死者80万人」と帯に書かれています。

さて、今回の本です。ドイツ軍によるレニングラード包囲は、1941年9月8日に始まり、1944年1月27日まで、872日間にわたって続いた。ソ連の公式発表では、死者64万9千人、うち餓死者63万2千人とされている。近年では、死者は100万人に近いとされている。1942年1月下旬のレニングラードの気温はマイナス30度から40度。食料も燃料も 十分でないなかでのことです。これはたまりませんね……。

人肉食が横行し、人肉食による逮捕者が1942年3月までに1025人にのぼった。

レニングラードはロシア帝政期以来の工業都市。 1939年の人口は男女同数だったが、1946年には170万人の人口のうち男性59万人、女性111万人と女性が多い。とくに20代は、女性は男性の3~4.6倍。若い男性は戦場に駆り立てられたからです。

レニングラードの女性労働者は、1945年に75%、1946年に67%、1948年に60%、1950年に58%だった。レニングラードでは、女性労働者の割合が戦時中、戦後のいずれでもモスクワそして全国より高く、その数値の減り方も、より緩やかだった。

1944年7月8日、フルシチョフの提案によって、ソ連最高会議幹部会は、妊婦や多子女を支援するため、「母親英雄」の1等は9人、2等は8人、3等は7人の子どもを産み育てた女性に、「母親メダル」の1等は6人、2等は5人の子どもを産み育てた女性に授与されるとした。これは、典型的な「産めよ、増やせよ」ですね。

戦後、レニングラードの住民は包囲を経験していない者が多数だった。1939年に302万人だった人口は、1943年には62万人、1944年には55万人にまで減少。包囲が解除されたあとは、毎年数十万人が流入し、1949年には人口222万人に回復した。戦後も、女性のほうが男性の2倍いた。

レニングラード包囲戦を戦ったジューコフら高位の軍人はスターリンから党指導部の権威を脅かす存在とみなされ、政治的に厳しく処遇された。要するに、スターリンの個人崇拝が強まるなかで邪魔とされたということです。

1947年、ソ連の全人口は1億1700万人で、男性は7500万人、女性は9700万人でした。それほど男性が戦死したのです。本当に過酷な「大戦争」でした。

ところで、ロシアのプーチン 大統領はサンクト・ペテルブルク(レニングラード)の出身です。両親とも包囲戦を経験し、幼少の兄は死亡しているそうです。

レニングラード包囲戦の内情をさらに詳しく知ることができました。

(2026年3月刊。2800円+税)

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