弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2018年9月 5日

ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅(下)

(霧山昴)
著者 ラウル・ヒルバーグ 、 出版  柏書房

この下巻だけでも、上下2段組みで420頁超という大著です。
著者は1926年にオーストリア・ウィーンで生まれたユダヤ人で、アメリカに脱出し、アメリカ兵としてヨーロッパ戦線に出かけ、戦後はドイツにおけるアメリカ軍の尋問担当教授でした。その後、アメリカのコロンビア大学で学び、ヴァーモント大学で政治学を教えています。この本の初版は1961年に刊行されました。
著者は、ハンナ・アーレントより前にユダヤ人の無抵抗・文書や口頭による請願のほかは危機的に服従するだけというユダヤ人のとった態度を強調していた。
ユダヤ人評議会がゲットーを存続させるために行ったあらゆることは、結局のところ、ドイツ人をユダヤ人絶滅という目標に近づけることを助けた、と指摘した。
600万人ものユダヤ人がなぜヒトラー・ナチスに抵抗せずに、易々と羊のように殺されていったのか・・・。
何世紀にもわたって、ユダヤ人は生き残るためには抵抗を避けなければならないと学んできた。繰り返し、彼らは、攻撃を受けた。十字軍、コサックの襲撃、ツァーリの迫害などを耐え忍んだ。このような危機の時代には、多数の犠牲者が出たが、潮が引いたあとにあらわれる岩礁のように、常にユダヤ人の共同体は再生した。つまり、ユダヤ人を抹殺することはできない。この考えが律法のような力を持つほどになっていた。
2000年間に学んだことをユダヤ人は忘れることは出来なかった。考えを切り替えることが出来なかったのだ。
ユダヤ人は、「登録」、「移住」、「風呂」、「吸入」という言葉に騙された。
ユダヤ人指導者は、犠牲者たちが切迫した死に直面しているという明白な証拠がなければ、ドイツの命令を拒絶できないという主張に確執していた。
デンマークのコペンハーゲンではユダヤ人の99%以上が生き残った。
ポーランドのワルシャワはユダヤ人の99%近くが亡くなった。
ドイツ人官僚はユダヤ人絶滅のため仕事の成就に向けて突進した。最小限ではけっして満足せず、常に最大限のことを行った。
イタリア人のように口実に頼ることはしない。ハンガリー人のように見せかけの措置をとることはしない。ブルガリア人のようにぐずぐずすることもなかった。
虐殺したナチス・ドイツの側の記録では、ユダヤ人の反応パターンの特徴は、抵抗がほとんど欠落していたこと。もし、ユダヤ人が何らかの組織をもっていたら、何百万人は救われていただろう。実際には、自分たちにふりかかる災難に、これほどまでに無頓着だった民族はいないだろう。
ユダヤ人の多くは逃亡を無益だと考えていた。
ハンガリーのユダヤ人が他のほとんどの国のユダヤ人と違うところは、たんに中産階級であるというのではなく、大部分は唯一の中産階級であり、ハンガリーのすべての専門職と商業の活動の主力であったことである。1930年代のハンガリーの開業医と弁護士半分以上がユダヤ人、貿易業者とジャーナリストの3分の1がユダヤ人だった。ユダヤ人は通常の経済生活にとって真に欠くべからざる存在だった。
ブタペストには全部で3万の商店があったが、ユダヤ人の営業所は1万8千であり、その閉鎖は、「かなりの支障」をひきおこした。
ヨーロッパに住んでいた何百万人ものユダヤ人を絶滅する過程で何が起きていたのかをあますところなく実証していった画期的な労作です。
ながく積ん読く(つんどく)状態にあったのを、この猛暑のなかで、ついに完読しました。決して忘れ去ってはいけない歴史です。かのアベ君に頭を押さえつけてでも真っ先に読ませたいのですが、残念ながら無理でしょうね・・・。図書館で借りてご一読をおすすめします。
(1997年11月刊。1万9千円+税)

2018年8月28日

ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅(上)

(霧山昴)
著者 ラウル・ヒルバーグ 、 出版  柏書房

ヒトラー・ドイツによってヨーロッパのユダヤ人が絶滅されていく過程をきわめて詳細に明らかにした大部の書物の上巻です。長いあいだ課題図書として「積ん読(ど)く」状態にしていましたが、箱から取り出して読みはじめました。なにしろ上下2段組みで上巻の本文だけで515頁もありますし、内容が重すぎますので読み飛ばしも容易ではありませんでした。
ヨーロッパ各国でユダヤ人はヒトラー・ドイツの要求の下で移送・絶滅の道をたどっていったわけですが、イタリアではそうではなかったのですね。イタリアの国王は「ユダヤ人に限りない同情」を感じていると高言し、イタリアにはユダヤ人の運命に動揺している「2万人もの意気地ない人間がいる」とムッソリーニが言ったとき、国王は、「自分もその一人だ」と答えたのでした。
イタリアでは、比較的多数のユダヤ人が官吏や農民として生計を立てていた。イタリアのユダヤ人社会は、2000年の歴史をもっていた。イタリア・ユダヤ人はイタリア人の隣人と疎遠にはならなかった。彼らはイタリアの言語や文化を吸収した。小さなユダヤ人共同体が、芸術・科学・商業・政治の各分野で多くの地位の高い個人や目立った人々を生み出していた。
ユダヤ人の非常に多くが軍の教授であるばかりか、政府の最高のレベルで公僕として活動していた。首相・外相・国防相・蔵相・労働相・法相・教育相にユダヤ人が就いていた。
イタリアのファシストは、有言不実行だった。イタリア人は、心のなかでは、ドイツ人やドイツの生活様式をひどく嫌っていた。
問題はイタリアには存在しない。ユダヤ人は多くないし、例外はあるが、彼らは害にはならない。ヒトラー・ドイツはイタリアではユダヤ人絶滅を思うように進めることが出来なかった。
フランスにいたユダヤ人はイタリアのように安全ではなかった。1939年末、フランスのユダヤ人は27万人。パリだけで20万人以上のユダヤ人がいた。そして、フランス人はドイツ支配下においてユダヤ人絶滅のための「移送」を「効率良く」すすめていった。
ヒトラー・ドイツがユダヤ人絶滅する必要があるとしたときの「理由」に一つが、「ユダヤ人はコレラ菌だ」というものでした。その「伝染力と浸透力」を考えたら、絶滅するほかないとしたのです。
ヨーロッパで迫害されたユダヤ人たちは、迫害者に対する他国のユダヤ人組織による報復行動を拒絶した。それは、状況をいっそう悪化させないためだった。
なるほど、これがヒトラー・ナチスによるユダヤ人の絶滅策が粛々と進んでいった要因の一つなのですね。
ユダヤ人は暴徒が来ることを知ると、共同墓地に避難し、群がり祈りながら死者の衣服を身につけて殺害者たちを待った。屈従である。ユダヤ人にとって、反ユダヤ主義的な法令への屈従は、常に生きることと同等だった。暴力に対するユダヤ人の反応は、つねに苦難軽減への努力と屈従だった。
いやはや、これはとても理解できない反応です。
ポーランドにおけるユダヤ人評議会は、ユダヤ人の苦しみをやわらげようと、ゲットーにおえける大量死に歯止めをかけるという見込みのない努力を最後まで続けた。同時に、ユダヤ人評議会はドイツ人の要求に素直に応じたし、ドイツ人の権力者へのユダヤ人社会の恭順を呼びかけた。こうしてユダヤ人指導者たちは、ユダヤ人を救いもしたし、滅ぼしもした。
ユダヤ人のアンナ・ハーレントはユダヤ人評議会の屈徒を厳しく批判したため、戦後のユダヤ人社会から激しく非難されたのです。でも、どうなんでしょうか・・・、銃殺される寸前にユダヤ人は羊のように従順でおとなしく、ジプシーたちは騒々しく抵抗したと聞くと、無神論者の私なんか、湧き上がる疑問を抑えることができませんでした。
ゲットーのユダヤ人組織のなかでも、本部のユダヤ人たちはブーツを履いて快適な事務室で執務していたようです。また、ゲットーにも金持ちのユダヤ人たちの生活区画があったとのこと。なかなか疑問は絶えません。
ポ^ランドのワルシャワ・ゲットーにおけるユダヤ人の武力衝突は、2000年におよぶユダヤ人の服従政策の歴史のなかの突然変異だった。
ユダヤ人からなる評議会は、ドイツ政府との完全な協力という方針にすべてを賭けていた。ええっ、そんなのが「生き残る方策」としてありえたのでしょうか・・・。
なぜ、我々は黙っているのか。
なぜ、森に逃げるように叫ばないのか。
なぜ、抵抗を呼びかけないのか。
私にも、この「なぜ」は、その実行できなかった理由がとても理解できません。「2000年の屈従の歴史」と言われても・・・、という感じです。
ユダヤ人評議会のリーダーたちは、このように考えたのでしょう。
ワルシャワ・ゲットーに38万人のユダヤ人がいる。ナチス・ドイツに抵抗すると、その少数者のために多数者が犠牲になることは目に見えている。6万人を移送したとしても、38万人すべてを移送することはないだろう。では、しばらく様子見て見よう。ともかく、今は武力行動はやめておこう・・・。
そして、もう一方では、ドイツ人は報復しても、数万の命であって、まさか30万人ではないだろう、という見方もありました。現実には、このどちらも甘すぎたのでした。ユダヤ人絶滅策は、文字どおり実行されたのです。なんと難しい思考選択でしょうか・・・。
(1997年11月刊。1万9千円+税)

2017年3月15日

シリア難民

(霧山昴)
著者 パトリック・キングズレー 、 出版  ダイヤモンド社

地中海を今、史上最大の難民がオンボロ船に乗って、ヨーロッパへ渡っている。
2014年から2015年にかけて地中海をこえた人は120万人。シリア、アフガニスタン、イラクからヨーロッパをめざす人々は、2016年から2018年にかけて300万人をこえた。
2014年にイタリアに到着した難民は17万人。前年の3倍だった。
イタリアに代わって、ギリシャがヨーロッパ最大の「難民の玄関口」になった。
2015年、85万人もの人々がトルコ沿岸を出発し、その大部分がバルカン半島を北上して、北ヨーロッパの国々を目ざした。
レバノンは人口450万人という小国なのに、2015年には120万人ものシリア難民を受け入れている。レバノンに住む人の5人に1人はシリア難民となっている。
密航業者は、難民にヨーロッパ移住をすすめる極悪人とみられているが、その実態は、ヨーロッパに行きたいという人々の強い希望につけこんでボロもうけをする悪徳業者にすぎない。難民のほとんどは、自分の意思で船に乗っている。
ゾディアックというゴムボート1隻に150人ほどがすし詰めされる。定員30人ほどのボートだ。ゾディアックも木造船も大差はなく、どちらも「浮かぶ棺桶」だ。
料金を1人1000ドルとして、1隻のゾディアックに100人を乗せたら、1回の旅で10万ドルの売上となる。いろいろの経費を差し引いても、密航業者は4万ドルを手にできる。
シリア内戦が長引いて、多くの人が友人から借金し、また給料をためて資金を確保している。トルコからエーゲ海をこえてギリシャに渡る費用は1000ドル。リビアから渡る費用の半分以下だ。
シリアの人々が、なぜヨーロッパを目ざし、中東にとどまらないのか。それは、現実的ではないから。中東諸国に避難したシリア人は既に400万人。そのうち200万人はトルコ、120万人がレバノンにいる。ヨルダンに60万人。エジプトに14万人。帰る国がない人間には、失うものなんて何もない。そうなんですね・・・。
難民と移民とに区別はあるのか・・・。
難民には保護を受ける権利があるが、移民にはない。難民には故郷を逃げなければならない十分な理由があるが、移民にはない。しかし、この分類は正しくない。そして、難民と移民を見分けるのなんて簡単だというのは誤解だ。実際には、どんどん難しくなっている。両者には多くの共通点があり、人々の多くは両方にあてはまる。
イスラム教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、ユダヤ人であろうと、そんなのは重要ではない。みんな人間なんだから・・・。
難民を門前払いすることはできない。この現実を認めることが、危機を管理するカギだ。道理にかなった長期的な対策は、莫大な数の難民を安全にヨーロッパに到達できる法的メカニズムを整備することだ。
ヨーロッパは100万人の難民を受け入れなければならない。人口450万人の小国レバノンが難民を受け入れているのに、世界でもっとも豊かな大陸(人口5億人)に出来ないはずはない。
シリア難民をつくり出したシリア内戦は、アメリカとロシア、そしてイギリスやフランスなどの軍事大国の政策的な誤りが、そのあと押しをしているのだと思います。日本だって、その一人でしょう。そうすると、欧米諸国そして日本は、そのツケを自分たちも払うしかないと私も思います。
日本は米英などの軍事行動を金銭的に支えているのですから、難民を受け入れるしかない。それがいやなら、軍事行動をやめさせるよう全力を尽くすべきだと思います。
(2016年11月刊。2000円+税)

2016年9月10日

イスラム過激派 二重スパイ

(霧山昴)
著者  モーテン・ストーム 、 出版  亜紀書房

 デンマーク生まれの白人青年が若いころ非行に走ったあげく、ある日突然回心してアッラーの教えに救いを見出し、イスラム教徒になります。そしてアフリカにまで渡ってイスラム過激派の一員として活動していくのですが、その活動にも疑問を感じて再び回心し、今度は捜査機関に協力するようになるのでした。
初めはデンマークの警察、そしてイギリス、最後はアメリカのCIAまで登場してきます。
一匹狼のような危険人物を逮捕するのには役に立つことでしょうね。でも、ウサマ・ビン・ラディンの暗殺が平和をもたらすはずもなく、もたらさなかったのと同じで、たとえアウラキー人を暗殺したところで、イスラム過激派が消えてなくなるわけではありません。
 アメリカもイギリスもお金のつかい方をまったく間違っている、私はそう思います。何人かのスパイを操作するために何千万も何億円も支出するくらいなら、砂漠の緑化作業をすすめたほうが、よほど効果的なお金のつかい方です。
 ところが、そんな大金は実はCIAをはじめとするスパイの秘密捜査に従事する人々の高額の飲み食いにまで使われているようです。なあんだ、「生命をかけて」過激派とたたかっている振りをして、自分たちも甘い汁を吸っていたのか、、、。だから、びっくりするほど高いお金をかけて要人の暗殺ごっこが止められないのですね。
CIAなどの高官も、 たまに自爆犯人に殺られてしまうことがあるわけですが、これも自分たちが無人機をつかって平気で違法な要人暗殺を次々にやっていることへの仕返しなのです。こんな暴力の連鎖こそ一刻も早く打ち切りたいものです。スパイに頼らない、平和維持活動をみんなで模索したいものですよ。
 500貢もの大作です。二重、三重スパイとして活動していた若者の無事を願わずにはいられません。
(2016年7月刊。2700円+税)

2016年1月29日

第二次世界大戦 1939-45(中)

(霧山昴)
著者  アントニー・ビーヴァ― 、 出版  白水社

 第二次世界大戦が進行していくなかで、ヨーロッパ戦線と日本を取り巻く太平洋戦線とが結びついていて、独ソ戦と独英戦も連結していたことを改めて認識しました。
よくぞここまで調べあげたものだと驚嘆するばかりです。世界大戦の激戦が、双方の陣営の動きに細かく目配りされていますので、総合的な視野でとらえることが出来ます。
1940年夏に起きた中国の百団大戦は、日本軍を震えあがらせた。それまで中共軍を見くびっていた日本軍は考えを改めされられた。
ところが、この百団大戦について、毛沢東は心中ひそかに恨んでいたというのです。日本側の支配する鉄道や鉱山に相当の打撃を与えたけれど、共産党側にも多大の犠牲を強いた作戦であり、結局、国民党に漁夫の利を得させたから。
スターリンは、毛沢東とは、日本軍という眼前の敵と戦うことより、国民党から支配する地域への蚕食にむしろ関心を示す男だと悟った。
そして毛沢東は、党内に残るソ連の影響の残滓を払拭するのに努めていた。
共産党は阿片の製造・販売に手を染めていた。1943年にソ連は、中国共産党がアヘン販売した量は4万5千キロ、6000万ドルに達するとみた。
1939年8月のノモンハン事件におけるソ連軍の勝利は、日本に「南進」政策への転換をうながし、結果的にアメリカを捲き込むうえで、一定の役割を果たしただけでなく、スターリンが在シベリアの各師団を西方に移動させ、モスクワ攻略というヒトラーの企図を挫くことにもつながった。
 独ソ不可侵条約の締結は、日本に激震を走らせ、その戦略観に多大の影響を及ぼした。日独間の相互連絡は欠如していた。日本は、ヒトラーがソ連侵攻を開始するわずか2ヶ月間に、当のスターリンと日ソ中立条約を結んだのである。
 日本は1941年12月の真珠湾攻撃を事前にドイツに伝えてはいなかった。ゲッペルス宣伝相によれば晴天の霹靂であった。ところが、この知らせを受けたヒトラーは至福の歓喜に包まれた。アメリカが日本軍の対応に忙殺されたら、太平洋戦争のせいでソ連とイギリスに送られるべき軍需物資が先細りなると期待したからだ。
 しかし、米英軍のトップは、「ジャーマン・ファースト」(まずはドイツを叩く)方針が合意されていた。これをヒトラーは知らなかった。
 1941年12月11日、ヒトラーはアメリカに宣戦布告した。ただし、ドイツ国民の多くは、宣戦布告したのはアメリカであって、ドイツではないと考えていた。ヒトラーのアメリカに対する宣戦布告は、ドイツ国防軍のトップに何ら助言を求めることなくヒトラーの独断でなされた。
 しかし、当時、ヒトラー・ドイツ軍はモスクワを目前にしながら一時的撤退を余儀なくされていた。この時期にあえてアメリカ相手の戦争を始めるというヒトラーの判断は、軽率のそしりを免れない。アメリカの工業力の凄みを一顧だにしない総統閣下に、ドイツの将軍たちはみな狼狽した。
ヒトラーはいきなり対米戦争を決断した。おかげでドイツ海軍は、いくら攻撃をしたくても、肝心のUボートが当該海域に一隻もいないという状況に陥った。
ヒトラーの反ユダヤ主義は、もはや強迫観念の域に達していた。ヒトラーは、真珠湾攻撃がアメリカの国民感情に与えた衝撃の大きさを見誤った。
アメリカで自動車を大量生産していたフォードは、1920年以降、極端な反ユダヤ主義を信奉し、ヒトラーは、フォードに勲章を贈りその肖像画を飾っていた。
ユダヤ人がガス室で流れ作業のように陸続と殺されているなんて話をドイツ市民の大半は当初信じなかった。しかし、いわゆる「最終的解決」のさまざまな局面において、多くのドイツ人が関与し、また産業界や住宅供給面で、ユダヤ人資産の没収の役得にあずかった人々があまりにも多かったため、ドイツ国民の半数には至らぬまでも、かなりの数のドイツ人が実際には今、何か進行しているのか、相当正確に把握していたことは確かである。
 衣服に必ず黄色い星印のワッペンを付けることが義務化されたときには、ユダヤ人に対してかなりの同情が寄せられた。ところが、ひとたび強制収容が始まると、ユダヤ人たちは、仲間であるはずの市民から、人間と見なされなくなっていく。ドイツ人たちは、ユダヤ人の運命をくよくよ考えなくなった。これは単に目をつぶるというより、事実の否定によほど近い行為だった。
 ドイツ人の医師たちが、ユダヤ人の死体に加工処理を施して、石鹼や皮革に再生させようとした。身の毛もよだつ真実でも、それを語るのは作家の義務である。そして、それを学ぶのは、市民たる読者の義務なのだ。
日本軍がインドネシアを占領すると、オランダ人とジャワ人の女性は日本軍のつくった慰安所に無理やり放り込まれた。慰安所での一日あたりのノルマは午前が兵士20人、午後が下土官2人、そして夜は上級将校の相手をさせられた。そうした行為を無理強いされた若い慰安婦が脱出を測ったり、非協力的だったりすると、当人はもとより両親や家族にも累が及んだ。
日本軍が強制的に性奴隷とした少女や若い女性は10万人に達すると推計されている。
 占領国の女性を日本軍将兵のための資源とする政策には、日本政府の最上層部の明確な承認があったはずである。
アメリカ陸軍は、ヨーロッパ本土でドイツ国防軍を相手として、いきなり頂上決戦にのぞむ前に、どこかで実戦経験を積んでおく必要があった。連合軍総体としても、海峡越えの侵攻をいきなり試みる前に、敵前強襲上陸作戦にどのような危険がともなうか、アフリカで具体的に学べてよかった。
 1942年11月のガダルカナル島の戦いで日本軍がアメリカ軍に惨敗した。気象条件は天と地ほども違うが、ちょうどスターリングラードの戦いと同時期だった。日本軍の無敗神話につい終焉が訪れた。太平洋戦争に心理的転換点をもたらした。
 スターリングラードの戦いにおいて勇敢なソ連軍兵士のなかでも、もっとも勇敢だったのは、若き女性のパイロットたちも若い女性兵士たちだった。彼女らは夜の魔女と呼ばれた。そして、狙撃兵にも女性兵士が活躍した。
 第二次大戦の実際を知るには必読の本だと思いながら、520頁もの大部の本を読み進めました。

(2015年7月刊。3300円+税)

2015年10月 7日

「走れ、走って逃げろ」

(霧山昴)
著者  ウーリー・オルレブ 、 出版  岩波少年文庫

 第二次大戦前、ポーランドに住んでいたユダヤ人の少年が苛酷すぎる状況を生きのびていく実話です。私は、この本を読む前に、映画『ふたつの名前を持つ少年』をみていました。
 ひとつの名前は愛を、もうひとつは勇気をくれた。
 1942年、ポーランドのワルシャワにあったゲットー、ユダヤ人の居住区から8歳の少年が逃げ出した。どこへ行けば安全なのか・・・。
 ユダヤの少年は、本当の名前スルリックからユレク・スタニャックというポーランドの名前に変える。そして、キリスト教徒らしく祈りの作法を教えてもらう。それでも、ユダヤ人の割礼は隠せない。裸になったときに、それを見せられて、通報される。そして、逃げる、逃げる。森へ逃げて、子どもたちの集団に入り、また一人きりで生きのびる。
 わずか8歳か9歳の少年が、森の中で一人きりで過ごすという状況は、信じられません。
 助けると思わせてゲシュタポ(ナチス)に連れ込む農民がいたり、重傷の少年をユダヤ人と知ると手術もせずに放置する医師がいたり、ひどい人間がいるかと思うと、なんとかして少年を助けようとする大勢の善良な人々がいるのでした。そんなこんな状況で、ついにユダヤの少年は戦後まで生きのびることができました。でも、右腕を失っていたのですが・・・。
 少年役が、ときどき表情が違うのに、違和感がありました。あとでパンフレットを買って読むと、なんと性格の異なる一卵性の双子の少年を場面に応じてつかい分けていたというのです。なーるほど、と納得できました。
 いかにも知的で可愛らしい少年ですから、本人の生きようとする努力とあわせて、視た人に助けたいと思わせたのでしょうね・・・。
 逆にそう思われなかったり、チャンスを生かせなかった無数の子どもたちが無惨にも殺されてしまったのでしょう。戦争は、いつだって不合理です。安倍首相による戦争法は本当に許せません。
 この本は、映画の原作本です。もっと詳しいことが判りますし、子ども向けになっています(団塊世代の私が読んでも面白いものですが・・・)。
 なにしろ、森の中で、どうやって生きのびろというのか、私にはとても真似できそうもありません。子どものうちに、こんな本を読んだら今の自分の生活がぜいたくすぎることを少しは反省するのでしょうか・・・?
 でも、戦争を始めるのは、いつだって大人です。子どもは、その犠牲者でしかありません。

(2015年6月刊。720円+税)

2015年8月 1日

銀幕の村

                               (霧山昴)
著者  西田 真一郎 、 出版  作品社

 フランス映画は、フランス語を長らく勉強している身として、つとめてみるようにしています。もちろん、みたいと思っても見逃してしまう映画も多くて、残念に思うのが、しばしばなのです。
 この本は、フランス映画の舞台となった田舎町(村)を探し歩いた体験記です。私が行ったことのある映画の舞台も登場しています。2000年公開のアメリカ映画「ショコラ」です。この映画の舞台は、ブルゴーニュの山間にあるフラヴィーニ・シュル・オズランです。私はディジョンから観光タクシーに乗って行き、映画に出てくる古ぼけた教会にたどり着きました。そのすぐ近くにあるレストランで美味しい昼食をとり、少し離れたカフェで赤ワインを一杯のんだのでした。至福のひとときでした。
そして、「プロヴァンス物語・マルセイユの夏」に登場してくるプロヴァンスです。
 私は、エクサン・プロヴァンスに4週間いて、外国人向けのフランス語集中夏期講座を受講したことがあります。「独身」を謳歌したのです。40代前半だったと思います。本当にいい思い出となりました。そして、このエクサン・プロヴァンスには還暦前旅行と称して、それから20年たった59歳のとき妻と2人で再訪し、妻への罪滅ぼしをしました。
 私より一まわり以上年長の著者は、永年、国語科の高校教師をつとめたあと、フランス各地に徒歩の旅を続けているとのこと。なかなか真似できないことです。
フランス映画に関心のある人にはおすすめのオタク本です。
(2015年2月刊。1800円+税)

2015年7月28日

シハーディストのベールをかぶった私

                              (霧山昴)
著者  アンナ・エレル 、 出版  日経BP社

 「イスラム国」にヨーロッパの若い男女が吸い込まれているのはショッキングな出来事です。
 インターネットをつかった勧誘がすすみ、現実世界とはかけ離れた仮想社会の空理空論に青年男女が惑われているのです。日本でいうと、かつての(今も?)オウム真理教のようなものなのでしょう・・・。
 インターネットばかり見ていると、その仮想社会が現実のように見えてしまい、ひとたびシリアに入国したら、もう逃れる術はないのです。なにしろ、自爆テロが推奨される「社会」なのですから・・・。その要員に、おだてられて、なりかねません。
ノルマンディー出身の女の子は、たった一人でインターネットを見ているうちに、人生すべての答えを見つけたと思った。数週間後、キリスト教からイスラム教へ改宗し、イスラム過激派の部隊に参加するために旅立った。
「資本主義っていうのは、この世の堕落の源なんだ。キミがテレビを見ながらお菓子を食べ、CDを買い、店のショーウィンドーを眺めているとき、イスラム教徒だけの国を建てて幸せに暮らすというささやかな夢を抱いた仲間たちが、毎日たくさん死んでいる。オレたちが命をかけているというのに、キミたちは一日中、どうでもいいことばかりに時間を費やしている。キミは、美しい心の持ち主なのに、不信心者の世界で生きている。そのままだと、キミは地獄で焼かれてしまうんだ」
女性は誰にも1センチであっても肌を見られてはいけない。ベールは顔を見せてしまうから不十分だ。だから、ブルカを着て、その上にベールをかぶらなければならない。
 「自爆戦士は、もっとも有能な連中だ。信仰心があり、勇気がある。アッラーのために自爆できる人間は、栄誉とともに天国へ旅立つ。
 自爆戦士は、自分の命を犠牲にする覚悟のある戦闘員である。ISでは、もっとも弱いものは物資補給などの兵站業務を担当し、『その次に弱い者たち』が自分自身を吹き飛ばす。その仲間は、日に日に増えている」
 フランス人の若い女性ジャーナリストが、年齢を20歳と偽って、「イスラム国」の幹部(フランス人)とスカイプで会話して、侵入しようとした顚末が記されています。
 インターネットだけの接触なのですが、身元がバレないように気をつけながらスカイプで会話していく様子がリアルに伝わってきます。そして、その身に危険が迫ってくるのにハラハラドキドキさせられるのです。そこには、バーチャルではない、怖い現実があります。
(2015年5月刊。1800円+税)

2015年7月25日

「イタリアの最も美しい村」全踏破の旅

                            (霧山昴)
著者  吉村 和敏 、 出版  講談社

 イタリアの「美しい村」234村を4年半もかけて全部まわり、紹介した写真集です。
 すごいです。立派です。楽しい写真集です。そして、いかにも美味しそうなスパゲッティがひそかに紹介されていて、ああっ、これ食べたいと思わせます。さすがプロの写真家による写真集です。そして、それぞれの村の故事来歴がよく調べてあるのにも驚嘆しました。
 私はフランス語なら、なんとか話せますので、フランスの「美しい村」めぐりはしたいと思いますが、イタリアは言葉の障害があるので、行く気にはなれません。この写真集で、しっかり行ったつもりになりました。
 「美しい村」というだけあって、すごい写真が満載です。チヴィタ・ディ・バンニョレジョという村は、まさしく「天空の城」です。一本の狭い橋が小高い山にある村を結んでいます。ただし、この村の住人は、今や8人という寂しさです。
モラーノ・カラブロという村は、小高い丘に至るまで、ぎっしりと家が建ち並んでいて壮観です。
 トスカーナ州にあるピティリアーノという村も、緑の樹海の上にそそり立つ岩全体が村になっています。フランスで私も行ったことのあるレ・ボーのような村です。ちなみに、レ・ボーは、松本清張の本の舞台にもなっています。
 このピティリアーノ村は、まったく観光地化されておらず(レ・ボーは完全な観光地です)、三毛猫がけだるそうに寝そべっています。
 2009年に出版された「フランスの美しい村」に続く、イタリア版の写真集です。
 この本には、強く心が惹かれるのですが、私は一人旅はしたくありません。安全面という理由もありますが、なんといっても一人で食事をしたくないというのが最大の理由です。
 おいしい料理を、これは美味しいねと言いながら、その日の感想を気楽に心を許して話せる人と旅行したいのです。
 それにしても、著者の敢闘精神には深く感謝します。まだ50歳にもならない、なかなかのイケ面の著者であることに気がつきました。いつも、ありがとうございます。
(2015年3月刊。3800円+税)

2015年7月17日

スペイン無敵艦隊の悲劇

                               (霧山昴)
著者  岩根 圀和 、 出版  彩流社

 エリザベス女王の統治するイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を完膚なきまでに撃滅した「史実」は世界史を学んだものの一人として、忘れることができません。
 ところが、この本によれば、スペイン「無敵」艦隊なるものは自称でも、他称でもなかったというのです。イギリス軍がスペインから来た艦隊に勝利したあとの本で、「無敵」のスペイン艦隊をやっつけたと書いたところ、それが、あたかも自称ないし他称として広まったというだけだというのです。知りませんでした・・・。
 スペイン艦隊は、実際には、イギリス軍の艦船に初戦から敗退しているから、その意味でも、ちっとも「無敵」ではなかった。
 1588年のこの戦争で、スペイン王国フェリペ2世は、イングランドのエリザベス女王に宣戦布告していない。当時、スペインのリスボン港に大艦隊を終結させながらも、それをひた隠しにして出撃した。艦隊に乗船する兵士たちに目的地は知らされなかった。イギリスへ戦争しに行くと布告したら兵士を確保できないので、新大陸へ向かうという嘘の布令が出された。
 この海上戦において、イギリスは自力で勝ってはいない。むしろ、戦闘らしき戦闘は、ほとんどなかった。スペイン艦隊は、イギリスから打撃を被ったのではなく、飢え渇きと病気、そして悪天候による強風と嵐による難破のせいで、大損害を被った。
 スペインには、どうしてもイングランドへ艦隊を派遣せざるを得ない国内事情があった。その一つが、ドレイクをはじめとするイギリス海賊による傍若無人な掠奪行為が横行していたこと。
 イギリス女王の許可を得てスペイン船を掠奪しているイギリス海賊船が200隻をこしていた。
 スペインは、ドレイクなどの海賊船の出現で大あわて・・・。掠奪金の分け前にあずかって大いに国庫をうるおしているエリザベスとすれば、ドレイクにいい顔をしたくなるのも無理ないところだ・・・。
イギリスとスペインの艦船の大砲の威力を発揮していない。5時間かかって、500発の砲弾を打ち出した。イギリス艦隊は、ほとんどがカルバリン砲だった。
 カルバリン砲は、カノン砲よりも射程距離が長い。それでも600メートル。カノン砲は、砲弾を1500メートルも飛ばすけれど、有効な射程距離は、せいぜい450メートルだった。
 当時の鉄砲や大砲は、すべて滑空砲なので、命中率は悪い。
 お互い波動に揺れる船同士なので、照準器もないから、砲撃の命中率は0%に近い。
 この本を読むと、スペイン国王フェリペ2世がスペイン艦隊を派遣しようと熱心だったこと、スペイン「無敵」艦隊は出発当初から、いいかげんすぎる部隊として悪名高いものがあったことが分かります。
 1588年の戦闘について、7月22日に出港したスペイン軍艦船は、130隻、2万6千人だったところ、同年9月から帰ってきたのは、そのうちの半分の65隻、1万3千人ほどだった。
 イングランド艦船による「火船」攻撃は、スペイン艦船に被害をもたらすことはなかった。
スペイン「無敵」艦隊の実際を知り、驚き、かつ呆れました。まるで、戦前の帝国陸軍のように、現実に立脚せず、スペイン国王の頭のなかにある空理空論のみに頼っていたのです。これって、まるで、現代日本・・・?
(2015年3月刊。3500円+税)

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