弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年10月25日

中世ヨーロッパ全史(上)

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者  ダン・ジョーンズ 、 出版  河出書房新社

 上巻は5世紀のローマ帝国から、13世紀の十字軍までを扱っています。
 ローマ帝国は、3世紀初めの最盛期には45万人の常備兵がいて、海軍が別に5万人いた。ローマ兵は、入隊して10年はつとめる。
 ローマ帝国はいくつもの戦いで敗北したが、重要な戦いで負けたことはほとんどない。
 ローマ帝国では、ラテン語が公式言語。ラテン語の学習はエリート教育で基礎科目だったラテン語の実践的な知識なしに、政治家や官僚としてのキャリアを積むことなど考えられなかった。
 ラテン語はローマ法とつながっていた。ゴート族の族長で軍司令官であるアラリックはローマ帝国と戦った。410年前、アラリックのゴート族はローマ軍を破り、ローマ町を略奪した。
 次にフン族に追われてヴァンダル族がローマにやって来た。そして、ついにフン族がアッティラに率いられてローマに侵攻してきた(452年)。アッティラが453年に死去すると、フン族の帝国はたちまち自滅。
 6世紀、腺ペストが大流行し、死者は数百万人いや数千万人という。541年から543年のこと。
 イスラム教の創始者ムハンマドは632年に死亡した。7世紀から8世紀にかけてアラブ人による帝国が設立した。ムハンマドはメッカの中心的部族であるクライシュ族の出身。ムハンマドが本格的に説教を始めたのは613年。権力と富がクライシュ族に不当に集中していたことに対する不満は大きかった。
 中世を通して、スペインにはイスラム教徒が暮らしていた。イスラム教徒の総督がモロッコに追放されたのは、15世紀の末のこと。今のフランスに君臨するメロヴィング朝の政権が最盛期を迎えたのは、5世紀から6世紀にかけて。
 フランク王国のカールが亡くなったあと、ヴァイキングが到来するようになった。当時のパリの人口は、せいぜい数千人規模。ヴァイキングの襲来は、6世紀の半ばにかけて巨大火山の噴火が起きて、世界的に気温が低下し、凶作となったことにもよる。885年、パリはヴァイキングに襲われたが、11ヶ月も持ちこたえた。カロリング朝にとって、半世紀近くも続いたヴァイキング襲撃は致命傷になった。
ヴァイキング司令官のロロはとりわけ残酷で、フランス王からノルマンディーをもぎとった。10世紀、修道院には金と資産が流れ込み、宗教共同体はうまみのあるビジネスの場となっていた。
 裕福な人は、お金で他人に苦行をやらせ、罪の赦しを乞わせて罪滅ぼしができた。サンディアゴ・デ・コンポステーラ。この巡礼道の修道院は、うるおった。巡礼は、最高のビジネスチャンスをもたらした。
 十字軍戦士の第一波は、ポピュリスト的な扇動家に駆り立てられた狂信者ばかりで、大した訓練も受けておらず、ほぼ制御不能だった。1096年夏にヨーロッパを東へと向かった。そして奇跡的に勝利し、小規模な植民地をつくり上げた。
 ヨーロッパの商人にとって、十字軍世界は魅力的なビジネスチャンスの場だった。やがて十字軍都市は破滅に追いやられていった。
 370頁もある通史です。勉強になりましたが、読み通すのには苦労しました。
(2023年5月刊。4290円)

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