弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年10月20日

足利義満

日本史(室町)


(霧山昴)
著者 森 茂暁 、 出版 角川選書

 室町幕府の三代将軍・足利義満は、足利尊氏(たかうじ)の孫。
 義満は室町幕府体制を確立したが、その政治手法は、一筋縄ではいかない、したたかなものである。そのしたたかさ故に、義満は、それまでの父祖、それ以降の子孫たちがなしえなかった数々の偉業をなしとげることができた。義満には、目的のためには手段を選ばないところがあった。そして、専制君主としてのすごみすらあった。
 義満は38歳で出家したが、それ以降、義満の権勢はピークに達し、その権力は公武の「政道」(施政の大綱)を担当し、「朝務」(朝廷の政務)を代行するところまでに到達した。
そもそも室町時代について「暗黒の時代」「つまらぬ時代」と言われてきたのは、とんでもない間違いであって、この時代は日本の歴史にとって画期的な時期だと見直されている。
 義満は、南北朝の対立による動乱を収束させ、南北朝の対立を克服したうえで、公武統一政権を樹立し、国家体制を整備して合戦のない平和国家の骨格をつくりあげた。
 義満は、かつては「狡猾(こうかつ)姦獰(かんどう)の賊」と指弾されていたが、今日では、「公武に君臨した室町将軍」として評価されている。
 義満は、太政大臣(だじょうだいじん)にまで上りつめ、自らを上皇に擬するような振る舞いをし、子息の義嗣をあたかも皇太子にすえるかのような行動をしたことから、「王権の簒奪(さんだつ)」を狙ったのではないかとの指摘があった(今谷明『室町の王権』、中公新書の1990年)。私も、この本を読んで、大変な衝撃を受けました。しかし、今では「天皇家の血」という観点から、否定的な考えが優勢とのこと。なるほど、ですね。
 義満が51歳という若さで死んでしまったことが、「野望」達成を妨げたのではないでしょうか。
 足利尊氏も義満の父の義詮も、権大納言(ごんだいなごん)どまりだったが、義満は21歳で権大納言となったあと、最終的には太政大臣にまでのぼりつめた。
 この本では、将軍や管領(かんれい)が発する書面の形式をとても重視しています。本のオビには発給文書1000点を分析したようなことが書かれています。花押(かおう。ようするに、独特のサインです)の位置だけで、どんな状況で出されたのか、どれほど重要かが判明するのです。室町幕府と鎌倉公方(くぼう)との緊張関係についても初めて認識しました。
 同じことは、大内義弘との関係もあてはまるようです。義満に優遇された結果、大内義弘は強大化し、かえって義満に脅威を与え、警戒されるようになったのでした。
 室町幕府の運営にとって、九州はきわめて重要な地域であった。九州は変革のエネルギーの噴火口として、油断ならない地域だった。九州探題にはしかるべき一門の武将を置いて九州を統治させた。九州支配には格別の意を用いた。うひゃあ、そうなんですかー、九州なんて京都からみたら、とるに足りないところじゃないかと思うのですが、違うようです。
 お盆休み、涼しい喫茶店に入って400頁もの大著を必死で読みふけりました。著者は私と同じ団塊世代で、福大の名誉教授です。
(2023年4月刊。2300円+税)

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