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ソウルダスト

カテゴリー:人間

著者  ニコラス・ハンフリー  、 出版   紀伊國屋書店
 人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
 彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
 まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
 意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
 人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
 恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
 それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
 第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
 第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
 目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
 100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
 「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
 子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
 私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
 この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)

楽園のカンヴァス

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  原田 ハマ  、 出版   新潮社
 著者には大変申し訳ありませんが、まったく期待せずに読みはじめた本でした。私の娘がキュレーターを目ざしているので、親として少しは知識を得ようと思って、いわば義務の心から読みはじめたのです。
 ところがところが、なんとなんと、とてつもなく面白いのです。あとで、表紙の赤いオビに山本周五郎賞受賞作と大書されていることに気がつき、なるほどなるほど合点がいきました。江戸情緒こそ本書にはありませんが、パリのセーヌ川(らしき)の情緒はたっぷりなのです。 
推理小説では決してありませんが、その仕立てだと思いますので、粗筋も紹介しないでおきます。博物館や美術館にいるキュレーターの仕事の大変さが、ひしひしと伝わってくる本ではあります。
画家を知るためには、その作品を見ること。何十時間も、何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいない。
キュレーター、研究者、評論家、誰もコレクターの足もとには及ばない。
待って。コレクター以上にもっと名画に向き合い続ける人間がいる。誰か? 
美術館の監視員(セキュリティ・スタッフ)だ。監視員の仕事は、あくまでも鑑賞者が静かな環境で正しく鑑賞するかどうかを見守ることにある。監視員は、鑑賞者のために存在するのではなく、あくまで作品と展示環境を守るために存在している。
この本は、アンリ・ルソーの『夢』そして『夢を見た』という絵画がテーマになっています。どちらかが真作ではなく、偽作だという疑いがかかっています。それを7日間のうちに見抜かなければいけないし、それに勝てばたちまち億万長者になるというのです。
1908年、第一次世界大戦が始まる(1914年)前のフランス・パリを舞台とする描写があります。アンリ・ルソーはピカソとも親交があったようです。そして、『夢』が描かれる経緯が紹介されます。
果たして、この絵は本物なのか、偽作なのか。偽作だとしても誰が描いたのか・・・・。謎はますます深まっていくのでした。
なかなかに味わい深い絵画ミステリー小説でした。
一つの絵の解説本としても面白く読めます。巻末に参考文献も紹介されていますが、これをちょっと読んだくらいで書ける本ではないと思いました。底が深いのです。一読をおすすめします。
(2012年5月刊。1600円+税)

帝の毒薬

カテゴリー:日本史

著者   永瀬 隼介 、 出版   朝日新聞出版
 戦後まもなくの日本の東京で、銀行員12人が一挙に毒殺されるという前代未聞の殺人事件が発生しました。いわゆる帝銀事件です。死者12人、重体4人という大惨事が白昼に都心で起きたのですから、日本全土を震撼させたのは間違いありません。
 つかわれた毒は青酸カリ化合物。遅効性のものです。16人全員にゆっくり飲ませて、まもなくバタバタと死んでいったのでした。即効性の青酸カリではそんなことはありえません。だから、毒性を扱い慣れていなければ、素人でできる犯罪ではありません。なにしろ、犯人自身も実演しているのです。もちろん、自分の分は安全なようにトリックを使ったのでしょう。結局つかまったのは平沢真通という画家でした。
画家にそんな芸当ができるはずもないのに、いったんは自白させて、有罪・死刑が確定したのです。死刑執行にはならず、いわば天寿をまっとうしました。もちろん、刑務所のなかで、です。
 では、いったい誰が犯人だったのか。この本は、七三一部隊関係者しかあり得ないというのを前提としています。
 七三一部隊は、中国東北部、当時の満州で中国人などを拉致してきて人体実験していました。マルタと呼び、医学レポートでは「猿」とも書いたのでした。日本人のエリート医学者たちです。東大や京大の医学部出身で、そのトップは軍医中将にまでなりました。石井部隊とも呼ばれました。戦後日本では医学部教授にカムバックし、ミドリ十字などを設立して、その中枢におさまったのでした。
 みんな墓場まで秘密を持っていけ、と石井軍医中将は戦後、命令しました。
 帝銀事件の「真相」を小説のかたちで明らかにした本として読みすすめました。
 松川事件と同じく、アメリカ占領軍の関わりのなかで、秘密文書が掘り起こされないと、本当の真相は明らかにはならないのだろうなと思いながら読了しました。気分の重くなる470ページという大作でした。
(2012年3月刊。2300円+税)

第三次中東戦争全史

カテゴリー:アラブ

著者   マイケル・B・オレン 、 出版   原書房
 私が大学に入った年、1967年6月に始まったイスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンのあいだの6日間戦争は、あっというまにイスラエルが圧勝して終わりました。
 600頁もの大作ですが、この第三次中東戦争の実相を縦横無尽に調べ尽くしていて、まことに興味深いものがあります。結果としてはイスラエルの先制攻撃によって始まりましたが、エジプト側も先制攻撃を企図していました。イスラエルの政府と軍部のあつれきのなかで先制攻撃が始まっているのですが、それに至るまでのイスラエルの首相の苦悩のほども伝わってきます。だって、下手すると、イスラエルという国が地上から抹殺される危険もあったわけですから・・・。
 そして、エジプトです。イスラエルなんてちょろいものという根拠のない楽観論が支配していたようです。十分な軍備と指揮命令が確立しないまま、大量の将兵が最前線に送られ、先制攻撃するつもりが、イスラエルの空軍によって一日目にして壊滅させられ、あとは逃げる一方のところをエジプト将兵は、大量虐殺されていったのでした。ところが、なんと、そのときエジプトのメディアは勝った、勝ったと嘘の報道をして、欺された国民は狂喜乱舞していたのです。まるで、日本軍のミッドウェー開戦についての大本営発表です。
 そして、アメリカとソ連の対応も興味深いものがあります。全体としてはイスラエル支持のアメリカですが、イスラエルの先制攻撃を支持して国際社会から叩かれるのだけは避けたいのです。ソ連は、政府指導部内で対立抗争があり、身軽にエジプト支援には動けませんでした。そして、ソ連が支給した武器を装備したエジプト軍が崩壊して、大きく威信を失うのです。
エジプト支配層は、敗戦の実相が国民に知られると、第二の嘘をつき始めます。イスラエルに負けたのではなく、アメリカとイギリスが直接乗り出してきたから負けたという嘘です。
 支配層というのは、どこでも日本と同じように嘘をつくものなんだと改めて思ったことでした。
 エジプトのナセル大統領は、34歳で権力の座についた。エネルギッシュで断固とした気構えの人だった。スエズ運河を国有化し、ソ連装兵器を取得し、英仏イの三国進攻を撃退し、アラブを統一した。
 ナセルはユーモアがあり、他人に対する気遣いの人として知られた。静かで、妻と子どもたちとの家庭生活はつつましく、職権乱用の収賄が幅を利かすエジプトでは珍しく汚職をしなかった。しかし、1967年ころには、肥満体となり、目がどんよりして精神不安定、被害妄想の気が濃厚で、すぐにカッとなって怒った。ナセル体制下の法律は、あってなきが如き存在だった。
 100%近い得票で再選され、閣議を統裁するナセルは、自分だけがしゃべり、暴言を吐いて怒鳴りちらすことがよくあり、執念深い軍人独裁者に堕していった。
 ナセルとアメル元師とは、親友であり、危険な敵同士であった。アメルは野心満々の人物で、反対者には冷酷だった。エジプト軍の上級幹部は、能力ではなく、門閥、血縁関係、帰属政党によって決まった。さらに悪いことに、中級幹部は、意図的に無能な人材が選ばれた。反抗され、上級幹部に脅威となっては困るからである。将校は忠誠心に欠け、将校同士、一般兵同士の信頼関係も薄かった。
 エジプト軍部のなかに反対勢力が存在した。強固な主戦派である。欠点はあっても、軍はイスラエルと比べて、航空機、戦車、火砲どれをとっても数倍をもっている。この優位性でアラブの勝利は間違いないと信じていた。
イスラエルのラビン参謀総長は、開戦前、神経衰弱によって職務遂行能力を失っていた。 9日間というあいだ、ほとんど何も口にせず、睡眠もとらず、矢つぎ早に煙草を手にして吹かし続けた。疲労困憊し、すっかり衰弱してしまった。
 エジプト軍の保有戦車のうち、想定で20%は戦闘で仕えない代物だった。火砲の4分の1、作戦機の3分の1が同じく使えなかった。そして、部隊のうち所定の位置についたのは半分以下。そこへ配置転換命令が出て、大変な混乱状態にあった。ナセルはアメリカの武力介入を恐れた。そして、ソ連の強力な支援を信じていた。
 アメリカ政府にとって、中東和平のために努力するものは、必ず双方から棍棒で殴られるという結論に達していた。それほど厄介な問題だった。アメリカのジョンソン大統領の脳中は複雑だった。苦境にあるイスラエルを助けたい。同時にアラブ世界の親米政権も支援したい。雪だるま式にグローバル規模になるような戦争は防止したい・・・。
イスラエル国防軍の兵力27万5000。戦車1100両、航空機200機。
 6月5日、午前7時10分、イスラエル軍の航空機が発進した。ミラージュ65機。エジプト軍の基地にいたツポレフ爆撃機が次々に爆発していった。
 この朝、エジプト空軍は420機のうち286機を失った。ところが、エジプトのラジオはまったくの逆の報道をした。1時間ごとに、赫々たる大戦果を報じた。すべてでっちあげ。カイロの群衆は、嘘で固めた戦勝報道に酔い痴れ、拍手喝采し路上で踊り狂った。なんと・・・。エジプト軍の高官たちは、恐れをなくしてナセルに事実を報告しなかった。ナセルが事実を知ったのは、午後4時のこと。そして英米軍が直接関与したというデマを流すことにした。これによって小国イスラエルに手もなくやられたというエジプトの不名誉は小さくなるし、ソ連の介入を求める理由として使える。
 そのうえで、エジプト軍の総退却を命じた。逃げるエジプト軍をイスラエルの空軍と陸軍が襲いかかった。大虐殺の始まりです。あまりの捕虜の多さに、イスラエル軍は、エジプト軍の将校のみを捕虜としました。
 この戦争の推移は、今なお中東世界に尾を引いていると指摘されていますが、この本を読むと、それも当然だと実感します。しっかり分析するというのは、この本のようなことをさすのだと認識させられたことでした。読みごたえ十分の本です。五月の連休中の成果でした。
(2012年2月刊。6800円+税)

百姓たちの幕末維新

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   渡辺 尚志 、 出版   草思社
 江戸時代、全国にあった村は6万3千ほど。現在、全国の地方自治体は1800なので、一つの地方自治体に35ほどの村があった計算になる。平均的な村は、人口450人、戸数60~70軒、耕地面積50町、村全体の石高450~500石。
 江戸時代の百姓は、二重の意味で農民と同義ではない。一に、百姓のなかには、漁業、林業、商工学など多様な職業に携わっている人たちがふくまれていた。第二に、農業をすることが即百姓であることにはならなかった。
 農村における本来的な百姓とは、土地を所有して自立した経営を営み、領主に対して年貢などの負担を果たし、村と領主の双方から百姓と認められた者に与えられる身分呼称であった。つまり、百姓とは、特定の職業従事者の呼称ではなく、職業と深く関連しつつも、村人たちと領主の双方が村の正規の構成員として認めた者のことだった。
 百姓たちは、先祖伝来の所有地を手放すことについて非常に大きな抵抗感をもっていた。土地を失うということは御先祖様に顔向けできない大失態だった。
無年季的質地請け戻し(むねんきてきしっちうけもどし)慣行が存在した。
 借金返済期限がすぎて請け戻せず、いったんは質流れになった土地でも、それから何年たとうが、元金を返済しさえすれば請け戻せるという慣行が広く存在していた。質流れから、10年、20年、場合によっては100年たっても請け戻しが可能だった。
 これは、村の掟だった。村人たちが全体として貸し手に有形無形の圧力をかけることによって、この慣行は有効性を発揮した。
 百姓たちがとった没落防止策として、経営の多角化を徹底させることがあった。
 19世紀、とりわけ幕末になると、百姓たちもファッショ運に敏感になってきた。江戸などの大都市での流行が村にも波及し、10年周期くらいで流行が変遷した。
 江戸時代は、今以上に古着が広く流通していた。
 江戸時代の百姓が米を食べられなかったというのは、明らかな誤りだ。年間1石(150キログラム)以上の米を食べていた。近年の日本人の年間消費量は一人あたり60~65キログラムなので、倍以上も食べていた。ふだんは、米と麦、雑穀を混ぜて炊いた「かてめし」や粥(かゆ)や雑炊を食べ、婚礼などのハレの日には米だけの飯を腹一杯食べた。
江戸時代の百姓が肉類をまったく食べなかったというわけでもない。魚、鮮魚はあまり食べなかった。多くの村人が年貢納入に苦労しているときには、それを当人の自己責任に帰してすまさず、村役人が中心となって村として借金し、そのお金を困っている村人たちに融通していた。隣人の苦境を我がこととして、村全体で対策をとった。村人の所有地が貸し手に渡ってしまったあとは、そこからの小作料を納めないと言うことで貸し手に対抗した。
 江戸時代、幕府や大名・旗本は、領地の村々に対して、村全体の年貢納入額と各村人への割り付け方の原則を示すだけで、あとはすべて村に任せていた。実際に村内のここの家々に年貢を割り当て徴収するのは村だった。このように、年貢を一村の村人たちの連帯責任で納める制度を「村請制」という。したがって、領主は、村の一軒一軒がどれだけ年貢を納めているのか、正確には把握していなかった。
 村での年貢の割付・徴収業務を中心的に担ったのは、村役人、とりわけ名主だった。したがって、年貢の滞納者が出たとき、名主は自費で立て替えてでも上納しなければならなかった。
 村々では、村役人に無断で抜地などの不正な土地取引がさかんに行われたため、村役人も土地の所有関係を把握しきれていなかった。土地台帳が実態を反映しなくなっていた。
村人たちは、農産物価格の適正化を求めて国訴(こくそ)を起こした。幕府に訴え出たのです。日本人は昔から裁判が嫌いだったなんて、とんでもない誤りです。すぐに裁判に訴えるのが日本人でした。江戸時代は、実にたくさんの裁判が起こされています。
 百姓たちが代官をやめさせるのに成功した例もあります。老中や勘定奉行などの幕府の要人に対する非公式の働きかけを百姓(名主)がしていたのでした。
 江戸時代の百姓は、脇差を差すことが認められていた。
 江戸時代の村々には、多数の刀や鉄砲が存在していた。百姓一揆は、統制のとれた秩序と規定ある行動だった。一揆勢は、武装蜂起して武士と戦うことは考えておらず、人を殺傷するための武器も携行していなかった。手に持ったのは、自ら百姓であることを明示するための鎌や鍬といった農具だった。身につけた蓑や笠も、百姓身分を示すユニフォームだった。
 百姓一揆は反権力の武装蜂起というより、今日のデモ行進に近い。ただし、処罰を覚悟していた点が合法的なデモ行進とは異なる。
 ところが、19世紀になり、百姓一揆のあり方に変化が見られた。領主に対する要求より、買い占め、売り惜しみなどの不正行為をしたと見なされた富裕な百姓・町人に攻撃の矛先が向けられるようになった。武士に対するたたかいから、庶民内部の争いへと変わっていった。百姓一揆のなかで攻撃対象の百姓・町人の家を襲って建物・家財を破壊する打ちこわし頻発した。そのなかで一揆勢の秩序と規律が乱れ、略奪・放火・暴力行使など、従来の百姓一揆では見られなかった逸脱行為も発生するようになった。
 このように百姓一揆が攻撃性・暴力性を強めるにつれて、鎮圧する領主側との武力衝突も起こるようになった。
 江戸時代の村の様子そして百姓一揆の実態を知ることのできる本です。
(2012年2月刊。1800円+税)

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