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家族進化論

カテゴリー:人間

著者   山極 寿一 、 出版   東京大学出版会 
 人間とは何か、どういう生き物なのかを知るためには、サルやゴリラなど近縁の生き物との対比が欠かせません。
 狩猟採集民の研究が世界各地で進むにつれて、狩猟という生業様式が人間の攻撃性を高めるという考えは否定されるようになった。樹皮や葉を多く食べるゴリラは強大な大腸をもっている。主として果実を食べる霊長類の胃腸は比較的単純で短く、食物の消化時間も葉食の霊長類に比べて短い。
 ゴリラとチンパンジーは、同じ果実でも異なる利用の仕方をするため、両者が出会うことはめったにない。そして両者には敵対的な態度もみられない。どの場合も、先着したほうが食べ終わってその場を離れるまで後着したほうは待っていた。
 ゴリラは草食に、チンパンジーは果実食にあった採食戦略をもっている。
 ゴリラは、大量にあるけれど消化に時間のかかる葉や樹皮を補助食物にしたおかげで、草食動物のように群れ単位で採食することが可能になった。
 直立二足歩行がなぜ生まれたか。その一は、エネルギー効率を良くするため、その二は外敵への威嚇につかうため、その三は、食物を運ぶため。
 四足で歩くのに比べて敏棲性や速度こそ劣るが、時速4~5キロメートルで歩くとエネルギー効率が良いし、長い距離を歩くほどエネルギーの節約率が増す。また、直立二足歩行の利点は手を自由にしたことにある。
人間は食物の消化率を高めて、胃腸の働きを軽減した。そのため、胃腸にまわしていたエネルギーを脳に費やすことができるようになり、脳を大きくすることができた。胃腸の縮小と脳の増大はトレードオフの関係にある。
 食物を分配して一緒に食べるという行為は、人間以外の霊長類ではほとんど見られない。チンパンジーが食物を分配するのは、優位個体の社会的地位が仲間の協力と支持によって維持されているからだ。
 アフリカのピグミーの人々においては、大きな獲物を捕って還ってきた仲間を、村で待ちかまえていた人々が散々にけなす。なぜか?
 それは、肉の取得者に権威が集中するのを防ぎ、平等な社会を維持するための工夫の一つなのである。
ニホンザルのメスは、愛情に結びつかない時期は最優位のオスと交尾し、排卵日になると優位なオスの目を盗んで好みのオスと交尾する。メスは排卵日に限ってはお目当てのオスとだけ交尾をすることが可能なのだ。DNAによる父子判定によっても、けっして優位なオスがたくさん子どもを残しているわけではないことが分かっている。
乱交的な交尾は、どのオスにも自分の子どもと思わせ、オスから子どもの世話を引き出したり、群れ内のオスの数を増やして防衛力を高めようとしていると考えられる。
人間の女性も、排卵日が近くなると性的なパートナーの選択性が高くなる。そして、そのとき、いまのパートナーとは別のタイプの男性に性的魅力を感じる傾向がある。
霊長類社会では、育児や一緒に育った経験が交尾回避を引きおこす要因になっている。ギブツ(イスラエルの子育てシステム)の子どもたちは、一緒に育った異性の仲間の結婚の相手とはみなさない。
 私の子どもたちも、同じ保育園にいた仲間は恋愛そして結婚相手とすることはないし、大人になっても単なる親しい友人としてずっと交際しています。「おしめ仲間」とは結婚できないのですね。
ペアをつくるテナガザルや単独生活するオランウータンには、子殺しが報告されていない。そして、乱交的な交尾を好むボノボにも子殺しはみられない。
 チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは、自分とはちがう種の相手でも、その身体に同化し、相手の意図までそっくり模倣する能力をもっている。
人間と家族の機嫌を根本的に考える手がかりとなる本だと思いました。
(2012年6月刊。3200円+税)

舟を編む

カテゴリー:社会

著者    光浦 しをん 、 出版    光文社 
 辞書は、モノ書きを自称する私にとっては必須不可欠なものです。いまも本の最終校正の真最中ですが、辞書を引く手間を惜しまないようにしています。思い込みによる間違いも多々ありますし、何より同じ言葉を繰り返さず、異なった表現にするためには辞書を引いておかないと、とんだ恥さらしをしかねません。
 この本は、辞書づくの過程を面白く、ドキドキワクワクの世界に仕立て上げたものです。思わず応援したくなります。なんといっても、言葉との名義性には目を大きく見開かされます。
 めれんという言葉をはじめて知りました。慌てて私の愛用する角川国語辞典で探しましたが、幸いのっていませんでした。酩酊を意味する言葉です。「仮名手本忠臣蔵」に出てくる言葉のことです。
それにしても、声という言葉に、季節や時期が近づくけはいという意味があったなんて。信じられません。でも、たしかに「四十の声を聞く」という文章はありますよね・・・。
 辞書は、言葉の海を渡る舟だ。だから、海を渡るにふさわしい、舟を編む。
ここに、この本のタイトルは由来しています。
 辞書を作るのに、何年、いや10年以上かかるのは珍しくない。そして出来上がった辞書は出版社の誇りであり、財産だ。人々に信頼され愛される辞書をきちんと作れば、その出版社の屋台骨は20年は揺るがない。
山にのぼるとは言うが、山にあがるのが、まず言わない。天にものぼる気持ちといっても、天にもあがる気持ちとも言わない。なぜか?
 「こだわり」の本来の意味は、拘泥すること、難癖をつけていること。だから、いい意味で使ってはいけないのだ。そうだったんですか・・・。これまた、知りませんでした。
 辞書用の紙は特殊なもの。厚さは50ミクロン。重さも、1平方メートルあたり45グラム。そして裏写りはしない。問題は、ぬめり感。指に吸いつくようにページがめくれる。しかも、紙同士がくっついて複数のページが同時にめくれてしまうことがない。
 辞書づくりの人は用例採集カードを常時もって歩いている。何か目新しいコトバに出会うと、その場ですぐにカードに書きとめる。
 うむむ、辞書の作成にかかわる人々は、相当重症のオタクとみました。でも、そんなオタクの人々が、日本の文化を下支えしているのですね。とても面白い本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)

ロッシュ村幻影

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   井本 元義 、 出版   花書院 
 仮説アルチュール・ランボーというサブタイトルのついた本です。著者は私と同じ日仏学館で学ぶフランス語仲間です。
 会社を定年で辞めてフランスに何ヶ月間か住むという優雅な生活を過ごしています。そして、ランボー研究に精進しているのですから、すごいものです。
 パリでは、安い屋根裏部屋を借りて長期滞在するとのこと。料理なんかはどうするのでしょうか。自炊なのでしょうか。
 ランボーは、1891年11月、37歳の若さで亡くなります。
 ランボーを悩ませ走らせたのでは、それが歓びとして昇華されることがあっても、荒れ狂う言葉の群れとの葛藤だった。そして片方では、新たな言葉を吸い込もうとしている砂地のように乾いた脳の奥底があった。何千冊の読書をこなしても言葉は一瞬のうちに吸い込まれた。言葉は狂乱して止むことはなかった。輝いてリズミカルに跳びはねた。目ぼしいものを見つけると、遠い彼方の空間からも言葉が飛んできた。その音に共鳴して、さらなる言葉が襲来してきた。そして規則正しく配列して決して終わろうとしなかった。独りでに言葉が口をついて出してきた。単語そのものが音と色を放った。それらを詩にして紙に書きなぐったとしても収まることはなかった。それは激しい性欲に似ていた。満たされても満たされなくても、すぐに次の衝動は起こってきた。さらに激しくなって。
 ランボーはパリ・コミューンが成立する騒乱のパリに向かった。そして、1871年5月、パリ・コミューンが弾圧され兵士が虐殺されていくなか、ランボーはパリ脱出が成功した。
 ランボー自身の心理描写と著者の心象風景が混然とした小説風のエッセイでもあります。昨年(2011年)は、アルチュール・ランボーの没後120年だったとのこと。
 アフリカの闇に11年間もランボーが沈み込んでいた謎に迫ろうとする意欲にあふれた本でもあります。贈呈いただき、ありがとうございました。
(2011年10月刊。1800円+税)

テレビは原発事故をどう伝えたのか

カテゴリー:社会

著者   伊藤 守 、 出版   平凡社新書  
 ふだん、リアルタイムでテレビを見ることはまったくない私ですが、さすがに去年の3.11のときには、日本はこれからどうなるのかという不安とともにテレビを注視していました。
この本は、テレビが原発事故をきちんと国民に伝えていたのかどうか、それを検証しています。
 結論としては、ノーと言われざるをえません。「大本営発表」と同じで、心配ないと根拠なく繰り返した政府発表をなぞっただけでした。
 政府の「ただちに人体に影響のあるものではない」との発表をただ繰り返すだけのテレビ報道に対して、多くの人が不安や苛立ちをいだいた。
 NHKの解説は、政府の会見内容をより詳しく説明し、解説することに終始した。
だから、NHKって、本当に公共放送なのか、政府を唯一のスポンサーとする民法なのではないかと思ってしまうのです。
福島第一原発から飛散する放射性物質の量がはっきりしていないのに、放出される放射能は微量だと断定的に主張され、かつ、健康への被害はないと断定された。ところが、政府の中枢も、警察も、すでに放射能が飛散していることを承知していた。メディアは、その事実を把握できていなかった。
3月11日の15時30分に1号機が爆発した。日本テレビ系列の副島中央テレビのカメラがとらえていた。ところが、この映像が日本テレビ系列の全国ネットで放映されたのは、爆発から1時間14分も過ごした16時50分だった。
テレビは、政府や保安院の発表に依拠して、事態をむしろ楽観視する方向にリードしていった。政府発表にのみ依拠して、傍観者的に事態を説明するだけ。
 「即、人体に影響が出る値ではない」
 私たちは、3.11のあと、何度となくこのセリフを聞かされました。でも、本当でしょうか・・・???即死しなくても緩慢死というものがありますよね。本当に心配です。
(2012年6月刊。780円+税)

続・アメリカ医療の光と影

カテゴリー:アメリカ

著者   李 啓充 、 出版   医学書院 
 アメリカで、なんら医療保険を有しない無保険者が年々増え続けているのも、「負担の逆進性」が医療保険制度の隅々に張りめぐらされていることが大きな原因。
 つとめていた企業をレイオフされたり病気で失職すると、収入が減るだけでなく、保険料負担に耐えかねて、無保険者になってしまう。
 医療保険制度を市場原理で運営したとき、弱者が容易に切り捨てられ、無保険者となってしまう事態は避けられない。弱者の典型は、高齢者・障害者・低所得者であるが、これらの弱者が医療へのアクセスを拒否される事態を放置したら、社会そのものの存立が危うくなりかねない。
 「アメリカの医療は世界一」というイメージとは裏腹に、ことアクセスに関しては、アメリカは先進国中で最悪である。無保険者が国民の7人に1人(4600万人)という現実は、それだけで悲惨だ。
 国民の6人に1人といわれるメディケイド被保険者(5000人)を潜在的無保険者として数えると、アメリカでは実に国民の3人に1人が無保険者あるいは潜在的無保険者になっている。
 アメリカが公的医療保険の運営に投じている税額は国民1人あたり年額2306ドルに上り、これだけで日本の一人あたり医療費総額2130ドルを上回る。
 アメリカの「2階建て」医療保険制度は、社会全体としてべらぼうに高くつく制度となっている。医療保険制度を市場原理に委ねることの愚かさは明らかである。
 1970年の段階では、カナダもアメリカも医療費支出はGDPの7%ほどで同じだった。しかし、国家として「公」の医療保険制度を整えてきたカナダが、現在、GDPの9%しか医療費に支出していないのに対し、頑迷に「民」の医療保険制度を保持しているアメリカはGDPの15%を支出するまでになった。しかも、カナダでは、国民の医療へのアクセスが完全に保証されているのに対し、アメリカでは国民の7人に1人が無保険者であり、「公」と「民」の医療保険制度は、21世紀の今、完全に明暗を分けている。
だから、GMなどアメリカの大企業のホンネは、ヨーロッパやカナダ、日本のような「公」の医療保険制度をアメリカにもつくりたいというところにある。
 しかし、それを拒んでいるのがアメリカの保険会社である。市場原理の下で、アメリカの保険会社は、健常者を優先的に保険加入させる一方、医療サービスの質と量に厳しい制限を課す「利用審査」とか、患者の受療意欲を削ぐためのあの手、この手によって「医療にお金を使わない」ことに全力を傾涙している。
 アメリカの民間保険に個人で加入したときの保険料は、たとえば年間160万円と、日本では考えられないような高額なものとなる。それでも、保険料が高くても加入できればまだいいほうで、既住疾患を理由に保険会社が加入を断ることを認めている州のほうが多い。たとえば、子どもがニキビで高価な抗生物質を使用したことが「既住疾患」にあたるとして、家庭全体の保険加入を断られる例が続出している。
 ところが、その一方で、保険会社のCEO(経営者)には、220万ドル(2億2000万円)のボーナスを払っている。日本の財界も同じシステム、超高給とりを実現しつつありますよね。労働者の非正規雇用を増やして、自分だけはいい思いをしようというのです。
 アメリカの50歳以上の壮・高年層は全人口の4分の1を占め、その半数3500万人がAARR会員である。このAARRが巨大なパワーをもって医療や年金を守っているアメリカの団塊世代に比べて、学生時代をヘルメットをかぶってゲバ棒をもって暴れ回っていた日本の団塊世代は、自分たちの命を守るべき医療がおかしな方向へ向かっていることに、なんでこんなにおとなしくしていられるのか、不思議でならない。
そうなんです。今こそ私たち団塊世代は怒りをもって声をあげ、行動に移すべきです。かつてのように首相官邸を大きく取り囲むべきでしょう。
 最後は、池永満弁護士との対談でしめくくられています。アメリカのように日本はなってはいけないと痛切に思いました。
(2009年4月刊。2200円+税)

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