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日本近現代史のなかの救援運動

カテゴリー:司法

著者   山田 善二郎 、 出版    学習の友社 
 交通事故のひき逃げを疑われている人から相談を受けて、警察をそんなに信用しすぎてはいけません、ときに罪なき人を警察官は有罪にしてしまうことだってあるのですからねと助言することがあります。すると、警察官がひどいことをするなんて、今の今まで思ってもみませんでしたという反応がかえってきます。警察は正義を実現するところ、悪い人を捕まえるところという思い込みをほとんどの市民が思っています。私だって、弁護士になる前は、もちろん、そう思っていました。でも、弁護士になってからは、警察はときとしてとんでもない間違いをおかし、そのことに気がついても容易に誤りを認めようとしない鉄面皮のところがあると考えています。
 ですから、ぬれぎぬ(冤罪)で泣く人が生まれます。そのときに役立つのが国民救援会です。私も、救援会には少しだけ関わっています。この本は救援会の会長をつとめた著者が戦後日本の救援運動が果たしてきた役割をざっと紹介してくれるものです。著者自身が戦後まもなくの冤罪事件で、「犯人」の逃亡を手助けしてアメリカ軍からにらまれたという体験の持ち主です。そして、その事件のあとは、ずっと救援運動に関わってきました。
 最近有名なのは、布川(ふかわ)事件、そして、その前の足利事件です。いずれも再審で無罪となりました。それに至るまでの苦労がなんと長く困難だったことか・・・。救援会が無罪を獲得するのに大きく下支えをしました。
 それはともかく、2001年にパソコンから流出した愛媛県警察本部の被疑者取り調べ要領の一部を次に紹介します。
○粘りと執念をもって「絶対に落とす」という気迫が必要。調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念にみちた気迫が必要である。
○ 調べ室に入ったら、自供させるまで出るな。
被疑者の言うことが正しいのではないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まったりすると逃げ出したくなるが、そのときに調べ室から出たら負け。お互いに苦しいのだから、逃げたら絶対ダメ。
○ 取り調べ中は被疑者から目を離すな。取り調べは被疑者の目を見て調べよ。絶対に目をそらすな。相手を呑んでかかれ。呑まれたら負け。
○ 被疑者はできる限り取調室に出せ。自供しないからといって留置場から出さなかったら、よけい話さない。
どんな被疑者でも、話をしているうちに読めてくるし、被疑者も打ちとけてくるので、できる限り多く接すること。否認被疑者は、朝から晩まで取調室に出して調べよ。
戦前、13歳の少女が、与謝野晶子の『みだれ髪』(歌集)を買って寄宿舎に置いていたところ、特高警察に知られて拷問されたというケースが紹介されています。その少女は、拷問されたあと帰されて寄宿舎の寮長に「茶わんいじほうって何のこと?」と尋ねたそうです。治安維持法という悪法も知らない13歳の少女を拷問していたぶった特高警察の非道さに思わず涙が抑えきれませんでした。
 また、戦後の一大謀略事件として有名な松川事件の起きた直後、「米日反動の陰謀だ」とか言葉だけ激烈に訴えても、誰の心にも動かさなかった。そうではなくて、具体的な事実と、率直な心情を自分自身の言葉で語りはじめたとき、広津和郎をはじめとする世間の人々の心に訴えが届いた。
 これは、今に生かされるべき教訓ですよね。
 日本民主主義がどの程度根づいていると言えるのか、この救援運動の歴史を知らずして語ることはできないと私は確信しています。
(2012年6月刊。1429円+税)

それでも、読書をやめない理由

カテゴリー:アメリカ

著者   デヴィット・L・ユーリン 、 出版    柏書房 
 1946年2月、ナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリングはニュルンベルグ裁判のときに裁判官に向かってこう言った。
 もちろん、民衆は戦争など望んではいない。しかし、政治的な判断を下すのは、結局のところ国の幹部であり、国民を引きずりこむのはどんな国でも造作のないことだ。民主主義政権であれ、ファシズムの独裁政権であれ、議会統治であれ、共産主義独裁政権であれ、やり方に変わりはない。国が攻撃を受けそうだと国民に告げ、平和主義者を非国民呼ばわりして国を危険にさらすものだと非難する。これだけでいい。これは、どんな国でも効き目がある。
 なーるほど、今の日本でも通用している手法ですね。尖閣諸島を守れ、北方領土を守れ、北朝鮮のテポドンが脅威だと言いつのるマスコミには、本当にうんざりしています。
本を読むとき、初読と再読の違いは、次のようなもの。初読は疾走、再読は深化。初読は世界を閉め出して集中し、再読はストーリーを熟考する。初読は甘く、再読は苦い。しかし、再読のすばらしい点は、初読をふくんでいることである。
うむむ、そうも言ええるのでしょうね・・・。
読書には、余裕が必要だ。読書は、瞬間を身上とする生き方から私たちを引き戻し、私たちに本来的な時間を返してくれる。今という時の中だけで本を読むことはできない。本は、いくつもの時間の中に存在する。まず、私たちが本と向きあう直接的な時間経験がある。そして、物語が進行する時間がある。登場人物や作家にも、それぞれの人生の時間が進行している。誰しもが、時間との独自の関係を背負っている。
 本に集中することで、私たちは知らずしらずに内面生活という領域へ戻っていけるのだ。有史以来、今日ほど人の脳が多くの情報を処理しなければならない時代はなかった。現代人は、あらゆる方角から飛び込んでいる情報処理に忙しく、考えたり感じたりする習性を失いつつある。現代人が触れる情報の多くは表面的なものばかりだ。人々は深い思考や感情を犠牲にしており、次第に孤立して他者とのつながりを失いつつある。
 人と人との心の内面に結びつくようなふれあいは、たしかに少なくなっていますよね。
読書とは没頭すること。読書は、もっとも深いレベルで私たちを結びつける。それは、早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら、一瞬のうちの情報が手に入るこの文化の中で、読書するには、自分のペースで進むことが求められるからだ。
読書の最中には、私たちは辛抱強くならざるを得ない。一つひとつのことを読むたびに受け入れ、物語るに身をゆだねるのだ。
さらに私たちは気づかされる。この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだと。
世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から一歩退いて見ることによって私たちは世界そのものを取り戻し、他者の精神にうつる自分の姿を発見する。そのとき、私たちは、より広い対話に加わっている、その対話によって自分自身を超越し、より大きな自分を得るのだ。
 インターネットが万能であるかのような現代でも、活字による書物を読むことの意義はとても大きいと主張する本です。スマホに無縁な私にとって、共鳴するところの多い本でした。
(2012年3月刊。1600円+税)

薬害肝炎・裁判史

カテゴリー:司法

著者    薬害肝炎全国弁護団 、 出版   日本評論社  
 薬害肝炎に取り組んだ福岡の弁護師団から贈呈されました。560頁もの分厚い本ですし、私自身が関わった裁判ではないので、少しばかり気が重たかったのですが(なにしろ手にとると、ずしりと重くて、とてもカバンに入れて持ち運びながら読む気にはなれません)、せめて、弁護団の苦労話を語った座談会だけでも読んでみようと思ったのです。ですから、この本を通読したわけではありません。でも、私が読んでも大変勉強になるところが多々ありました。
 弁護士、とりわけ若手弁護士のモチベーションをいかに高めるか。これには、事件に対するモチベーションの問題と組織の中で働くことのモチベーションを高めることの2つがある。新人弁護士だからといって、事務的な雑用だけをやらせるのではなく、責任のある仕事をできる限り頼んで、その責任ある仕事が成果として見える、そんな仕事を若手弁護士にどう割り振るかに苦心した。
 弁護士としては、訴訟活動を抜きにして、モチベーションを維持するのは難しい。また、地元の被害者の救済があるので、地元提訴は有効だ。これが、東京・大阪の訴訟の応援だけだと難しい。5地裁で提訴したのは、非常に有効だった。
 大型集団訴訟は、特許事件のように、東京と大阪だけに絞り込むべきではないかという極端な意見もあるが、全国に被害者が散在している事件では、それはありえない。
 東京地裁だと扉が大きく開かれないが、関門海峡を越えると治外法権になるとか、法が違うとか、いろいろ言われるように、驚きの連続だった。
 福岡では扉が広く、原告弁護団側から裁判所にどんどん働きかけができて、争点を設定して訴訟進行の主導権をとっていけた。
 先発組がぽろぽろと負けたあとで、後発組がきちんとした戦略を立ててやっても、その問題について既に負け判決が出ているなかで勝っていくのはものすごく困難だ。
 新しい集団訴訟で勝つというのは、理屈だけではできない。被害をきちんと伝えて、「原告を勝たせなければ」と裁判官に思わせるには、多様な力がいる。言いたいことを言い、証拠さえ出せば勝ち判決がころがり込んでくるという甘い見通しではダメ。この裁判官に、勝判決を絶対に書かせる、そのための戦略と力量と意欲が必要。
 目標は、社会における誤った政策を変えること。そのための手段として裁判を使う。負けては何にもならない。たくさん裁判があればよいというのは、50年前の発想。
東京では22人の原告全員の本人尋問はできなかった。しかし、東京以外は、原告全員について本人尋問した。九州は18人、大阪は13人、名護屋は9人、仙台は6人だった。
被告となった国は、関門海峡を越えた福岡では勝てそうにない。大阪もどうも風向きが怪しい。そこで、東京に集中して、東京で勝とうという戦略を、途中からとったと思われる。
 国は、各地の弁護団の弱い分野を意識して証拠を立てた可能性がある。九州は有効性が強くて、重篤性がいくらか弱い。そこで、国は重篤性についての証人を九州で申請した。
5地裁に提訴すると、同一争点に関する証人尋問を5回も行うことになりかねない。そこで、争点一つにつき、原被告とも証人1人を選抜し、それを各地で分散しながら立証していく計画を立てた。
 また、中間的に提出した統一準備書面はすごく効率があった。
 集団訴訟の勝訴判決は、被害の重大性を直視した裁判官によって、ある程度の飛躍がないと書けない。
 薬害肝炎については2002年10月に東京・大阪で提訴してから、2007年12月の政治判決まで5年かかった。しかし、5地裁判決がそろってからは、わずか4ヵ月で解決した。しかも、東京地裁判決直後の官邸入りから9ヵ月で解決したのは、かなりハイスピードの解決だった。
大阪地裁のときも福岡地裁のときも、判決が出た時点で国会は閉会中だった。つまり、司法判断をテコにして政治問題化していくときの、その舞台が用意されていなかった。
 裁判所は、大規模訴訟については4年以内でおさめる、裁判迅速化法も受けて4年内に解決するために計画審理をする方針をとっている。しかし、薬害肝炎のような薬害訴訟を2年で終わらせようとすると、弊害のほうが大きくなる危険がある。
5地裁のどの裁判長も、自ら指揮をとってこの問題を和解で解決しようというそぶりがまったく見られなかった。だから、わざわざ裁判所に、判決の前に和解勧告してほしいと言いに行く動機がもてなかった。
薬害肝炎訴訟において、仙台地裁では国が勝ったけれど、これは使えない勝訴判決だった。最悪の勝ち方をしてしまった。
 国はいくつ負けても、一つ勝てば責任を否定して解決を遅らせるので原告はすべて勝たなければならないという教訓があるのも事実だ。
 原告になった人は、匿名から実名になったときに、自分の問題としてやっていかざるをえない立場に立たされ、どんどん成長していった。
 新しい課題は、いつも若手、新人弁護士が切り開いていくものだ。裁判戦略は法的責任を明確にすること。訴訟の重要性を改めて認識することだ。
 被害に始まり、被害に終わる。弁護団は国民に共感を広げ、裁判所に共感を広げ、政治の舞台に共感を広げていく。その共感が広がれば、その先に勝利は約束される。逆を言うと、苦しいときには共感が広がっていないということ。薬害肝炎でも、試行錯誤しながら結果的に勝てた。
 なかなか味わい深い統括の言葉だと受けとめました。
 福岡の八尋光秀、浦田秀徳、古賀克重弁護士が、裁判でも本のなかでも大活躍していて、うれしくもあり心強い限りでした。
(2012年1月刊。4000円+税)

未完のファシズム

カテゴリー:日本史

著者   片山 杜秀 、 出版    新潮選書 
 第一次世界大戦そして戦前の日本について鋭い分析がなされていて驚嘆してしまいました。まだ40歳代の思想史を専門とする学者の本です。さすがは学者ですね。着眼点が違います。
 第一次世界大戦で、日本は中国の青島(チンタオ)にあるドイツ軍の要塞を攻略します。そのあとのドイツ軍捕虜が日本各地に収容所で暮らし、伸びのびと生活していたことは有名です。
 1914年、第一次世界大戦が勃発した。日本軍は9月より中国・青島のドイツ軍要塞の攻撃をはじめる。総攻撃開始は10月31日。ドイツ軍が白旗をあげたのは11月7日。1週間で陥落したことになる。
 日露戦争の旅順戦の経験から、歩兵を突撃させても堅固な要塞の前では屍の山を築くだけ。やはり、移動の容易な大口径砲、遠戦砲、破撃砲で、遠くから撃ちまくることにこしたことはない。45式24センチ榴弾砲は1912年に新採用されたばかりの大砲。28センチ砲は、24センチ砲より大口径だが、移動させるのに苦労するという難があった。
 青島は、日露戦争後の日本陸軍近代化のほどを試すための恰好の実験場となった。歩兵突撃の時代は既に終わった。
実は、この青島攻撃戦には久留米から師団が派遣されて大活躍したのでした。私の母の縁者が英雄として、登場してくるので少し調べたことがあります。私の母の異母姉の夫は中村次喜蔵という軍人でした。青島要塞攻略戦で名をあげ、なんと皇居で天皇に対して御前講義までしたのです。のちに師団長(中将)にまでなりましたが、終戦直後に自決(ピストル自殺)しています。偕行社(戦前からある由緒正しい将校の親睦団体です)に問い合わせると、その状況報告書が残っているとのことでコピーを送ってもらいました。そして、その報告書には地図までついていました。
 この中村次喜蔵は、陸軍大将・秋山好古の副官にもなっています。その足どりを調べているうちに、『坂の上の雲』が急に身近なものに感じられました。
青島戦は、何よりも火力戦だった。榴弾砲よりも一般に砲身が細くて長い、射程も伸びる大砲をカノン砲と呼ぶ。山砲とは、バラして人や馬で運べる大砲のこと。山にも担いでいって、頂上からでも撃てる。だから山砲だ。
 ドイツ軍の青島総督は、敗戦後、日本軍の長所は、大砲の射撃と斥候の明敏と塹壕つくりの巧妙なるにありと語った。
日露戦争のときの日本軍は、当時の工業生産力や資金力では、ロシアの大軍そして旅順の要塞を相手に撃ちまくれなかった。だから、人命軽視といわれても仕方のない、やみくもな突撃に頼った。ところが、1914年の青島では鉄の弾が足りた。
この青島戦役で、日本は新しい戦争をした。近代戦は物量戦でしかあり得ないことを大々的に世界に証明してみせた。世界大戦は物量戦で、総力戦で、長期戦で、科学戦なのだ。
 ところが、日本軍は、その後、兵隊や兵器や弾薬が足りなくてあたりまえ、それでも戦うのが日本陸軍の基本だと完全に開き直ってしまった。
 玉砕できる軍隊をつくること自体が作戦だった。玉砕する軍隊こそが「もたざる国」の必勝兵器だった。玉砕できる軍隊を使って、実際に玉砕を繰り返してみせれば、勝ちにつながる。つまり、玉砕は、作戦指導部の無策の結果、兵を見殺しにすることではなく、勝利のための積極的な方策なのだ。
うへーっ、とんでもないことを真面目な顔をして言うのですよね。おお、クワバラ、クワバラという感じです。助けてくださいよ。これでは誰のために戦争するか分からないですね。兵隊を見殺しにして、権力者だけはぬくぬくと助かるということなのでしょうが・・・。
(2012年3月刊。2800円+税)

地球全史

カテゴリー:宇宙

著者   白尾 元理・清川 昌一 、 出版   岩波書店
 宇宙の中から地球が形づくられ、そこに生物が誕生していくさまが、地球上のさまざまな地点の写真と共に描き出されています。やはり写真の迫力にはすごいものがあります。
 46億年前。地球は、無数の微惑星が衝突・集合して形成された。初期の微惑星は、直径10キロメートルほどの小惑星や彗星のような天体だったと推測される。
 月には直径500キロメートルもの巨大なクレーターが数多く残っているが、これは、40~38億年前の激しい衝突の時期にできたもの。月にはプレート運動がなく、水や大気もないので、遠い過去の記憶が残っている。
7億年前、地球全体が厚い氷に覆われていた。地球表面の全部が凍りつき、宇宙からは雪玉(スノーボール)のように見えた。
 このスノーボールから地球を救ったのは、火山が供給した二酸化炭素。
 5億年前、スノーボール・アースが終わった直後、エディアカラ動物群が出現した。カナダのニューファンドランド島には、たくさんの化石が認められている。
5億年前、三葉虫とアノマロカリスが出現し、その化石がニューファンドランド島に見られる。
4億年前のサンゴ化石がバルト海のゴトランド島に見つかる。
 3億年前。アイルランド島に両生類の足跡化石が残っている。
1億5000万年前。アンモナイトの化石の壁がフランス・アルプスにある。
 同じく、ドイツ・バイエルン州には始祖鳥の化石が見つかった。さらに、アメリカ・ユタ州には恐竜化石が大量に発見されている。
4000万年前。エジプトにクジラの祖先の化石が見つかっている。クジラの祖先は、5000万年前のオオカミに似た哺乳類、パキケトゥスである。
 200万年前。アフリカ・タンザニア北部のオルドバイ峡谷から原人ホモ・アビリスを発見した。
いま、地球上には70億の人類が住んでいる。この総重量は330兆グラム。これに対して牛が650兆グラム、豚が170兆グラム、羊が120兆グラム、馬が20兆グラムで、人類と家畜を合計すると1350兆グラムである。
 これに対して、陸上の野生動物の合計総重量は150~300兆グラムで、人類と家畜合計の5分の1にすぎない。
 すごくスケールの大きい写真集でした。
(2012年4月刊。4400円+税)

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