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宇幕屋のニホンゴ渡世奮闘記

カテゴリー:社会

著者   太田 直子、 出版  岩波書店
映画大好き人間として、洋画は吹き替え版ではなくて、当然に原語版、字幕付きをみたいです。ガイジンがスクリーン上で日本語を話すなんて、まるで興ざめです。
フランス語を長く勉強している身としてなるべきフランス映画をみるように努めています。フランス語を耳で聞いて、字幕を読んで、ああそういう意味だったのかとか、こう訳すのかと感心しながらみています。字幕が邪魔だと感じたことはほとんどありません。ところが、映画の字幕には、とんでもない制約があるのですね。
字幕翻訳者は基本的にフリーランス。ほとんどが自営業。映画翻訳家協の会員は、たったの20人。
 うへーっ、こ、これは少ない、少なすぎますね。
 いま字幕を家業にしている人たちは、子どものころから映画が大好きで、英語も得意で、大学の英文科などでしっかり英語力を身につけた人が多い。もちろん例外もある。著者は、映画はろくにみなかったし、英語も苦手だった。
ええっ、そんなんでよくも字幕屋になれましたね・・・。
 字幕のプロのこだわり。それは、観客が知らず識らずのうちに内容を把握して心地よく鑑賞できるようにすること。それには、字幕のリズムが大切。つまり、タイミングだ。読んでいて心地よい。字幕を読んでいることを意識せずに作品世界に入っていける。
 字幕の制限字数の目安は、1秒を4文字とする。これは、人が1秒間に読みとれる字数の目安が4文字ということ。ひとつの字幕は、横書きでは1行13文字。最大2行。つまり、多くても26文字しか出せない。字幕は、長くても6~7秒ほどで切り替えていかなければならない。
 役者の呼吸にあわせて字幕を出していくと、耳と目が脳内で連動して心地よい。字幕は出方のタイミングが重要。そして、日本の字幕は世界一と言われている。
字幕に句読点は使わない。日本でも最近は吹き替えが増えている。字幕を読むのは面倒くさいという観客が増えたから。
字幕屋の苦労が実感をもってしのばれる本になっています。ともかく、字幕はなくなってほしくありません。
(2013年4月刊。1700円+税)

「坂本龍馬」の誕生

カテゴリー:日本史(明治)

著者   知野 文哉、 出版  人文書院
維新の会の「なんとか八策」のもととなった「船中八策」が、実は後世のものであったというショッキングなことが書かれた本です。今や代表の連発する非常識な暴言によって、すっかり落ち目の維新の会ですが、まだまだしがみついている人も多いようです。この本を読んだら、きっと目がさめることでしょう・・・。
 司馬遼太郎が坂本龍馬について本を書くまで、つまり昭和38年頃までは、龍馬を「りょうま」というルビをふらないと 読めない人が多かった。それほど世間には知られていなかったということだ。
 「船中八策」は、慶応3年に坂本龍馬が書いた(書かせた)ものではない。いわゆる「船中八策」には、龍馬自筆本はもちろん、長岡兼吉の自筆本も、長岡本を直接写したという保証のある写本も存在しない。
 また、同時代の後藤、西郷、木戸が「船中八策」を見たという記録もない。
 「船中八策」という名称が初めて登場するのは、坂本龍馬遭難50回忌にあたる大正5年(1916年)の講演会でのこと。そして、昭和4年に、「船中八策」が確定した。
 「船中八策」の用語のなかには慶応3年の時点で一般的に通用していなかったと思われる漢語がいくつかある。たとえば「議員」。これは明治初期に使われはじめた新しいコトバ。
この本によると、龍馬がおりようと二人で新婚旅行として霧島に登ったのも史実ではないとのこと。なーんだ、と思いました。出来すぎた話だと思ってきましたので、ナゾが一つ解けた気がしました。
龍馬暗殺が誰だったのか、明治3年9月の時点では正式に「落着」していた。見廻り組の今井らによる犯行だったというのは広く知れわたっていた。
 「船中八策」はなかった。龍馬は西郷隆盛を一喝していない。龍馬は新政府に入るつもりだった。こんな話が盛りたくさんに出てくる興味津々の本でした。
(2013年2月刊。2600円+税)

独立の思考

カテゴリー:社会

著者  カレル・ヴァン・ウォルフレン、孫崎 享 、 出版  角川学芸出版
ウォルフレン氏はオランダ生まれで、日本語ペラペラの人ですが、この本では英語で会話しているようです。
 ウォルフレン氏は、今の日本の自衛隊を憲法にきちんと位置づけるべきだという改憲派です。こんな条文にしたらいいというのです。
「日本は主権国家として、他国と同様に交戦権を有する。しかし、過去の歴史の反省に立ち、自らの領土が脅かされた場合を除き、武力に訴える行為はとらない」
 ええっ、これは従来の自民党政府の見解とほとんど同じですね。だったら、今さら明文改憲する必要はないように思いますが・・・。
 孫崎氏は、次のように反論しています。現在の改憲論は、現状よりさらに自衛隊をアメリカに追従させるためにおきているもの。安倍政権下での改憲は、さらに日本が対米追随を強めるだけ。
 これについては、ウォルレンも同感だといいます。
「安倍首相の主導での憲法改正は私も納得できない」
しかし、とウォルレンは反論します。「これまでの日本の左翼の責任は大きい。左翼は、悲惨な戦争の歴史をくり返すなと言ってきただけ。本当に平和を求めているのなら、自ら改憲を言い出すべき。左翼は、実は日本人を信頼していない」ええーっ、どういうことなんだろう・・・。
 「憲法には指一本でも触れてはダメというのは、日本を成熟した大人とみなしていないからだ」
でも、現実には、左翼が多数派になったことがないわけですから、ちょっと、どうなのかな・・・、と思いました。
 それは、ともかくとして、この二人の対談はとても興味深い内容でした。
日本人が思っているほど、アメリカは日本のことなど考えてはいない。
 アメリカの国務省で対日政策を仕切っているのは、ヒラリー・クリントンに任命されたペンタゴン(国防省)出身者だ。日米関係をふり返って、これほどペンタゴン出身者が重用されたことはない。アメリカは、日本を「主権国家」とすらみていない。
 アメリカを動かしているのは軍産複合体。戦争によってもっとも利益を享受している。莫大な資金力をバックにアメリカ政界で強い影響力をもち、オバマまで、すっかり取り組んでいる。軍産複合体に抵抗すらできないオバマは、実に弱々しい大統領でしかない。
 もはや、アメリカ政治には「中道」は存在しない。アメリカは、いま、軍産複合体、ネオコン、そしてウォール街という三つの正力に牛耳られている。
 アメリカは、日本と中国が接近しないように、尖閣問題の表面化を望んでいた。尖閣問題で、アメリカには日中間を悪化させようとする動機があった。中国から日本を守るために沖縄に基地が必要だという論理を押し通したいのだ。尖閣問題で日中間が悪化したことで、日本の安保政策は間違いなくアメリカの望む方向へと走り出している。
 アメリカの軍産複合体にすれば、日中間で衝突があれば、日本に武器や兵器を売り込めると考えている。いや、衝突の起きる前に売り込む。実際に衝突が起きるかどうかなど、まったく頭にない。
 TPPの問題もアメリカが仕組んだ罠だ。TPPのISD条項によって、日本は主権を失ったも同然だ。このように厳しく批判されています。まったく同感です。いくらか意見の異なる部分もありますが、胸のすく思いのする切れ味のよい対談集です。勉強になりました。
(2013年5月刊。1400円+税)

中高生のための憲法教室

カテゴリー:司法

著者  伊藤 真 、 出版  岩波ジュニア新書
『世界』に2004年4月号から2008年3月号まで連載していたのを本にまとめたものです。今から4年前の2009年1月発刊ですから、少しだけ状況が変わっていますが、本質的なところではまったく変わりありません。その後、2012年4月に発表された自民党改憲草案の怖さを知るうえでも、とても役に立つ、とても分かりやすい憲法解説書です。ちなみに、『ジュニア新書』は、今のわたしの愛読書シリーズでもあります。
 本当に、たくさんの中学生や高校生に読んでもらいたいと思いました。
 何のために勉強するのか?
勉強すると、多くの知識を身につけることができる。歴史を勉強するときに、憲法に関連させて勉強してほしい。憲法を勉強してみて、歴史の重要性と歴史を勉強することの意味がはじめて分かる。
 歴史を学ぶと、「人は過去の歴史を変えることはできないけれど、その歴史の意味を変えることはできる」ことが分かる。
 日本が侵略戦争を否定しようとしても、その事実を変えることはできない。しかし、過去の歴史に真正面から向きあって、その事実を認め、心から謝罪をし、必要なら賠償もすることで、過去の歴史を将来に向かって、よりよい関係を築いていくための足がかりに変えることはできる。
 過去の過ちを認めることには勇気がいる。しかし、勇気をもって過去を認め、新たな正しい道を歩み出すのは、正しい生き方である。
 憲法の前文と9条に定める平和活動はリスク(危険)をともなう。しかし、一定のリスクを背負いながらも非暴力によって、平和づくりの活動を積極的にしていこうというのだ。これは、人類の壮大な実権のようなもの。誰もやったことのないことに日本は挑戦している。だからこそ、日本は国際社会において「名誉ある地位を占める」ことができる。
 今の世界の状況で現実に勝つ見込みをもって日本に攻めてくる国があるだろうか・・・。冷静に考えてみる必要がある。勝手な思い込みから、うろたえて下手な行動をとることは、かえって危機管理にとって、マイナスになる。危機管理の基本はリスクを回避すること。
 軍事力に頼って反撃しても、どのあと日本人の被害がさらに拡大するだけ。戦争以外の方法で問題を解決する道を必死で求めなければ、国民がより不幸になるだけ。
 「戦力によらなくても外交力によって自衛はできる」という考えを推し進め、より外交・交渉力を高める方が、日本の国民を守ることにつながる。
 人権とは、人として正しいことを主張しつづけること。日本国憲法のもつ、西欧近代憲法とか異なる独自性は、平和的生存権を保障し(前文)、積極的非暴力平和主義(前文と9条)を採用している点にある。
 そもそも、国家の役割は国民の生命と財産を守ることにある。日本国憲法は、軍事力という暴力ではなく、外交や非軍事の国際貢献などの、理性にもとづく非暴力の手段によって国民を守ることにした。
 そもそも憲法とは、国家権力を制限し、国民の人権を守るもの。つまり、権力者に歯止めをかけるためのもの。だから、権力者が押しつけられたと感じるのは、むしろ当然のこと。
 憲法とは何かを基本にかえって考えさせてくれる本です。
(2009年1月刊。780円+税)

教育統制と競争教育で子どものしあわせは守れるのか?

カテゴリー:社会

著者  日弁連 、 出版  明石書店
昨年10月、佐賀で開かれた教育シンポジウムが本になりました。大阪からは子どもたちのつまづき、そして非行の原因を明らかに驚きの事実が語られます。そして、北海道・稚内では、教組と教育委員会そして父兄・地域が一丸となって子育て運動をすすめているという元気の出る話が語られ、聞いているうちに、うれしくなりました。でも、地域の現実は深刻です。地域経済が疲弊しきっているからです。私も稚内の商店街のシャッター通りを見学してきました。東京の養護学校の先生は、性教育に取り組んだ真面目な実践を一部の都議と都教育委が押しつぶしてきたのに闘った現場の状況をレポートしました。
 卒業式で在校生との対面式を許さず、壇上には日の丸を掲げ、「君が代」を歌わせる。口パクでも許されない。いったいどうなってんだろう、この国は・・・。こんなこと、まともな大人のやることじゃないよな・・・。本当にそう思います。でも、したがわないと処分されるという現実があります。
 子ども第一というより、おカミによる統制第一という教育現場は、一刻も早く変えなければいけません。学校では子ども本位、そして、そのためには教師が伸びのび自由に教材研究がやれるような環境を保障すべきです。
 昨年1月の最高裁判決は、「不起立は教職員の世界観や歴史観にもとづくことから、『減給』以上の処分は謙抑的であるべきだ」として、懲戒処分(一部)を取り消しました。当然です。そして、弁護士出身の宮川光治裁判官は、「教員における精神の自由はとりわけて尊重されなければならない」と述べました。本当に、そのとおりです。
大阪の橋下市長の教育関係の条約もひどいものです。子どもたち同士、そして学校同士で過度の競争をあおりたてようとしています。教員統制も問答無用式に強めているため、今では大阪市の教員志望が激減しているとのことです。教員をいじめて、学校が良くなるわけはありません。そして、子どもたちが伸びのび育つはずもありません。道徳教育を上から一方的に押しつけて、効果のですはずもないのです。
 北海道でも、教育委員会が組合活動についての聞き取り調査を実施し、それに答えなかった6500人に対して文書によって「注意・指導」をしたいと思います。
 世取山洋介・新潟大学准教授は新自由主義教育の問題点をアメリカとの対比で分かりやすく解説してくれました。親の経済的格差が子どもの学力に影響している。学力と相関関係にあるのは、親の学力だけということは確認ずみ。
 親の資力は、子どもの力では変えようがないので、早くから学力競争をすると、自分の力ではどうにもならないことでマイナスの烙印を子どもたちは押され続けることになって、無力感と絶望感が蓄積していくことになる。
 競争主義のプレッシャーの下で子どもたちがとる行動は四つある。プレッシャーを他人シャーを感じる、そしてプレッシャーを感じる自分を壊す。
 他人への転嫁は「いじめ」に、相手方の破壊は「校内暴力」に、逃避は「不登校・登校拒否」に、そして、自己破壊は「自殺」としてあらわれる。
アメリカのおける教育改革、「おちこぼれゼロ法」は華々しくスタートしたが、結局のところ、失敗した。「成績向上」のために全米で不正が横行してしまった。そして、肝心の学力は低下していった。
小学生で九九ができず、掛け算ができない。また、漢字が読めない。これでは、中学生になって問題が解けるはずもない。すると、もう競争なんてできない。子どもたちのずさんだ世界の源泉がここにある。
人間は永遠の学力感の中で生き続けることはできない。やがて、彼らは破壊を求め出す。これは、エーリヒ・フロムの『悪について』という本に書いてある文章。こが日本の中学生に起きている。
 この大阪の小河勝氏の指摘は実に驚きでした。
200頁のハンディな、読みやすい本になっています。ぜひ、あなたも手にとってお読み下さい。
(2013年7月刊。1800円+税)

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