法律相談センター検索 弁護士検索

漫画裁判傍聴記

カテゴリー:司法

著者  岡本まーこ・にしかわたく 、 出版  かもがわ出版
法廷ライター、まーこは見た!
 こんなサブ・タイトルのついたシリアスなマンガ本です。
 いえいえ、マンガ本だからといってバカにはできません。写真撮影が禁止されている法廷の状況をリアルに再現してくれています。そして、実際に傍聴した裁判を通じて、この世(社会)の不条理さを著者の「まーこ」は痛感するのです。弁護士生活40年になる私も、まったく同感だと深々とうなずきました。裁判傍聴を始めて3年、この本が2冊目のようです。
 悪逆非道のレイプ魔裁判を傍聴します。もちろん、強姦犯人なんて許せません。私も同じです。ところが、裁かれる被告人は、「どこにもいそうな、冴えない42歳」の男性。
 レイプに興味をもったのは、「男らしくありたかったから」。男として、女性に対して性的に満足させる自信がもてなかった。それで、レイプというシチュエーションなら、「相手にどう思われるか」を気にせずすむんじゃないかと思ったという。被告人に対する判決は懲役13年。「妥当なところ」。
「男らしく」「女らしく」と「性」にとらわれる「男をこじらせた男」「女をこじらせた女」が少なくない。犯罪をおかす人間と、犯さない人間。その境界線は思いのほかあいまいなのではないか・・・。
 そうなんです。私は、最後の一文にとても共感を覚えました。だから、悪いことをしたやつは死刑か社会から隔離すればいい、という短絡的としか思えない世間の反応にはすごく抵抗があります。
めったにありませんが、たまに状況証拠からみて有罪間違いなしなのに、被告人が否認し、弁護人にも否認の弁論を求める人がいます。そんなとき、弁護人として悩むのか・・・。
 いえ、私はまったく悩みません。被告人の求めるとおり無罪弁論をします。検察官の主張する事実と論理に、どこか穴が開いていないか、記録を精査して弁論を組み立てます。そして、もちろん、そんなケースでは必ず有罪になります。私は、一審弁護人として最善を尽くし、次の二審弁護人に引き継ぐだけです。
 弁護人は、被告人の「最良の友」として、その言いたいことを最大限に主張し、弁論するのが憲法上の役目なのです。ですから、場合によっては矛盾だらけの主張(弁論)をすることも当然あります。マスコミなどから、何も分かっていない弁護人だと叩かれても仕方がありません。弁護人が第二の検察官となって被告人を指弾するようなことがあってはならないのです。
 オビにある次の文句に座布団一枚あげたい心境です。
芝居のようであり、格闘技のようであり、でも、どんな舞台よりもリアル。これが興奮しないわけがない。
 さあ、あなたも一度裁判傍聴してみてください。きっと得られるものがありますよ。
(2013年7月刊。1600円+税)
 日曜日の夕方、猛暑が少しやわらいだのをみはからって久しぶりに庭に出ました。
 ブルーベリーの実がなっていました。早速、食後のデザートにいただきました。店頭に並んでいるのより少しだけ小粒ですが、味の方は負けません。
 庭の伸び放題の草花を刈り取って、すっきりさっぱりさせました。今年はあまりの暑さにヒマワリ畑にはなりませんでした。
 意外なことに、今ごろ赤いクレマチスの花が咲いて咲いていました。
 もう少し暑さがやわらがないと、ガーデニングは無理ですよね。水分補給しながらの作業でした。

植物のあっぱれな生き方

カテゴリー:生物

著者  田中 修 、 出版  幻冬舎新書
植物は、動きまわることができないのではなくて、動きまわる必要がないのである。
これって、食べものを探すために一日中うろつきまわる必要はない、ということなんです。ええっ、モノは言いよう、とらえようだと思いました。まさしく逆転の発想です。
 植物は、根から吸った水と、空気中の二酸化炭素を使って、太陽の光でブドウ糖とデンプンという物質をつくっている。この反応を光合成という。中学校で光合成というのを学びました。新任の若い女性教師(生物)をクラス中でいじめてしまった、ほろ苦い覚えがあります。
 植物は、エネルギー源となるブドウ糖やデンプンを自分でつくっているため、動きまわる必要がない。植物は、自分に必要な食べ物は自分でつくるという、「あっぱれ」な生き方をしている。
エジプトの王様だったツタンカーメンの墓が発掘されたとき、エンドウのタネも見つかった。そのタネは発芽して、成長し、花が咲いた。紀元前14世紀から3000年以上ものあいだタネは発芽のチャンスを待っていたということ。これって、すごいことですよね。
植物は、なでられると、触られるという刺激によって、植物のからだの中にエチレンが生まれる。エチレンは、茎の伸びを止めて背丈を低いままにして、茎を太くたくましくする作用がある。そして、植物は自分が支えられるだけの大きさの花を咲かせる。すると、撫でながら育てた植物には、ふつうよりずっときれいな美しい花が咲く。
 ええーっ、そ、そうなんですか・・・。声かけだけではなくて、撫でて、さわってやるといいのですね。
 チューリップのつぼみは、できたあとに8度とか9度という低い温度を3~4ヶ月のあいだ感じないと、成長しない。この性質を利用して、チューリップの球根は夏のあいだに3~4ヶ月間は冷蔵庫に入れておく。こうやって冬の寒さを体感させるのである。
 そうなんです。冷蔵処理ずみのチューリップの球根だと、年が明けてから地植えしても、4月になると、周囲と溶け込むように立派な花を咲かせます。
チューリップに限らず、植物の生きる知恵と実行力に圧倒されました。
(2013年5月刊。760円+税)
 土曜日の午後、会議が終わって映画館に駆けつけました。フランス映画『タイピスト』をみたのです。日曜日の朝刊に主人公の女性が来日中のようで、大きな顔写真つきでインタビュー記事がのっていました。
 1950年代のパリです。町を走る車は、どれも丸っこい形をしています。田舎からパリに出てきて、秘書に就職した若い女性が主人公です。当時、秘書は女性のあこがれの職業だったようです。そして、タイプの早打ちの競争に参加することになります。目もとまらぬ早打ちです。
 オードリーヘップバンによく似た雰囲気の女優です。田舎娘だったのが、次第に見違えるような美人になっていきます。
 ハッピーエンドで、幸せな気分になって帰途につきました。KBCシネマでやっています。ぜひ、みてください。

暮らしのイギリス史

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ルーシー・ワースリー 、 出版  NTT出版
イギリスにはまだ行ったことがありません。大英博物館には、ぜひ行ってみたいのですが・・・。
 かつて寝室は雑魚寝(ざこね)状態でやすむ、半ば他人との公共の場であった。睡眠とセックスだけに特化するようになったのは、たかだか19世紀になってからにすぎない。同じように、浴室も19世紀末まで、独立した部屋として存在すらしなかった。
 その昔、人生最大の悩みと言えば腹を満たせるものがあるか、あたたかい寝床で眠れるか、結局、この二つの問題に尽きていた。
 何百年にもわたり、国王や貴族は寝室では肌着姿で通した。下着姿の王は、召使の注視に慣れる必要があった。もともと下着は、あえて人目を意識して、垣間見せるようにもできていた。
 王の衣服を暖炉の前で温め、王が袖を通すまで暖かい状態に保っておくのは、信頼あつく地位の高い召使のみに任された仕事だった。
 女王は、他人の助力なしに服を着ることができなかった。中世の騎士は、下着としてのパンツを着用しなかった。チューダー朝の宮廷人は、下剤を偏愛していた。
中世は男性が不能になれば、離婚もやむなしという時代だった。国王や貴族の子づくりは、国事行為に似て、きわめて重要であり、半ば公的性格も帯びていた。
公共浴場は男女「混浴」であり、中世の人々は、大挙して同時に入浴していた。ひとりで入浴する習慣はなかった。
 16世紀になると、浴場の評判はかげり出し、浴場という言葉は売春宿と同義になっていた。そして、18世紀になって入浴は徐々に復活してきた。
18世紀まで、歯医者という職業はこの世に存在しなかった。チューダー朝の理髪師は外科医を兼ね、散髪、抜歯そして手足切断まで行っていた。
 王が臣下とはいえ人前で用足しをするものだから、貴族も人前で何らはばかることなく用を足した。
 17世紀になると、豪邸・宮廷には水洗便所が四方八方に設けられていた。チューダー朝からスチュアート朝を通じて、イギリス人口の30%が人生の一時期に召使として働いていた。召使として働くことは何ら恥ずべきことではなかった。主人との縁故は、社会的特権をうみ出し、生活の庇護にもつながった。主人と召使は生活全般にわたって文字どおり一体であり、中世の居間では寝食を共にするのが常態だった。
 結婚は万人の義務だった。17世紀末、イギリスは結婚を通じて国家財政を潤すため、婚姻税が導入された。
 中世の農民は、鹿などの狩猟を法律で禁じられていた。こうした動物は、地主や王侯貴族の楽しみのためにとっておかれた。農夫にとって、牛や羊肉などの赤身の肉は夢でもおがむことのできない贅沢品だった。
 果物は、生野菜と同じく、卑賤な食べ物と考えられていた。
 中世イギリスの人々の生活の実態を教えてくれる本です。意外なこともたくさんありました。
(2013年1月刊。3600円+税)

続・日曜日の歴史学

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  山本 博文 、 出版  東京堂出版
みみずがのたくっているとしか思えないのが古文書です。それがすらすら読めたら、どんなに楽しいことかと思います。真面目に古文書学を勉強したら、少しは私でも読めるようになるのでしょうが、とてもそんな時間はありません。古文書も読みたいけれど、海外旅行もしてみたい私には、やっぱりフランス語のほうで、もう少し引き続きがんばることにします。
 そんなわけで、古文書の現物(もちろん、そのコピー)を見て、なんと書いてあるのか、そして、それはどんな意味なのかを解説してくれる本は、なんとしても読みたいのです。
 この本は、その期待に背きません。しかも、登場人物は、信長、光秀、秀吉そして家康というのですから、文句のつけようもありません。
 古文書は、「こもんじょ」と読む。
浅井長政が信長に改められ滅亡する寸前の感状が残っています。すごい感謝状です。浅井が組んだ朝倉義景の拠点であった越前の一乗谷(いちじょうだに)の発掘跡に行ったことがあります。戦国時代を偲ぶことのできる貴重な遺跡です。
織田信長の発給した文書も興味深いものがあります。現物のコピーがイメージをふくらませてくれます。信長は天下をとる前、そして天下を取ったあと、文書の内容と形式を変えていることがよく分かります。
 たとえば、仙台の伊達輝宗あての信長の朱印状では、宛所から「謹上」がなくなり、「伊達」が位置が低くなっている。これは、信長の立場が上がって、尊大になっていることを意味している。
 ついに天下人になった信長は、長年の宿老である佐久間信盛父子を追放します。その「折檻状」は有名です。信盛が信長に口答えしたことが許せなかったようです。こんな家臣を置いてはおけないと信長は決断したのでしょう。
著者は、「明智光秀軍法」については、偽書だとしています。江戸時代の軍役例にならっていることが偽書説の根拠となっています。
 著者は、光秀のバック(黒幕)に将軍義昭がいたとは思っていません。光秀は、あくまで単独で信長殺害を決意した、としています。
 そして、なんと、光秀は、このとき67歳だったというのです。「老後の思い出に・・・思い切った」という言葉が記録されていること。信じられませんでした。光秀は、自分の身に危機が迫っていること、それならそれを逆手(さかて)にとって、老後の思い出に一夜でも天下を取りたいと思った、ということです。うむむ、そういうこともあるのでしょうか・・・。
光秀の発給文書についても紹介されています。
 秀頼が秀吉の実の子ではないという説を前に紹介しました(服部英男、『河原の者・非人・秀吉』山川出版社)が、著者はそれは単なる噂か、憶測でしかないとして、排斥しています。いったい、どうなんでしょうか。歴史の謎は深まるばかりです。
(2013年4月刊。1600円+税)

日本人の地獄と極楽

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  五来 重 、 出版  吉川弘文館
20年前に刊行された本の新刊本です。著者は亡くなられています。「ごらい・しげる」と読みます。昔の学者の博識には驚かされます。東京帝大の印度哲学科卒業です。全12巻の著作集がある本格派です。
 大和の三輪(みわ)山は万葉の歌にうたわれる秀麗な山容で知られ、神体山という信仰がある。しかし、江戸時代は「おしろ谷」と記録される風葬の谷、つまり地獄谷だった。
 風葬の谷と推定される地獄谷を「阿古谷」(あこだに)または「阿古屋」(あこや)と呼んだ。地獄谷のなかで、規模も大きく古代からよく知られていたのが、越中立山の地獄だった。
 大峯山(金峯山)に入峯することは、いったん死ぬことであり、山中遍歴は死後の山の遍歴であって、その苦痛によって、それまでに犯した罪穢をすっかり浄化、滅罪してしまう。そうすると、成仏することもできるし、極楽浄土へ往生することもできる。これが山岳宗教の基礎理念だった。
 一般人(新客)は、罪穢の浄化・滅罪によって健康になり、長寿が得られ、災をまぬがれることができる。
日本人の死後観には地獄と極楽の未分化の期間があって、それを「中有」(ちゅうゆう)と呼び、49日間は魂は「屋の棟(むね)を離れない」などと言う。
 日本人の他界観は、地獄と極楽は地続きで、隣り合わせである。これは仏教の教典と根本的に相違する。村や町の墓地がもっとも眺望のよい高燥の地にあるのは、身近な浄土の機能の一部を墓地がもっているためである。谷は地獄谷となり、山は浄化山となって、罪の浄化のすまない霊は地獄谷におり、供養によって滅罪・浄化された霊は山上の浄土に上ると信じられた。日本人は罪には重量があると信じたようで、霊は罪のために谷や地獄に沈淪(ちんりん)しているが、それが軽くなるにしたがって高いところに「浮かぶ」ことができる。その浮かんだところが光明にみちた高天原や霊山の頂点で、そこが仏教的には極楽だった。
 キリスト教では、天国こそ現実性をもった理想の世界だったが、日本人にとっては地獄こそ現実性をもった恐るべき世界だった。
 日本人の地獄観のもっとも大きな特色は、地獄巡りと地獄破りがあること。地獄破りという不遜な物語があるのは、地獄を必ずしも不可避的な律法と考えなかった人間主義のあらわれだろう。
 お盆は地獄の連休である。亡者がどんどん婆婆へ帰っていく。
民間神楽(かぐら)の大部分は、かつての山伏神楽であって、修験道から出たものだということが最近になって、わかってきた。
 童話や絵本で「おむすびころりん」と呼ばれているものは、地下は地獄だということ。この昔話は、日本人の地獄が浄土と同列に意識されていたことを示す。そこには、地蔵に表象された祖霊がいて、心正しい慈悲深い子孫には福を与えて婆婆へ送り返す。しかし、罪深く、穢の多いものは、その業火で仮借(かしゃく)なしに攻め苛(さいな)む。
 日本人として知っておくべきことが盛り沢山の本でした。
(2013年5月刊。2100円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.