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江戸遊女紀聞

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  渡辺 憲司 、 出版  ゆまに書房
18世紀の後半に薩摩の山鹿野(やまかの)に佐渡金山の3倍の産出高を誇った江戸期有数の金山があった。永野金山ともいう。串木野金山というのは知っていましたが、これは初耳でした。そして、そこに代表的な遊里があったのです。
 遊里社会では、公界(くがい)の意味は、遊女の奉公の期間をさしていう表現であることが多い。そして、公界は、務めの期間だけでなく、もう少し広い意味で、遊女の勤め一般もさしている。
 公界を、「くがいする」といった用法で、人々の中に交わる、交際するといった意味にも用いる。
 「くがい」は、公界そして、苦界、苦海と使われている。
 山東京伝の二人の妻は、ともに遊女出身だった。
江戸時代、遊女の手鑑は高い評価を受けていた。太夫、天神クラスの遊女の手紙を求めるのは、今生における一番の「大望」であると井原西鶴が語っている。
高尾とは、吉原の遊女屋三浦屋に代々引き継がれた、最高位の遊女、太夫の名跡(みょうせき)である。
 下関では遊女は売女(ばいた)と呼ばれることはなく、多くは女郎または、お女郎さんと呼ぶ。遊女は年中、素足であることが一般的だが、下関では足袋をはくのが一般的。ここでは、遊女が遊客より上座に座ることが習慣化されていた。そして、相方(あいかた)は、遊女屋(仲居)の決定に任されるなど、客の対応にも高踏的だった。
 明治5年(1872年)、明治天皇が西国へ巡幸したとき、稲荷町の遊女は、その昔、天皇に奉仕した女性であるという理由から、奉迎の式典への参加が許された。
 下関において遊女は、中世における官女伝承をうけて格別の「尊敬」があった。
遊女が年季を終えて退郭したあと、寺子屋の必須科目である読み書きを教えて生活の糧にしたというのは珍しいことではない。
 江戸時代の一面を知ることのできる本です。
(2013年1月刊。1800円+税)

自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!

カテゴリー:司法

著者  小林節・伊藤真 、 出版  合同出版
改憲派の小林節氏と護憲派の伊藤真氏。改憲には意見を異にする点もあるが、立憲主義を否定する自民党の改憲草案への批評では、意気投合!
このオビに欠かれた文章のとおり、不思議なほど、小林教授と伊藤弁護士は共鳴しあいます。まあ、それほど自民党の改憲草案はひどすぎるというわけです。
 問題は、この自民党の改憲草案のひどさが国民全体のものにまだなっていないところにあります。では、どこが、どんなにひどいのか・・・。
 自民党も、決して日本をダメにしようとか、悪い国にしようと思っているわけではないだろう。しかし、自分たちが考えているような、いい国をつくりたい。それに邪魔になるものは排除する。国民はそれに従わせようという感じがする。
 民主主義というよりエリート支配。ところが、実はエリートでも何でもない人が自分たちはエリートだと思い込み、自分たちがうまくやるから、みんな黙っていろと言っている。そんな感じを受ける。
 自民党の改憲草案の起草委員会のメンバーである片山さつきはツイッターで次のように言った。
 「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論はやめよう。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて、国を維持するには自分に何ができるかを、みなで考えるような前文にした」
 おそろしい発言だ(小林節)。別の自民党の議員は、日本の主権は国民ではなくて、歴史や伝統にあると言い切った。
 自民党の改憲派の議員は教養がないから、ほんとに自由だ。恥というものを知らない。自分にも弱さがあるし、間違いも犯すという発想がまったくない。
 自民党の改憲草案9条の2の第3項は、致命的にダメ。海外派兵の条件を法律(国会)にゆだねてしまっている。急ぐときには、国会の承認なしにも海外派兵するということ。
 軍隊は間違うことがないから大丈夫。自分たちは間違えないから大丈夫だ、という発想が自民党改憲草案にはある。
 人権は、誰かから与えられるものではなく、生まれながらにもっているもの。そして、国家権力と人権とは、どっちが上にあるか。人の権利が上にある。
 自民党の改憲草案の全文が現行憲法との対比で最後に紹介されています。ぜひ、比較対照してお読みください。日本の政権党である自民党のレベルの低さ、そして傲慢さがよく分かります。こんな憲法改正は絶対に許してはなりません。
(2013年3月刊。1300円+税)

集団的自衛権のトリックと安倍改憲

カテゴリー:社会

著者  半田 滋 、 出版  高文研
戦後の日本は、太平洋戦争の反省からスタートした。
 そうなんです。でも安倍晋三首相は、過去の日本政府の歴史認識を見直すと言います。侵略戦争なんて日本はしていない、東南アジアを解放してやったとでも言うのでしょうか。怖いことです。
2012年、イギリスのBBC放送が「世界により影響を与えている国」で、日本は2008年以来2度目の1位に選んだ。国際的な平和貢献が高く評価されている。
それを、今度はアメリカと同じ「武力貢献」に変えようというのです。そんなのを今どき、誰も評価するはずがありません。
安倍晋三首相の「日本を取り戻す」というのは、「戦前への回帰」のこと。戦前の日本国憲法の下では女性に参政権もなかった。自民党の改憲草案は「国民に義務を課し、権力者に従わせる」との理念が貫かれている。
安倍首相がオバマ大統領に面会したときの冷遇ぶりは、韓国の朴大統領と比較すれば明らか。安倍首相については、共同記者会見なし、アメリカ議会での演説もなし。
 オバマ大統領にとって最大の貿易相手国は日本ではなく、中国である。
 『防衛白書』は、日本周辺に差し迫った危機が存在しないことを明記している。
策源地攻撃能力を自衛隊が身につけるという。策源地とは、敵の出撃・発進拠点を指し、これを攻撃すること。しかし、これにはいくつもの問題点がある。自衛隊は「専守防衛」のもと、攻撃的な武器体系になっていない。地対空ミサイルをかく乱する電子戦機がない。F1支援戦闘機は航続距離が短く、攻撃したあと、操縦士は日本海で緊急脱出するしかない。つまり、戦闘機も操縦士も失ってしまう可能性が高い。日本は情報収集衛星を4基保有しているが、進行ミサイルを誘導できるほどの精度はもっていない。
 北朝鮮の大半の軍事施設は地下化しており、ミサイル基地も同じ。車載された移動式のミサイル基地を性格に命中させる保障はまったくない。
 北朝鮮が保有するノドン(日本まで届く)は200発、スカッドC(西日本まで届く)は600発、800発もの弾道ミサイルを保有する基地を攻撃する能力は日本にない。
そして、北朝鮮の軍隊はテロ攻撃に特化している。
日本に50ヶ所もある原発を占拠して自爆攻撃されたら、日本列島は破滅するしかありません。まるで考えの足りない安倍晋三首相に日本列島をまかせたくはありません。
 自衛隊と防衛省を長く取材してきた専門ジャーナリストだけあって、とても説得力のある本です。
(2013年7月刊。1200円+税)
 身体のあちこちに赤い斑点が出来て痒いでの、皮膚科に駆け込みました。ダニみたいな虫にかまれたのだろうという診たてでした。敷布団にゴザを敷いて寝ていると言うと、医師は即座に、ゴザには虫がつきやすいと断言。さっそく、その晩からゴザはやめました。保冷マットにかえようとしています。
 炎暑の毎日です。夜にぐっすり眠っておかないと体がもちませんよね。

法服の王国(上)

カテゴリー:司法

著者  黒木 亮 、 出版  産経新聞出版
久し振りに司法改革の前夜の暗黒面を生々しく思い起こしました。
 この本でははっきり書かれていませんが、私が司法修習生になったころ(40年前のことです)は、合格者の身辺を公安調査庁の調査官が聞き込みに動きました。前職のある人は、その勤め先、私のような学生上がりだと下宿先の大家さんをふくめて周辺を訊いて回るのです。狙いは、要するに思想チェックです。合格者は500人ほどでしたので、やろうと思えばやれたわけです。そして、その調査結果は研修所の裁判教官にそれとなく伝えられていたようなのです。任官をすすめるかどうかという点で教官の心覚えに欠かせない資料となっていました。この点は、私自身が体験したことです。任官志望など、考えてもいませんでしたから、差別されたなんて思いませんでしたが、ああ、ここまでやっているのかと思いました。私は、学生運動していたわけではありません(少なくとも、本人は・・・)。ただ、セツルメントという学生サークルに所属していたというだけです。それでも、当時、有名だった三菱樹脂事件の高野さんが大学生協の活動家だったことで採用拒否されたのと重ねあわせて考えていました。
 この本では、そんな私より4年も前の修習22期生で裁判官になった人たちの人生が語られてスタートします。
 青法協(青年法律家協会)の活動が盛んでしたから、元気なモノ言う修習生があふれるようにいた時代です。22期生だとクラスの過半数が青法協の会員だったと聞いています。私のときでも、3分の1は会員でした。ですから、活動はいつだって、おおっぴらにやっていました。クラス毎の新聞も日刊のように発行していました。まだガリ版印刷でした。私もガリ切りしていました。セツルメント活動で日常的にやっていましたので、日刊のクラス通信なんて、軽いものです。2年間、それなりの給料をもらって勉強だけしていればいいのですから、こんなに幸せな環境はありません。私が国選刑事弁護を今もいとわずにやっているのは、若いころに税金で勉強させてもらった恩返しと思っているからです。今のように貸与制だと、そうはいかないでしょうね。
 立法府(国会)にケチくさい、自分のことしか考えない議員が増えたことによる重大な誤りが、ここにもあります。
 主人公の一人、裁判官なる村木は、憲法の精神を護るという使命感に燃えて修習生になったから、すぐに青年法律家協会に加入し、勉強会などに積極的に参加した。
 私も青法協の活動には積極的に参加しました。富士山の裾野に自衛隊の演習場があります。忍野(おしの)村です。逆さ富士でも有名な絶景の地です。そこで、自衛隊が実弾演習するというのです。先日、富士山は世界遺産に登録されましたが、その裾野では、日米両軍が実弾射撃を今もしています。そんなキナ臭い場所に使うなんて、即刻、辞めてほしいと思いますが、マスコミは口をつぐんで報道しません。
青法協主宰の勉強会といえば、四日市大気汚染公害判決が出たばかりでしたので、当時はまだ現職裁判官だった江田五月・元参議院議長を講師として招いたものもありました。
 元気のいいモノ言う裁判官も多かったので、大阪地裁では裁判官会議が実質的な議論をしていて、いろんなことが裁決で決められていました。上意下達の場ではなかったのです。しかし、そこに弾圧の手が及んできます。それに反抗する裁判官は、人事異動で地方(支部)へはじき飛ばされてしまうのです。逆にいうと、支部に気骨のある裁判官がいるようになりました。
 昭和40年(1971年)3月、宮本康昭裁判官(13期)が再任を拒否され、23期の阪口徳雄修習生が修習終了式を騒がしたとして罷免された。いずれも石田和外長官のときのこと。自民党タカ派の言いなりに最高裁は動いていました。
 明るく、自由闊達な裁判所の雰囲気が暗転しました。配達証明つきで退会届を青法協に送ってくる裁判官が続出したのでした。少し前の町田顕・最高裁判官もその一人でした。
 この本は、「小説・裁判官」となっていますので、主人公などは仮名ですが、もはや歴史上の人物は実名で登場しますので、その生々しさは言うことありません。下巻が楽しみです。
(2013年7月刊。1800円+税)

王朝びとの生活誌

カテゴリー:日本史(平安)

著者  小嶋菜温子・倉田実・服藤早苗 、 出版  森話社
『源氏物語』の時代について、生活の視点でとらえた本です。
 「三日夜餅」(みかよのもち)は、現在の皇族も行っている。現代まで続いている婚姻儀礼の象徴である。三日夜餅を食べるのが正式な儀礼であり、正式な儀式をした女性が正式な妻である。
 平安貴族の女性も子育てをしていた。授乳すると妊娠しにくくなるので、授乳は一つ下の階級にまかせる。しかし、子育てはしていた。
古代の日本では、女性も男性と同じように、老いることは目出たいことだった。だから、古老の知っていることは、証拠書類と同じくらい重要視されていた。
 平安朝の後宮(こうきゅう)には宦官(かんがん)という去勢された男性官人がいなかった。この宦官のいない後宮が、日本の特異なところだった。それが、『源氏物語』のような密通の物語を成り立たせる基盤となった。平安朝の後宮は、江戸時代の「大奥」と違い、男性禁制の空間ではなかった。
 女文字とされた「かな」文字によって、平安朝の女たちは男とも和歌による手紙(恋文)を交わしたりしていた。これが、王朝女性文芸の基盤である。
 日本の後宮にのみ宦官がいなかったことは、王朝の交替がなく、天皇を中心とする貴族社会による王権が継続したことと関わる。天皇は絶対的な王ではなく、後宮が男子禁制でなかったのも、殿上人たちが特権的な貴族に限られていたからで、あえて言えば、密通も許容される社会だった。
 王朝びとの生活において、恋愛は大きな意味をもつ行為である。こと貴族においては、誰と恋愛し、結婚するかは、個人の問題におさまらない。公達・姫君の婚姻は、家の将来を左右し、どの家と結びつくかは、社会的にも影響を及ぼす大事だった。お披露目の場となる婚儀は盛大にとりおこなわれた。儀式は3日を要し、その手順は多岐にわたった。
 いまも太宰府で行われる曲水宴は奈良時代の光仁天皇から桓武天皇の時代にかけて続いていた。ところが、奈良時代に定着していたはずの曲水宴は平安初期に中絶した。
 藤原道長も曲水宴を主催した(寛弘4年、1007年)。
物忌(ものいみ)は物忌人が外出したり、社会と面会するのを防ぐことが本儀ではない。そうではなくて、災厄が物忌人の身に及ばないために行うものだった。
 『源氏物語』の生まれたころの日本人の生活がよく分かります。相も変わらぬ、日本人の心象風景がそこにありました。
(2013年3月刊。3100円+税)

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