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しんがり、山一證券、最後の12人

カテゴリー:社会

著者  清武 英利 、 出版  講談社
 1997年11月、山一證券は自主廃業を迫られた。
 山一證券は1897年(明治30年)に「小池国三商店」としてスタートした老舗。日清戦争の「戦勝相場」に便乗して成長し、日露戦争から関東大震災、太平洋戦争へと、恐慌、好景気の大波の狭間で100年間、兜町の雄として在った。
 「人の山一」と呼ばれ、身分の上下に関係なく、社長以外は互いに「さん」づけで呼びあった。
 「社員は悪くありません。悪いのは我々なんですから・・・。お願いします。再就職できるようお願いします」
 野澤社長が泣きながら頭を下げる写真は全世界に配信された。
 後軍(しんがり)とは、戦に敗れて退くとき、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵士たちのこと。後軍に加わった社員たちは、会社中枢から離れたところで仕事をしてきた者ばかりだった。
 証券会社では、人柄や倫理観よりも数字が優先する。人格的に少々問題があっても稼げる社員に稼がせ、出世させるという不文律で固められている。そうした空気に疑問を投げかけたり、上司に不正や疑問を直言したりすると、業務管理本部(ギョウカン)に追いやられる。
 「旗をとる」という言葉が山一證券にあった。営業ノルマを超えて優秀な成績を上げた支店は、「優績営業店」と呼ばれた。その営業店の支店長が半期に一度、本社に集められ、社長から表彰状と金一封、そして「第○期社長表彰」という刺繍の入った小さな旗を授与された。それを「旗をとった」という。
 旗をとるほどの成績を上げるということは、自分を追い込み、どこかで部下に無理をさせているということ。證券知識の乏しい個人顧客に株や投資信託商品を売り付け、勝手に売買を繰り返して売買手数料を稼ごうとする者が現れる。これを「客を痛める」と言った。ときには、「客を殺す」こともあった。
 これは、証券会社特有の恥ずべき体質だ。手数料収入を上げるために値上がりが予想されるときでも買いを勧め、ときには客に無断で売買して損させる。相手が悪く、ねじ込まれれば、損失補償する大口顧客なら、あらかじめ「ニギリ」という利益保証をしておき、どこかで儲けさせ、つじつまを合わせた。損失補填や利益保証は水面下の裏取引である。
 「仕切り販売」とは、証券会社が投資家の注文なしに大量の様式を買っておいて、組織的に何人もの顧客にはめ込む違法な営業手法である。よりわずかでも株価が上昇していれば「もうかる株がある」などと言って売り、すでに下落している株についても、知識の乏しい顧客に売りつける。
 野村證券の酒巻社長は総会屋の小池から「もうけさせてください」という要求をのんだ。
 当時の金融界のトップは、総会屋やフィクサーたちに自ら会うことが珍しくなかった。むしろ、彼らはうまくあしらうことが力量のうちと考えられていた。しかし、あしらうどころか、逆に要求をつきつけられ、トップと総会屋が癒着し、闇の勢力をさらに会社の奥深くへと引き入れ、不正や悲劇の連鎖を招いていった。
 「あんこ」とは、証券会社の儲けをそのまま顧客の口座に移す証券界の隠語。
 客にも受けさせる手口には、値上がりが確実な証券類を提供する方法と、もうけが確定した証券会社の売買益を提供する方法の二つがある。会社は、同調しない人間を排除する組織である。抵抗する者を中枢から追い出し、同調する人間を出世させていく。この「同調圧力」という社内の空気のなかで時には平然と嘘をつくイエスマンを再生していく巨大なマシンでもある。
証券会社が社内に異常がないかどうかをチェックするのが「監査」、特別に調べるときに限って「調査」と呼ぶ。役所側が実施するのが「検査」。
 山一證券が倒産したあと、優秀な山一社員を採用しようとする会社が殺到した。求人数は社員数の2倍以上、2万人をこえた。
握り(ニギリ)とは、法人顧客の資金運用に関して、取引を事実上、一任させてもらい、その代わりに一定の運用利まわりの獲得を強く匂わせる勧誘行為。握りを実行する証券会社の営業マンにとっては、巨額の資金を一任的に運用できることから、積極的な様式売買で多額の手数料収入を稼ぎ、優績営業マンとして人事評価を高めた。もちろん、証券会社は、これで大きな手数料収入を得た。
 握りは株価が永久に上昇し続けることを前提とする。株価が長期反落期を迎えると運用ファンドに損失が発生し、顧客法人の期待にこたえられなくなる。そこで、顧客法人と担当営業マンとのあいだに「約束を守れ」「守れない」といったトラブルが発生する。
 会社という組織をどうしようもない怪物にたとえる人は多い。しかし、会社を怪物にしてしまうのは、トップであると同時に、そのトップに抵抗しない役員たちなのである。
 山一の社長も会長も逮捕され、有罪判決を受けている。
 山一證券のあと始末の顛末記として興味深く読み通しました。
(2013年12月刊。1800円+税)

生き延びるための思想

カテゴリー:社会

著者  上野 千鶴子 、 出版  岩波現代文庫
 女は平和主義だろうか?
 歴史は、その問いにノーと答える。日本の女性は「聖戦」の遂行に熱心に協力したし、英米の女性も戦争の「チアガール」をつとめた。女だからというだけで、自動的に平和主義者だということにはならない。
アメリカでは保守派の女性たちと家父長的な女性たちが女性の兵役からの排除を支持し、フェミニストの女性が兵役の男女平等を要求するという、ねじれた構図が生まれた。
軍隊とは国家暴力を組織化したものであり、国防軍とは市民社会で犯せば犯罪になる暴力行為が、非犯罪化される特権をもった集団である。
 戦闘訓練とは、より効果的に敵を倒す殺人訓練にほかならない。
 1991年の湾岸戦争は、大量のアメリカ軍女性兵士が登場して全世界に大きなショックを与えた。参戦した女性兵士は4万人、全体の12%にあたる。アメリカでは女性の参戦の歴史は長い。1783年の独立戦争において女性は銃をもってたたかい、戦傷者は年金を受けている。
 第一次世界大戦は3万4000人、第二次世界大戦は40万人が参戦した。これが兵員不足のせいではなかったことは、日本やドイツが女性の兵力化をすすめなかったことと対照的である。
 1972年に、アメリカ軍には4万5000人の女性兵士がいた。全体の2%。これが湾岸戦争直前の1990年には22万人、全体の11%に達した。1997年には33万人、13%。海兵隊にも5%いる。
 女性兵士の参戦は、湾岸戦争を「きれいな戦争」とフレームアップするために、象徴的に利用された。女性が軍隊を変えるのか、それとも軍隊が女性を変えるのか。
 兵士は、ある程度ゲタモノになる必要がある。なぜなら、戦闘は非人間的なものだから。だから、軍隊が女性を変化させる。
 この本は、女性にまつわる視点を根本から問い直そうとするものです。新しい発見というか観点がいくつもありました。
 さすがに鋭い分析だと驚嘆しながら、読みすすめていきました。
(2012年10月刊。1300円+税)

新・検察捜査

カテゴリー:司法

著者  中嶋 博行 、 出版  講談社
 14年ぶりの書き下ろし小説とのことです。
 横浜の弁護士が江戸川乱歩賞を受賞(『検察捜査』1994年)したのには驚きました。弁護士会の内情を多少とも知るものにとってはいささかの無理もありましたが、読ませるストーリーではありました。
 今回もまた、かなりの無理はあるものの、官僚機構、そして精神医療の問題点も考えさせるストーリーとして、緊迫した展開が続いていきます。弁護士は大没落の時代を迎えている。超難関だった司法試験が骨抜きになり、弁護士人口のビッグバンが起きた。
 生き残るには競争相手を蹴落とし、限られたパイから収入を確保しなければならない。
 大手法律事務所は、依頼人をごっそり取り込むためにマスメディアを利用した派手な広告合戦をくり広げている。法律家の世界が、今や家電の格安量販店なみに、客寄せにしのぎを削っている。
 広告資金を捻出できない個人弁護士が手っ取り早く有名になるには目立つ事件の弁護士を担当すればいい。なかでも、異常犯罪は世間の注目を集めるには再興だ。
法テラスと目される「法ロビー」が登場します。
 法ロビーは、もともと法律上の紛争をかかえた市民に向けて、敷居の高い弁護士へのアクセスと手助けする公的制度だった。若手弁護士の多くは、「法ロビー」から依頼人の紹介をうけてささやかな報酬にありつき、事務所経費を工面していた。
 弁護士人口が過剰になって、いまや逆転現象が起きている。「法ロビー」は、仕事のない貧乏弁護士に依頼人を斡旋する「弁護士の職安」へと変貌している。
女性検事と警察官のコンビのようなスタイルで捜査が展開していきます。
 官僚機関のなかに特殊な部隊があるという設定です。自衛隊になら、ありうるのかなという印象をもちました。
 ハードボイルド小説として読めば面白いと思います。
(2013年10月刊。1600円+税)

裏切り淳山

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  中路 啓太 、 出版  講談社
 裏切り者というと、いやなイメージですよね。私も、裏切り者とは呼ばれたくありません。
 戦国時代は、主君を裏切ることが横行していた時代でもあります。下克上の世界です。
一年をこす兵糧攻めでも落ちない難攻不落の三木城。業を煮やした秀吉が送り込んだ、最後の使者。
 それが、この本の主人公です。朝倉義景が本拠地の一乗谷を織田信長より攻め滅ぼされ、浅井長政も自害したころのことです。
 秀吉は信長に命じられて中国道に進出するのですが、なかなか思うように成果が上がらず焦っていました。尼子氏の再興を願う山中鹿介ら尼子十勇士も結局、見捨ててしまうのです。
 竹中半兵衛そして黒田勘兵衛が脇役のように登場します。秀吉も、ちょい役でしかありません。
 戦国時代にタイムスリップ気分に浸ることのできた本でした。
(2007年12月刊。1700円+税)

砂川事件と田中最高裁長官

カテゴリー:司法

著者  布川 玲子・新原 昭治 、 出版  日本評論社
 日本に司法権の独立なんて、実はなかったということを暴露した本です。
 ときは1959年3月の東京地裁・伊達判決のあとに起きたことですから、今から50年以上も前の話ではあります。ときの最高裁長官(田中耕太郎)が最高裁の合議状況を実質的な当事者であるアメリカ政府にすべて報告し、その指示どおりに動いていたのでした。そのことを知っても、今の最高裁は何の行動も起こそうとしませんので、結局、同罪なわけです。
 この本は、まず、そのことが明らかになった経過を明らかにしています。
 砂川事件に関するアメリカ政府の解禁文書が日本で明らかにされたのは、新原昭治がアメリカ国立公文書館(NARA)で2008年に発見した14通の資料に始まる。その後、2012年に末浪靖司が同じくNARAで2通の資料を発見し、2013年に布川玲子がアメリカ情報自由法にもとづく開示請求で入手した資料1通によって、一審の伊達判決が日本とアメリカ両政府に与えた衝撃、安保改定交渉に与えた影響、そして跳躍上告に至る経緯をリアルタイムに知る手がかりが得られた。このなかに、田中耕太郎・最高裁長官が自らアメリカへ最高裁内部の情報を提供していたことを明らかにする資料がふくまれていた。
 ダグラス・マッカーサー駐日大使が本国へ送った電報が紹介されています。このマッカーサー大使は、かの有名なマッカーサー将軍の甥にあたります。よくぞ、こんなマル秘電報が開示されたものです。このたび成立した日本の特定秘密保護法では、このようなマル秘電報の電文が将来、開示されるという保障は残念ながらありません。
 「内密の話し合いで、田中長官は、日本の手続きでは審理が始まったあと、判決に至るまでに少なくとも数ヶ月かかると語った」(1959.4.24)
 「共通の友人宅での会話のなかで、田中耕太郎裁判長は、砂川事件の判決はおそらく12月であろうと考えていると語った。
 裁判長は、争点を事実問題ではなく、法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。
 彼の14人の同僚裁判官たちの多くは、それぞれの見解を長々と弁じたがる。
 裁判長は、結審後の評議は実質的な全員一致を生み出し、世論をゆさぶる素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した」(1959.8.3)
 「田中裁判長は、時期はまだ決まっていないが、最高裁が来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと語った。
 裁判官のいく人かは、手続き上の観点から事件に接近しているが、他の裁判官たちは法律上の観点からみており、また他の裁判官たちは憲法上の観点から問題を考えていることを田中裁判長は示唆した」(1959.11.5)
 ところが、厚かましいことに田中耕太郎は1959年12月16日の判決後の記者会見において、「判決は政治的意図をもって下したものではない。アカデミックに判決を下した。裁判官の身分は保障されており、政府におもねる必要はない」、などと高言したのです。
 田中耕太郎にとって、「秘密の漏洩」は問題ではなかった。なぜなら、アメリカと共同関係にあるのだから・・・。この田中耕太郎は、「裁判所時報」において「ソ連・中共は恐るべき国際ギャングと公言していた。
 しかし、このような田中耕太郎の言動は裁判所法75条などに明らかに反するものであり、即刻、罷免すべきものであることは明らかです。そして、少なくとも最高裁長官としてふさわしくなかった人物だとして、裁判所の公式文書に明記すべきです。
 そんなこともできない日本の最高裁であれば、司法権の独立を主張する資格なんてありません。日本の司法の実態を知るうえで欠かせない貴重な本として、一読を強くおすすめします。
(2013年12月刊。2680円+税)

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