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原発ゼロで日本経済は再生する

カテゴリー:社会

著者  吉原 毅 、 出版  角川ワンテーマ21
 福島第一原発事故の使用済み核燃料と放射性物質の処理をどうするのか、今でもまったく不明のままです。超高濃度の放射能が出ていることは間違いありません。ですから、いつになったら、底のほうに「こぼれ落ちた」と思われる核燃料を「始末」できるのか、誰にも分からないのです。
 そのことを抜きに、「美味しんぼ」の表現だけが問題とされるのはおかしいと思います。そして、福島第一原発の事故の後始末もできていないのに、日本が原発を外国へ輸出するなんて、気が狂っているとしか言いようのない、無責任な話です。外国で、まさかのことが起きたとき、誰がいったい責任をとるのでしょうか・・・。もちろん、そのとき「安倍首相」なんていないでしょう。ともかく、「あとは野となれ、山となれ」式の無責任さが今の日本には横行しすぎです。
 未来へのツケをまわすような原発はやめるべきだと言う著者に対して、ある財界人が次のように言ったそうです。
 「キミは、あと何年生きるつもりなの。あと10年か20年でしょう。そんな先のことを考えても仕方がないじゃないか」
 これが、東芝とか三菱重工業のような原発輸出企業のホンネなのでしょうね。今のお金もうけが出来れば、子孫がどうなっても知ったことじゃないというわけです。それは許せません。ひどいです。あまりに無責任すぎます。私は本気で心配しています。
 城南信用金庫は現職理事長が脱原発の声をあげていることで有名ですが、その理事長が書いた本です。
 三大経済団体、つまり、経団連や経済同友会そして日本商工会議所も、電力会社からお金がまわっていて、「原子力ムラ」の一員に組み込まれている。
電力会社のあげる利益の9割は一般家庭や事務所、商店の払う電気料金による。官公庁や大企業は、電力会社から買わず、かなりを自家発電などに頼っている。
 3.11のときの東電社長だった清水正孝氏は、6月28日に、その退任したが退職金として5億円以上を受けとっている。
 ええーっ、許せませんね、これって。本当は、今ごろ、とっくに刑務所に入っておくべき人ではないでしょうか。大きく悪いことをした人は表彰されるという、昔からある悪しき格言を実践しています。ひどい話です。それを許しているのが、マスメディアです。
マスコミの上層部は、電力会社の連合体である「電気事業連合会」(電事連)によって操作されている。
原発や人殺し兵器を輸出したら、お金もうけは確かに出来るでしょう。でも、それは、とてつもない不幸をもたらす災いのもとです。そんなものに頼っていたら、いつか、地球の破滅は必至です。
 みんなで、反原発の声を勢いよく、そして分かりやすい平易な言葉であげましょう。
(2014年4月刊。800円+税)

日本降伏

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  纐纈 厚 、 出版  日本評論社
 日本では、太平洋戦争に負けたのに、敗戦と言わずに終戦と呼ぶのが定着した感があります。日本は理不尽かつ野蛮な侵略戦争をはじめ、無残に敗れ去ったのだと思いますが、安倍首相のような反省なき人々は、今なお聖戦だったと言いたいようです。
 ですから、欧米からすると安倍首相はとんでもない政治家だと警戒されるのです。
 靖国神社に安倍首相や150人もの国会議員が参拝をくり返していますが、昭和天皇も今の天皇も絶対に参拝しようとしない理由について、日本人はもっと深刻に、真剣に考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 それは、靖国神社が単に戦死者をまつる場というのではなく、日本が始めた戦争が侵略戦争ではなかった、聖戦だったと主張する宣伝の場だからなのです。そんなところに天皇が言って参拝することはできないのです。
 昭和天皇が終戦の決断をしたという人、そう考えている人は多いわけですが、その真相は簡単なものではありません。
 昭和天皇は、文字どおり戦争指導の頂点に位置していた。しかし、その指導には一貫性を欠いていた。動揺、変節、執着とあきらめなど、安定したリーダーシップを発揮したとは言えない。
 まさしく、昭和天皇も、動揺する、ふつうの人間だったというわけです。
 開戦決定と同じく、終戦決定も、きわめて紆余曲折を経て、いたずらに時間を浪費していった。日本人は、「終戦」という価値中立的な用語で、あの歴史を記憶しておくことにした。
 いったい、戦争終結の担い手は、誰だったのか・・・。開戦前、海軍にとっては英米と戦うだけの戦力準備も開戦意思も十分になかった。海軍側の陸軍側への姿勢は、この時期に対立感情から増悪に近いものになっていった。
 海軍は、陸軍主導の政治と戦争指導の展開に不満をつのらせ、陸軍への対抗心を深めていった。海軍にとって、もっとも警戒すべきは、陸軍の対ソ開戦だった。
 昭和天皇は絶対に勝利する戦争を欲した。だから、どっちつかずのあいまいな参謀総長の答えに苛立ちを示した。
 木戸の推挙を受けて、昭和天皇は日米交渉への悪影響を知悉しながら、あえて東條を首相として選択した。
 開戦責任を問うとすれば、東条と並んで木戸幸一の存在はきわめて大きい。
 東条は、昭和天皇の忠実な代行者だった。それまで東条内閣を強く支持してきた翼賛会がサイパン陥落の責任をめぐり「善処すべし」と決議したことは、事実上、東条内閣への不信を表明したことになる。東条に日米開戦時の戦争指導内閣をになわせ、忠実な軍事官僚であった東条を通じて政治指導と戦争指導をすすめてきた昭和天皇は、最後まで東条に未練を残していた。天皇は明確な戦争継続論者だった。
 昭和天皇は開戦決定に自ら賛成したうえ、終戦決定も実は不本意だったのです。
 昭和天皇は、木戸を通じて反東条勢力の動向を把握したため、最終的に東条支援を撤回するに至った。
昭和天皇は、戦争継続が終結かで揺れ動いていた。戦局が悪化の一途をたどるなか、昭和天皇は戦争の継続と勝利への自身を失っていくものの、一撃論をくり返して、戦果を期待しながら戦争継続に執着していた。
いずれ日本が敗戦に追い込まれたとき、国体護持のためには、戦争責任者の確定が求められる。そのとき、皇室が責任追及されないためには、開戦時の首相である東条に一切の責任を負わせるのが得策だという考えがあった。戦局悪化の責任を東条に負わせ、天皇や皇族への戦争責任追及の可能性をなくすために、当局は知恵をしぼった。
 1945年6月、鈴木貫太郎内閣が発足した。このとき、昭和天皇は依然として沖縄の戦局に期待していた。聖断の目的は天皇制の維持すなわち団体護持の一点であり、「下万民のため」というのは表向きの理由にすぎなかった。もし「下万民のため」というのなら、もっと早く戦争終結が実行されたはずである。聖断のシナリオとは、日本国土と国民とを戦争の被害から即時に救うために企画されたものではない。戦争による敗北という政治指導の失敗の結果から生ずる政治責任をタナ上げするために着想された、一種の政治的演出にすぎないものだった。最後の時局収拾策としての「聖断」は、天皇や木戸の「英断」でも、「主体的判断」でもなかった。
 重臣・宮中グループに共通する国内矛盾噴出への可能性に対する恐怖心と、それによる国体崩壊の危機感こそ、彼らをその根底から戦争終結と、天皇の聖断を切り札とする「早期」戦争終結へと向かわせた最大の理由であった。
 天皇の明確な意思によって日米戦争は開始された。そして、アジア太平洋戦争は終結した。日本の侵略戦争を正当化するものはない。「ABCD包囲網」なるものは、フィクションにすぎない。
戦争終結を天皇の「聖断」によるものとする俗説を根底から批判する本です。一読に価します。
(2013年12月刊。2200円+税)

「日露戦争史」1

カテゴリー:日本史(明治)

著者  半藤 一利 、 出版  平凡社
 日露戦争で日本がロシアに勝ってしまったことが、その後の日本をダメにしたのではないか。そんな反省を迫る本だと思いました。
 この本を読むと、著者の博識には驚嘆させられます。日本国内の上から下までの動き、官から民、学者そして作家の日記まで幅広く収集し、幅広くかつ奥深い叙述なので、とても説得的です。
 それにしても世論操作というか、世論誘導は、案外に簡単なものなのですね。
 いま、現代日本では、反中、反韓ものが、けたましく売れているようです。毎週の週刊誌がそれをあおっているのを見るたびに暗い気持ちにさせられます。
日露戦争を開戦する前、明治天皇は勝算の確信がなく、最後の最後まで軍事的解決を避けようとした。
 日清戦争の後、日本は軍備拡張が国策の中心となった。日本帝国は、臣民に苦難の生活を強いて、軍備拡張費をしぼり出し続けた。日清戦争直後の明治29年の日本の総歳出は2億円。うち軍事予算は43%だった。ところが、明治33年の軍事費は1億3000万円。これは租税収入の1億3000万円をそっくり投入したということ。
 海軍は、戦艦を次々に購入していく計画をたてた。その総額は2億1000万円超。これは日清戦争の全線費に相当する。
ロシア帝国のニコライ2世は、明治35年(1902年)当時は34歳。誠実ではあるが、ごくごく意志の弱い、ややもすれば人の言に右に左にと動く、「便所のドア」的人物だった。ニコライ2世のうしろに、野心家のドイツ皇帝カイゼルがピタリとご意見番としてついていた。ドイツ帝国の魂胆は、ロシア帝国を勇気づけ、いっそうアジアに深入りさせて、その国力をそいでやろうという意地の悪さがあった。
 このころ(1903年)、日本の人口は4400万人ほど。東北地方では深刻な飢饉が広がっていた。そして、「東洋永遠の平和のための戦争」という言葉が流行語となった。これは社会全般をおおっている不景気に対する国民的不満を背景としていた。
 民草(民衆)の不満が、ロシア憎悪の温床だった。そして、戦争こそが積年の不景気を吹き飛ばす好機たらん。ゆえに、爆発すべしと思いやすいのが国民感情である。
 世論が沸騰したのに対して、軍の最高指導層は、いざとなったときの戦費調達が心配なうえ、総合戦力で劣る日本軍の実情をふまえて不安があった。日本とロシアでは、面積において50倍、人口で3倍、国家予算において10倍、常備軍で5倍という、大きな差があった。
 新聞各社は、主戦論的、好戦論的な主張をばんばん紙面に載せて、販売部数を増やしていった。
 非戦論の万朝報(よろずちょうほう)も10万部以上の大台を誇っていた。ほかの非戦論としては、東京の日々新聞と毎日新聞があった。
 およそ世に大受けする大言壮語のなげかわしきことは、いつの世にも変わらない。万朝報も、ついに非戦の旗を全面的におろしてしまった。
日露戦争の前、日本の暗号は、他国によって解読されていた。しかし、日本の当局はそのことに気がついていなかった。
ロシア帝国ニコライ2世は、参謀長の「一撃で矮小な猿どもは木っ端微塵」という言葉を信じ切っていた。
 ええっ、これって、第二次大戦前に帝国陸海軍の首脳部がアメリカ軍の「弱兵」ぶりを思込んでいたのと同じですよね。
 そして、このころの日本軍の暗号による情報伝達は、すべて解読されていたのでした。なんと、間の抜けた話でしょうか。その「失敗」が、第二次大戦中の暗号解読による最高司令官撃墜事件に結びつくのです。第二巻が楽しみです。
(2012年6月刊。1600円+税)

『司法改革の軌跡と展望』

カテゴリー:司法

著者  日弁連法務研究財団 、 出版  商事法務
 『法と実務』(10)に収録されているシンポジウムの記録です。2013年6月8日、日弁連会館クレオで開催されています。
 呼びかけ人の本林徹弁護士が、開会挨拶で次のように述べています。
 今回の司法改革は、明治維新、戦後改革に匹敵する歴史的な抜本改革であった。人権の尊重、法の支配、国民主権という崇高な理念のもと、利用者であり、主権者でもある市民の視点から、司法全般にわたって抜本的な改革をするとともに、21世紀のわが国の社会のあり方を変えることを目ざした。
 改革の導火線となったのは、1990年の日弁連定期総会における「司法改革宣言』だった。そして、1990年代半ばから、経済界などから規制緩和要求があり、また、政治改革、行政改革に次いで、司法改革が一つの大きなうねりとなっていた。
 司法改革が大きな成果を上げていたことについて、日弁連は自信を誇りを持つべきだ。弁護士の増加によって、ゼロワン地域は解消し、弁護士の活動の場も法廷をこえて広がりつつある。法テラスの創設によって法律扶助制度は拡充した。被疑者国選弁護制度が実現し、裁判員制度も始まり、法廷中心の裁判へ変わった。また、労働審判も始まっている。しかし、その反面、弁護士数の大幅増加が、大きな問題を生んでいること、法曹養成制度が大きな岐路に立たされていることも現実である。さらに、民事司法改革、行政訴訟改革も不十分であり、司法制度基盤の拡充・強化も非常に遅れている。
 明賀英樹・元日弁連事務総長は、次のように基調報告した。
 法律扶助協会時代の国庫支出金は21億円だった(2000年度)。これに対して、2011年度の法テラスへの運営交付金は165億円、国選弁護費用を加えると310億円となる。この10年間で8倍増となっている。その結果、被疑者国選は、2007年度に国選が4.4%でしかなかったのが、54.6%と、5年間で10倍以上も増えた。
 20年前の1993年に、弁護士ゼロ地域が50カ所、ワン地域が25カ所あった。2009年にはゼロが2カ所、ワンが13カ所となっている。裁判官は、10年間で600人の増員があったが、それだけでしかない。検察官のほうは、10年間で200人しか増員していない。
 2012年には、企業内弁護士が771人、任期付公務員が106人になっている。
 裁判所予算は、2005年には3250億円だったのが、2013年には2988億円と、減っている。
 そのあと、パネルディスカッションとなりました。パネリストは、佐藤岩夫・東大社研教授(法社会学)、豊秀一・朝日新聞社会部次長(大阪)、丸島俊介弁護士(元日弁連事務総長)。
矢口洪一・元最高裁長官は全国の裁判所を見て回って、裁判所の姿に大変落胆した。それは、大変元気のない、活気のない裁判所となってしまったということ。
 司法制度改革審議会に財界代表で参加した委員は、日本の民主主義を議論する場だったという感想を述べた。
 司法制度改革審議会が公開されていたことは大きかった。議事録も顕名で出された。法曹三者の内輪の論理ではなく、国民の目から見てリーズナブルなのか、納得のいく話なのかを繰り返し議論していった。
 日弁連としても、当番弁護士制度、法律相談センター、ひまわり基金法律事務所の設置など、現場での実践を積み重ねていたのが非常に重要だった。
今回の司法改革を象徴する三大改革は、裁判員裁判、法テラス、法科大学院と言われるが、もっとも困難だとされながら、もっともスムースに実施されてきたのが裁判員裁判である。これは、市民参加の裁判を担うだけの力量が日本国民に十分あるということを意味している。裁判員裁判は、「おまかせ民主主義」から日本が抜け出すきっかけの一つになるのではないか。
法的ニーズは顕在化しにくいという独特の性質をもっている。さまざまな分野で眠っているニーズがあり、それを具体的な実践を通じて掘り起こしていくことが重要である。
 旧司法試験合格者は、頭の回転の速さが粘り強さか、どちらかの特殊能力を持つ人が多い。ロースクールを経た新司法試験組には、よくも悪くも普通の人が数多い。つまり、今は、市民に身近で、リーガルトレーニングにきちんと耐える能力を持っていれば、弁護士資格を取得できる時代になりつつあるということ。
 市民に寄り添って、地道にがんばっている若手弁護士にもっと光をあて、弁護士のやり甲斐とか弁護士の意義をぜひ伝えてほしい。
さまざまな論点に光をあてた意義深いシンポジウムだったと思います。とても勉強になりました。
(2014年4月刊。5000円+税)

絵でわかる宇宙開発の技術

カテゴリー:宇宙

著者  藤井 孝蔵・並木 道義 、 出版  講談社
 ロケットがどうやって地球をとび出し、宇宙をとんでいくのか、そして、それをなぜ人間が制御できるのか、不思議でなりません。その不思議を少しでも解明するため、絵があるなら少しは分かると期待して読みはじめたのでした。
 結論からいうと、イメージは少しふくらみましたが、いやはや難しい。まだまだ分からないことだらけです。
 ロケットはなんといっても軽くつくらなければいけない。そのため、ミツバチの巣にあるような、ハニカムサンドイッチ構造をしている。
 ロケットの材料として複合材がつかわれ東レなどの日本の素材メーカーが貢献している。
 ロケットエンジンの燃焼室は4000度にもなる。この高温に耐えられるエンジンを設計しなければいけない。そのため冷却に工夫がこらされている。
 ロケット研究のなかで新幹線に役立つことがあったことが紹介されています。
 日本の新幹線にはトンネルが大変多い。超音速で狭くて長いトンネルは、豆鉄砲波と同じトンネル微気圧波をもたらし、被害を発生させる。そこで、今の新幹線の先頭車両は、くちばし型のとても長い流線型になっている。
ロケットの打ち上げは出来るだけ赤道に近い場所が選ばれている。地球の公転速度は赤道で時速1700キロメートル。つまり、地球は音よりも早く自転している。この地球の自転による表面速度を利用するため、ロケットは少しでも赤道に近い場所から打ち上げられている。
 でも、日頃、そんなに早く大地がまわっている(動いている)なんて、実感しませんよね。
今、人工衛星は3500機以上も宇宙を飛んでいる。ロシア1450機、アメリカ1113機。その次、3番目が日本の134機。中国133機なので、近く、日本は追い越されてしまう。
人工衛星が初めて飛んだのが1957年。ソ連のスプートニク1号。初めて人類が宇宙に出たのが1961年のガガーリン(ソ連)。「地球は青かった」という名セリフはよく知られている。
 宇宙に向かうロケットの信頼性は90~95%程度。10回から20回に1回は失敗する可能性がある。
 まだまだ、宇宙は遠い気がします。それにしても、アメリカは、戦争にばかりお金をつぎ込んで、宇宙開発を断念してしまっているのが、私としては残念です。
(2013年10月刊。2200円+税)

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