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原爆を背負って

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  久 知邦 、 出版  西日本新聞社
 16歳のとき、郵便配達員として働いていたとき、長崎で原爆に被曝した谷口稜曄(すみてる)氏から聞き書きした本です。
 大変分かりやすい平易な文章で谷口氏の苦難の人生が淡々と語られていて、涙なくしては読ませませんでした。谷口さんの背中全体が真っ赤になっている有名な写真は、残酷すぎるとして、あちこちで(先日も日弁連会館で)掲示が断られてしまいます。でも、谷口さんは、戦争とりわけ原爆被害の残虐さを目からそらさないでほしいと訴えています。目を背けてしまえば被害がなくなるというものではないからです。
 それにしても、よくぞ今日まで長生きされたものです。たくましい生命力とあわせて、全世界に向かって被爆の実情を訴えることに人生の意義を見出したことも、谷口さんの元気を支えてきたのではないかと思いました。
 1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。郵便配達中に熱戦で焼き尽くされた背中は通常の皮膚ではない。汗腺も皮脂もなく、背中を覆っているのは、瘢痕という薄い膜。汗もかけない背中には、徐々に石炭質が沈着し、大きくなるとそれが瘢痕を突き破って出てくる。
 背中の痛みは、一日に何度も変化する。殴られているようにずきずきしたり、針を刺されているようにちくちくしたり。布団に寝ていても、背中の下に硬い石ころを敷いているようで、あおむけでは眠れない。
 体温調節も難しい、夏は熱が体にこもって焼けるように熱く、冬は何枚上着を着ても震えるほど冷える。
 太ると、背中の膜が引っ張られて裂ける。酒を飲むと、血管が膨脹して背中が痛む。
被爆して1年9ヶ月間、ずっとうつぶせで過ごしたため、胸の肉は床ずれで腐って落ち、肋骨のあいだから心臓の動きが見える。思い切り息を吸うと胸も背中も痛み、大きい声が出せない。
 生きることは、苦しみに耐えることにほかならない。
被爆したあとの入院中、背中や胸の肉は腐ってどぶどぶと流れ落ち、体の下に敷いたぼろ布にたまった。
夏になると、左肘にうじがわいた。次々に卵がかえり、氏は骨と骨の間に食いこんでいき、ぎりぎりと痛む。大きくなったうじが見えても、動けない身ではどうしようもない。
 ところが、こうやって寝ているときに、身長は30センチも伸びていった。
これは驚くべきことです。よほど、看護体制が良かったのでしょうね。
 著者には、配達中の災害だったので、入院中も給与がずっと支払われていて、それが家族の生活を支えた。
 3年半の入院費用は全く負担しないですんだ。不思議だった。
おかしいと思うことは声をあげる。これは、戦争を止められなかった大人たちへの怒りの裏返しでもあった。
 結婚することができ、子どもが生まれた。原爆の影響を心配したが、二人の子は大きな病気をすることなく育った。今では、4人の孫と2人のひ孫がいる。
 被曝者として訴えるとき、怒りだけでは相手に伝わらない。この苦しみは私たちだけで十分だと辛抱強く訴えてこそ、相手の胸に響く。
 著者は、原水禁運動が分裂し、被爆者団体まで分裂したことを残念がっています。本当にそうですね。一刻も早く大同団結して、ノーモア・ヒロシマ・ナガサキの叫びをさらに強く、核兵器の全廃を急ぐべきです。
 日本がアメリカの核の傘に守られているなんて、嘘ですし、幻想です。
 その原点を思い起こさせる、いい本です。あなたにも一読を強くおすすめします。
(2014年8月刊。1500円+税)

スマホ・チルドレン対応マニュアル

カテゴリー:社会

著者  竹内 和雄 、 出版  中公新書ラクレ
 今や、子どもたちからケータイやスマホを取りあげることは出来なくなってしまいました。歩きながら、片手でスマホを操作している子どもたちを見ていると、私なんかハラハラしてしまいます。私は相変わらず、ガラケーですし、片手入力はおろか、両手入力するのも覚束ないのです。ですから、私が入力することはありません(したことはありますが、あまりに時間がかかるので、やめました)。
 中学3年生では、男女とも8割がスマホかガラケーを持っている。男子が小6で急増するのに対して、女子は小5から既に高い比率で所持している。高校生は100%がケータイをもっているが、その8割はスマホである。
スマホ・チルドレンは睡眠不足になっている。スマホをやりながら寝てしまうことを、「寝落ち」という。
スマホがあると、勉強はとても便利。分からない宿題は、ラインとかですぐに訊けるし、みんなで教えあう。ノートで書き忘れたところがあると、カメラでその部分をとって送ってもらえる・・・。
 今の大学生は新聞を読まないし、テレビすら見ないものが多い。情報はもっぱらスマホなどを経由して得ている。それは必然的に、自分の興味のある分野に限られていく。今の若者の常識を形作っているものの多くは、個人の好みによって、かなり偏ったものになってしまっている。
 子どもがケータイを使っていい時間帯を決めておく。これはもっとも重要なルールだ。たとえば、夜8時になったら電源を切って、居間の充電機に差し込むことを我が家の基本ルールにする。そして、塾のある日は、特別に30分とか1時間の延長を認めるようにしたらいい。
 スマホを使う場所も居間に限定する。子ども部屋では使わせない。
頭からスマホの使用を禁止してもムダだし、逆効果だと私も思います。それにしても大変な世の中になってきました。家庭の固定電話(黒電話)がなくても、ケータイ(スマホ)さえあれば十分に生きていける世の中です。そして、そのなかでスマホという大海に急に放り出された子どもたちがアップアップしているのです。
 スマホについては、その利便性とあわせて「なりすまし」その他の危険性を早いうちから子どもたちに十分に教育することが必要です。もってはいけないと言えば問題が解決するような時代ではありませんので・・・。
(2014年5月刊。800円+税)

中国民衆にとっての日中戦争

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  石島 紀之 、 出版  研文出版
 日本軍が中国編侵略して、大陸で何をやったのか。その事実に、現代日本人の私たちが目をふさぐわけにはいきません。それは自虐史観でも何でもなく、過去の歴史に向きあうのは当然のことです。過去に目をふさぐ者には、将来への展望を語る資格はありません。
 この本は、日本軍が中国で何をしたかについて、現地の中国民衆の声を拾い集め、その置かれた状況を明らかにした貴重な本です。
 当時の中国では、とくに農村部では、ほとんどの民衆が文字を読めず、記録することができなかった。民衆は、自分の生活にしか関心がなく、どこの国と戦っているのか知らない民衆も多かった。
 日本軍は抗日根拠地を飢餓状態にして壊滅するため、根拠地の食糧を焼却し、あるいは略奪した。日本軍は「放火隊」を組織して、家屋や食料を焼き払った。
 民衆にとって、食糧問題こそ、戦時生活のもっとも重要なカギだった。
 多くの中国農民は日本軍が来るまで、それほど恐怖心をもっていなかった。ところが、日本軍の残酷さは、民衆の思いもよらないものだった。この日本の残酷さは、民衆に二通りの反応をもたらした。
 その一は、怒りと憎しみである。
 その二は、恐怖と混乱である。
 このように、日本軍の侵略に直面した民衆の反応は複雑だった。
 民衆を八路軍(共産党の軍隊)に動員するのは容易なことではなかった。民衆には「まともな人間は兵隊にならない」という伝統的観念が存在していたし、日本軍との苛烈な戦いに対する恐怖心もあった。
 八路軍は1940年8月から百団大戦を始めた。
 八路軍が一定の成果をあげたあと、日本軍が報復のため反攻に転じた。徹底した掃蕩と三光政策を実施し、抗日根拠地の中心地域の民衆は重大な損害を蒙った。この日本軍の「三光政策」は共産党と八路軍にとって予想外だった。
百団大戦は日本軍の華北支配に大きな打撃を与え、共産党と八路軍の威信を内外で高めた。しかし、共産党と八路軍が百団大戦で支払った代価も多大だった。日本軍の強力で残酷な反撃によって、抗日根拠地は大きな試練をむかえた。
 1942年は、日本軍との武装闘争と経済闘争とが、もっとも激烈な年であり、抗日根拠地にとって、もっとも困難な年だった。
 百団大戦のあと、日本軍が三光作戦のような残虐で徹底した掃蕩を実施すると、民衆のなかには恐日病・悲観・失望の心理がひろがり、掃蕩は八路軍の日本軍への攻撃のせいであると考え、怒りを八路軍や共産党に向ける者もいた。したがって、日本軍の残虐行為が民衆(農民)のナショナリズムの形成と直接結びついていたわけでもなかった。
 なるほど、そういうことだったのですね。しかし、結局のところ、このような困難を次第に克服し、中国の民衆と結びついて、共産党軍(紅軍)は、日本軍を圧倒していったわけです。
 日本軍が中国で何をしたのか、それはどんな問題を引きおこしたのかがよく分析されている本です。
(2014年7月刊。2700円+税)

宇宙の果てはどうなっているのか?

カテゴリー:宇宙

著者  大内 正己 、 出版  宝島社
 たまには気宇壮大に、宇宙を眺めたいものです。今夜は、満月がこうこうと輝いています。
 頭上高く見る月と、ビルの屋上すれすれの月とでは、同じ大きさのはずなのに、まるで大きさが違います。目の錯覚だというのです。月の大きさにも大小があるとしか思えません。
 天文学者は大変ですね。昼間も仕事はしているのでしょうが、観測するのは、基本的に夜でしょう。みんなが寝静まっているときに、ひたすら目をこらして天文の動きを観測するなんて、ぞっとします。夜は、やはりぬくぬくと布団に入って、ぐっすり眠りこけたいものですよね。
 宇宙の歴史は138億年。ビッグバンによって宇宙が始まってから8億年たったころ、つまり宇宙の初期時代にある天体(銀河)を発見した。これをヒミコと名づけた。この銀河は、同時代のものに比べて10倍以上の大きさがあり、明るさも10倍あった。古代の宇宙にこれほど巨大でまぶしい銀河は、これまでこのヒミコ以外に見つかっていない。
 すごい話です。宇宙の始まりから8億年たっても、まだ、宇宙の初期だというのです。日頃の私たちの時間の流れからは、想像も出来ないスケールです。
 原子が生まれたのは宇宙の誕生から38億年後のこと。それまでは、まだまだ宇宙が熱すぎて、原子核と電子が結合できなかった。このころ、温度が3000度にまで下がってきたので、原子核と電子が結合して、水素原子とヘリウム原子が生まれた。電子が原子核と結合したことで、光を邪魔するものがなくなり、光は直進できるようになった。これを宇宙の晴れ上がりと呼ぶ。
 宇宙の中で、人間の知っている物質はわずか5%しかなく、残りの95%はよく分からないもので出来ている。
 古代マヤ文明は天体をよく観測していた。マヤ人が観測をもとに計算した1年は365.2420日だった。現在の観測によると、1年は365.2422日であるから、マヤ人の観測の精度はきわめて高かった。
 ヒミコは、3つの銀河が横一直線にきれいに並んでいる。どうしてなのか・・・。
 宇宙には、まだまだ、たくさんの解明すべき不思議があるのです。
 毎日のちまちましたことを忘れさせる書物でした。
(2014年9月刊。1300円+税)

カクレキシリシタンの実像

カテゴリー:日本史(明治)

著者  宮崎 賢太郎 、 出版  吉川弘文館
 なーるほど、そうだったのか・・・。とても納得できる本でした。
 江戸時代の300年近くをキリスト教信者が生きのびたという事実をどう理解したらよいのか、疑問でした。
 この本では、「カクレキリシタン」と読んでいます。明治に入って、キリシタンの禁令の高礼がおろされ、信者の自由が認められたのちも、仏教の仏様も、神道の神々や民族神も、そして先祖代々伝わるキリシタンの神々も、それこそ三位一体の神様のように拝み続けて今日に至っている人々のこと。
 彼らには、隠れてキリシタンの信仰を守るという意識はない。誰にも見せないのは、ご先祖様から他人には絶対に見せてはならないと厳しく言われてきたから。
 彼らは、キリシタンであることを隠している「隠れキリシタン」ではなく、ご神体を他人には見せない「隠しキリシタン」である。何かを隠しているという秘密性、そのこと自体に意味がある。
 たとえば、生月島山田地区のカクレキリシタンは、戦後になって一人もキリスト教の洗礼を受けていない。高山右近のような、一部の例外的な人物を除けば、日本人のなかで本当の一神教としてのキリスト教信仰を理解し、実践できた人はいなかったのではないか・・・。
 カクレキリシタンは、隠れているのでもなければ、キリスト教徒でもなく、キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった、典型的な日本の民俗宗教の一つと言ってよい。
 カクレキリシタンの信仰の根本は、先祖が命をかけて守り伝えてきたことを、たとえその意味が分からなくなってしまっても、忠実に、絶やすことなく、継承していくことにある。その継承された信仰形態を守り続けていくことそのものが、先祖に対する最大の供養になると考えている。
 カクレキリシタンは、行事面でキリシタン的要素を残しているが、370年余におよぶ指導者不在によって教義的側面はほとんど忘却され、日本の諸宗教に普遍的に見られる重層信仰、祖先崇拝、現世利益的な性格を強く取り込み、キリスト教とはまったく異なった日本の民俗信仰となっている。
 江戸時代初期の人口は1000万人。そのうち3%、30万人がキリスト教信者だった。
 殉教者は、その氏名が明らかなものだけでも4045人。少なくとも4万人にのぼるだろう。これには、島原の乱の犠牲者3万人は含まれない。なんのために、誰のために、殉教者は生命を捧げたのか・・・。
 殉教者には、100%、王国への道が約束されていた。目の前で、命がけで自分たちのために働いてくれている、慈父たる宣教師たちへの、子としての命がけの報恩行為であった。もし棄教すれば、先祖代々隠れて守り伝えてきた祖先や家族との信仰の結びつきが断ち切られることになり、信仰共同体から仲間はずれにされることは彼らは恐れた。
明治初期まで潜伏キリシタンの組織が存続していたのは、次の7カ所。そのうち、長崎県の3カ所のみが、現在まで存続している。
 ①久留米近くの大刀洗町
 ②天草市
 ③長崎市内の浦上駅周辺
 ④長崎県の西彼杵半島
 ⑤生月島(平戸市)
 ⑥平戸島
 ⑦五島列島
 幕末まで組織が存続できたのは、信徒によるコンフラリアの組織があったから。コンフラリアとは、組・講のこと。信心講とも呼ばれる。
 カクレキリシタンに教会はなく、神父もいない。カクレキリシタンは、神仏信仰とともに、先祖代々伝わるカクレの神様もあわせて拝んできた。
 カクレキリシタンは、なんでも自分たちの手で、自分たちの家で行わなければならない。手のかかる宗教である。
 生月のオラショは、正式に唱えたら、早口でも40分ほどかかる長大なもの。これを後継者は、すべて暗記しなければならない。オラショは、祈禱(きとう)文にあたるもの。人間の、神への願い、思いを定型の言葉にしたもの。今では、呪文の世界に変容している。
 現在、キリスト教が日本に土着しえないのは、頑強に現世利益主義を否定し、来世志向的な一神教を保持していこうとしているから。
カクレキリシタンとは何か、現地で27年間も調査研究してきた学者の本です。本当に説得力があります。
(2014年5月刊。2300円+税)

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