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忍性

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 松尾 剛次 、 出版  ミネルヴァ書房
鎌倉時代に、ハンセン病患者に挺身していた高僧がいたのですね。ちっとも知りませんでした。良観房忍性(にんしょう)という僧です。ハンセン病患者の患部に自ら薬を付けるなど、直接的な看護を目指していたというのです。すごいですね。
忍性たちの教団はその時代に10万人近くの信者を獲得し、1500の末寺を保有していた。鎌倉時代、最大の信者数を誇る新興教団だった。その規模は、当時の日本で最大の人口を有していた平安京が12万人ほどと推測されていることからも想像できる。
忍性の生きた時代、すなわち13世紀の後期・末期から14世紀初頭の鎌倉時代は、日蓮や一遍といった鎌倉新仏教僧が活躍した時代であり、また蒙古襲来という未曾有の危機に見舞われた時代でもあった。
忍性は、奈良や鎌倉で精力的にハンセン病患者の救済活動をすすめた。
当時、ハンセン病患者は、人間に非ざる存在(非人)とされ、筆舌に尽くしがたい差別を受けた。前世あるいは現世における悪業によって仏罰を受けた存在だと認識されていた。それは、ハンセン病患者の救済に従事した叡尊らも例外ではなかった。
ハンセン病患者たちは、もっとけがれた存在だと考えられていて、非人と呼ばれ、人々との交際も拒否されていた。そうした彼らに忍性らは救済の手をさしのべた。こうした慈善救済事業と戒律護持の態度などから、忍性は北条時頼、重時、実時ら鎌倉幕府の幕閣たちの尊敬をも集めた。
当時、僧侶の妻帯は一般化していたし、僧兵という、僧侶でありながら武芸を誇る者が多数いた。忍性は戒律を重視し、その護持を誓い、他者にもその護持を求める律僧であるとともに、密教僧でもあった。このころ僧侶の破戒は一般的だった。戒律復興を叫び、戒律護持を勧めた叡尊、忍性らが注目されたこと自体が、そのことを逆説的に証明している。
中世において、僧侶には、官僧と遁世僧という二つのタイプがあった。叡尊らは、不治の病とされたハンセン病患者救済をはじめ、橋・港湾の整備、寺社の修造、尼寺の創出など、さまざまな社会救済事業を行った。その結果、叡尊の教団は、10万をこえる信者を擁する鎌倉時代最大の仏教勢力の一つとなった。
叡尊や忍性らは行基の活動をモデルとしていた。彼らは行基信仰をもっていた。
忍性をライバル視し、激しく批判したのが日蓮だった。忍性と日蓮は、宿敵と思えるほど激しく対立した。その背景には、都市鎌倉での信者をめぐる獲得競争があった。
忍性は、1303年(嘉元元年)7月12日に87歳で亡くなった。
鎌倉時代の社会の実相を再認識させられる本でした。
長年の友人である裁判官からすすめられて読みました。いい本をすすめていただき、ありがとうございました。
(2004年11月刊。2400円+税)

ペルーの異端審問

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 フェルナンド・イワサキ 、 出版  新評論
16世紀の南アメリカはペルーでのキリスト教会での異端審問の実情を掘り起こした本です。ポルノグラフィーでしかありません。性を必要以上にタブーとした教会は、そのなかではおぞましいとしか言いようのない実情だったようです。
教会は教えのなかで、セックスを人々の不安材料へとゆがめ、おとしめることで、社会に対して抑制やタブー、暗黙の懸念を強いる。しかし、それは支配の道具にほかならず、欲求不満と神経症の源と化す。
1629年のある日、リマの修道院で暮らしていた修道女が異端審問所に出頭してきた。背教および悪魔との契約、その邪悪な悪魔と肉体関係をもったことの罪を審問官に自供した。
事件はペルーの首都リマに不安を巻きおこした。悪魔というものが形態のない存在だとすれば、恐るべき堕天使ルシャーは、女たちとの性行為に及ぶため、墓地から掘り起こした遺体に乗り移っていることもある。
わずか150ページの軽い本です。16世紀ころの南アメリカでの出来事ですが、ヨーロッパでも同じようなものだったのではないでしょうか。宗教に名をかりてインチキなことをするのは古今東西を問わないですね。
(2016年7月刊。1800円+税)

マタギ奇談

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 工藤 隆雄 、 出版  山と渓谷社
私も一度だけ秋田の白神山地に行ったことがあります。ブナの林がありました。といっても車で行ったのです。本当は、自分の足で歩いて登るのでしょうか・・・。
明治35年(1902年)の八甲田山の雪中行軍にマタギが案内人にたったのです。青森連隊のほうではなくて、弘前連隊のほうです。
青森連隊は210人のうち、199人が凍死してしまいました。弘前連隊のほうは、同じころ、同じ場所を行軍していて、マタギのおかげで一人の死傷者も出していません。にもかかわらず、連隊の将校は世話になったマタギを途中で放り出してしまうのです。恩知らずもいいところです。日露戦争(1904年)の直前で、ロシアとの冬場の戦争に備えた雪中行動でした。
青森連隊のほうは、案内人を雇わなかったのです。
「お前ら案内人ごときより優秀な地図とコンパスがある。案内人を雇えというのは、お金が欲しいからだろう。案内人などいらぬ」と豪語し、結局は山の雪中で道に迷い全滅に近い状況に陥ってしまったのでした。その後の日本軍の行方を暗示しているような事件です。
新田次郎の『八甲田山死の彷徨』は、もとの報告書を参照しながらマタギの苦労に何ら触れていない。事実を追及した書物は歴史に埋もれてしまった・・・。
新田次郎の本は私も読みました。こんなエピソードがあったのですね。
マタギは、ただ獲物を獲るだけでなく、山の隅々までを知って大切にしている人のことを言う。もし好き勝手に獲物だけを獲っていたら、いまごろ白神山地には生きものが一匹もいなくなっていただろう。マタギは、ただのハンターと違って、白神山地の番人なのだ。
白神山地は世界遺産に指定され、さらに鳥獣保護区に指定された。そのため、白神山地では一切の猟ができない。マタギという文化は、当然に終わりを告げた。
マタギが何をしていたのかを知るうえで貴重な本になっています。
(2016年10月刊。1100円+税)

長崎奉行の歴史

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 木村 直樹 、 出版  角川選書
江戸時代の長崎奉行というのは、たくさんの役得がある美味しい地位かと思っていましたが、意外に気をつかう、大変な激職だったようです。
長崎奉行は、幕府の老中の配下にあって、幕府の遠隔の直轄地を支配する遠国(おんごく)奉行の一つ。定員は2名で、うち一名は長崎で勤務する在勤奉行。もう一名は江戸にいて、幕府の諸役人たちと調整をおこなう在府奉行。
在府奉行は7月下旬に江戸を出発し、9月に長崎に到着、それまでの在勤奉行と引き継ぎする。交代した奉行は9月下旬に長崎をたち、11月には江戸に戻ってきて、翌年夏の出発まで、江戸城内で勤務する。
長崎奉行所は、長崎には二ヶ所あるが、江戸城内にはない。
長崎は18世紀はじめの最盛期には6万人の町人をかかえる九州屈指の大都市であり、日本各地の商人や遊学する者など、出入りが多い。
長崎奉行は身分は町人だけど他役人という下級支配層という地元出身の町役人を2千人を部下としている。長崎は6人に1人は役人と称する都市であった。長崎奉行の平均的な在職期間は4年。
正保4年(1647年)、ポルトガル船2隻が長崎に入港してきた。これに対して、九州各藩は競って将兵を送り込み、5万人の軍勢が長崎湾の内外に展開した。船を横に並べて仮設の船橋を構築してポルトガル船を長崎湾内に封じ込めた。結果としては、双方とも発砲することなく、平和裸に終結した。
キリシタン摘発も長崎奉行の仕事の一つだった。1657年(明暦3年)の大村郡崩れ(くずれ)では600人以上のキリシタンが捕まっている。18世紀の長崎奉行は、目付から就任したパターンがとても多い。次は、他の遠国奉行からの就任。とりわけ佐渡奉行からの就任が目立つ。18世紀半ば以降は、勘定奉行が長崎奉行を兼任するようになった。
貿易を幕府の財源の一部として期待し、そのために勘定奉行が直接乗り込んでくると、どうしても長崎の町人の反発をかってしまう。幕府の利益や国家的利益と、長崎会所に代表される長崎に留保されて都市長崎に還元される利益は、相反していた。
長崎奉行には、たしかに役得があった。長崎奉行に就任するときには、1000両を幕府から借りることが出来た。そして、わずか1年で返済することになっていた。それほど役得は大きかった。
名奉行は、長崎の市中に利潤が留保されないように、いろいろ工夫をこらした。
19世紀に入ると、長崎奉行は、国際情勢の変動に気を配りながら長崎の都市支配をすすめていくという新しい段階に入った。
長崎奉行という職種の変遷を江戸時代を通じて把握しようとする意欲的な本でした。
(2016年7月刊。1600円+税)

錆と人間

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジョナサン・ウォルドマン 、 出版  築地書館
サビをめぐる面白い話です。
アラスカには1300キロの長さの原油を運ぶパイプラインがある。そのパイプラインの中を錆探知のロボットが走っている。すごいロボットです。長さ5メートル、重さ4.5トンというのです。それをどうやってパイプラインの中を動かすのでしょうか・・・。並々ならぬ工夫と努力が必要なようです。そして、それをクリアーしてこそアラスカの地に人間らしい生活ができるというわけです。そこには、どうやら日本の科学技術も貢献しているようなのです。なにしろ、敵はサビです。どうやって見つけ、また、その手当てをするのが、難問ぞろいでした。
サビのおかげで、原子力発電所では少なくとも数人が死亡し、あわや原子炉がメルトダウンを起こしようになった。核廃棄物の保管も困難である。
世界最強のアメリカ海軍にとっての最大の脅威は、なんとサビなのである。そして、世界最強のアメリカ海軍は、サビとの戦いに敗北しつつある。
給水本管を守るため、水道水にも腐食防止剤が含まれている。水を陽イオン満載にして、腐食性を弱めようとしている。
宇宙にすらサビがある。そこでは分子酸素ではなく、原子状酸素があるからだ。ほとんあらゆる金属が腐食の餌食になる。
ニューヨークの港にある自由の女神像も骨組みがサビついていた。女神像にある1万2千個の骨組み用リベットの3分の1は緩んでいるが、あるいはなくなっていた。骨組みの約半数が腐食していた。
異種の金属同士が触れると腐食が起こる。それは、電池が機能する仕組みによる。銅と鉄の間に水分があるのは、こつの金蔵が接触しているのと同じほどの問題がある。結局、塗料のせいで、女神像は巨大な電池と化していた。
高さ91メートルの女神像の修復のためにカンパで集めた14億ドルがつぎ込まれた。
食品缶詰工場で働く人々の乳ガンの発症率は一般集団の2倍になっている。それも閉経前なら5倍である。
防食技術者の平均年収は10万ドル。防食技術者の11%は年に15万ドルを稼いでいる。年収20万ドルをこえる人も4%いる。
サビとは、金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応を起こすことで生成される腐食物。
サビについて、人間との深い関わりを認識しました。
(2016年9月刊。3200円+税)

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