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利益を追わなくなると、なぜ会社はもうかるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 坂本 光司 、 出版  ビジネス社
著者は私と同世代ですが、いつも読んで元気の湧いてくる本を書いてくれます。うん、そうだよね、会社って、自分のこと、自分の利益しかも目先の利益を考えるだけではダメなんだよね、つくづくそう思います。
たとえば、三井鉱山という強大な会社がありました。大牟田市を植民地のように支配し、君臨していました。三池炭鉱を経営していましたが、地元の大牟田市には鉱害など負の遺産は残しただけで、美術館ひとつつくりませんでした。研究所や大学もつくっていません。利益はすべて東京へ吸い上げ、地元への還元というのはまったくやりませんでした。地元に残したのは、人々が集団で敵対し、いがみあうような仕組みだけです。まさしく分断して統治せよ、という支配の論理を貫徹したのです。そして、今では三井鉱山という会社はありません。
会社の成長エンジンは人以外にありえない。人財が新しい価値の唯一の創造的な担い手である。
管理型の経営ではダメ。組織にギスギス感が生まれてしまう。そうではなく、ぬくもりがあり、仲間意識が醸成されているアットホーム的な社風こそが優れたモノづくりのできる社会をつくりあげる。
働き甲斐こそが会社を強くする源泉である。強くなった会社は景気の変化に影響されることなく、経営が安定して長く継続する。
お客様を大切にするあまり、社員とその家族が犠牲になるような経営は正しくない。
「お客様第一主義」は大切。しかし「お客様偏重」では、会社がいびつになってしまう。
現在、日本の会社の7割は赤字で、日本全体の会社の利益率は、平均したら1.5~2%。
真に強い会社は、いきすぎた競争は求めないし、社員のあいだに大きな格差をつけることもしない。チームのため、自分の所属する組織のための努力、協力を惜しまない。いきすぎた成果主義、能力主義で人事を決めていて業績を安定して伸ばすことはできない。
200頁の本ですし、さらっと読めますが、とても大切なことが書かれた本です。年俸10億円というカルロス・ゴーン社長の従業員をふみつけるばかりのコスト・カッター方式とは真逆のやり方だと思いました。
(2016年11月刊。1200円+税)

国家とハイエナ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者  黒木 亮 、 出版  幻冬舎
 自分さえよければ、世の中がどうなろうと知ったこっちゃない。そんな人物がアメリカ大統領になりました。
トランプの就任演説の全文を日本語で読みましたが、あまりに低次元の話ばかりに涙が出そうになりました。そこには、そもそも政治は、弱者であっても人間らしく生きていけるようにするためにこそあるという考えは、みじんもありません。本当に残念です。
しかも、弱者が超大金持ち(ウルトラ・リッチ)を支持しているのです。きっと自分たちのために何か良いことをやってくれるだろうという幻想を抱いて・・・。悲しい現実です。
でも、日本だって似たようなものです。とっくに破綻しているのが明らかなアベノミクスをまだアベ首相は固執し、多くのマスコミが無批判にアベノミクスの効用をいまなお宣伝しているからです。
 この本は、破綻したアフリカや南米の国債を安く買って、欧米で勝訴判決をとり、タンカーや軍艦、外貨準備や果ては人工衛星まで差押して、投資額の10倍、20倍をむしりとる「ハイエナ・ファンド」(ハゲタカ・ファンド)の実際を暴いています。
 狙われた国家は、裁判を使った合法的な手段で骨の髄までしゃぶられ尽くすのです。もちろん、狙われた国家自体も、アフリカの大統領の多くが利権を私物化しているといったように、汚職・腐敗にまみれています。それでも、「ハイエナ・ファンド」に奪われなかったら、そのお金が福祉や民生用の国家支出にまわっていた可能性は大きいのです。
 「ハイエナ・ファンド」の手先になって動いているのが投資コンサルタントであり、弁護士たちです。
「法律書をもったハイエナ」は、額面7千万ドルの債権を800万ドルで買い、ペナルティや金利もふくめて1億2000万ドルを払えと訴える、それに、アメリカやイギリスの裁判所も結託している。ハイエナ・ファンドは、国や国際機関や金融機関の債務削減を利用してもうけている。これを規制しないと、せっかくの債務削減の意味が無に帰してしまう。
ハイエナ・ファンドによる訴訟の3分の2以上がアメリカとイギリスで起こされている。ひとたび外国で訴訟が起こされると、数十万ドルから数百万ドルにのぼる弁護士費用、旅費その他の経費がかかる。これは貧しい債務国にとっては、重大な負担となり、まともに戦える国はほとんどない。
ハイエナ・ファンドが投資したお金の何十倍という途方もない利益をあげる一方で、最貧国では一日1ドル以下で生活している国民が大半で、食糧や薬が買えなくて、子どもたちがバタバタと亡くなっている。
 債務削減を受けたアフリカ10ヶ国は、削減から4年間のうちに、教育予算が4割も増え、保健予算にいたっては7割も増えている。これを「ハイエナ・ファンド」は許さない。
 いわば吸血鬼のように他人の生命・健康を損なわせてまでして、自分たちの法外な要求を法の外形を利用して押しつけているのです。そんな悪どい商法に巻き込まれた人は哀れです。
 最後に、本作品は事実にもとづいているとの注記があります。読んでいくうちに気分が重たくなってしまいますが、それでも「ハイエナ・ファンド」と果敢にたたかっている人々も紹介されていますので、少しばかり救われもします。
(2016年10月刊。1800円+税)

本当はブラックな江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  永井 義男 、 出版  辰巳出版
 江戸時代をあまり美化しすぎるのはよくないと強調している本です。
私も、なるほどと思います。なにしろ、病気になったときの対応が違います。病院が身近にあり、よく効く薬が簡単に手に入る現代社会のほうが確かに安全・快適なことは間違いないところだと私も思います。
 私は、恥ずかしながら、この本を読んで初めて江戸時代の遊女が長生きできない理由を認識しました。遊女はコンドームなしで10年ものあいだ不特定多数の男と性行為をしていたわけですから、梅毒や淋病などの性病にかからないほうが不思議です。そのうえ不健康な生活と過労、質素な食事による栄養不良、集団生活にともなう感染症のため、多くの遊女が10年の年季の途中、20代で病死したと見られている。
ああ、そういうことだったのか、初めて理解しました。哀れですよね。それでも、メシが食べられるだけ良かったという現実もあったようです。極貧の生活のなかで、親から売られてきた少女たちが大勢いたわけです・・・。
吉原の花魁(おいらん)が人々(男女とも)のあこがれの的(まと)だったのは事実である。
しかし、そんな僥倖(ぎょうこう)を得たのは、ほんのひとにぎりの遊女でしかなかった。
なるほど、ですね。
江戸の人が毎日お風呂に入っていたと私はなんとなく思っていましたが、そんなことはなかったといいます。自宅に風呂がある家は珍しかったのですから、これまた言われてみれば当然です。
 滝沢馬琴は、8ヶ月のあいだに湯屋(銭湯のことです)に行ったのは10回にすぎない。20日に1回という割合だ。長屋に住む下級藩士の日記によると、夏は行水ですませ、風呂にはいるのは6日に1回の割合だった。
 江戸時代の日本人の識字率が世界一だというのも怪しい。たしかに寺子屋があり、いろんな塾があった。しかし、子どもたちの大半は3年未満でやめている。だから、簡単な読み書きはできたかもしれないが、それくらいだった。
 役付の武士のなかにも文盲がいた。文も武もダメな武士は多かった。
バカ殿様が多かったのは家臣たちが、利口な殿さまを嫌っていたから。家臣たちからすると、独裁者になって藩政改革なんて始められたら困る。政治に興味のない殿さまのほうがよい。殿さまは飾り物になっておけばよいのだ。
 アーネスト・サトウは、日本の殿さまが馬鹿なのは、わざわざ馬鹿になるように教育されてきたのだから、本人を責めるのは気の毒だ、無理があると本に書いている。
 ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですか・・・。
 馬鹿になるような教育を殿さまにしていたって、実際には、何をどうしていたのでしょうか・・・。
 江戸時代をありのままに見ることの意義を改めて認識しました。江戸時代に少しでも関心のある人にはぜひ一読をおすすめしたいと思った本です。
(2016年11月刊。1400円+税)

熊に出会った、襲われた

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 つり人社書籍編集部  、 出版  つり人社
山でツキノワグマに出会った人たちの体験談と、その対策が刻明に語られていて、勉強になります。
山でクマに会ったら、うしろ姿を見せて逃げ出してはいけないのですね。頭では理解できますが、果たして、現場で実行できるでしょうか・・・。じっと、熊と、逃げずにその場でにらめっこするなんて、とても勇気がいりますよね。
クマは2年に1回、2頭ずつ子どもを産む。1月20日から2月10日までに一斉に生まれる。
クマが人里にあらわれるようになったのは、過疎化や農業の衰えとともに人の営みが減っていったため、以前はクマにとって居心地の悪かったところが、居心地のいい場所になったことによる。放置された畑があり、栗や柿の木など、実がそのまま残されているので、クマがやって来る。
渓流釣りは、クマと出会いやすい環境にある。山菜とりや竹の子とりもクマの食べ物をとりに行っているから出会う確率は高いし、視界も悪いので不意打ちになりやすい。
鈴をつけるとか、人工的な音をたてて、人が来ていることをクマに知らせる必要がある。
日本でクマと出会って死亡する人は、毎年0人から数人。ハチに刺されて死ぬ人は20人ほど。人間に殺される人は数百人。人に殺されるツキノワグマは1000頭から3000頭。
真新しい足跡や糞があったら、クマが近くに潜んでいる可能性がある。すぐにその場を立ち去るべし。
クマと出会ったら、背を向けて逃げてはならない。背を向けずに後ずさりして、クマとの距離をあけていく。
クマ撃退スプレーは1万5千円もするけれど有効。クマ鈴、山刀、爆竹も必携。クマ鈴は、川の近くでは水音にかき消されてしまう。そこでホイッスルも必要。
クマと人間の共存は大切なことだと思いますが、なかなか勇気もいるのですね・・・。
(2016年12月刊。1111円+税)

読書と日本人

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 津野 海太郎 、 出版  岩波新書
著者は、20世紀を読書の黄金時代と名付けています。なぜか・・・。
本の大量生産と読み書き能力の飛躍的向上によって、知識人と大衆、男と女、金や権力をもつ者ともたない者の別なく、社会のあらゆる階層に読書する習慣が広がり、だれであれ本を読むというのは基本的にいいことなのだ、この新しい常識が定着したのは20世紀なのである。
なーるほど、そういうものなのでしょうか・・・。
14.15世紀は、日本社会において文字が画期的に普及した。鎌倉時代の後期から室町時代にかけて、村の大名、主だった百姓は、だいたい文字が書けた。
16世紀、織田信長のころ、フランシスコ・ザビエルたちはキリスト教を普及するにあたって「きりしたん版」として知られる活版本を刊行した。
ほかのアジアの国々と違って、日本人の多くは読み書きができる。だから文字による布教や宣伝が効果的だと判断したのだろう。
ルイス・フロイスは、こう書いている。「ヨーロッパでは女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、文字を知らなければ価値が下がると考えている」、「日本では、すべての子どもが坊主の寺院で勉学する」
江戸時代には「正坐」という言葉は存在しなかった。明治になって礼法教科書に書かれ、大正から昭和初期に定着した言葉だ。それまでは、本を読むときには、ピタリと正坐していたのではなく、自由に膝をくむし、立て膝で読むことが多かった。
うひゃあ、そうだったんですか・・・。
明治に海外から来た外国人は、日本人の車夫や馬丁が本をむさぼり読んでいるのに驚嘆した。
明治のころの読書は、基本的に声に出して読む音読ばかりだと私は思っていまいした。それまでは、今と同じで黙読していたと考えていたのです。ところが素読に親しんでいた当時の人たちは音読を好んでいたようです。
しかし、著者は、実は、黙読も昔の日本にあったと主張しています。音読と併存していたというのです。
欧米中心の世界で本格的に始まった「読書の黄金時代」としての20世紀に、やや遅れ気味に日本も加わることになった。
大正から昭和にかけての雑誌「キング」は初版50万部でスタートし、90万部から140万部へ増えた。
この新書を読むと、日本人の読書好きはすごいと思います。ところが、今は電車のなかでは大半がスマホを眺めたり、いじったりしています。テレビを見ていたり、ゲームをしている人も少なくありません。以前のように本を読んでいる人は滅多に見かけなくなりました。若者にかぎらず、活字離れがすすんでいるようです。そして、電子書籍。いったい紙の本はこれからどうなるのでしょうか。私は絶対的な紙の本の愛好者です。なくなってほしくはありません。
昨年(2016年)は、単行本を550冊よみました。今年も500冊をこえるつもりです。
(2016年10月刊。860円+税)

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