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家庭裁判所物語

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 清水 聡 、 出版  日本評論社
敗戦後まもなくの日本で家庭裁判所がつくられスタートしていく日々を温かいタッチで描いていて、読むと心も温まります。
宇田川潤四郎、内藤頼博、三淵嘉子らは、家庭裁判所第一世代の裁判官たちだった。それぞれの理想とする司法の姿を胸に、人も物も足りないなか道を切り拓いて、家裁をつくりあげた。第二世代は、初代の苦労を間近で見て、家庭裁判所の理想主義の空気を胸一杯に吸い込んで成長していった。
そのスローガン(標語)は、「家庭に光を、少年に愛を」だった。
「家裁の5性格」とは何か・・・。
家庭裁判所は独立的、民主的、科学的、教育的、社会的性格を具有している。
ところが、これに対して裁判官は裁判をするのが仕事であって、裁判所は教育機関、福祉機関ではない。このような反発があった。
少年部の調査官を当初は「少年保護司」と呼んでいたことを初めて知りました。
戦後まもなくは、戦災孤児が浮浪児になっていることが大きな社会問題になった。
昭和24年(1949年)には少年による刑法犯の検挙者が11万人をこえた。このうち8万人の罪名は窃盗だった。このころ、少年院に収容されている少年は3千人に満たなかった。そのうえ、逮捕・収容しても半数以上が逃走していた。
家庭裁判所といっても、庁舎がない、電話もない。車どころか自転車もない。参考書もない。鑑定してもらっても謝礼金を支払うお金がない・・・。まことに大変な状況だった。
家裁調査官研究所の所長に内藤頼博が就任すると、講師は「一流」ではなく、「日本一」だった。たしかに、そうです。
憲法は宮沢俊義と佐藤功、刑法は平野龍一、法社会学が川島武宜、社会保障論が大内兵衛。そして、歌舞伎役者の尾上梅幸、演出家の千田是也、など・・・。
圧倒される豪華な顔ぶれです。
そして、この家裁調査官研修所には一人も裁判官を配属しなかったというのです。信じられません。単なる教師と生徒の関係になってはいけないという考え方からでした。すごい発想です。
いま、一般民事事件が増えず、横バイか減少しているなかで、家事事件だけは急増しています。これは、私の実感でもあります。
人間関係がドライになったというのか、なんでも金銭的評価が優先するおかしな風潮が蔓延しているのに、私個人としては心が痛みます。だけれど、その反面、弁護士として仕事を真面目にやれば食べていける状況でもあります。家庭裁判所の役割は、これからはこれまで以上に大きくなると思います。
(2018年9月刊。1800円+税)

死に山

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ドニー・アイカー 、 出版  河出書房新社
今から50年以上も前、ロシアの冬山で大学生のグループが遭難し、9人全員が死亡しました。全員が長距離スキーや登山の経験がある大学生とOBたちですし、冬山の装備も当時としては十分でした。
ところが、9人の遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれ別の場所で、氷点下の季節だというのに、ろくに服も着ておらず、全員が靴を履いていなかった。
9人のうち6人は低体温症が死因で、残る3人は頭蓋骨骨折などの重い外傷で亡くなった。女性の1人の遺体には、舌がなかった。さらに、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出された。
いったいなぜ、9人もの若者が、このような異常な状況で死ななければならなかったのか・・・。
アメリカのドキュメンタリー映画作家が50年も前の遭難事故の謎を解くため、現地に出かけるのです。スターリンが死んで、ソ連に少し雪どけが始まっていて、大学生たちは野外活動に熱をあげていた時代に起きた事件です。
大学生たちはカメラをもって、ずっと冬山登山の状況を記録していましたし、そのカメラは回収されていますので、大学生たちのはしゃいでいる様子も写真で紹介されています。
現地の人に襲われたとか、雪崩にあったとか、いろんな説があったようですが、ついに真相が明らかになります。
ネタバレをするのは本意ではありませんが、推理小説ではないので、お許しください。要するに、山の恐ろしさを知り、また、お伝えしたいということです。詳しくは、ぜひ、この本を手にとって、お読みください。結末を知っても、それに至る過程は読みごたえがあります。
要するに、山で発生したカルマン渦列と、それにともなう超低周波音が原因なのです。
強風が丸みを帯びた大きな障害物にぶつかったときに危険な竜巻が発生する。それがカルマン渦列で、そのなかの渦が超低周波音を生み出す。
みんなでテントに入っていると、風音が強くなってくるのに気がつく。そのうち、南のほうから地面の振動が伝わってくる。風の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえる。地面の振動が伝わり、テントも振動しはじめる。
今度は北から、貨物列車のような轟音が通り抜けていく。より強力な渦が近づいてくるにつれて、その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり、と同時に超低周波音が発生するため、自分の胸腔も振動しはじめる。超低周波音の影響で、パニックや恐怖、呼吸困難を感じるようになる。生命体の共振周波数の波が生成されるからだ・・・。
9人は、これ以上ないほど最悪の場所にテントを張ってしまった。本当に耐えがたい恐ろしい状況に置かれた。超低周波音の影響により一時的に理性的な思考能力が奪われ、原始的な逃避反応という本能に支配された。いまはただ、この強烈な不快感を止めたい、逃げだしたい、それだけだった。テントから脱出せずにはいられなかった。どんな犠牲を払ってでも逃げろ、逃げろ、逃げろ、いまはそれしか考えられない。
ろくに服を着ておらず、足には靴下を履いているだけ。わが身に取りついた苦痛から逃れたい一心でテントから脱出したが、外の気温はマイナス30度。そこには別の苦痛が待っていた。
冬の竜巻は、時速60キロの速さで横を駆け抜けていく。周囲は漆黒の闇。テントに戻ることもかなわない。低体温症で身体が思うように動かなくなる・・・。
冬山の恐ろしさを明らかにした貴重な本でもあると思いました。
朝から読みはじめると、次の展開が知りたくて片時も目が離せず、午後、ようやく恐ろしい結末を知り、大自然の驚異を実感しました。9人の大学生たちの冥福を祈るばかりです。冬山に登る趣味がなくても、大自然の驚異を実感させる本として一読の価値があります。
(2018年11月刊。2350円+税)

おじいちゃんのノート

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 中村 輝雄 、 出版  セブン&アイ出版
開くと真っ平になるノートが付録として付いている本です。いわば奇跡のノートですよね、これって・・・。
「このノートは、書きやすくコピーやスキャンも影が出ない、画期的な水平開き製本の新時代ノートです。左右ページ単独に、または両面をワイドに使用!テーマに合わせて使い方いろいろです」
なるほど、どのページもたしかに水平開きになるノートです。
そこで、問題は、誰が、どうやってこんなノートを開発したのか、です。
誰が・・・。零細そのものの「中村印刷所」という会社です。80歳になる製本職人と70歳の社長の二人して2年がかりで完成させたのです。すごい執念です。2012年に始めて、2014年に完成しました。
どうやって・・・、というと、製本職人と社長が二人で、試行錯誤を繰り返したということに尽きるようです。でも、零細な町工場が画期的なノートをつくったからといって、一挙に市場で注目され、売れるものではありません。
そこに、SNS(ここではツィッター)が登場します。
「うちのおじいちゃん、ノートの特許をとってた・・・。宣伝費用がないからできないみたい。どのページを開いても見開き1ページになる方眼ノートです」
このツィッターがたちまち拡散して、半日たたずに2万件をこえた。やがて、10万をこえるアクセスがあり、テレビ局や週刊誌から取材したいと電話がかかってきた。
在庫はたちまちなくなり、引き戸を閉め、カーテンを引いて、部屋の電気も消して居留守を使った・・・。
いきなり、大騒動になったのです。ツィッターの威力って、すごいんですね、見直しました。
すでに10万冊以上の水平開きノートが販売されたそうです。おめでとうございます。
きっかけは、印刷所が不景気になって、仕事がなくなったことにあります。そこで、なんとか売れる商品をつくろうとがんばって世に送り出したのが、水平開きノートだったのです。
「ノドが膨らまないノート」です。ノドとは、見開いた本の真ん中、ページを閉じた部分のこと。水平開きノート開発のカギは、接着剤にある。
いやあ、いい話ですね。苦労が報われる社会というのはいいものですよね。
(2016年8月刊。1500円+税)

書物と権力

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 前田 雅之 、 出版  吉川弘文館
この本のオビには、書店も、取次も、図書館もない時代に、人々は何のため、どのようにして本を手に入れたのか・・・、と書かれています。
中世の人々にとって、本を読むというのは黙読ではなく、音読だったのですよね。そして、印刷というのがありませんので、すべて手で書き写していたのです。大変でした・・・。
私は、この本の訴えたいところより、『源氏物語』についての解説が目にとまりましたので、紹介します。
『源氏物語』の少女(おとめ)巻には、次のような場面がある。ことは、光源氏の息子である夕霧の教育方針をめぐって、光源氏と、その義母であり、夕霧にとって祖母となる三条大宮との対立。三条大宮は、上流貴族の子弟である夕霧を光源氏がどうして中下流貴族の子弟が入る大学寮という学校に入れたがるのか、分からない。光源氏は、不満たらたらの三条大宮に対して次のように説得した。
自分は、ちゃんとした教育を受けていないから、幅広い教養がないために、漢学を学ぶのも、管弦の調べを習うにも、不十分な点が多かった。私が子にはちゃんとした教育を受けさせ、・・・、我が子だけが取り残されないようにしたい・・・。そして、次のように言った。
なほ、才(ざえ)をもとにしてこそ、大和魂の世に用いらるる方も強うはべらめ
「才」とは、才能ではなく、漢学などの、教育手段によって後天的に学ばされる教養知のこと。「大和魂」とは、今はやりの民族的精神なんかではなく、「才」の対極にある経験や体験によって身につけることができる実践知の意味。
生き馬の目を抜く、冷酷非情な貴族社会に生きる人間にとって最後の砦となるのは、どちらかといえば、役に立たない、学問・教養としての「才」なのだ。そして、ついに、光源氏の主張が通って、夕霧は大学寮に入った。
なぜ、『源氏物語』の作者の紫式部がこのような認識をもつに至ったかは不明。しかし、紫式部が仕えていた藤原道長の知性のなさと卓越した実力が関係しているのではないか。
道長の日記は、極度に語順がデタラメな記録文になっていることから分かる「才」の欠如。そうは言っても、道長も和歌は詠(よ)んでいたし、漢詩をつくる能力もあった。
上流貴族の子弟は大学に入ることはなく、家庭で教育を受けていた。そして、大学が火災で焼失してから中世以降、大学寮は存在していなかった。
貴族社会における教育の伝播というものを考えさせられましたし、道長に知性がなかったというのが、私にとっては真新しい知見でした。
(2018年9月刊。1700円+税)

スペイン内戦(1936~39)と現在

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 川成 洋 ・ 渡辺 雅哉 ほか 、 出版  ぱる出版
スペイン内戦というと、スターリンの責任は重大だと思います。当時、スターリンはソ連国内で大量の粛清をすすめていましたが、スペインでも自分の都合のよいほうに引きまわしたのです。その手先になって踊らされた人々もソ連に戻ったら次々に粛清されていったのでした。
スペイン内戦では、アメリカから渡った日系人(ジャック白井)の活躍も忘れることは出来ません。この本では、ほかにもアナーキストの日本人が2人スペインに渡ったという説も紹介されていますが、当時の日本ではありえないと否定されています。
 スペイン内戦について、さまざまな角度から、大勢の人が語り、分析し、紹介している大作です。なにしろ783頁もあるのですから、一度では読み切れず、日曜日ごとに読んで1ヶ月以上も読了するのにかかってしまいました。
国際旅団の活躍も詳しく紹介されています。
国際旅団の義勇兵は世界各地から、50ヶ国から、続々とスペインに入国し、共和国の戦列で戦った。その合計は4万人。このほか、教育・医療・プロパガンダなどに従事する非戦闘員2万人がいた。彼らは、1938年11月の国際旅団の解散まで、激烈な戦場で戦った。
それから、80年がたっているのですね・・・。この本はスペイン内戦の勃発(1938年)から80周年を記念して出版されました。
ピカソの絵「ゲルニカ」で有名なゲルニカはバスク地方にあります。
1937年4月26日午後4時半ころから3時間、ドイツのコンドル兵団を中心にイタリア軍の飛行機も参加し、人口7000人のバスクの町ゲルニカが爆撃された。爆弾と焼夷弾が投下され、中心街の300家屋の建物の71%が破壊された。
この爆撃はドイツ空軍を試す機会だったと、ヘルマン・ゲンリングはニュールンベルグ法廷で証言した。
スペインの内戦に勝利したフランコ独裁政権は、スペイン国民をサッカーと闘牛に熱狂させ、政治に目をさせない、できる限り教育を受けさせず、政府批判の能力を持たせない、そして、外国人観光客による収入に満足し、どこの地方でも「スペイン料理」としてパエリヤをつくることを受け入れさせることにした・・・。
フランコ独裁政権は、戦後の配給制度によって与えられていた。
スペイン内戦において、早い段階からフランコ軍を支援し続けたのは、ヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニのファシスト・イタリアだった。国際旅団のなかでは指導権を握ろうとするソ連への反発も強く、一枚岩ではなかった。ジョージ・オーウェルも国際旅団の民兵組織には加わっていない。
2007年12月、スペイン歴史記憶法が成立した。これはスペイン内戦やフランコ独裁体制時に、政治的・思想的な理由により迫害された人々に対して、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復する権利を承認した。
こんな法律までつくったのですね、えらいですよね。
ジャック白井は1900年ごろ北海道の函館に生まれ、1929年にアメリカ・ニューヨークにたどり着いた。それまでは外国航路の船員(おそらくコック)だった。そして、最前線で銃をもって戦っていたが、1937年7月11日、敵の機関銃弾によって戦死した。
ジャック白井への追悼詩は、次のように書いている(ほんの一部です)。
同志白井は斃れた
彼を知らない者がいただろうか
あのおかしなべらんめい英語
あの微笑の瞳
あの勇敢な心
エイブラハム・リンカン大隊の戦友は彼を兄弟のように愛していた。
函館生まれのジャック白井
日本の大地の息子
故郷で食うことができず
アメリカに渡り
サンフランシスコでコックとなった
彼の腕は町の食通の連中の舌を満足させた・・・
(2018年6月刊。5800円+税)

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