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破天荒

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版 新潮社
痛快な自伝的小説です。あまりに面白くて一気に読みあげました。著者が業界紙の記者をしていたのは知っていましたが、こんなにも業界内部そして官庁に深く立ち入って取材していたのですね。すごいです。
あるときは企業間の大型取引を仲介して、謝礼金1000万円を呈示され、その半額500万円をもらったそうです。ところが、税務署が嗅ぎつけて課税されて150万円も召し上げられたとのこと。これを読んで、私も税務署から取り戻した本税に140万円ほどの加算金がついて戻ってきたのを喜んでいたところ、税務署はそれを雑所得として課税してきたことを思い出しました。これが私の第二次不当課税事件です。たたかいましたが、法と通達のカベは厚く、いくらかもっていかれました。
著者は高校を中退していて、いわゆる学歴はなに等しい。ところが業界紙に入社するのは、そのときの作文について筆力が断トツだったとのこと。さすがですね。しかも児童養護施設で小学6年生の夏から中学1年生の2学期まで園児として過ごしたとのこと。これはS学会に熱心で酒のんでばかりいた両親の育児放棄のようです。
ところが、すごいのは、その園まで同級生たちが面会に来てくれていたということ。しかも、担任の教員まで、ときに生徒を引率して…。いやあ、これは泣けますね。やはり友だちと教師の力は偉大です。おかげで、文章力も才能もある著者は、変にいじけることなく、むしろ親からの早い自立を目ざしてがんばったのです。
高校2年生のころ、自転車で新聞配達のアルバイトをしていたときの体験をもとにした著者の作文が巻末に紹介されていますが、これはすごい文章です。入社面接のとき、読んだ社長が「恐れいった」、「胸にぐっときた」と言ったそうですが、まったくそのとおりです。
業界紙に入社して記者として活動しはじめると、たちまち業界内部に飛びこんで、すごい記事を書き続けた。20歳でもらった月給が1万5千円。1959(昭和34)年当時の大学卒の初任給は1万3500円のときのこと。なので、破格の高給。本人も腰を抜かしたが、両親はそれ以上におったまげたという。この1万5千円のうち、親に1万円を渡し、著者は5千円を自分のものにした。
著者は四日市石油化学コンビナートの生成過程も取材したようです。あとで、「四日市ぜんそく」で有名になった公害発生源の企業でもありますが…。
ともかく著者の取材の徹底ぶりは半端ではないようです。これは自伝的小説で本人はそう書いているのですから間違いないでしょう。真実は細部に宿るという言葉がありましたっけ…。ともかく、細部(ディティール)が真に迫っていないと小説として読めませんよね。著者の企業小説が、そこが断然ズバ抜けています。ともかく、話がこまかい。こんなところまで知っているのかと思わず舌を巻いてしまうほど、微に入り細をうがっていますので、書かれていることの全部が真実だと思わされてしまうのです。なので、業界あるいは会社内部のことを書くと、リークした犯人捜しがはじまったり、著者に反感を覚える人が出てきたりするわけです。
著者は、何も知らないからこそ取材するとしています。それはリアリティを確保するためです。リアリティがなければ企業人は読まないし、世間も読みません。著者の本の多く(決して全部ではありません)を読んでいつも大変勉強になりましたが、今回は、著者そのものを少し知ることができて、本当に良かったです。高杉良ファンには見逃せない一冊として、一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1760円)

ブラック・ライブズ・マター回顧録

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 パトリース・カーン=カラーズ 、 出版 青土社
Black Lives Matter. これは、一般には「黒人の命も大事だ」と訳されているが、実はもっと深く広い意味合いがある。私もそうだろうと思います。この日本語訳を単純に英文にしたら、ブラック・ライブズ・マターにはならないような気がします(英語には、まったく自信ありませんが…)。「黒人の生命を守れ」、「黒人の生活を向上させるべきだ」、「黒人の人生の価値を認めよ」という、いろんなニュアンスが重なっている。そして、「白人と同等に」、「白人が当然だと思っているように」という意味合いも含んでいる。なるほど、ですね。
アメリカの独立宣言のなかにある、「すべての人間は平等に創造され、不可侵、不可譲の自然権として生命、自由、幸福の追求の権利がある」という考え方を、アメリカの全市民に公平にあてがうべきだという考え方だ。まったくそのとおりですよね。
ところが、アメリカの現実は、依然として、そうではないのです。
カルフォルニア州では、警官によって72時間に1人、殺されている。そのうちの63%は黒人かラテン系。ところが黒人はカリフォルニア州の人口のわずか6%しかいない。白人の5倍も黒人は警官に殺されている。ラテン系と比べても3倍だ。
アメリカの人口は世界の5%でしかない。ところが、刑務所にいる人間でみてみると、世界の25%がアメリカにいる。そして、アメリカ人のうち黒人が占めるのは13%でしかないが、刑務所内の人口比では33%も占めている。黒人の収監率は、白人の7倍近い。
この本はBLMを立ちあげた3人の黒人女性のうちの一人、パト―リース・カーン=カラーズの自伝。ロサンゼルス市内のヴァニナイズ地区に生まれ育った。母親はエホバの証人の信者で、夫たる著者の父親とは別れていた。大変な状況下にあっても高校に通い、ついにはUCLAに入学しています。そして、大学では毛沢東、マルクス、レーニンなどの本も読んでいます。
さらに、著者はクィアだと高言したのです。頭を剃って、下唇にピアスをし、腰には片腕にレーカーこぶを入れた女性の姿の刺青もしています。外見は明らかに変わっています。
それにしても、アメリカにおける黒人差別は、今もなお、すさまじいものがあります。
それは、実社会でもそうですし、刑務所の中でも同じことのようです。
黒人にとって、警官は、法の執行に安全を守るとか市民の援助をするというイメージは皆無で、ただひたすら黒人の行動を監視し、制御する機関でしかない。警察は黒人について、将来もっとも犯罪を犯す可能性が高いグループだと見なしている。親が刑務所にいるため1000万人もの子どもたちに、そのしわよせが行っている。
刑務所人口を使って多額な収益を上げているのは、女性下着専門店(ヴィクトリアズ・シークレット)、自然食品チェーン(オールフーズ)、AT&TL(アメリカのNTTのような会社)、スターバックスなど(スタバも、そうなんですね…)。
アメリカの黒人の意気盛んな運動に少しばかり触れた思いがしました。それにしても、こんな地道な活動をしている彼女たちをテロリストと呼ぶなんて、まったくの間違いだと思います。
(2021年3月刊。税込2860円)

朝鮮戦争を戦った日本人

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 藤原 和樹 、 出版 NHK出版
朝鮮戦争が始まったのは1950(昭和25)年6月。当初は進攻してきた北朝鮮軍に米韓軍は一方的に敗退していた。それは、アメリカ軍(マッカーサー)が、北朝鮮軍の実力を過小評価し、自国軍を過大評価していた過信によるもの。
中国人民義勇軍は90万人、北朝鮮軍は52万人が死傷した。国連軍として死傷した40万人のうち3分の2は韓国軍と警察。市民の死傷者は300万人以上。
この本は、アメリカの国立公文書館にある極秘文書(1033頁)が開示されたものを丹念に掘り起こしている。アメリカ軍が、朝鮮戦争に従軍していた日本人を日本本土に送り返して尋問した記録(調書)を紹介している。
70人以上の日本人が朝鮮戦争にアメリカ軍と一緒に従軍していた。彼らは在米日本人でも日系人でもなく、生粋の日本人。日本国内でアメリカ軍基地でボーイとして働いていたような人たち。たとえば、両親を失った孤児。アメリカ軍から見捨てられたら、たちまち失業して、生活の目途が立たなくなる20歳前後の青年たちだった。
アメリカ軍の下で働く日本人の給料は良かった。日当450円、月に1万3500円になった。このころ(1951年)の公務員の初任給は6500円なので、倍以上。
アメリカ軍と一緒に朝鮮半島に渡り、朝鮮戦争の最前線に投げ込まれた。そこでは、前線も後方兵站もなく、周囲の全部が敵(北朝鮮軍だったり中国軍)だった。なので、銃をとって戦ったが、あえなく敗退して、アメリカ兵と一緒に捕虜になった日本人もいた。
朝鮮戦争の初期の激戦地がいくつか登場します。日本人たちもその戦場にいたのです。
たとえば大田の戦い。1950年7月14日から21日にかけた戦闘。国連軍(アメリカ軍)の劣勢を象徴するもの。この大田の戦いで第19歩兵連隊(3401人)は650人の死者を出した。そして、ディーン少将まで捕虜となった。あとで捕虜交換でアメリカに戻ったディーン少将には、戦場でがんばったとして名誉勲章が授与された。ここが、旧日本帝国軍との圧倒的な違いです。
多富洞(タプドン)の戦いは、1950年8月1日から9月24日まで55日間にわたって続いた激戦。9月15日の仁川上陸作戦によって、一気に形勢が逆転した。『多富洞の戦い』(田中恒夫、かや書房)という430頁の本に戦闘の推移の詳細が紹介されています。その過程での「架山(カサン)の戦い」においても日本人が戦死したのでした。
日本人を朝鮮戦争に参加させることは、日本人の出国を原則として禁じていたGHQの占領政策に違反している。それで、日本に送還した。兵士だった日本人を尋問したのは、アメリカ軍に従軍した理由を記録して、日本人の口を封じることで、従軍を許可したアメリカ軍の部隊司令官を守るためだった。
公文書館の尋問記録とあわせて、アメリカまで生存している元米兵にインタビューしています。朝鮮戦争の地上戦に日本人の青年が70人ほども参加していたこと、強制ではなく、いわば食べるために志願していったことなどの事実を知ることができました。世の中は、本当に知らないことだらけです…。
(2022年12月刊。税込2090円)

自由法曹団物語

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
日本の裁判官は、もっと実名で批判されるべきだと私は考えています。この本では、たとえば名古屋地裁の内田計一裁判長の呆れた訴訟指揮が厳しく批判されています。裁判官が交代したときに弁論更新をすることになっています。原告側弁護団が、更新弁論の時間をきちんと確保してほしいと要望したところ、名古屋地裁の内田計一裁判長は、…
「今日は、何もできないということになりますか?」
「更新弁論をするなら、今すぐ、5分与えるのでやりなさい」
弁護団が口々に抗議して立ち上がると、内田裁判長は黙って時計を見つめ、「更新、するんですかしないんですか」と言い切った。弁護団が、このような訴訟指揮に抗議すると、「既に法的見解はもっています」と平然と、答えたのでした。予断をいただいていることを告白したのです。
このような、とんでもない裁判官が幅をきかせているのが現実ですが、たまに気骨のある裁判官もいます。名古屋高裁の青山邦夫裁判長、その一審段階の田近年則裁判長です。
自衛隊のバグダッドへの輸送活動は、その実態に照らして憲法9条に違反すると明断しました。すごいことです。大変な勇気がいったと思われます。
福岡でも憲法の意義を劇にして市民にアピールしている「ひまわり一座」がありますが、広島にも「憲法ミュージカル運動」が長く続いて、すっかり定着しています。初めの脚本を書いたのは廣島敦隆弁護士。そして、その後、なんと25年ものあいだミュージカルの脚本を書き続けたのです。それには人権感覚の鋭さと、ユーモアに満ちたものでなくてはいけません。よくぞ書きあげたものです。しかも、13時の開場なのに、12時ころから人が並びはじめ、観客は階段通路も座る人で一杯になってしまうほどでした。
出演するのは、主として広島市内の小学生からお年寄りまで…。毎年、5月の本番までの2ヶ月半のあいだ、連日、「特訓」を受けていたのです。大成功でした。この20年間で、集会に参加した人は1万5000人、そして、この集会(ミュージカル)の出演者とスタッフはのべ2500人。とんでもない力が広島の憲法ミュージカルを支えてきました。
自由法曹団は、この100年間、一貫して市民とともに憲法の平和的条項そして人権規定を実質化させるために取組んできましたが、その取り組みの一つがここで紹介したものです。
(2021年5月刊。税込2530円)
 

中国戦線、ある日本人兵士の日記

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小林 太郎 、 出版 新日本出版社
南京攻略戦・徐州作戦に参加した日本人兵士が毎日のように日記をつけていて、日本に持ち帰ったものが活字になっています。写真もついているという、大変貴重な日記です。
内容は、日本軍の兵士たちが中国人を見境なく殺戮(さつりく)していくのですが、悪びれたところがまったくありません。日本では良き夫であるような人が中国戦線では平然と罪なき人々を殺し、食糧をふくめて財物を略奪しても罪悪感が皆無なのです。同時に、日記では身近な兵士仲間が次々に戦病死していくことも記述されています。末端の日本人兵士たちは、罪なき中国人にとっては残虐な加害者でしたが、同時に日本政府・軍部の被害者でもあったことがよく分かる日記です。
それにしても、よくぞ日記を日本に持ち帰った(できた)ものです。そして、写真です。いったい、どこで現像していたのでしょうか…。
この日記には、有名な学者である笠原十九司、吉田裕のお二人が解説していますので、その作戦の背景がとてもよく理解できます。
著者は日本大学工学部を卒業したインテリです。なので、南京攻略戦のときには発電所の修理に従事していたので、南京大虐殺を直接には目撃していないようです。
歩兵二等兵(27歳)から上等兵になり、病気で本国送還されて、1939(昭和14) 年に満期除隊(このとき29歳)しています。私の父も病気で中国大陸から台湾に送られ、日本に戻ることができました。戦地では病気すると生命が助かるんですね…。
第16師団第9連隊第32大隊第9中隊に所属し、上海戦、南京攻略戦、徐州作戦、そして武漢三鎮の軍事占領という、日中戦争前半の大作戦のすべてに従軍した。
よくぞ生きて日本に戻れたものです。強運の持ち主だったわけです。
欧米の軍隊は、大作戦が終了すると、しばらく休暇ないし本国帰還などがあるが、日本軍には一度もなかった。そのうえ、現役除隊の期日がきても、一方的に延期され、継続しての軍隊生活を余儀なくされた。そうなんですよね、人権尊重という観念は日本軍にはまったくなかったのです。
南京大虐殺を否定する言説をなんとなく信じこむ日本人が少なくないのは、「やさしかった父たちが、中国戦線で残虐な虐殺なんかするはずがない」、「誠実で温厚な日本人が、虐殺事件を起こすなんて考えられない。中国側が日本人を批判するためにでっちあげたウソだ」という言説による。しかし、日本国内では人間的に善良な日本人であり、地域や職場で誠実であり、家庭において優しい父や息子であった日本人男子が、ひとたび日中戦争の厳しい戦場に送られると、中国人を平気で虐殺し、残虐行為をし、中国人からは「日本鬼子」と怖がられる日本兵になっていた。
日本軍が上海戦で苦戦したのは、ナチス・ドイツが中国軍に武器(たとえばチェコ製機関銃)を供与し、トーチカ構築を指導し、またドイツ人軍事顧問を送り込んでいたことによる。
ヒトラーは、「日本にバレなければかまわない」という態度だった。すでに日独防共協定を結んでいたのに…です。
蒋介石の国民政府は70個師団、中国全軍の3分の1、70万人の兵力を上海戦に投入した。戦死者は25万人。日本のほうも19万人もの大兵力をつぎこみ、戦傷者4万人以上(戦死者も9千人以上)を出した。
日本軍は、「皇軍兵士は捕虜になるな」という考えだったので、中国軍に対しても、捕虜として保護することはしなかった。つまり、直ちに殺害した。それには、そもそも自分たちの食糧さえ確保できていなかったことも大きい。
これまでの通説は、日中全面戦争は、無謀な陸軍が国際的で平和的な海軍を強引に引きずりこんだというものだった。しかし、歴史事実は逆。海軍航空隊は首都南京に対して宣戦布告もしていないのに戦略爆撃を敢行した。それは、50回以上、のべ5330機あまり、投下した爆弾は900トンあまりというものだった。
南京攻略戦の責任者であり、大虐殺の責任者でもある松井石根大将は、成績優秀であったのに同期の大将のなかでは一番出世が遅れ、いちはやく予備役に編入されていた。そこで、59歳の松井は、軍功をあげる最後のチャンスとして南京攻略戦をとらえていたのではないか…。そして、それいけドンドンの武藤章大佐がそれを支えていた。
どこの世界でも、口先だけは勇ましい人に、慎重派はかないませんよね…。
著者の所属する第16師団は、9月に京都を出発していて、防寒の装備はもっていなかった。そして、食糧の供給も十分でなかった。なので、日本部隊は、いわば強盗集団の軍隊だった。これが輝ける「皇軍」の実際の姿だったんですね…。
そして、著者は捕虜として中国兵を日本軍を虐殺(即決殺害)した写真を撮って、日記に添付しています。
南京にいた唐生智という司令官は、近代戦の知識も経験もなく、南京防衛戦を指揮する実力もないのに、野心から名乗り出て、防衛軍事司令官に任命された。しかし、自分たちだけはいち早く脱出し、部下の膨大な中国軍を置き去りにした。いやはや、日中双方とも、ひどい司令官だったのですね。なので南京大虐殺はいわば必然的に起きてしまったということです。この事実は、消しゴムで簡単に消せるものではありません。
いやはや…、日本人にとっては、とても重たい事実です。でも目をそむけるわけにはいきません。ぜひ、図書館で注文してでもご一読ください。
(2021年3月刊。税込3960円)
 日曜日の午前中、フランス語検定試験(1級)を受けました。1995年以来この25年間、欠かさず受けています。とても難しくて、まるで歯がたちません。長文読解と書き取りでなんとか4割近い55点(大甘の自己採点です。150点満点)をとりました。はなから合格(6割超)はあきらめています。3割を突破して、4割、あわよくば5割に達したいと願っています。
 この2週間ほど、朝も夜も、25年分の過去問をふくめて、一生懸命、フランス語を勉強しました。年に2回、大学の教室で試験を受けると、大学生に戻った気分になります。ボケ防止を兼ねて、続けるつもりです。

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