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宇宙考古学の冒険

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 サラ・パーカック 、 出版 光文社
現代のインディ・ジョーンズは人工衛星で古代の遺跡を探すという話です。
宇宙考古学とは、さまざまな人工衛星データを分析することで、他の方法では見つからない遺跡や遺構を見つけて、マッピングする分野だ。
人工衛星画像と地上探査によると、アマゾン川の流域に1万8千ケ所の遺跡が存在する可能性がある。いま人間が住むのに適しない地域に100万人以上が暮らしたと思われる。ええっ、そ、そんなことが本当にありうるでしょうか…。
人工衛星の撮像システムによるが、画素を構成する光には可視光だけでなく、近赤外光や中赤外光、遠赤外光もふくまれている。さまざまな波長の赤外線を用いて、植生の健康状態のわずかな違いを視覚化すると、色のバリエーションを感知することができる。
たとえば石壁の基礎部分が土に埋もれていったとして、その上に牧草が根づいたとしても、別のところの牧草と同じ深さまで根は伸びることができない。すると、牧草がその部分だけ生育が悪く、干ばつのときには先に枯れてしまう。水路のときには、そこに腐敗した植物がたまり、肥決な腐葉となり、水路跡では牧草や作物がよく育ち、周りよりも草丈が高くなる。
このような植生の草丈の違いによる影は、航空写真で簡単に確認できる。そして植生の健康状態の微妙な違いは、人工衛星の近赤外線観測データから読みとることが可能。人工衛星画像は2000ドル(10万円)で手に入る。
エジプトで、ヴァイキングが活躍していた北欧で、そしてマヤなどの南米で、またインダス文明の遺跡を求めて探査していき、あちこちで遺跡を発見していったのでした。きっとワクワクドキドキの瞬間が何回もあったことと推察します。ローマの円形劇場を上空から発見できなるなんて、すごいことですよね。
著者は遺跡の盗掘ともたたかっています。村ぐるみの組織的が最近もやられているようです。需要が存在しなかったら、盗掘は現在のレベルにはないだろう。盗掘は、いちかばちかの犯罪だ。エジプトの地元住民の盗掘グループのときは、村の共同体内であらゆる遺物の売却代金を分配する。地元住民が遺跡保護に積極的に関われば、世界は大きく変わる。
著者は発掘現場に行きますが、発掘隊長になると、その仕事の大半は雑用係である。本当に大変なんですよね…。
それにしても人工衛星が軍事スパイ衛星ではなく、古代遺跡の探査に大活躍していることを知りました。ワクワクドキドキする内容の本になっています。
(2020年9月刊。2400円+税)

戦国の図書館

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 新藤 透 、 出版 東京堂出版
日本人は「戦国時代」が大好き。この本に、こう書かれていますが、まったくそのとおりです。映画「七人の侍」も戦国時代の話ですよね。織田信長とか豊臣秀吉、たくさんの武将たちが次々に登場してきますので、大いにロマンがかきたてられます。
ところで、「戦国時代」という言葉が一般に普及したのは明治に入ってからで、「戦国大名」という用語が誕生したのは戦後だというのに驚いてしまいました。江戸時代には「戦国」という言葉は使われておらず、一般的な言い方ではなかった。むひゃあ、そ、そうだったのですか…、恐れ入りました。
足利義政・義尚は、書籍収集をしていて、足利将軍家は蔵書家でもあった。
この本は足利(あしかが)学校について詳しく紹介しています。
足利学校は、室町時代の中期に、関東管領の上杉憲実によって再興された。鎌倉・円覚寺の禅僧が校長となり、生徒には琉球出身の学生もいた。すごいですね。沖縄から、はるばる本土、それも足利まで、噂を聞いてやってきたのでしょうか…。
足利学校では儒学を中心として『易経』に力を入れていた。当時、易学と兵法を学んだ足利学校の卒業生は戦国大名にひっぱりだこだった。易学は、戦国時代の「実学」だった。
足利学校は、自学・自習が中心で、修学年限も決められていなかった。まさしく大学ですね。なので、単なる図書館ではなかったということです。
このころの連歌師は、プロの間者(かんじゃ)ではなかったとしても、それに近いことをしていた。ふむふむ、なるほどですね…。全国を渡り歩いていて、各地の情報をつかんでいたことからのことです。
もともと寺院は僧侶のための教育機関だったが、武士の子弟も受け入れるようになり、室町時代に入ると、民衆の子どもたちの一部も「入学」が許可された。「大学」の受け入れ枠が広がっていったのでした。
戦国時代は、世の中が乱れた時代だったが、それまで京都で独占していた文化が一挙に地方に波及し、そこで独自に進化した画期的な時代だった。
というわけで、戦国時代の実情の一端を知ることのできる本です。
(2020年9月刊。2500円+税)

小説をめぐって

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店
私の心から敬愛する井上ひさしが亡くなって、もう10年になるのですね…。
井上ひさしは、たくさんの本を書いたうえ、日本ペンクラブ会長や九条の会の呼びかけ人となったり、社会的な発言も惜しみませんでした。
「むずかしいことをやさしく」という井上ひさしの言葉を、私はいつも忘れないようにしていますが、言うは易くで、ついつい難しい言葉で逃げようとします。
井上ひさしの妻のユリさんによると、井上ひさしは、「手で書く」、「手で覚える」のを大事にしていたとのことです。よく分かります。私も、こうやって手書きで他人の文章をうつしとっています(パソコンに入力して、ネットにアップするのは秘書の仕事です)。
毎日、忙しいのに日記をつけていたというのにも驚きます。ともかく、よくメモをとっていたとのこと。私も、ポケットの中、車中にはメモ用紙とペンを置いておきます。すぐに忘れてしまうからです。
私が真似できないのは、井上ひさしは、文章だけでなく、図や絵も入れるというところです。私も絵に挑戦したことは何度もありますが、下手のまま、いつまでたっても上達しないので、最近は絵のほうはなしですませています。
藤沢周平の傑作小説『蝉しぐれ』について、海坂藩の城下町が見事な絵図面として再現されていて、この本でも見開き2頁で紹介されています。少し丸っこい、読みやすい字とプロの描いたと思わせる絵図面なので、その見事さについつい唸ってしまいます。
井上ひさしは江戸時代後期の女性について、「労働奴隷」というのはあたらない、案外のびのびと勝手に暮らしていたとしています。持参金制度も、夫をしばるもので、女性(女房)は夫から大事に扱われていたのです。働き者で経済力があり、笑いさざめきながらも物見遊山の旅を楽しむ女性たちもいたそうです。私も、まったく同感です。
井上ひさしの本に『東京セブンローズ』というものがあります。これは、一井人の日記を題材(素材)にしています。
市井人の日記を古書店で入手するわけだが、高値のつくのは、そのときどきのモノの値段を丹念に記録している日記が断然、値が高い。
これは、なるほどだと私も思います。天候(その移り変わり)とモノの値段は、あとから(後世に)、書き足しようがありません。嘘はいつかバレますし、嘘がバレたら、もう取り返しはつきません。少なくとも表舞台からは追放されると思います。
アベ政治を継承したというスガ首相の国会答弁のブザマなことは腹が立つと同時に涙がほとばしるほど悲しくなります。首相が自分の言葉で日本をどうするのか政策を語らないというのは、ちょっと信じられません。
井上ひさしが生きていたら、今、何と言うかな…、そう想像するキッカケになった本でもありました。
(2020年8月刊。2000円+税)

森浩一 古代学をつなぐ

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 前園 実知雄、今尾 文昭 、 出版 新泉社
古墳時代とは、古墳が墓ではなかった時代のこと。古墳は墓ではあったが、墓以上の機能をもっていた。つまり、非常に政治的なものを墓に話していた。それは、権力なり権威の象徴であって、その力を示すものとして、規模や形が、政治をふくめた世の中の仕組みのなかで大事な機能をもっていた。その必要がなくなったとき、前方後円墳の古墳時代は終わった。前方後円墳をつくる意味がなくなったのは6世紀の終わり。
大きな古墳は広い土地を占めている。この広大な土地を権力者が所有している。しかし、土地の公有化がすすんでいった。土地の私有化が認められなくなったのが古墳がつくられなくなった最大の理由。そして、人々の死生観も変わったことにもよる。一つの石室に7体も8体も入れるようになった。
壬申の乱(672年)は、大海人皇子がクーデターを起こして大友皇子を殺し、天武天皇となった。この大友皇子は即位していた可能性があり、明治以降に弘文天皇という名前がついている。そして、この天武天皇のときに「日本」という国号ができた。それまでは「倭の国」と呼ばれていた。
仏教の興ったインドでは、死者は火葬する。しかし、中国は火葬せず、遺体は残す。日本で最初に火葬した(700年)のは、道昭という僧侶。次に持統天皇。朝鮮半島でも王様は火葬。日本では、持統天皇のあと、文武、元明、元正天皇まで火葬で、その後は土葬。遺体を火葬すると、大きな墓を作らなくてよいという利点があった。
高松塚古墳、キトラ古墳、マルコ山古墳に葬られた人は、最高級の位にある人とは考えられない。
森浩一は、邪馬台国は九州かヤマトかと二分はしない。卑弥呼のときまでは九州で、台与(とよ)のときはヤマト。つまり、東遷説をとった。九州説として、具体的には筑後国山門郡に強いこだわりを示した。
三角線神獣鏡は日本各地に550両以上も出土しているが、中国からの確実な出土例は、今に至るまで1両もない。
日本国内で、これまでに知られている、もっとも古い製鉄遺跡は吉備(岡山県)にある。
6世紀に日本国内で鉄づくりをするようになったので、朝鮮半島南部から鉄を輸入する必要がなくなった。日本国内で製鉄が始まったのは、倭政権と鉄を通じて、密接な関係にあった伽耶諸国が滅亡したことによる。これによって、国内で、鉄づくりを始めざるをえなくなったのだ。
朝鮮半島西南部地域に「仁那日本府」なるものは存在しなかった。そもそも、5世紀にはまだ「日本国」はなく「倭国」であったし、倭国の人々が朝鮮島の一角を領土として納めていたかどうか、はなはだ疑わしい。
森浩一は、考古資料をもって、「仁那日本府」の存在を証明することはできないとした。
朝鮮半島からの渡来人がもたらした技術や文化が、日本列島の古墳文化を変質させた。
森浩一は7年前の2013年8月に85歳で亡くなったが、生前に200冊以上の本を刊行している。歴史学(古代史)の第一人者だった森浩一を語り尽くしている感がある本です。
(2020年8月刊。3500円+税)

レオナルド・ダ・ヴィンチ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 池上 英洋 、 出版 ちくまプリマ―新書
中世イタリアの生んだ天才画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの現存している絵画はわずか15点ほど。そして、その3分の1は未完成のまま。かの有名な「モナ・リザ」(ラ・ジョコンダ)も未完成作とのこと。これには驚きました。
「モナ・リザ」は、私もパリのルーブル美術館でみることができました。意外に小さな絵でした。幸いにも、それほど見物客がいなかったので、すぐそばで、じっくり鑑賞することができました。もう20年も前のことです。
イタリアは、なんと今も昔も文書の国で、人口の調査書や税の申告書類、裁判記録から教会の洗礼者名簿にいたるまで、大量の書類が作成されていて、律儀に保管されている。ええっ、日本と似ているのですね。江戸時代の庄屋文書が今に伝わっているのと同じことでしょうね…。
父親の名前は、セル・ピエロ。セルとは公証人をしていたことを意味する。母親は恐らく小作農の娘で、二人のあいだの階級差のため、正式な結婚はしていない。
「ダ・ヴィンチ」というのは、「ヴィンチ村の出身」という意味。
レオナルド・ダ・ヴィンチには、1人の実母と4人の継母、そして16人もの異弟妹がいた。レオナルドのような婚外子は、出世するのに大きなハンデを背負わされた。
レオナルドは、ラテン語を習わず、左利きなので、右利き用のアルファベットを左右反転させて書いた。これが有名な「鏡文字」だ。
レオナルドには「未完成癖」があったとしています。遅筆のうえにきちんと完成させなかったというのです。これって、当時の画家にとって致命的なことですよね。それでも、これだけ有名になるのですから、さすが天才です。
レオナルドの時代には、まだトマトは食べられていなかったし、コーヒーや紅茶もなかった。それでは、いったい、何を飲んでいたのでしょうか。まさか、ワインではないでしょうね…。
レオナルドは生涯、独身で過ごした。同性愛者には間違いない。
レオナルドには親友と呼べる存在が見あたらない。
「モナ・リザ」のモデルが、その夫からの注文絵画だとしたら、妻が指輪をしていないはずがない。
レオナルドは、若きフランス王フランソワ一世の招きでフランスに行き、67歳で亡くなります。私もレオナルドの墓のあるアンボワーズ城に行ったことがあります。まだ50代のときでしたから、ロアール河ぞいのシャトーを歴訪したのです。
たまには、こんな天才の絵をしっかり眺めてみるのもいいものですよね…。
(2020年5月刊。980円+税)

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