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女帝の古代王権史

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 義江 明子 、 出版 ちくま新書
古代の大王(天皇)の即位年齢の高さには驚かされます。
継体58歳、用明46歳、天智43歳と、ほぼ40歳以上。女帝のほうも推古39歳、皇極49歳、持統46歳。
7世紀の末に、祖母である持統の強力な後見のもとで、文武(もんむ)天皇が15歳で即位するまで、6~7世紀の日本では、熟年男女による統治が続いた。というのも、このころ、日本は、中国・朝鮮諸国との対立・緊張関係のもとで、倭国が古代国家としての体制を確立していく激動期だったから、支配機構が未熟ななかで、大王には群臣を心服させるだけの統率力・個人的資質が必要だった。なので「幼年」の王はありえなかった。
欽明が31歳で大王に即位しようとしたとき、31歳では「幼年」なので、国政を担うには未熟とみられたと『日本書紀』に書かれている。斉明は即位したとき62歳、皇子の中大兄は30歳。
群臣が統率力のある大王を選ぶとき、男女がという性差は問題にならなかった。
卑弥呼が「共立」された3世紀から、連合政権の盟主が倭王となる4~5世紀を通じて、血統による王位継承は原則となっていなかった。王は、連合を構成する首長(有力豪族)たち(群臣)が選ぶものだった。
平城京の発掘がすすむなかで、内裏(だいり)のなかにキサキたちの居住空間、後宮殿舎に相当する建物は存在しないことが明らかになった。奈良時代の皇后・キサキたちは、内裏の外に独自の宮(宅・ヤケ)を営んでいた。そして、キサキたちは、それぞれ自分の宮で、自分の生んだ御子(みこ)を育てていた。
古代は、男女の合意による性関係が、すなわち婚姻だった。女性の合意がなければ、姧とされた。
古代の婚姻の基本は、妻問婚(つまどいこん)といわれる別居訪問婚。
8世紀ころまで、男女の結びつきはゆるやかで、簡単に離合を繰り返した。男が複数の女のもとに通う一方で、女も複数の男を通わせることのできる社会だった。
奈良時代の貴族男女は夫婦別墓を原則とした。それは、男女別々の公的「家」の維持をはかる国家の方針でもあった。
7世紀半ばまでの王宮は、新しい大王が即位するごとに新たな宮にうつった。これを歴代遷宮といった。大王ごとに政治基盤となる勢力が変動し、その本拠地が異なっていたからだ。
7世紀から8世紀初めにかけて、倭で推古、皇極(斉明)、持統、新羅で善徳、真徳、唐では則天武后と、女性の統治者が輩出した。しかし、その後は途絶えた。
7世紀と同じく、8世紀も男帝と女帝が、ほぼ交互に即位した。このとき、女はこれまでどおり熟年で即位し、男は年少でも即位した。熟年で即位し、経験を積んだ「女帝」が退位後も未熟で年少の「男帝」を補佐し共治するという形態は、持統が創始した。
女帝は決して、中継ぎの臨時的なものではなく、したがって名目的な大王ではなかったということが明快に解説されています。古代日本を知りたい人、「万世一系」の天皇制に疑問をもつ人には必読の新書だと思います。
(2021年3月刊。税込924円)

摩訶不思議な生きものたち

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 岡部 聡 、 出版 文芸春秋
私は日曜日の夜、録画した「ダーウィンが来た」をみるのを楽しみにしています。生物界の神秘の映像を茶の間で気楽にみれるなんて、実にすばらしいことです。でも、みながら、こんな映像を撮っているカメラマンたちスタッフの苦労にときどき思いを至します。
著者は、そんな生物ドキュメント映像を撮るために40ヶ国に出かけ、100種以上の動物に出会いました。そのなかで、何度も怖い目、死んで不思議がないような体験をしています。野生のトラがすぐ目の前にきていたなんて、怖すぎます。
モーリタニアでは野生のハンドウイルカが人間のボラ漁を手伝うのです。イルカだって利益があります。イルカは、人間が投げた網に驚いて逃げるボラを捕まえようと、人間のほうにボラを追い込んでいた。
タテガミオオカミは、ロベイラという苦味のある果実を食べる。これは、タテガミオオカミの腎臓に線虫が寄生していて、放っておくと腎機能が低下して長生きできなくなる。苦いロベイラを食べることで、線虫を駆除している。つまりロベイラの薬効をタテガミオオカミは知って利用しているわけだ。
体長12メートル、重さ15トンにもなるジンベエザメは、クジラに次ぐ巨大生物。ジンベエザメには目立った歯はなく、食べ物は小さなプランクトン。大きな口を開け、海水ごと飲み込み、えらで漉(こ)しとって食べる。巨体を支えるのに必要な量の食べ物を得るため、1日にプール2個分もの膨大な海水をろ過している。
ジンベエザメの寿命は70年。地球上に棲むジンベエザメは、すべて一つの家族のようなもの。これは、世界各地のジンベエザメの遺伝子を比較して判明した事実だ。
オオアリクイには歯が一本もなく、舌が異様に長く、体温が哺乳類のなかで最低。オオアリクイはアリを主食とするが、決して食べ尽くすことはしない。こうやって決してなくなることのない安定した食料資源になっている。
オオアリクイは、舌全体の長さを35%も変化させることができる。口の先から舌を30センチ以上も外に出して、アリを舐(な)ととって食べる。舌を出し入れする速さは1分間に150回。1秒あたり2.5回。オオアリクイの舌から粘液が出て、アリをすくいとる。では、どうして、その粘液は口の周囲をベトベトにしないのか…。
オオアリクイの舌の粘液は、シロアリをくっつける瞬間には粘り気があるのに、口に戻ったときには粘着性がなくなる。
サルの親は子どもサルに食べ物を与えることはしない。積極的に与えるのは人間だけ。チンパンジーやオランウータンでも、そばにいる子どもが自分の食べているのを横から取ることを許すだけで、与えることまではしない。
フサオマキザルは、ヤシの実を石にぶつけてエサをとる。これには2年から4年以上もかかることがある。
面白い本でした。さすが「ダーウィンが来た」のディレクターだった人による本です。
(2021年4月刊。税込1760円)

宇宙飛行士選抜試験

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 内山 崇 、 出版 SB新書
「こうのとり」の宇宙飛行に関わりながら、自らも宇宙飛行士として、子どものころからの夢を実現しようとした人による過酷な宇宙飛行士選抜試験の実情が生々しく紹介されています。著者は最後の10人の1人にまでは到達したのですが、残念ながら、最終合格できませんでした。このとき、油井飛行士が選ばれています。
どんなにハードな試験なのか…。
たとえば、エアーカロリック検査。これは、めまいを誘発させる検査。耳に温風(44度)、冷風(30度)を交互に1分間ずつ吹きかけるというもの。かつては、温風冷風の替わりに温水冷水を耳に注入したという。すると、突然、めまいが襲いかかる。ぐるぐるぐると、目が回り、止まらない。そして、深呼吸する。冷や汗をかいていることが自分でも分かる。このあと、回転イスに座らされる。回転イスの速度は1分間に4回転から始まり、5分ごとに速度が上がる。そして、指示に従って頭を倒す。めまいが起きる。瀕死の状態になる…。
うひゃあ、こ、これだけで、もう私は耐えられません。
そして、閉鎖環境試験。いやです、絶対に嫌。こんな試験は私は受けたくありません…。
隔離されたエリアに10人が1週間のあいだ寝泊まりし、ずっとずっとカメラによって監視され、いかも、いろんなタスク(注文というか指示)が課せられます。腕にはアクチグラフという腕時計のようなものをつけさせられ、24時間、活動状況が記録される。部屋には複数のカメラが常時、記録している。すべての発言と行動が監視され、記録される。いやはや…。
シャワーは1人10分。消灯は12時、起床は6時。課題は、たとえば、1日に1時間、4日間で、ひとり100羽の鶴を折る。むむむ、これは、簡単そうで、実は難しい…。
そして、質問を受ける。10人のなかで、選ばれたチームは3人だとして、一緒に組みたい2人は誰。組みたくない2人は誰。その理由は…。
いやはや、これも答えるのが難しいですよね。
宇宙飛行士の選抜試験は、日本(JAXA)は、応募者963人で合格者は3人。
カナダは、応募者は5350人で、合格者2人。日本より10倍もヨーロッパは応募者
8413人、合格者6人。日本は宇宙飛行士になりやすい国かも…。
宇宙飛行士になる試験とは、どんなに苦しい局面でも決してあきらめず、他人を思いやり、その言葉と行動で人を動かす力があるか。その「人間力」を徹底的に調べあげる試験。著者は、最終合格こそしなかったものの、これは、宇宙飛行士として生きる「覚悟」と、ミッションを共にする仲間と築く「信頼」こそが宇宙飛行士として求められている、としています。
今では30億円も出せば、宇宙観光に行けるようです(宇宙に出るだけなら2800万円ですむとのこと)が、宇宙飛行士になるには、そんな巨額のお金ではない、お金に替えられないものが求められるということがよく分かる本でした。若い人には、日本人に限らず、ぜひぜひ挑戦してほしいですよね…。
(2020年12月刊。税込990円)

カランヂル駅

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ドラウジオ・ヴァレーラ、 出版 春風社
タイトルに駅とついていますが、刑務所の話です。
1992年10月2日、ブラジルはサンパウロカランヂル刑務所で、収容者111人が軍警察によって虐殺された。この事件は、私もうっすらとした記憶があります。
著者は、この刑務所に志願して医師として働いていました。刑務所における収容者たちの素顔をそのまま紹介しています。私はみていませんが、映画にもなっている(2003年。日本は未公開)とのこと。機会があれば、ぜひみてみたいです。
7000人もの収容者をかかえる刑務所でしたが、今は存在しません(2002年に閉鎖)。
刑務所には、さまざまな掟があり、収容者による自治が「確立」していて、刑務所当局も、この「自治」を尊重しながら、毎日、なんとか運営していた。圧倒的に少ない職員で、刑務所を平穏に運営するには、「自治」に頼るしかないのでしょうね…。
この刑務所では、紙に書かれていない刑法によって、厳格に統制されている。
借金を返す。仲間を売らない。他人の客は尊重する。身近な男の女には手を出さない。連帯と相互の利他主義を実践する。これらのことが囚われた男たちに尊厳を付与する。求められた礼を欠いたときには、社会的な軽蔑、肉体的罰、ときには死刑によって罰せられる。
「犯罪者の世界では、約束の言葉は軍より力を持つ」
掟を破ったものは「死刑」にもなる。この処刑は大勢が関わる、公然としたものなので、まさしく秩序維持の一環だった。そして、刑務所の房(部屋)も所有者がいて、有料で賃貸されていた。刑務所内では、すべてがお金で動く。基本通貨はタバコ。
刑務所の外から女性が訪問して、部屋でセックスできる。これは誰も邪魔することは許されない。他人の女性に手を出すことは厳禁。違反した罰は厳しい制裁。
まあ、それにしても刑務所内で医師として長く働いた(働けた)というのは、著者の人徳なのでしょう。
この刑務所には、いくつかの5階建ての棟があり、棟のなかの房(部屋)は朝に開錠され、夕方に施錠される。日中は収容者は自由に敷地内と通路を移動できる。他の棟へいくには通行証がいる。
房ごとに所有者がいて、市場価格がある。一番安いのは150から200レアル(5棟)。もっとも高いのは2000レアル(8棟)。上等なタイルが使われ、ダブルベッドと鏡がついている。
デンプンと脂肪だけはふんだんな食事のため、収容所は運動不足もあって、肥満になる。
房で盗みに入って見つかると、「牢屋のネズミ」のレッテルを貼られ、お尻をナイフで切り刻まれる。
この刑務所の収容者の17%がHIVに感染した。コカインの静脈注射によるものと、トラヴェステ(同性愛者)の8割近くが感染した。
清掃班がいて、所内を統制している。だから所内は清潔だ。
刑務所内の秩序は清掃班によって維持される。そのリーダー(統括)は、腕っぷしが強いわけではない。むしろ、寡黙で、非常に良識を備えている。争いを仲裁し、みんなを統率する能力を有していたことから選ばれる。ここでは、リーダーは、正しい声を聴き分け、仲間と話し合いができ、力を持つために団結させることができる人間がなる。
看守には、収容者をまとめるキーパーソンと連携できる能力が、刑務所の平穏と自分の身の安全のために欠かせない。看守の仕事の本質は、権謀術数を用いて、「悪党」どもを分裂させて統治することにある。
刑務所では、レイプ魔は忌み嫌われ、憎しみの対象となり、それが判明したら、生きていくのは難しい。
仲間を売るより、他人の罪をかぶるほうがいい。無実の罪を着せられたときには、真犯人が、その恩に報いるために、骨折ってくれる。刑務所にいる収容者には冤罪だらけだ。
いやあ、ブラジルの刑務所の驚くべき実態を実に詳細に知ることができました。でも、人間って、どこでも同じなんだな…、とも思いました。350頁の本を一気読みしました。一読の価値ある本です。
(2021年3月刊。税込3960円)

中世は核家族だったのか

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 西谷 正浩 、 出版 吉川弘文館
この本のタイトルになっている問いかけに対して、本書は繰り返し、そのとおりだと答え、立証につとめています。なるほど、中世の家族というのは、そうだったのか、それは農業生産力の発展段階に見合ったものなのか…、得心がいきました。
中世の村では、おそらく男子も女子も生家を出て新たに世帯を形成する慣習が存在し、核家族が支配的な家族形態だった。
一般に男子は15歳、女子は12歳から14歳で成人した。男女ともに、人は結婚して所帯をもって、はじめて真の一人前とみなされた。男子の適齢期は16歳から25歳で、20歳にピークがあり、女子の適齢期は14歳から20歳で、17、8歳がピークだった。当時の若者には、親元からの速い巣立ちと結婚をうながす強力な社会的圧力が働いており、早婚社会だった。中世の民衆社会は、夫婦関係に依存して生きていくほかない社会であり、独身のままでいることには大きな困難をともなった。
親と成人した子どもは、それぞれ独立して財産を所有し、農業経営も核家族単位でおこなうというのが、当時の常識的な考え方だった。
配偶者の死亡率は高く、若い寡婦は再婚するのが普通だった。
中世民衆の家族構造は、単婚の核家族で、分割相続を基本とした。
中世においては、階層をこえて親子二世代夫婦不動居の原則が根強く存在していた。中世社会は、その原点において、夫婦一代ごとの家族形成を原則とする核家族社会だった。
支配者層は米を常食としたが、中世・近世の庶民の主食は麦だった。米の価格は、麦の3倍もした。庶民が米を食べるのは、正月・盆など年に26日あるハレの日だけ。
お米はベトナム南部(占城、チャンパ)から渡来してきた大唐米(だいとうまい)。風害に弱く、味も悪かったが、虫害・干害に強く、価格が低かった。
中世には、農業は男の仕事で、女は衣料の生産に従事していた。木綿は江戸時代から庶民の日常衣料となったが、中世は「苧麻」(からむし)の時代だった。女性は、この苧麻から衣料をつくるのに時間をとられた。近世になって、衣料が商品化したことで、女性は衣料生産労働から解放され、女性も農作業に本格的に参加できる(する)ようになった。百姓の妻女が紡(つむ)いだ衣料は、百姓自身の日用品であるとともに、一家の大事な収入源でもあった。
古代の百姓(はくせい、ひゃくせい)は、一般人民(公民)を表した。中世になると「ひゃくしょう」と読み、一般庶民や荘園の年貢の負担者を指した。必ずしも農民ではない。
日本の農業は規模が小さく、中世前期の農業は、「中農の時代」だった。
中世社会では「百姓の習(なら)ひは、一味(いちみ)なり」と言われるが、日常的に団結していたのではない。むしろ、利害関係が錯綜しているなかで、矛盾や対立を抱えた者たちが共通する強敵を前にして、他の問題を当面棚上げして臨時的に結成したのが中世の一揆だった。
古代村落の大半は9世紀から10世紀にかけて消滅していて、中世にはつながっていない。中世の村の多くは、地域開発にともなって、11世紀以降に誕生した。
中世の村と人々についてのイメージを大きく変える感のある力作です。
(2021年6月刊。税込1870円)

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