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一度きりの大泉の話

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 河出書房新社
1970年から2年間ほど、東京都練馬区大泉の2階家で竹宮恵子と共同生活していたころのことを振り返った本です。
大泉の共同生活を解散したあと、著者は竹宮恵子とはまったく没交渉となり、その作品も全然よんでいないとのこと。なぜか…。
「あなたは、私の作品を盗作したのではないのか?」
「あなたは男子寄宿舎ものを描いているが、少年愛を知らないあなたの作品は偽物(ニセモノ)だ。偽物を見せられると、気分が悪くてザワザワするの」
「書棚の本を読んでほしくない」
「スケッチブックを見てほしくない」
そして、3日後…。
「このあいだの話はすべて忘れてほしい。全部、何も、なかったことにしてほしい」
なるほど、こう言われてしまったら、もう竹宮恵子の作品は読まないという著者の決断は理解できますよね。
この話は、前提として、竹宮恵子は少年愛、つまり少年同士の同性愛に関心があり、それを題材にしたマンガを描いていたことにありますが、これに対して、著者は、少年愛は理解できず、テーマとしていないのです。
著者は、両親とのあいだで激しい葛藤をかかえていました。
「あんたは買い物もできないの」
「あんたはダメ」
これは母親のコトバ。父親は「女には学問はいらない。生意気になるから」と言った。
大牟田で三井の社員だったようです。両親は、マンガを描く仕事をくだらない、恥ずかしいものと思っていた。著者が親と一緒に生活していたときは、親の機嫌をうかがいながら、ビクビクしてマンガを描いていた。何かで親の機嫌を損ねると、親は怒りに血相を変えてすぐにマンガ禁止を言い出した。
著者は大牟田出身。三川鉱大災害が起きた1963(昭和38)年11月9日は、船津中学(「舟」ではありません。14頁)校の2年生で文化祭の準備をしていた。私は、隣の延命中学校3年生でした。土曜日の午後でしたが、何かテストを受けていた記憶があります。ドーンという大音響がしたので3階から外を見ると校舎の遠くに黒煙が見えました。
実は、私の母と著者の母親は福岡女専の同窓生で、著者の母親は我が家によく顔を出していました。私が小学生のころだと思います。なんので、よく顔を覚えていました。大人になった著者の顔写真を見て、「あれっ、お母さん、そっくりだ…」と、つい叫んでしまったほどでした。
竹宮恵子は1950年生まれ、著者は1949年生まれ。同じ学年です。でも、竹宮恵子は先にマンガ家として活躍していました。
著者は竹宮恵子の才能を認めていて、高く評価しています。
青空のような明るさ、いつも前向き、心が伸びやか。
竹宮恵子は著者に嫉妬したのではないか…。そこには排他的独占愛があったのでは…。
著者は無自覚に、無神経に竹宮恵子を苦しめていた…。なので、思い出したくない、忘れて封印しておきたい。
いやあ、才能ある人々の人間関係というのも大変なんですよね…。思わず引き込まれた本でした。
(2021年5月刊。税込1980円)

自由法曹団物語

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
先日、「時の行路」という映画(神山征二郎監督)を福岡・赤坂でみました。2008年9月、リーマンショックを口実に日本の自動車メーカーは一斉に非正規労働者を「派遣切り」しましたが、このとき、トラックメーカーのいすずも栃木工場と藤沢工場で812人の派遣社員全員を首切りしました。いすずは派遣会社との労働者派遣契約を契約期間の途中で解約し、それを受けて派遣会社が派遣社員を解雇したのです。11月14日に解雇して、年末までに寮からの退去も求めました。もちろん、いすずだけではなかった。トヨタは7800人、日産1500人、マツダ1300人、スズキ600人、日野自動車500人という大量の首切りでした。
これに対して、いすずでは労働組合JMIUの支部が4人の派遣社員で結成されていて、会社(いすず)とのたたかいが始まったのです。自由法曹団の弁護士たちが組合を応援しました。
この2008年12月末には、東京・日比谷公園で年越し派遣村が取り組まれ、マスコミも大々的に報道しました。自由法曹団の弁護士たちも派遣村運営の実行委員となって連日泊まり込みをして支えました。この派遣村については大々的に報道されたこともあって、多くの人が関東周辺から歩いて日比谷公園までやってきて救いを求め、また救われたのでした。それでも27歳の男性が所持金2200円となり、JRに飛び込み自殺するという悲しい事件も起きてしまいました。
いすずで結成された労働組合支部は雇い止めの不当性を訴えて裁判に踏み切りました。ところが、東京地裁(渡辺弘裁判長)は、会社側の主張を全面的に認め、雇い止めを有効と判断したのです。もちろん、ただちに控訴しましたが、東京高裁は、社長などの証人申請を全部却下して、控訴棄却。最高裁も上告を受けつけなかったのでした。
映画「時の行路」はハッピーエンドの話ではありません。日本の司法が大企業に有利で、労働者に対してあまりに冷たいという現実をありありと示しています。ところが、負けても主人公の表情は、人としてやるべきことをやったという明るい表情を最後まで崩しませんので、その意味では暗い、悲惨な結末ではありませんから、救われます。
そして、現実にも労働組合JMIUはいすずと交渉して争議を全面解決させ、主人公のモデルは市会議員としての活動に転じたというのです。捨てるカミあれば、拾う神もあるということなのでしょうね。
大企業の自分勝手な使い捨てを許さないという闘いが今もあること、そして、それを自由法曹団の弁護士たちが支えていることが、よく分かる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込2530円)

百年戦争

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 佐藤 猛 、 出版 中公新書
ジャンヌ・ダルクが活躍したのは百年戦争のとき。
この戦争は14世紀(1337年)から15世紀(1453年)まで続いた。日本でいうと足利尊氏が室町幕府を開くころからの100年になる。
前半はイングランド軍が圧勝し、後半はジャンヌ・ダルクの活躍によりフランス軍が最終的に勝利した。戦乱のなかで、イギリスとフランスの貴族が没落し、教会は権威を喪失して、やがて宗教改革の嵐が到来する。百年戦争を通じて、中世という時代が終わった。
イギリスとフランスの両王家は婚姻関係でつながっていた。
当時のヨーロッパでは、識字率は低く、支配階級でも少なかった。
百年戦争は、フランス王国の支配をめぐる戦いであると同時に、地方の独立をめぐる戦いでもあった。百年戦争は、1337年、イングランド王エドワード3世がフランス王フィリップの王位継承に異議を唱えて始まった。当時のフランス王家には、日本の皇族典範のような法典も、明確な王位継承順位もなかった。百年戦争は、決して「イギリス人とフランス人」のあいだの戦争ではない。百年戦争の根本原因は、イギリス大陸をめぐる積年の封建的主従関係の存在だと考えられている。フランス王の王位継承というのは開戦の口実にすぎなかった。
百年戦争は、ヴァロワ王権に対するフランス地方貴族の大反乱を有していた。
終結したのは1453年。フランス軍はイギリス軍からボルドーを取り戻し、イングランド軍は大陸から全面撤退した。
このころ、イングランド王国の人口は500万人。フランス王国は1700万人。約3倍の国力があった。イングランドの3倍の人口をもち、2倍の兵力を有するフランスがなぜイングランドに連敗したのか…。
フランスでは、統一国家と言える状況にはなかった。
戦争のさなかの1348年にはペストが大流行した。人口が増加し、食糧不足のもとでのペスト流行だった。ペストは、パリの人口の4分の1を、ブリテン島では人口の4分の1から5分の2を奪った。
教皇庁は、ローマからアヴィニヨンに逃れていて、教会は大分裂の時代だった。
英仏のあいだで休戦が成立すると、兵士たちは報酬がもらえないので、より一層、略奪に明け暮れた。
フランス王は、軍資金を調達するため、聖職者・貴族・平民と言う三つの身分代表を集めた三部会を招集して、課税の承認を求めた。
1355年、パリの三部会は、3万人の兵士を雇うため3.3%の消費税と増税を承認した。
中世ヨーロッパの戦争では、敵軍兵士の殺害よりも、捕虜をとることが優先された。身代金が目的だ。身分の高い者の身代金は高額だった。ジャン2世の身代金は300万金エキュ、うち60万金エキュの支払いによってジャンの身柄は釈放される。そのあと、毎年40万金エキュの分割払いとする。完済まで、フランスから王権が人質としてイギリスに渡る。
ジャンヌ・ダルクの登場は、1429年なので、百年戦争終結(1453年)直前になります。1431年に異端審問の末、処刑されたのでした。
百年戦争を概観できる手頃の解説書です。
(2020年4月刊。税込1012円)

かぐや姫は、どうやって月に帰ったの?

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 寺田 健太郎・いぬいまやこ 、 出版 大阪大学出版会
「かぐや姫は、満月の夜におじいさんとおばあさんに見送られて月に帰っていきました…」
実際、満月のとき地球から月に吹く風に乗れば、30分で月に着くというのです。ええっ、本当でしょうか…。
地球と月とは、38万キロも離れている。これは、地球を30個ならべた距離。飛行機で休まずに飛ぶと、20日間、車で走り続けると6ヵ月、歩いたら10年かかる。
太陽風(ふう)は、大阪から東京まで1秒で着くくらいの速さ。これに対して台風だと、木の葉が運動場の端から端まで1秒で飛んでいく速さ。
地球上の表面では、空気でいちばん多い粒は、窒素。宇宙に近づくと、バラバラの酸素が多くなる。
満月のときは、太陽と地球と月が一直線に並ぶ。そして、満月のときには、太陽風に吹き飛ばされた地球の酸素が月に届いている。この地球からの酸素の風は、1秒間に200キロ進むほどの速さ。30分で月にたどり着く。
月は、地球の4分の1もある大きな衛星、こんな大きな衛星が地球のまわりをまわっているから、地球の軸はふらふらしないで、毎年、安定して春夏秋冬という四季を過すことができる。
大阪大学の寺田博士が、月に地球の酸素が届いていることを発見したのをご本人が分かりやすいマンガ(絵はいぬいまやこ)で紹介している楽しい本です。学者の本も、ここまでくると、本物です。子どもたちに、なんとか難しいことをやさしく伝えたいという気持ちが伝わってきます。子どもと一緒に読んでみてください。
(2020年10月刊。税込1870円)

天才 富永仲基

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  釈 徹宗 、 出版  新潮新書
 江戸時代の中期に31歳の若さで亡くなった町人学者の話です。仏教について、まったく分からないままの私ですが、仏教経典を読破して、成立過程を明らかにして、仏教思想を解明した若き町人学者がいたというのですから、驚きます。20歳までに仲基は仏典をほぼ読破していたというのも信じられません…。
阿含(あごん)経典類は、釈迦滅像200年から300年たって現在の形にととのえられたもの。大乗経典は、仏滅後500年もたってから現われはじめたもの。般若経典や法華経は1~2世紀に成立し、華巌経は4世紀に成立した。大乗経典は、小乗経典成立後に編纂され、大乗経典を低く評価することで、自説の優位性を主張している。
 仲基はこう言った。インドの俗は幻を好む(神秘主義的傾向が強い)、中国は文を好む(レトリックを重視する傾向が強い)。日本は秘を好む(隠蔽する傾向が強い)。
 仏教経典が文字化されたのは釈迦滅後、2~300年してからのこと。それまでは口伝だった。初期の教えを伝えているパーリ語経典や阿含経典は、紀元前3世紀から紀元後5世紀までに編纂され体系化されていった。
 法華経や般若心経など日本によく知られている経典の大半は大乗仏教の経典である。その大乗経典は、大乗仏教の展開にともなって制作された。
 釈迦には3人の妻がいた。もともとの仏教では、肉食に対して、それほど厳格ではなかった。知らないことばかりでした。
 20歳までに仏教の経典をあらかた読み終えたなんて、とても信じられません。
(2020年9月刊。税込880円)

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