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自由法曹団物語

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
2004年3月30日、社会保険事務所に勤める国家公務員が警視庁公安部に逮捕された。その逮捕直後の家宅捜索の現場にはテレビ局がカメラの放列を敷いていた。
罪名は国家公民法違反。起訴事実は、衆議院議員選挙に際して、自宅周辺地域に「しんぶん赤旗号外」を配布した行為が公務員の政治的活動を禁止した国家公務員法に違反するというもの。
最高裁判所は、猿払(さるふつ)事件で、一審・二審の無罪判決を覆して有罪判決を出していたが、憲法学界も世論も厳しく批判していた。なので、その後、37年間も国公法違反で起訴された人はいなかった。
裁判(公判)前に証拠開示をめぐって弁護団は裁判所で法にもとづいて要求してがんばった。そして、ついに裁判所は証拠開示命令を発した。その結果、検察官はしぶしぶビデオテープ等を提出した。すると、警視庁公安部は1人の国家公務員の私生活について、のべ171人も投入して尾行・追跡調査をしていた事実が判明した。
私も、そのビデオ映像を見ましたが、そこに投下された莫大な労力に呆れ、かつ、怒りを覚えました。要は、国家公務員が休みの日に私服で自宅周辺の地域に全戸配布のビラ入れをしているというだけの話です。そのビラは合法ビラですから、現行犯逮捕できるようなものでもありません。
平日は2人から3人、土日・祝日は公安警察官が私服で11人も尾行していました。たとえば、2003年11月3日は捜査官11人、ビデオカメラ6台、自動車4台です。盗撮しているビデオカメラは、黒っぽい肩掛けバックに入っていて、網のかかった丸穴からカメラのレンズで撮影していました。こんなことを29日間、のべ171人の公安警察官がしていたのです。まるで凶悪犯人でもあるかのような扱いです。この人は、ただビラを休日に配ったというだけなんですよ…。警視庁公安部というところは、よほどヒマをもてあましている役所のようです。こんな部署に税金をつかうのはムダの極致でしかありません。即刻、廃止せよとまでは言いませんが、大ナタをふるって人員と予算をバッサリ削減すべきです。
問題なのは、私も見たビデオ映像の扱いです。弁護団はテレビ朝日に裁判所で得た映像を提供した。しかし、それは、刑事訴訟法の「目的外使用」にあたる可能性がある。弁護団は、懲戒請求されたら受けて立つと覚悟を決めた…。幸いにも、懲戒請求はされなかったようです。
そして、刑事裁判です。一審(毛利晴光裁判長)は腰が引けていて、罰金10万円、執行猶予2年の判決。もちろん、控訴。東京高裁(中山隆夫裁判長)は、弁護団が忌避申立したほどの強権的な訴訟指揮をしたものの、判決は「被告人は無罪」としたのです。被告人のビラ配布行為には常識的にみて「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を損なう抽象的危険すらなく、このような行為を罰則で禁止することは憲法31条に違反するので無罪としました。被告弁護側の完全勝利。このあと、最高裁は、上告棄却したが、その理由は構成要件に該当しないので無罪とするというもので、中山判決よりは後退していた。残念ですが、中山判決の意義は消えません。
自由法曹団の弁護士たちは、選挙運動における国民の選挙活動の自由を守って全国で取り組みをすすめています。そのなかで公務員の政治的活動の自由の拡大も主要課題の一つとして取り組んでいるのです。
それにしても、このビデオ映像は、公安警察は日常的に市民の政治的活動を監視している現実を示すものとして、広くみられるべき価値があるものと思います。ぜひ、ご覧ください。希望者は、私もお手伝いできますので、ご連絡ください。
(2021年5月刊。税込2530円)

公務員という仕事

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 村木 厚子 、 出版 ちくまプリマ―新書
高知県に生まれ、高知大学を卒業して労働省でキャリアの国家公務員として働きはじめ、37年間に22のポストを歴任し、ついには厚労省の最高ポストである厚生労働事務次官に就任した著者による公務員の仕事論です。
もちろん、途中で郵便不正事件で逮捕され、苦しい刑事裁判のすえ、画期的な無罪判決をもらっています。検察官によるインターネット記録の書き替えが発覚したのでした。
事務次官を退任したあとも、今なお華々しく活躍しておられることは周知のとおりです。この本は、基本的には、若い人に向けて、公務員とは、こんなにやり甲斐のある仕事なんですよ、と積極面を強調したものです。漠然と官僚を志向したこともある私にとっても異論のない記述が続きます。
でも現実は、内閣人事局による幹部人事の一元管理が強まり、忖度行政があまりにも目立ち、つくづく嫌になるばかりです。これでは公務員志望が減るのも当然です。森友学園での国交省、加計学園での文科省、アベノマスクでの経産省、桜見る会の総務省、思い出すだけでも反吐(へど)が出そうなキャリア官僚たちの不様(ぶざま)さは、哀れそのもの、見てられませんでした。
人が自分の一生の仕事を選ぶときに大切にしたい三つの要素。その一は、人の役に立っている、価値があると思えること。その二は、楽しく働けること、そして、その三は、自分がその仕事によって成長できるかどうか。本来、国家公務員は、これにあてはまるはずですよね。でも、内閣人事局の手の平の上で踊らされて、苦しい、心にもない国会答弁をさせられているキャリア官僚たちが楽しく働いているとは、とても思えません…。
公務員の仕事は翻訳だ。国民のニーズや願いを汲みとり、それを翻訳して制度や法律の形につくりあげていく翻訳家のような仕事だ。なあるほど、そんな表現もできるのですね…。
自分の名前で仕事をしたい人には公務員は向かない。うむむ、そうなんですか…。組織として仕事をするからなんでしょうね。
公務員にとって大切なものは、感性と企画力。世のなかのニーズを感じ、汲みとれる力のこと。そして、企画力は経験で補うことができる。頭がいいだけではダメ。
もうひとつ、公務員には説明力も求められる。弁護士には、言葉だけでなく文章による説明力が求められます。
弁護士の仕事と公務員のそれとの違いは、お金の額がケタ違いだというところにもあります。著者たちは、ある仕事を達成するためには1兆円の予算がほしいと考えた。しかし、財務省は5000億円といい、最終的には7000億円を獲得したというのです。このスケール感(観)は、弁護士にはまったくありえないものです。
この本で唯一私が笑ったのは、「セクハラ」というコトバに財務省がクレームをつけてきたというところです。財務省は、セクハラというのは週刊誌ネタで、神聖なる予算要求の企画書にセクハラなんてコトバを載せたら、予算はつけられないというのです。そこで、「セクハラ」を「非伝統的分野への女性労働者の進出に伴うコミュニケーションギャップ」に急いで書き換え、予算要求が認められたそうです。信じられません…。
国家公務員に必要なのは、一に体力、二に気力、三、四がなくて五に知力。いやはや、国家公務員にならなくて、本当に良かったです。私は弁護士になって徹夜仕事をしたことが一度もありません。土曜も日曜も仕事をすることは昔も今も苦にはなりませんが、夜12時すぎまで書面を書いていたというのは30年前に何回かあったくらいです。
私はいつも仕事は前倒しでするようにしています。そうでないと、追われてしまい、心にゆとりをなくします。そして、モノカキの時間がとれなくなります。そんなの嫌ですから…。
(2021年3月刊。税込946円)

脳の大統一理論

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 乾 敏郎、阪口 豊 、 出版 岩波科学ライブラリー
脳は、ヘルムホルツの自由エネルギーを最小化するように推論する。これが自由エネルギー原理。そんなことを言われても、まったく何のことやら理解できません。というか想像すらできません。
「家に帰ると、窓ガラスが割れていた」という状況で、人間は、「どのような原因か」だけでなく、「それぞれの原因がどの程度、ありそうか」もあわせて推論している。
最近のスマホのカメラは2000万画素以上の画素数を有している。高級なカメラのほうは1億個以上の画素数を有している。
予測が安定していれば、精度が高い予測信号であるといえる。感覚信号と予測信号の精度のバランスをうまく操作することが、脳が環境を理解するうえで重要な意味をもっている。
脳は外環境だけでなく、自分の身体内部(内環境)に対しても、同じように「知覚」し、また、「働きかけ」ている。脳は、内臓や血管の状態をコントロールすると同時に、それらの状態を把握している。血管や内臓は自分の身体の一部ではあるが、脳からみれば環境の一つなのだ。
自分で自分の体をくすぐっても、くすぐったく感じないのは、自分がくすぐるときは、くすぐったことで引き起こされる皮膚からの触覚信号が神経系の内部で抑制されるから。
大脳皮質は1.5~4.5ミリメートルの厚さをもつ。その内部は、第1層から第6層までの6層構造をしていて、層内と層間の結合を経て、多数の神経細胞がネットワークを構成している。
1000人に1人がかかるパーキンソン病は、ドーパミンの欠乏によって引き起こされると考えられている。この病気にかかると、運動を意図的に実行できなくなるだけでなく、行動計画や問題解決、注意の移動や切り替えなどの機能が低下する。さらに、無気力、不安などが見られ、目標志向行動の低下や興味の喪失も生じる。モチベーションの欠如として捉えられる。
パーティーで急にスピーチを頼まれたとき、心臓の鼓動が早まるのは、実際のスピーチするときになってホメオスタシスに大きな乱れが起きないように、前もってホメオスタシスの設定値を変更する仕組みがあるため。感情は、内臓状態(隠れ状態)の知覚と、その内臓反応をもたらした(隠れ)原因についての相論という二つの要因によって決定される。
統合失調症では、知覚においても感覚減衰が低下する。統合失調症患者は身体を簡単に動かせる状況なのに、一定期間、同じ姿をとり続ける。
統合失調症患者は、事前の信念のみに従った、現実から乖離(かいり)した知覚や認知を得るため、幻覚や妄想をもつことになる。
赤ちゃんは、自分の期待に反するものを長い時間、注視するという経験則がある。
私たちは、環境との相互作用を通じてエントロピーを一定の範囲内に抑えることにより、ホメオスタシスを維持し、生存している。
そして、内受容感覚を通じて内環境を相論し、精度の最適化を通じて自身の状態を感じ、世界の中での自身の存在を感じることができる。
デカルトの「我思う、故に我あり」というよりむしろ、「我あるが故に我思う」なのだ。
脳についての難しい話が満載の新書です。読んで分かったつもりになったところだけを紹介しました。
(2021年3月刊。税込1540円)

氏名の誕生

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版 ちくま新書
私の名前(姓名)は霧山昴(きりやま・すばる)。これは養子縁組でもしない限り、一生変わりません。これが現代日本の当然すぎる常識。ところが、江戸時代は、名前(姓名)は年齢(とし)とともに変化するもので、一生同じ「名前」を名乗る男など、まったくいなかった。その常識が激変したのは明治時代の初めのこと。
この本は、このような常識の変化を丹念に追跡していて、もう頭がくらくらしてきます。何が何だか分からなくなってくるのです。それは、江戸時代の武士と庶民に通用していた常識と、朝廷での常識が別物だったことにもよります。明治維新によって朝廷が王政復古で昔のように変えたくても、ことは簡単ではなく、あれこれ変更を重ねて、ますます混迷をきわめていくのです。ここらあたりは読んでいて、まったく五里霧中。とてもついていけませんでした。
現代日本における人名の常識は…。人名は「氏」と「名」の二種で構成されていて、「氏」は先祖代々の大切な家の名で、「名」は親がつけてくれたもの。「氏名」を恣意的に変えることは、原則としてありえないこと。
ところが、江戸時代の名前で親が名づけるのは幼名だけで、改名は適宜なされていて、「かけがえのないもの」でもない。この二つの常識は、まるで違うもの…。
江戸時代の人間は、幼名、成人名、当主名そして隠居名という4種類の改名があるのが一般的。幼名は親などが名づけるが、15歳か16歳で成人したあとは、本人が自ら名を改める。
江戸時代の名前は、社会的な地位をある程度は表示する役割を担っていた。たとえば、~庵(あん)は医者一般がよく名乗るもの。名前は身分格式にもとづく秩序を重視する近世社会において、社会的な地位を相手に知らせる役割をもっている。
江戸時代、庶民も苗字(みょうじ)をもっていたが、それは自ら名乗るものではなく、人から呼ばれるものとして用いられていた。
この本ではありませんが、江戸時代の庶民も「氏名」をもっていたが、それは名乗るものではなかったので、あたかも庶民は「氏」をもたなかったかのように現代日本人が大いなる誤解をしたと指摘する本を読んだことがあります。
江戸時代の庶民にとって、苗字とは、自分から他者に示すものではなくて、呼ばれるものだった。また、「壱人両名」(いちにんりょうめい)という、一人で二つの身分と名前を同時に保持することができていた。これは、イメージとしては本名とペンネームの関係ですが、本質的にはまったく異なります。それぞれ、公の場で通用するものだからです。
そして、明治8年、山県有朋が、徴兵事務のために、平民に必ず名乗らせることにして以降、ついに現在の戸籍制度が完成したのでした。つまり、国が国民を兵隊にとる便宜をあくまで優先した結果として、現在の私たちの常識が成り立っているのです。
江戸時代は夫婦別姓でしたし、死後も別墓が当然だったのです。繰り返しますが、現代日本の常識は江戸時代の日本には通用しません。とても興味深い本でした。頭の体操にもなります。ぜひ、あなたもチャレンジしてみてください。
(2021年5月刊。税込1034円)

破天荒

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版 新潮社
痛快な自伝的小説です。あまりに面白くて一気に読みあげました。著者が業界紙の記者をしていたのは知っていましたが、こんなにも業界内部そして官庁に深く立ち入って取材していたのですね。すごいです。
あるときは企業間の大型取引を仲介して、謝礼金1000万円を呈示され、その半額500万円をもらったそうです。ところが、税務署が嗅ぎつけて課税されて150万円も召し上げられたとのこと。これを読んで、私も税務署から取り戻した本税に140万円ほどの加算金がついて戻ってきたのを喜んでいたところ、税務署はそれを雑所得として課税してきたことを思い出しました。これが私の第二次不当課税事件です。たたかいましたが、法と通達のカベは厚く、いくらかもっていかれました。
著者は高校を中退していて、いわゆる学歴はなに等しい。ところが業界紙に入社するのは、そのときの作文について筆力が断トツだったとのこと。さすがですね。しかも児童養護施設で小学6年生の夏から中学1年生の2学期まで園児として過ごしたとのこと。これはS学会に熱心で酒のんでばかりいた両親の育児放棄のようです。
ところが、すごいのは、その園まで同級生たちが面会に来てくれていたということ。しかも、担任の教員まで、ときに生徒を引率して…。いやあ、これは泣けますね。やはり友だちと教師の力は偉大です。おかげで、文章力も才能もある著者は、変にいじけることなく、むしろ親からの早い自立を目ざしてがんばったのです。
高校2年生のころ、自転車で新聞配達のアルバイトをしていたときの体験をもとにした著者の作文が巻末に紹介されていますが、これはすごい文章です。入社面接のとき、読んだ社長が「恐れいった」、「胸にぐっときた」と言ったそうですが、まったくそのとおりです。
業界紙に入社して記者として活動しはじめると、たちまち業界内部に飛びこんで、すごい記事を書き続けた。20歳でもらった月給が1万5千円。1959(昭和34)年当時の大学卒の初任給は1万3500円のときのこと。なので、破格の高給。本人も腰を抜かしたが、両親はそれ以上におったまげたという。この1万5千円のうち、親に1万円を渡し、著者は5千円を自分のものにした。
著者は四日市石油化学コンビナートの生成過程も取材したようです。あとで、「四日市ぜんそく」で有名になった公害発生源の企業でもありますが…。
ともかく著者の取材の徹底ぶりは半端ではないようです。これは自伝的小説で本人はそう書いているのですから間違いないでしょう。真実は細部に宿るという言葉がありましたっけ…。ともかく、細部(ディティール)が真に迫っていないと小説として読めませんよね。著者の企業小説が、そこが断然ズバ抜けています。ともかく、話がこまかい。こんなところまで知っているのかと思わず舌を巻いてしまうほど、微に入り細をうがっていますので、書かれていることの全部が真実だと思わされてしまうのです。なので、業界あるいは会社内部のことを書くと、リークした犯人捜しがはじまったり、著者に反感を覚える人が出てきたりするわけです。
著者は、何も知らないからこそ取材するとしています。それはリアリティを確保するためです。リアリティがなければ企業人は読まないし、世間も読みません。著者の本の多く(決して全部ではありません)を読んでいつも大変勉強になりましたが、今回は、著者そのものを少し知ることができて、本当に良かったです。高杉良ファンには見逃せない一冊として、一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1760円)

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