(霧山昴)
著者 有澤知世 、 出版 ぺりかん社
江戸時代を、まるで暗黒・停滞の300年と考えている人がいますが、まったくの誤解だと私は考えています。江戸時代の日本人と現代日本人とは、さまざまな面で連続性があります。私の専門分野である司法の世界においても、弁護士に匹敵する公事師(くじし)がいて、為替手形があって専用の訴訟形式があり、今日の和解・示談に相当する内済(ないさい)がありました。
文化面でいうと、旺盛な出版活動がありました。出版印刷が盛んでした。浮世絵の役者絵の見事さには驚嘆するばかりです。
この本の主人公の山東京伝は江戸時代も後期のころに活躍しています。NHK大河ドラマの「べらぼう」(私はみていません)の寛政の改革の前後に活動しています。
山東京伝は、江戸の深川木場に町人として生まれました。まずは浮世絵師として活躍します。そのときの名前は、北尾政演(まさのぶ)です。次に、江戸戯作壇の中心人物としての山東京伝となり、洒落本(しゃれほん)、黄表紙(きびょうし)、絵巻、読本(よみほん)、さらには滑稽本(こっけいぼん)など、多くの領域を開拓し続け、流行を生み出していく作家でした。
松平定信による寛政の改革は出版を統制したので、戯作界は大きな影響を受けた。山東京伝も好色本を描いて処罰されている。筆禍後の山東京伝は、近世初期の江戸の風俗や事物の考証に傾倒した。そのため、当代一流の学者たちと交流し、考証の成果を随筆にまとめている。山東京伝は、図案集も多く刊行し、寛政の改革のあとは紙製煙草入店を営みながら、戯作を執筆した。
19世紀の江戸は、考証趣味が流行した。さまざまな社会的階層の人間が集まり、同一の事物について共同で研究した。
このとき、社会的身分を緩やかに超えた知的交流の場が存在した。そのときの求心力は古(いにしえ)の事物への関心だった。山東京伝は異国意匠を積極的に取り入れた。陽刻描法も導入している。近藤重蔵(探検家として有名)も大田南畝(戯作家)も、長崎奉行出版をつとめた経緯があり、そのときに入手した舶来品が山東京伝の知人にも伝わった。「異国ブーム」が山東京伝の作品に反映している。
山東京伝は江戸戯作の第一人者でありながら、後進の作品への目配りを忘れていなかった。戯作者たちは、同時代の戯作作品に注意を払って流行を把握し、新しい趣向を案じるのに余念がなかった。寛政の改革のあと、執筆料を受け取る職業的な戯作者が初めて出現した。それまでは、文壇の中心を占めていたのは武士の作家だった。
江戸時代も末期のことの様子を認識することができました。
(2025年2月刊。5800円+税)


